幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ……いや割とマジで 作:とるびす
八雲紫の名は子供の頃から知っている。玉兎どころか、月の都に住まう者ならば知識として脳味噌の奥底に必ず刻み込まれている筈だ。
教練所時代、彼女の悪行を嫌と言うほど聞いた。天地開闢前から幾度となく神々と争い、八雲紫により秩序は悉く破壊されていったそうだ。
最終的に都側は勝利を収めたものの、穢れに満ちた地上から一切の利が失われ、空へと発たざるを得なくなった。
だが紫は飽き足らず、それ以降も月への攻撃を続けた。800年前に至っては自ら妖怪の大群を率いて月の地まで踏み込む始末。月の民にとって、八雲紫とは恐怖の象徴でしかなかった。
だが結局、その戦いで紫は綿月依姫に討ち取られ、永きに渡る悪神との戦いは月の勝利で幕を下ろしたと習っていた。依姫様はやはり偉大である。「依姫様万歳!」と何度叫んだ事か。
歴史は全くのデタラメだった。
約40年前。
地上から遥か38万キロ、遠く離れた穢れなき大地。
その一画をとある玉兎が、並ならぬ鬱憤を抱えながら闊歩していた。
上級軍官になってから数度目の貴重な休日に心躍らせ、街に繰り出し買い物を愉しもうとしたその矢先、上官からの緊急召集の通信に全てをおじゃんにされてしまったからだ。
上層部への謀叛が頭をチラつく程度にはイライラしながら会議に参加したところ、地上より侵略の兆しあり、とのことだった。
なんだそんな事かと大きな溜息を吐く。何が地上だ。どんな兵力で、どんな装備で、どんな化け物を用意しようが自分には勝てないというのに。
そのちっぽけな内容に気を大きくして「そんな連中私が全員叩きのめしてやりますよ」と意気揚々と宣言するまであった。
そんな威勢のいい言葉を聞き届けた主人は、感心したのか呆れているのか、よく分からない表情で淡々と告げた。
『八雲紫が再襲来するかもしれない』
兎が地上への逃亡を決意した瞬間であった。
兎の名は鈴仙。現在はその後ろに優曇華院・イナバが付いてくる。
高貴なる玉兎の生まれであり、月の都最高戦力の一角であり、月の頭脳と謳われた八意永琳様の弟子であり、最強のソルジャーでもある。クラスは勿論1st。御上の覚えもめでたい月の兎随一の出世頭。
本来なら今頃都の一等地に建つ別荘で優雅な暮らしを満喫していた筈なのだが、何の因果か巡り巡って幻想郷なる未開の地で生涯を終えることになりそうな現状に憤っている不運な兎である。
僅かなツテと情報を頼りに永琳の下に転がり込めた時は良かった。自分は人生の勝利者側に位置しているのだと確信したくらいだ。
ところがどっこい。
鈴仙は自らの身の上を嘆いた。
なお、鈴仙もそんな環境下で一切省みる事なく増長し続けたのは流石と言うべきか、はたまた彼女もまた愛すべき狂人と言うべきか……。
ただまあ、そんな毎日でも平穏であったのは確かだ。月の都で地獄の扱きを受ける日々に比べれば、退屈な日々も愛おしく思える。
こんな毎日が続けば良いのに、なんて思うくらいには地上に慣れていた。永遠亭の面々が好きだった。
しかしそんな平和も侵略者により淘汰される。
突如として攻め寄せてきた化け物共にてゐが敗れ、自分が敗れ、永琳が敗者の席に着かされた。実情はどうにしろ、鈴仙にとっては平穏の呆気ない幕切れだった。
あの隙間妖怪にまたもや全てを踏み躙られた。
八雲紫は元気に生きており、それどころか命からがら逃げ込んだ幻想郷を治める管理人だった。鈴仙は──というより、月に生を受けた者は無条件で奴を恐れてしまう。化け物から逃げた筈なのに、その化け物の巣窟に突っ込んでしまうあたり、とことんツイてない兎である。
永夜異変終結後、その旨をてゐから聞かされておったまげたものだ。あとてゐが妖怪の賢者とかいうよく分からん偉い奴だった事にも驚いた。
主要メンバー四人は管理人の要求により離散。鈴仙は冥界に送られ生きているのか死んでいるのかも分からない稀有な時間を過ごすことに。
こちらはこちらで色々と問題のある日々だったが、一応退屈しのぎの相手になりそうな面白い奴がいたのでメンタルを削られずに済んでいる。西行寺幽々子とかいう怪物の存在を差し引いても、恐らく四人の中で一番恵まれていたのは鈴仙だろう。
自分は幸運なのか不運なのか、よく分からないまま日々は雲のように流れていく。
そして今に至る。
鈴仙はやはり不幸な兎だった。
*◆*
寂れた屋敷の立ち並ぶ廃村。妖怪の山の麓に存在するそれは、八雲紫の数少ない幻想郷直轄地。その式が管理するマヨヒガである。
いつもは人っ子一人おらず猫の鳴き声だけが響き渡る閑散とした此処も、今日ばかりは過去最高の人口密度を以って大いに盛り上がっていた。
それもその筈。幻想郷を熱狂の渦へと駆り立てた『幻想郷弾幕コンテスト 紅魔杯』のメイン会場の一つとしてマヨヒガが選ばれたからだ。いつもは限られた者しか入場を許可されない秘境であるが、今日ばかりは八雲紫の許可により大々的に開放されている。
客層は主に山の妖怪。普段恐れられているヤヴァイ連中は殆どがコンテストに参加している為、安心して見物に興じることができる訳だ。既に河童の元山童部隊による出店やら博打屋などで大層賑わっている。
そんな活気あるマヨヒガで唯一、あまり流れに乗り切れていないKY妖怪が一人。そう鈴仙・優曇華院・イナバその兎である。
デカデカと貼り出された【決闘部門】トーナメント表、その第一回戦第一試合に書かれたマイネームを眺めつつ、自らの身の上を回顧した。やはり自分は不幸な星の下に生まれてしまったのだと再確認できた。
ついに来るところまで来てしまった感が否めない。
(まさか見せかけであっても侵略軍の片棒を担ぐ事になるとは……)
遠い目で空を見遣る。もしこの事が上層部に知られれば棒叩きどころの処罰じゃ済まないだろう。多分切腹だの斬首だの、そのあたりの話だ。
沈む心と連動してか耳が皺る。
と、そんな苦悩を知る由もない気楽で呑気で頭春な剣士が一人。彼女もまた、数奇な運命の巡り合わせに林檎飴を舐めつつ唸りを上げた。
「ふむ、私とは反対側のブロックですか。どうやら貴女との因縁は決勝で果たされることになりそうですね。今度こそ絶対に負けませんよ」
「あーそうね。ハイハイ頑張れー」
あまりにぞんざいな返答に流石の妖夢もムッとなる。
「……そんな気概で勝ち抜けるほどこの大会は甘くないと申し添えておきましょう。私の好敵手たるに相応しい振る舞いを心掛けていただきたい。よもや一回戦敗退なんて笑えませんからね」
「チッ、頭だけじゃなくて目も腐ってるみたいね。あ、アメ一口ちょーだい」
「ふふん腕が腐ってなければいいんですよ。どうぞ」
したり顔の癖して堅苦しい宣戦布告である。勝手に好敵手を騙るこの半分幽霊は相変わらずだが、純粋に催しを楽しんでいるのが気に障る。自分の悩みなど一寸たりとも理解していない癖に。
いつもそうだ。コイツの言うことは全部的外れ。思考が甘ちゃんなのだ。あと飴も甘い。
「そもそも名前を見てもどいつが強いとか弱いとか私には分からないから盛り上がれないのよね。知ってる名前も
「中々の強豪達が出場してますよ。さきほど河童共が観客から優勝予想の賭金を募ってましたが、オッズ的に優勝候補と見られているのは伊吹萃香や風見幽香といった者みたいですね」
「アンタ、途中で負けるって思われてるじゃない」
「目が腐っているんですよ。試合が始まれば否が応にも私の強さを目の当たりにする事になるんですから関係ありません」
ちなみに河童の賭金には鈴仙も参加している。当然、自分自身の優勝にお小遣いをオールインである。ちなみにオッズはドベから2番目。
つくづく見る目の無い連中だと、この点だけは妖夢に激しく同意する鈴仙であった。*1
「それにしても意外でしたよ。まさか故郷に刃を向けるとは……。幻想郷に対して叛逆の意図が無い事の証明には十分だと思いますが……うーん」
「まあ冥界暮らしにも飽きてきた頃合いだし、私はさっさと竹林に帰りたいの。その為なら故郷の一つや二つぶっ潰してやるわ」
「な、何という畜生……!」
妖夢はドン引きした。ついでに鈴仙自身もドン引きしていた。こんな事を本心から宣う奴がいるなら、そいつは紛れもない狂人である。そして現状、鈴仙はその狂人を演じざるを得ないのだ。
鈴仙の目的はただ一つ。
トーナメントを勝ち上がりロケット搭乗権を奪う! そして少しでもこの戦争を邪魔してやるのだ。八意永琳のエージェントとしての役割を全うする。(自己判断)
ついでに自分の圧倒的な力を見てレミリアが「うそ……月の兵士強過ぎ……勝てる気せんわ……」と絶望して計画を取り止めてくれれば万々歳である。
(依姫様、豊姫様、そして師匠……! 私、絶対やり遂げてみせますから……!)
地上の兎に堕ちたのだとしても、在った過去を捨て去る事は決してできない。仮にその行いが奥底に眠る罪悪感を振り切る為の自己満足なのだとしても、それが心の平穏に繋がるのなら儲け物である。
既に優勝した気になった鈴仙は、てゐにドヤ顔をぶちかまし、永琳と輝夜に褒められる未来を予見し思わず口の端が持ち上がる。勝利のスマイルにはまだ早い。
「うぅむ、恐ろしい……」
そして妖夢は狂人の満面スマイルにドン引きした。
茨木華扇なる仙人から簡単なルール説明が行われた。
場外、一定以上のダメージを負うと強制終了。判断は犬走椛が身体状態を確認の上、行う。審判や周りの地形を巻き込むような大規模攻撃は禁止。別空間に逃げてもよいが、武舞台から10秒姿を消した時点で失格。浮遊時間は10秒に制限。殺害は原則禁止、
大まかに要点を纏めるとこんなものか。長ったらしいお気持ち表明と共に説明しているものだからイマイチ分かりにくかったが、かつての上司も似たようなものだったので何とか対応できた鈴仙。やはり【決闘部門】をチョイスしたのは好判断だったと内心ほくそ笑む。
弾幕勝負だのスペルカードだの、八雲紫が考えた遊戯の土俵に乗る気はさらさら無い。月仕込みの軍隊格闘術で頂点を取ればいいだけの話だ。
(まあ、スペルカードの方でも負ける気はしないけどね。徹夜で考えたカッコいい名前を披露できないのは残念だけど、八雲紫やあの糞吸血鬼が審査員じゃ不当な点数を付けられかねないもの)*2
確かに幻想郷には自分より腕っ節の強い妖怪が居る事は想定されるが、技術と能力の習熟度においては自分が遥かにリードしている筈、と鈴仙は考える。
認めよう、月と地上の差はあんまり無い。想定を遥かに超える強さを持つ化け物ばかりだ。認めよう、月にとって脅威になり得る事を。
故に見せつけよう。思い出させよう。
貴様らの舐め腐っている存在が、どれほどのものか。地上人には決して到達できぬ高みの尊さを。
「それでは第一試合を開始します。両選手、武舞台へ」
主審の華扇、副審の椛が所定の位置に着いたと同時に開始の合図がなされる。死合い場から十分に距離を取った観客による大歓声が沸き起こる中、自らに波長操作を施し精神を鼓舞した鈴仙は、自信満々に舞台を踏み締める。
幻想郷縁起に載っていない妖怪の登場に、観客は当惑した。兎だから因幡てゐの関係者なのは予想がつくが、この大会で生き残れる程の強者なのだろうか? なにせ相手が相手である。
反対の方から対戦相手が入場する。額から一角を生やした長身の妖怪であった。立ち昇る鬼気が大気を歪ませ、一挙手一投足に生命が恐怖の叫びを上げる。
こちらの方は幻想郷縁起に(悪い意味で)大きく載っている為、動揺を以って迎えられた。まさか本当にこの鬼まで参戦するなんて。
「へぇ見ない顔だ。新参の妖怪か」
「まあ新参っちゃ新参かもね。そしてお前よりも遥かに高貴で強い妖怪だ」
「ハッハッハ嬉しいねぇ! 威勢の良い連中が増える分には大歓迎さ。もっとも、実が伴っていればの話だが」
「実どころか華まで見せてあげても良くてよ?」
「赤い華ァお望みかい」
啖呵は十分。両者共に気炎を吐く。
鈴仙・優曇華院・イナバVS星熊勇儀。互いに相手の実力が分からぬ状況での決闘である。更に今後の基準決めで重要になる一試合目なのもあり、椛と華扇は注意深く場を見守る。
この一戦、特に事故が起こり易い。というか、華扇は既に最悪の結果を想定している。この鬼を知っている者ならば当然の警戒だ。
「幻想郷における初の公式試合です。それを貶める事なきよう、品位を以って臨みなさい。いいですね?」
「当然よ」
「おうとも。さあ早速始めておくれな」
「ホントに大丈夫かしら……。──試合開始ッ」
「起きなさい、うどんげ」
ビクリ、と身体を震わせる。深い微睡みの中から無理やり引き上げられたような、なんとも言えない不快感が耳の先からつま先を伝う。
寝惚け眼で真上を見上げると、見知った顔が自分を見下ろしている。これは、まさか膝枕の体勢か? 永琳の冷たい目が紅い瞳を凍て付かせる。
一瞬惚けた後、慌てて飛び起きた。
「し、ししし師匠!? え、なんで居るんですか!?」
「久々の再会なのに随分な対応ね」
「いやいや……ビックリし過ぎてそれどころじゃないですよ。ていうか私、試合してたような気がするんですけど」
「……」
「……負けちゃいました?」
どうやら鈴仙は会場外れのベンチに寝かされているようで、遠目に誰かの試合が行われているのが見える。それと会場の一画が丸々吹き飛んでいるのが嫌でも目に入った。
試合の内容がちっとも思い出せない。
「酷いものだったわ。貴女、右半身吹っ飛んでたわよ」
「え?」
「頭からも色々と出てたから河童が応急処置を施している間に私が
「ひぃっ!?」
「まあ試合の内容は悪くはなかったわ。次も頑張りなさい。右半身の筋繊維の接合が完了してないけど、戦えない訳じゃない」
「つ、次? どういう事ですか」
「判定勝ちよ。うどんげの」
永琳がつらつらと解説を始める。
怪力乱舞を振り回す勇儀に対し、その危険性を即座に察知した鈴仙は波長操作による完全回避を実行。衝撃の波を殺し、究極まで弛緩された柔の構えにより勇儀を完全に封殺できていた。
だが勇儀はそれに対して小技ではなく力で対抗した。軍隊格闘術を極めた鈴仙の拳から繰り出される一撃必殺の
そして最後には勇儀の剛力が絶対防御を力任せにブチ破り、その衝撃を風圧だけで受けた鈴仙は先に述べた有様になってしまった。
しかし、その風圧が鈴仙を貫通しマヨヒガの三分の一を消し飛ばす大惨事に発展。当然のように勇儀は失格となったのだ。
なお勇儀は申し訳なさそうに手を合わせて「熱くなりすぎちゃった! 萃香に建物の修繕頼んでおくから勘弁な!」と橙に噛み付かれながら語っていたとのこと。
古豪の強者が一回戦で敗退というとんでもない番狂わせに、会場はどよめきと惜しむ声で溢れたらしい。
ちなみに担架で場外に運ばれる鈴仙に対しては、あまりの惨状に観客全員目を背けたとか。
「それと貴女宛に『今度こそ互いに本気で殺し合おうな』って言伝を貰っているわ」
「師匠ぉ……」
「今回は不意打ちに近い一撃だったから致し方無い部分もあるわね。ルール無しなら他にもやりようがあるでしょう? 今度は勝ちなさい」
「師匠ォ!!!」
「……私は客席に戻るわ。本来貴女と私は接触を禁じられた身、今回は特例で許してもらったけど、このまま長居しても良い事は無い。二回戦ももうすぐだし」
二回戦。
そのワードを聞いただけで震えが止まらなくなる。今回、一回戦から特別強い奴に当たってしまったのかもしれないが、それでもあの体験は伝聞だけでも恐怖に陥る材料としては十分過ぎる。鈴仙は臆病なのだ。
さっさと棄権して白玉楼に逃げ帰りたい。その一心であった。
だが残念。退路は既に断たれている。
「ダメようどんげ。貴女は戦い続けるの。これは貴女が(私に無断で)始めた戦いでしょう? そのやり方が月を救う一番の道なのだと判断したのなら、最後まで完遂しなきゃ」
「け、けど師匠にはきっと別のプランが……」
「貴女の優勝を楽しみにしてるわ」
有無を言わさぬ迫力に鈴仙は無言で頷くしかなかった。
そう告げると永琳は反転、そして去る直前で何かを思い出したのか、振り返ると相変わらずの冷たい目で淡々と告げる。
「てゐに言われたわ。地上と八雲紫を舐めるなって」
「……アイツが、ですか?」
ふと、彼女が去り際に渡してきた人参のアクセサリーを握り締める。
「実際、それで足を掬われて今に至るんだから否定のしようがないわ。私は少しだけ考え方を変える。だからうどんげ、貴女も頑張りなさい。期待しているわ」
「……! は、はい!」
鈴仙は泣きそうになった。そんな事を言われたら頑張るしかないじゃないか。
足早に去っていった永琳を見送った後、痛む身体を涙目で引き摺り武舞台へと戻る。試合続行は絶望的だと思われていた優曇華院の大復活に観客とついでに選手が沸いた。鈴仙は呪った。それはもう、色々と。
「あらー白玉楼の兎さんじゃない! こんにちはー!」
「……」
「つれないなぁ。元気出していこうね!」
鈴仙は無言で中指を立てた。
二回戦の相手はメルラン・プリズムリバー。高い頻度で白玉楼にやって来る騒霊のうち一匹なので、一応鈴仙とは顔見知りの仲である。なお誰がメルランで誰がルナサなのかはあまり覚えていない。
開幕ラッパをかき鳴らし、躁による此方の精神撹乱を狙ったメルランだったが、鈴仙に波長操作は通用しない。必勝パターンを崩され動揺したところにすかさず
ただ周りへの被害は甚大だった。騒霊の演奏のせいで観客、審判団ともにテンションが上がりまくったせいで以降の試合は異様な熱気に包まれる事になる。
三回戦の相手は伊吹萃香。初見だったが一回戦のあの妖怪と同程度の圧力を感じる。というか2本の角を見て色々と察した。早速戦意喪失しかけたが、観客席からの謎の圧力により試合続行。
勇儀の時とは立場が逆転し、独特の格闘術で攻め立てる鈴仙と変幻自在にいなす萃香という構図で試合は推移していく。鬼の剛腕を以って一、二回戦を相手を一撃で葬ってきた萃香には珍しい長期戦の構えである。というのも、鈴仙の能力は萃香に対して有利を取ることのできる稀有なものだった。
萃香十八番の分身戦法も強い振動をぶつけられてしまえば本体以外は霧散してしまうし、鈴仙の一撃は実体を的確に捉えてくる。実体を曖昧にする存在にこそ強みを発揮するのが鈴仙の力だ。
観客どころか、痛みに怯える鈴仙にとっても若干予想外な善戦が続く。
しかしこの程度で勝ちを手繰り寄せられるほど『技の萃香』と謳われる古豪の意地は甘くない。能力の優劣など戦闘の決定打にはなり得ないのだ。
自らの不利を無理くり演出し、鈴仙を真正面からのぶつかり合いに誘い込む。そして防御を捨てた肉弾戦へのゲームチェンジを強制した。
鬼との殴り合いなど下策も下策。当然、そんなものに付き合う必要はないと波長操作による攻撃を繰り返す。しかし萃香はそれら全てをノーガードで受け入れた。
攻撃後の数瞬の隙。鈴仙が絶対防御へと移行する僅かな時間。そこに一撃を叩き込むのだ。一撃喰らうたび骨が砕け、内臓が傷付く。衝撃を殺す事で幾らか威力が和らいでいる筈なのにこのザマだ。
(まずい、勝機が……遠のく……!)
肉体へのダメージが加速度的に増している。判定負けを喰らうのも時間の問題かもしれない。鬼という生き物はどれだけ不条理なのだろうか。
──いや、不条理で滅茶苦茶だからこそ勝機を見出せるのだ。脳裏に蘇るは永夜異変で殺し合った半分幽霊の剣士。あの時の自分も同じく不条理な存在であった筈だ。でも妖夢はめげずに勝利を手繰り寄せた。
気持ちで負けるな!
「
「っと幻影か。今更小細工なんか通用するかよ!」
視界が歪み分裂した鈴仙だったが、萃香は即座にカラクリを見抜いた。大雑把に腕を振り回して分身を丸ごと一掃する。
そう大雑把。『技の萃香』が一瞬でも鬼の力に胡座をかいてくれれば良かったのだ。
萃香の拳が頬を掠め、空間を捻じ曲げるほどの衝撃が鈴仙の身体を引っ掻き回す。直撃はしなかった、それで十分。傷付きながらも、鈴仙の視線は萃香しっかりと見据えていた。
クロスカウンターの要領で放たれた
たまらず実体を維持できなくなり『疎』の能力で霧散。ただちに実体化し反撃に転じようとしたが、この瞬間、鈴仙の勝利が決定した。
「
フィールドを絶え間ないマイクロウェーブによる高周波で満たして、武舞台上の空間を凄まじい力で振動させる。これにより分子そのものへとダメージを与え結合を阻害する。即ち、萃香は実体に戻れない。
そして萃香が次なる一手を打とうにも、武舞台から10秒姿を消したため判定負け。
勝利は鈴仙の手の内に転がり込んだのだ。
「自分で言っておいてなんですが……まさか決勝戦まで残ってるとは思いませんでした。私は貴女の事をみくびっていたようです。凄いですよ鈴仙さん!」
「もうホント無理……帰りたい」
「何言ってるんですか! あと一回勝てば優勝ですよ頑張ってください!」
いつの間にか二回戦で敗退していた妖夢からの熱烈なエールも鈴仙には届かない。控室でさめざめと泣きじゃくっていた。もう心身共に疲労困憊な状態である。
というのも、試合は勿論だが、その後に鬼二人組に絡まれたダメージがあまりにもデカ過ぎる。しこたま褒められて、しこたま殴られて、しこたま酒を飲まされた。これも彼女らなりのエールなのだが、鈴仙には地上の野蛮な報復行為にしか思えなかった。
鈴仙は這う這うの体で妖夢に縋り付く。
「こんなボロボロな状態で決勝戦なんて無理……! 絶対無様晒して負ける……!」
「しかし相手も結構ダメージを負っているようですよ。三回戦の相手が風見幽香でしたし、見たところ鈴仙さんよりも怪我の状態は酷かったようですけど」
「……ほんと?」
「鈴仙さんが手負いなのは分かります。しかしそれは相手も同じ事! そうなると勝敗を分けるのは──ガッツの差です」
「他人事だと思って好き放題言わないで」
「そんなまさか! 私の想いを背負う
いや別に背負ってないし。
そう呟いても妖夢には届かない。というかテンションがおかしくなっている。メルランの能力がまだ作用しているのだろうか? 自前でも全然違和感が無いので鈴仙は計りかねていた。
ただ確かにガッツが必要になってくるのは間違いない。同条件、互いに不利なコンディションでの戦闘なら勢いがある方が勝つ。軍人哲学の常道である。
気持ちを切り替えよう。折角痛い思いをしながらここまで勝ち上がってきたのに、優勝しなければ何も得られない。大損もいいところ。
ついでにお小遣いも消し飛ぶ。
(勝ったら師匠や姫様、もっと褒めてくれるかなぁ)
永琳は「期待している」と、確かに言ってくれた。あの超絶厳しい永琳がわざわざそう伝えてくれたのだ。こんなに嬉しい事はない。
そう思うと勇気が湧いてくる。
あと一回。たった一回勝てばいい。
あれ? なんだか勝てる気がしてきたぞ?
「勝てると思う?」
「必ず!」
「よぉっし! そんじゃやるしかないわねっ!!」
「がんばれっ! がんばれっ!」
兎も煽てりゃ月まで跳ねる。
興奮冷めやらぬ【決闘部門】もいよいよ大詰め。数々の名勝負を生み出した大会もいよいよ終わりが近付いている。なお場外では試合結果に満足できない選手が暴動を起こしたり、興奮した観客が乱痴気騒ぎに走ったりと多くのハプニングが発生したが、それらは全て良い笑顔をした鬼二匹と顰めっ面の仙人によって鎮圧される事になる。四天王の名は伊達ではないのだ。
さて経過はどうであれ、終わり良ければ全て良し。幻想郷に住まう者ならば誰もが身に付けている崇高な精神は今大会でも当然のように適用される。
勝ち上がった二人はいずれも幻想郷のニューディスペアと呼ぶに相応しい者達だった。幻想郷縁起に載っていない、即ち新参が古豪犇く魔のトーナメントを制そうとしている。その事実は観客、選手、さらには審判までにも驚きを齎した。
勿論、限定条件付きの立ち合いである為、試合の勝敗によって戦闘力の完全な優劣が決着する訳ではない。だが逆に言えば、勝ち残る者に共通しているのは『腕っ節だけではない』という確かな事実。
現時点で総評するなら、芸に秀でている者にこそ勝機が巡る大会だった。八雲紫の言う『美しさに意味を持たせる』理念に通じるものがあるのかもしれない。
だから試合の行方を見守る者たちは心待ちにするのだ、次はどんな心躍らせる闘いを見せてくれるのだろうかと。期待に胸を膨らませる。
両者相手を見遣る。
うさ耳ブレザー。頭に桃を乗せた目出度い奴。
この時、互いに抱いた相手への印象は奇しくも一致していた。
((こいつ、狂人だわ……!))
片や全身に隈無く十数箇所の骨折、筋肉断裂、右足はびっこを引いている。片や全身に強い打撲、内臓損傷、顔は青い白く腫れ上がり端正で美しい顔が台無しだ。
しかし片や勝利の未来を予見し締まりなくニヤけており、片や今までの戦いが楽しすぎて怪我など気にせず寧ろ痛みが心地良いとばかりにご機嫌な笑みを浮かべる。
まさに満身創痍。こんな有様でへらへら笑っていられるなど真っ当な人間(妖怪)ではない。よくもまあ、こんなとんでもない奴が生き残ってしまったものだと。
二人の感想通り、試合続行など通常なら不可能なレベルである。だが副審を務める椛は完全に止め時を失っているようだった。何より両者共にやる気満々なのだから仕方がない。仕方がないねぇ。
狂人VS狂人──もとい、鈴仙・優曇華院・イナバVS比那名居天子。
(実際にトーナメント表を書いて進行していました)
今話のサブタイ、幻マジの中で一番好きです。
なおうどんちゃんは苦労しまくった模様。多分うどんちゃんの位置は死のブロックって呼ばれてる。
よってメルランは癒し。ただ相手がうどんちゃんじゃなければ安定して好成績を残せる強豪だったりします。うどんちゃん能力が強力すぎる。
妖夢の敗因ですが、接合したばかりの
次回【美術部門】
ちょっとしたミニコーナー。ゆかりんが採点したりトイレに駆け込んだりするだけの回