朝にらしくないことを言った割に今の八幡は不機嫌であった。
別に部活が嫌なのではない。雪乃に会うことに気まずさを感じるわけでもない。
なら何故不機嫌なのかと言えば、単純に小町の機嫌が悪かったからだ。
何せ急なバイトの所為とは言え、兄妹水入らずの食事を台無しにしたのだ。自分が悪いことは分かっている。仕事と小町、どっちが大事なのかと言われれば本音で言えば小町と答えたいところだが、生憎八幡にとってそれは比較するものではないので答えられない。小町は大事だが、仕事が出来なければ自分の価値もないのだから。
故に仕方なく仕事は受けるしかない。元より、上司で師匠なおじさんの命令を無碍に出来るわけがないのだった。
だからこの件に関し、八幡に負い目はないはずなのだ。だが、それは事情を知っている側だけ。何もしらない小町から見れば、悪いのはやはり八幡なのだ。
小町だってわかってはいるのだ。自分の為に八幡が一生懸命に働いていることは。だが、それでも大事な妹との時間を大切にして欲しいという気持ちはどうしようもなく、結果が不機嫌になり荒れるというわけだ。
だから今朝、小町は八幡に対しツンツンとした態度を取っていた。
最愛の妹にそんな対応をされては、自他ともに認めるシスコンの八幡にとっては大ダメージは必須。だから彼は学校帰りに小町が好きそうなお菓子でも買って帰ろうと考えている。
詰まるところは小町に冷たくされて不機嫌になっているわけだ。
(そりゃ仕事だから仕方ないとは言え小町よ、その反応はあんまりじゃないのか。それが分かってるから俺は昨日の仕事で八つ当たりなんてみっともない真似をしてしまったんだぞ。恐怖で真っ青になっている連中の心臓にナイフを突き刺して捩じり込んで破壊し、もう一刀で首の頸動脈を突き刺しそのまま喉まで抉り込んで引きちぎった。結果断末魔らしい何かを上げながら血の海で溺れる人間が完成。それをその場の全員にしたもんだから、他の奴等から『切り裂きジャック(笑)』なんて呼ばれちまったんだぞ、俺)
昨日行った『一方的な残虐ショー』を思い出して周りからの突っ込みにうんざりしつつ、八幡は暗くなった気分を引きずりながらも部室に向かうことに。
そのまま歩いていき、気がねなく扉を開ける。
心地よい春風が頬を撫でる感触を感じつつ前に目を向けると、最初に会った時と同じように雪乃が椅子に座って読書をしていた。
「よぉ」
まず軽い挨拶をする八幡。そんな八幡に対し、雪乃は本から目を離さずに挨拶を返す。
「こんにちは。もう来ないかと思っていたわ……もしかしてマゾヒスト?」
明らかに馬鹿にした言葉に八幡は顔を顰めつつも答える。
「あの程度で来なくなったら世の中全部不登校になっちまうっての。バイトとは言えそれでもそれなりに経験してるんだ。あの程度じゃ笑い話にしかならんよ」
八幡の返しに今度は雪乃がムっとする。まるで自分がお子様だと言われているようで癪に障ったらしい。
そんな雪乃を見て少しだけ見た目と違って幼い部分に可愛らしさを見た八幡は、少しだけからかうことにした。
「お前さ………友達いるのか?」
自分の事はどうなんだということはさておき、この妙に孤高を気取っている少女にそういったものがいるのか気になってきたのだ。そして予想が当たれば………。
「……………まずどこからどこまでが友達なのか、定義してもらえないかしら」
絶対にいないことが判明した。
八幡の様子を見て、雪乃は馬鹿にされていると思ったらしく、少しムキになりつつ自分に友達というのがいない理由を語り始めた。
曰く、自分が可愛いことで男子が寄り付き、それに嫉妬した女子達にいじめにあっていたらしい。
そのこと自体は気にしていないようなのだが、雪乃はその性質が嫌いらしい。
「人は完璧ではないの。弱くて醜くて、すぐに嫉妬し蹴落とそうとする。不思議な事に優秀な人間ほど生き辛いのよ……………そんなの可笑しいじゃない。だから変えるのよ、人ごとこの世界を。優秀な人間が正しく肯定されるために」
雪乃のその言葉は大層大仰であり、八幡はそれを聞いて呆れ返る。
やはりというべきか何と言うか、この少女は愛おしい程に『幼い』のだ。
その可愛らしい幼さを潰してしまうのは可愛そうだと思うが、八幡はそれでも少しばかり『現実』を教えることにした。
「雪ノ下、お前の考え方はとても立派な事だと思う。だけどなぁ…………」
そこで言葉を切ると、濁り切った瞳が雪乃を捕える。
その底が見えない常闇のような眼に見つめられ、雪乃はぞくりと背筋が凍りつく。
まるで得体のしれないナニカが目の前にいた。
そして八幡は口を開いた。
『世界は絶対に変わらない』
「お前が嫌っている世界はそのようにして成り立っているからだ。目立つ存在は尊敬されるとともに煙たがられる。それを変えるってことは、それこそ全人類を皆殺しにする以外ないだろうさ。それにお前は……そのいじめをしていた連中をどうしたんだ?」
「そんなの、勿論無視したわ。相手にされていないと分かれば面白みも無くなってそのうち沈静するもの。子供のいじめなんてそのようなものよ」
雪乃の少しうろたえた様子に八幡は『にやり』と口元を笑った。その様子はまさに悪魔にしか見えない。
「俺もお前と同じようにガキの頃は良くいじめられてた。お前と違うのは俺は目が腐っていて気持ち悪いってことからのいじめだがね。いじめってのは何も目立っているからなるようなもんだけじゃない。醜いってだけでも十分にやられるもんなんだ。まぁ、それはいいさ。それでだ………俺はそれをどうしたと思う」
「そんなの、貴方みたいなのならずっと受けていたんじゃないかしら」
その言葉に八幡は軽く笑ってしまう。
そんな『可愛らしい』対応をしていたのなら、きっとこの目はここまで腐ってなかったのかもしれないなっと思ったのだ。
「真逆だよ、雪ノ下。俺はさ………そいつらを片っ端から潰していったんだ。あぁ、勿論暴力的にしたんじゃない。公的不公的に関わらずに手段を使わせてもらったんだよ。隠しカメラの設置に盗聴器を俺が関係する場所に仕掛け、そしてそれらの場所の指紋の採取。それらの証拠として教育委員会と……いじめをしていた奴等の親に送ったんだ。そしてこう言ってやるんだ。『これは真実であり、嘘偽りは一切ない。公平な判断を望む』ってなぁ。あと親共には『ばらされたくなければどうすればいいのかわかるよなぁ』って言葉とともに、そいつらの家の中にある物を一緒に添えてやった。それがどういう意味かは分からない馬鹿はいない。それであっという間にいじめはやんだよ。その代わりにそいつらの親の幾人かはノイローゼを起こして田舎に子供もろとも引っ越したらしい。おかげでいじめも無くなり平和になった」
その言葉とともに八幡は嗤う。
それを見た雪乃はそれこそ本当の悪魔を見たような気分になり顔を青くした。
「お前はきっと強いから、だから平然と立ち向かったんだろうさ。善人だからなぁ、いじめを憎んでもそれを解決しようと頑張ったのかもしれない。でも、それだけじゃだめだ。もっとも根本的な解決にはならない。根元から変えるためには、それこそ相手を完膚なきまでに『叩きつぶす』ことが必須なのだから。ヒーローは悪を倒しても殺さないのは、彼らが善人だからだ。だから再び悪人は悪事を働く。本当に悪事をなくしたいんだったら、それは悪人を始末することが重要なんだ。ただ、それは同じ悪人じゃないと出来ないってだけでな」
「つまり悪人じゃないと世界は変えられないということかしら?」
「いいや、悪人はそもそも変えるなんて気はないんだよ。変えるのなら、それは自分に都合が良いように、周りにそう働きかけるだけなんだから」
その言葉を最後に、八幡は昨日雪乃に言ったことをもう一回言った。
「お前はまだ『甘い』んだよ。その甘さは好ましいが、それじゃ『救え』はしない」
その言葉とともに雪乃は言葉を失ってしまう。
怖くて怖くて、何を言って良いのか分からなかったのだ。
そんな所為で室内の雰囲気は何やら不気味なくらいに静まり返る。
八幡は少しやりすぎたかと思い、雰囲気を紛らわそうと口を開こうとした途端、それは鳴った。
コンッコンッ……。
それは、奉仕部に来た初めての依頼人だった。