小町の策略により頭をのぼせあがらせる結衣と雪乃。
そんな二人に対し、八幡は真っ赤にしている二人を心配する。
「大丈夫か、雪ノ下、由比ヶ浜?」
「!? な、何でもないわ! え、えぇ、何でも……ないわ………」
「ひゃぁ!? う、うん、そう! 何でもない……よ?」
八幡の視線を受けてそれまで呆けていた二人は慌ててそう答えるが、その言葉の端から正常だと伺えることは出来そうにない。
だが、発声に淀みがないことや瞳孔の状態を鑑みるに問題はないと八幡は判断する。
まぁ、単純に本人達が気にするなと言っているのに余計に気にしては失礼だろうというのもあるが。
そんな八幡と違い小町はニヤニヤがもう止まらない。
まさに思惑通り。義姉候補にそれはもう八幡を意識させることに成功して御満悦のようだ。少しでも可能性を増すように、また兄により年相応の青春を感じさせて楽しんでもらいたい。幸せを少しでも掴んでほしい。そう思うからこそ、今回の仕掛けの成功に彼女は嬉しくてたまらないのだ。
普段の八幡なら二人が真っ赤になっている理由にも気がつかないわけではないのだろうが、流石に『食べかけを食べたから真っ赤になっている(間接キス)』と気付かなければ分かるはずもない。
元より、食べ物が不足しているような環境に幾度となく放り込まれた身だ。そんな『些細な』ことなど気にならない。年頃の娘が気にするようなことなどこの男には関係ないのだろう。それだけが唯一小町の失敗だが、彼女はそれを気にしない。
だってそんな事などなくても、八幡の目を見れば分かるから。
濁り切った目の奥に、確かに宿す親しき者への親愛の光があることに。
そんな暖かな感情を向けている相手を今まで見たことがない小町にとって、それだけでも朗報なのだ。
さて、そんな一同はその場で留まるわけにもいかず、とりあえず歩き始める。
ここで八幡に仕事はどうしたと言えば、彼は素直にサボっていると答えるだろう。それぐらい今の彼は仕事をしていなかった。
だが、それを咎める者など誰もいない。何せ八幡自体が秘密裏のトラブル処理係なのだから。問題を解決し、その下手人を係員に渡す際に初めて相手側にその正体が知られるようになっている。だから主賓側が八幡の正体を知ることは少なく、故に勤務態度等を見ることもできない。だからサボろうがどうしようが問われはしないのだ。
だからこそ『お休みのような仕事』なのである。
なんという言い訳だろうかと八幡は思っているし、そうであっても仕事は仕事でそれなりにこなすつもりでもある。だが、流石に身内と友人の二人と一緒にいる状態では下手に動けず、仕事の中断も病む負えないと判断した。
「んじゃ次はどこに行こうか!」
ハシャぐ小町に連れられるように八幡達も歩くのだが、元から行く先の予定などないのでどうしようかと考える八幡と二人。内心は仕事に戻りたいが無理なので特に考えない八幡。そんな彼だが、今のこの状況に突っ込みを入れたくなり小町に問いかける。
「なぁ、小町」
「なぁに、お兄ちゃん?」
八幡の今の姿を見てニヤニヤと笑う小町に、八幡は女の子がそんな笑い方をしてはいけませんという親心的な言葉をかけつつも聞いた。
「何で雪ノ下と由比ヶ浜の二人は俺の上着の裾を引っ張っているんだ?」
その言葉の通り、八幡のすぐ後ろには雪乃と結衣が彼の上着の裾をちょんと摘まんで立っていた。
傍から見てもおかしなこの状況。しかも二人とも提灯よりも顔が赤いというおまけ付き。
そんな状況に何故なったのか分からない八幡は、その犯人かもしれない最愛の妹にこうして説明を求めた。
その質問に対し、小町は笑いをこらえきれないように我慢しつつも答える。
「だってそうでもしないと二人とはぐれちゃうでしょ?」
「だったら手を繋げばいいだけなんじゃ…」
「ん、ん~~~、こほん。お兄ちゃん、何か、文句でも、ありますか?」
「………ありません」
小町から妙な迫力が発され、八幡はその意味を理解し抵抗をやめた。
『黙っていろ』
それが彼女からの答えである。
基本小町にダダ甘な八幡だ。彼女がそう言えば、それに抗うことはまずない。
だからこの状況も気にしないことにしたし、後ろで真っ赤になって俯いている二人に聞くこともしないようにしようと思った。
そして八幡がこうなっている答えなのだが、勿論これも小町の策略。
彼女が八幡に言った言葉は確かに事実。はぐれないようにするのが目的だ。
だが、それなら八幡の手を繋いだ方が確かに良い。その方が確実性が上だ。
しかし、小町は敢えてそうしない。何故なら、恋する二人にそんな事をさせたら、それはそれで面白いのだが、今はまだ焦らす方が良いと判断したからだ。
手を繋げば確かに密着度が上がりより意識するだろう。だが、今の季節は夏であり、そしてここは人が密集し熱気が籠っている。つまり何が言いたいのかと言えば、汗を掻いてしまっているということ。乙女にとって汗は絶対に良いものではない。それこそ忌避すべきことでもあるのだ。例えそれが人間として当たり前の生理としてもである。
そんな汗ばんだ手で意中の相手の手を繋ぎ、汗を掻いていると知られてみようものなら、それこそ自殺してもおかしくないくらい恥ずかしいものだ。
それを避けるべく、小町はこのように回りくどい提案を二人にしたのだ。
こうすれば八幡に手汗の事は悟られないし、何より八幡とはぐれない。
それに八幡に此方のドキドキを悟られないし、彼の背中を見ていられるという役得もある。何よりも、真っ赤な顔を見られなくて済むというのが大きい。
以上のことも含めて言えば、
『意中の相手とちょっとした接近! いじらしさで彼の心を刺激しよう』
ということらしい。きっと小町は雑誌か何かで知った知識を試したのだろう。
そんな頭の悪そうな知識だが、どうやら彼女達には効果覿面らしい。
「まぁ、そうらしい。二人とも、嫌だと思うがしっかりと掴んでくれよ」
八幡は何気なしにそう二人に言う。
その言葉を受けて二人は小さくなりながらも答えた。
「わ、わかったわ………」
「うん、ヒッキー………」
真っ赤になった顔で俯きつつそう言われ、八幡はそんな二人のいじらしい様子に可愛らしさを感じて気恥ずかしさから顔を逸らした。
(小町さんの提案に最初はどうかと思ったけど………)
(こういうのも、何て言うか………いいなぁ)
二人して同じことを思い、
(こうして見ると、比企谷くんって結構がっしりしてるのね。分かってはいたけど……男の人なのね)
(ヒッキーの背中、思った以上に大きい………何て言うか、頼りがいがあって………恰好良い)
そう思いながら彼の背中を見つめている。
その姿は完全に恋する乙女のそれであり、そんな姿を見た小町は内心二人の可愛らしさに悶えていた。
気まずさとドキドキが入り混じった奇妙な雰囲気。しかし、決して嫌なものではなく、むず痒いが何処か心が暖かくなるような、そんなものを感じる一行。
その雰囲気に浸る結衣と雪乃は胸をトクントクンと高鳴らせていたわけだが、八幡にとってやはりと言うべき予想していたと言うべきか、また知り合いに遭遇してしまった。
「ん、そこに妙なラブコメの気配を感じるぞ! 誰だ、この夏に一人寂しく仕事をしている私に見せつけるかのようにイチャついてる愚か者共がぁ!」
聞き覚えのある声でそんな台詞が出ると、彼女は八幡達を見て驚いた。
相手もまさか八幡達が出るとは思ってもみなかったのだろう。
そんな彼女に八幡は再び呆れ返った顔をしながら話しかける。
「ビール片手に何言ってるんですか………先生」
「比企谷………か?」
そう、八幡達に食ってかかったのは彼等が世話になっている奉仕部顧問、平塚 静であった。
そして静は八幡だと認識した途端、その手に持っていたビールを急いで身体の後ろへと隠し、顔を酔いとともに真っ赤にしながら恥ずかしそうにもじもじし始めた。
「いや、その、すまない。まさか比企谷がいるとは思わなくてだな。いると知っていたらもっとその、気合を入れて化粧して会いに行こうと思っていたのに。その、恥ずかしい………」
そんな静に八幡はどうしてよいのか分からず、ただ分かるのは後ろからやけに変な視線を感じることだけだった。
そしてその発生源である二人は、それはもう凄いジト目で静を睨んでいた。