夏………この季節はどのような季節だろうか。
基本的には暑くて台風が多い、そんな季節だ。過ごしやすいわけでもなく、更には体調を崩しやすい季節ということを考えれば、決して良い季節ではない。
だがそれでも、そんな季節を楽しみにしている者たちもいる。
それは若者達だ。この過ごすのに多少苦労がある季節だが、彼等は寧ろその夏を心待ちにしている。
他の季節と違い、夏にはそれなりに特徴的な言葉が良くある。
『一夏の思い出』『青春が燃え上がる夏』などなど。
つまり若者にとって夏とは特別な季節なのである。
具体的に言うのなら十代後半の思春期の少年少女達には特に。そしてそれらをより盛り上げるように、学生には総じて『夏休み』というものがある。
長期間における休みは日頃は学校に縛られている彼等をより開放的にさせる。夏は開放の季節であり、より大胆にさせる。
春が浮かれやすいように、夏はより活動的に精神を誘発されやすい。季節にはそういった精神への働きもあるのだろう。
だから彼等は夏になるとよりハシャぐ。
今を大切に生きる彼等は、その青春を楽しむべくより活発になる。
と言うのが若者の学生達。
だが、そんなものは学生だけであり、社会に出ている者達なら挙って同じ言葉を言うだろう。
『そんなこと言ってないで働け』
浮かれ上がっている若者と違い、社会に出ている者達に長期間の休みなどない。
社会人にとって夏という季節など精々暑くて不快に感じる事以外ないだろう。彼等は常に忙しい。
では、学生でありながら社会の一部として働いている彼はどちらなのか?
その答えを見てみよう。
八幡は疲れた溜息を何度吐いただろうかと軽く考える。
別に身体は疲れていない。疲れているのは精神だということは、嫌でも良く分かる。
いや、それは仕方ないことだ。何せそんな状況に陥れたのは自分自身である以上、それは自業自得なのだ。
自分の所為だということは分かり切っている。だからこのような目に合うのも仕方ない。
そう、このような目に…………。
「仕方ないことは分かっているし、自業自得なのも分かってる。だから文句も言わず仕事もする。とはいえそれでも……………」
燃え盛るビルの上階を背に、八幡はゆっくりとした歩みで歩いていく。
彼は少し前までそのビルの上階にいた。そこは所謂暴力団の事務所であり、八幡がそんな所に赴いた理由など一つしかない。
その暴力団はここ最近やけに活発に裏で動いており、新しい危険な麻薬を若者達の間にバラ撒こうとしていた。その麻薬は依存度はそこまで強くないのだが、お手軽な価額で手に入る上に、身体から直ぐに排出されるので検知がし辛いという特性を持っている。昨今の麻薬使用者にはそういうものがニーズらしい。それにハマった後により重度の麻薬に手を出すようになる。そのための布石を前に、彼等は嗤う。
「こいつがあればこの夏はかなり稼げる! 何せ夏は格好のカモ共が浮かれ上がっているからなぁ!ガキ共は夏になると開放的になって馬鹿なくせに考えなしに冒険したがるから、こいつをチラつかせれば飛びかかって来るってもんよぉ!」
と組長がのた打ち回っていたそうな。
そして気付かれないように気配を消して侵入した八幡はそんな戯言を聞きつつ本人に最後の言葉を耳元で告げた。
「良い歳した大人が無知な餓鬼を食い物にするな、馬鹿な大人が」
そしておなじみのナイフによる一閃にて、組長は首から盛大に真っ赤な華を咲かせた。
その後はもう分かるだろう。
いつものように、混乱し恐怖する相手に対し一方的な殺戮を見せつけただけだ。事務所内には15人程がいたが、それらが皆物言わぬ骸になるのにそう時間はかからなかった。
血塗れになった事務所で八幡は重要書類などを手早く集め、後は小火を想定して放火し証拠と件の麻薬の隠滅。
そして今になるというわけだ。
勿論これも仕事。とはいえ、いつもに比べれば多少毛色が違うのは少しばかりその背景が違うからだ。
この仕事、確かに日本政府からの依頼ではあるのだが、そのランクがいつもの仕事よりも少し下のもの。何故そんなものを受けているのかと言えば、正直ペナルティとしか言いようがない。
前回八幡は組織に無断でその戦力を使用した。
それが例え消耗することもない、被害もないとはいえども、彼は無断でそれをしたのだ。
別になんてことはない。ただ脅迫をするためにチラつかせただけ。
それだけでも、その責任は負わなければならない。
別に周りにバレたわけではない。他の人間からは何も追求はなかったし、あの時は休憩時間中ということもなって多少のヤンチャは目を瞑ってもらえる。
だが、それでも………親代わりでもある上司には何故かばれてしまっていたようで。
上司から何か追求されたわけではない。だが、あの演習中の際の秘匿通信でバレたことを遠回しに言われ、そしてその責任を追及されるかのように…………。
夏休み中に仕事をみっちりと入れられたのだ。
ランクが多少下がろうとも危険な仕事に変わりはなく、普通に考えたらいつ死んでもおかしくない物ばかり。世の犯罪者と言われる連中はどういうわけかは分からないが、夏になると活発的になる。年中悪だくみをする者は多々いるが、夏はより発生数が多くなるのだ。
ある意味、若者の次に夏を満喫しているのは犯罪者共だろう。
そんな連中に振り回されるのはちゃんと働いている者たちだ。
だからこそ、八幡はペナルティとして働かされている。
それが悪い事だと分かっているからこそ、そのペナルティを受け入れた。
だからこの夏、彼はとても多忙だ。
毎日毎日が仕事。西に行っては密売組織を壊滅し、東に赴いては犯罪者を殺しまくる。
基本が暗殺ばかりであり、八幡が仕事を行った後は血の海が出来あがる。
その光景を見るたびに八幡は疲れたため息を吐いた。
見慣れてはいる。慣れている。だから特に嫌悪感を抱くこともない。
だが、その殺伐とした光景を見続けるのはどうにも………疲れるのだ。
身体は平気でも、精神が疲れる。酷く疲れると言うほどではない。ただ単に飽きてきているのだろう。同じことをずっと繰り返していることに。
そう思うたびに八幡は思ってしまう。
心が弱くなっているんじゃないだろうか?
この仕事を初めて少し経つが、今までこんなことはなかった。
仕事の中では今の現状よりもより過酷な仕事だって経験してきた。海外の戦場にだって出張ったこともある。その時に見た光景は今の比ではない程に酷かった。血肉の焼け焦げる臭いと鉄の香りが満たすそこはまさに地獄。
それに比べれば今の光景はまさに天国のはずだ。なのにこの溜息。
それを見るに、やはり自分が鈍ってしまっているのではないかと危惧するわけで………。
そう考えると余計に自分のことがまずいと思ってしまう八幡は、更に仕事にのめり込む。
小町に寂しい思いをさせてしまっているのは分かっているが、それもこれも小町のため。
だから時間がある限りは小町と一緒に過ごすことにしている八幡。
そんな八幡に小町はもどかしい気持ちを持てあます。
働き過ぎだと言いたい。もう少し休んだ方が良いと提案したい。彼が疲れて帰ってくるのを知っているからこそ、もっと休んでもらいたいと。
しかし、それでも小町は八幡に言えない。八幡が働いている理由を少しでも知っているから。そして今年受験の小町に少しでも負担をかけたくないという思いを八幡から感じるから。
だから小町は八幡を見守る。ただ兄の幸せを願いながら。
そんな兄妹の過ごす夏休み。
小町は兄の思いを受けながら受験勉強に精を出し、八幡は仕事に精を出す。
兄がいないことが寂しさを感じさせるが、小町はそれでも少し寂しくはなかった。
何故なら一緒に過ごす同居人が一人増えたから。それは可愛らしい犬である。
その犬の名はサブレ。
そう、本来は結衣が飼っている犬である。
何故そのサブレが今比企谷家にいるのかと言えば、何でも結衣の家が旅行に行く際にペットは連れて行けないということで急遽、ペットを預かれるのが可能な比企谷家で預かると言うことになったのだ。
その話し合いは結衣と小町との間で決められたことであり、八幡は事後承諾のようにサブレを連れてきた小町にそう聞かされた。
自分達だけで勝手に決めたことに不安に思う小町であったが、小町が少しでも寂しくないのなら八幡は反対する気はないと答え優しく小町の頭を撫でた。
そんな八幡に小町は嬉しそうにはにかんだ。
八幡の許可の元、サブレのお陰で寂しさを紛らわせることが出来た小町。
そんな小町だが、そろそろサブレとの別れが来た。
その日、八幡がバイトに行っている時に結衣が比企谷家に来た。
「やっはろー、小町ちゃん! サブレのことで迷惑かけてごめんね」
「やっはろー、結衣さん! 良い子でしたよ、サブレ」
独特的な挨拶を交わしつつ、二人は会話に華を咲かせる。
主に結衣が行った旅行の土産話であり、それを聞いていて小町も笑う。
二人だけでも姦しいが、こんな中で結衣は小町に何となしに聞いた。
「あれ、ヒッキーはいないの?」
その言葉に小町は少しだけ寂しそうに答える。
「ごめんなさい、お兄ちゃんはアルバイトでいないんです。夏休みに入ってから忙しいみたいで………」
「そっか………何かその、ごめんね」
小町の様子を見て申し訳なさそうにする結衣。彼女は小町の寂しさを感じ取ったからこそ謝った。
謝られた小町は急いで大丈夫だと答えながらいつものように笑って見せる。
その笑みを見て、結衣はあることを決めた。
「そうだ、小町ちゃん! もしよかったら、この後花火大会に行かない? 勉強も大事だけど、たまには息抜きしないとね。それにせっかくの夏休み、もっと楽しい思い出を増やさないと!」
彼女は明るくそう小町を誘い、そして小町は彼女の優しさを感じながら答えた。
「そう……ですね。はい、わかりました! 結衣さんが一緒ならお兄ちゃんも心配しないと思いますし」
こうして結衣と小町は一緒に夜の花火大会に行くことになった。
ここで普通なら保護者である八幡の許可が必要なものだが、今はバイト中でいない上に彼は小町の事に関しては激甘なので行きたいと小町が言えば絶対に許可する。
それが分かってしまうので、小町は『義姉候補』と一緒に楽しむことにした。
「あ、ゆきのんも誘ってみよっか!」
「そうですね! 雪乃さんも呼びましょう!」
とても盛り上がる二人だった。
そんな事が比企谷家で起こっているとも知らず、八幡は課長の前で姿勢を正しきっちりと立っていた。
これから仕事であり、次はどのような仕事なのかと緊張が走る。どうせ碌でもないことだけは確かだと内心思いながら。
そんな八幡を見て課長は苦笑を浮かべつつ話しかける。
「レイス8、昨日の仕事も良くこなしてくれた。流石だと言わせてもらおうか」
「は、恐縮です」
何を言われるのか分からないと言うこともあっていつもより言葉遣いが硬い八幡。
課長は八幡に笑いかけながら彼にいつものように対応するように言う。
「そこまで畏まらなくても良いよ。別にとって喰おうというわけでもないのだから」
「……はい、わかりました」
課長の言葉と声から伝わる心情に八幡は少しだけ警戒を緩める。
そしてほんの若干だけ力を抜くと、改めて課長と向き合う。
そんな八幡に課長は少しだけ親しみを込めた笑顔を向けた。
「そろそろ疲れてきたんじゃないかい?」
「いいえ、大丈夫です」
八幡はその言葉に当然のようにそう答えた。ここで下手に疲れたなどと言えば当然のように上げ足を取られるし、実際に肉体面での疲労はそこまで酷くない。
だから八幡は『現在の状況でも戦闘可能』ということを課長に示す。
その報告を聞いて課長は軽く頷くと口を開いた。
「なら結構。そして今回の仕事だが………喜ぶと良い。久々の休める仕事だ」
「休める仕事?」
課長の言葉に八幡は一瞬理解が追いつかない。
それまでずっと殺しばかりしていたからもあってか、その言葉の意味が分からなかった。
そんな八幡に課長は軽く笑いながら答える。
「そう。今回の仕事は『花火大会の有料席の護衛』だ。楽しんでくると良い。花火も祭りもね」
「は、はぁ……(何でここに来てそんな仕事なんだよ)」
こうして八幡もまた、仕事として花火大会に行くことになった。
今回の仕事は花火大会中、有料席に座っている人達の護衛及び危険人物の排除である。
その内容に不服はないが、どうにも面倒臭さに拍車がかかっているような気がした。
こうして彼と彼女達は花火大会で出会うことになった。