雪乃と結衣の二人のドレス姿に思わず見惚れてしまった八幡であったが、いつまでもそうしていては妙な気まずさに飲まれると思い行動することにした。
「んじゃ行くか」
「えぇ」
「うん!」
これからすることに気合を入れて返事を返す二人と共に八幡はエレベーターに乗る。
そしてすぐに最上階に着き、エレベーターの扉が開かられた。
「おぉ!」
八幡の隣にいる結衣がさっそく感嘆の声を上げた。高校生の彼女はこのような所をテレビでしか見たことがないので実際に見て感心したのだろう。
逆に雪乃は特に驚いた様子もなく堂々としている。彼女は家柄の事もあってかこういった場所に出向くこともあるのかもしれない。
そして八幡は言うまでもなく『慣れて』しまっているので特に反応はない。しかも既に一回来ているので尚更だ。
前に来た時と同じく暗く静かな雰囲気。その室内はピアノ演奏者による生の演奏が美しく響き、よりムードを盛り上げる。
その雰囲気は学生が味わえるようなものではなく、結衣は場違いな気になりそわそわと落ちつかない様子になる。
そんな彼女に八幡はそっと腕を差し出した。
「そう不安そうにするな。ほら、エスコートしてやるから腕を組め」
「えっ!? い、いいの………?」
八幡にそう言われ結衣は途端に顔を赤らめた。
不安そうにしていた所を助けて貰ったことは勿論、意中の相手からの大胆な誘いに胸がドキドキと高鳴る。そして彼女はおずおずと八幡の腕に自分の腕をゆっくりと絡めた。
(うひゃぁ~~~、ヒッキーの身体がこんなに近いよ! ど、どうしよう、顔が熱い~~~)
そんな乙女心を暴走させている結衣。
そんな彼女に八幡は気付かず、今度は雪乃に向かって腕を差し出した。
「ほら、雪ノ下も」
「え、私も………いいのかしら?」
「こういった場所で男が女性をエスコートしない方が不自然だろ。だからだよ」
八幡にそう言われ、雪乃は顔が熱くなるのを感じながらゆっくりと腕を伸ばす。
「そ、そこまで言うんだったら仕方ないわね。いくら貴方みたいな目が濁り切っている人でも男の人だもの。エスコート出来ないのは男の沽券に関わるものね」
文句を言いつつ仕方ないと雪乃も八幡の腕に自分の腕を組む。
そして彼女の身体は八幡により近付き、心臓の鼓動が高鳴った。
(ま、まさか彼にこんな風にエスコートされるとは思わなかったわ。それにしても随分と慣れてるようだけど、どこで慣れてきたのやら? でも……何だかいつもより男らしいわね……)
結衣と雪乃の二人が腕を組んだことを確認して八幡はゆっくりと歩き出す。
その光景は傍から見たら両手に花であり、男だったら誰しもが羨むだろう。それに視線も集中するはずだ。
だが、ここはそのような事はない。皆この独特の落ち着いた雰囲気に酔いしれていることもあって八幡達は注目されることはなかった。
そのまま少しだけ歩きカウンター席まで行くと、八幡は腕を解いてもらい二人に席を引いてあげた。
その事に二人は感謝して座り、八幡も席に座る。
そのまま後はカクテルを楽しみたくなるところではあるが、今回ここに来たのは酒を飲みに来たのでもなく結衣と雪乃の二人とデートをしにきたのでもない。
川崎 沙希を探しに来たのだ。
だから当たり前のように探す二人だが、探す必要は殆んどなかった。
何せ彼女はカウンターでグラスを磨いているのだから。
その姿を見た途端にさっそく雪乃が話しかけた。
「まさか本当にこんなところでバイトをしているなんてね」
「………雪ノ下」
その言葉に反応し彼女が顔を上げ、雪乃の姿を見た途端にそう声を漏らした。
どうやら沙希も雪乃のことを知っているようだ。
「ど、どうも~」
「由比ヶ浜……」
まるで鋭い刃物のような雰囲気を出し始める沙希に気まずそうに結衣も言葉をかけると、同じクラスで話したこともあってか沙希はすぐに結衣だと気付いた。
そして知っている人間が二人もいて、その上男が一人いるとあって沙希は八幡の方を向きながら二人に問いかける。
「じゃぁ彼も総武高の人?」
「あぁ、そうだ」
その問いかけに八幡自身も答えるが、名前を明かす必要はまだないと判断し名乗りはしない。沙希もまた八幡に興味がないので特に気にした様子がないことからそれが正解だ。
正体が割れた3人に対し、沙希はカクテルに使うジュースをグラスに注いで3人の前に出した。まずは客として対応するということらしい。
「でぇ、何しに来たわけ?」
沙希は早速本題を問いかける。
同じ学校の人間が揃って未成年が来て良い場所ではない所に来た上に、先程の会話を聞けばそれがデートではないことなど分かるだろう。
それは当然雪乃にも分かっているので彼女は真正面から答えた。
「貴女の弟さんが心配していたのよ。夜帰ってくるのが遅いって」
「どうりで最近周りが小煩いと思ったらあんた達の所為か」
どうやら沙希自身も最近自分の周りが少しおかしいことに気付いていたらしい。
だがそう聞かされたところで彼女は変わらない。
そのまま仕事を続けながら会話を続ける。
「大志が何を言ったのかは知らないけど、気にしないでいいから。もう関わらないで」
それは拒絶の意思が込められていた。
この言葉だけで既に彼女は辞める気はないと言うことが伝わってくる。
だが、それでは依頼を解決できない。
だから雪乃は時計を見つつ軽い冗談を混ぜながら沙希に警告した。
「シンデレラの魔法は午前零時に解けてしまうけど、貴女の魔法は今すぐ解けてしまうわね」
それはジョークで隠した警告にして脅迫。
未成年者がこんなところで働けるわけがないのだから、当然不正をしている。それをバラせば沙希は終わりだと脅しているのだ。
そんな諧謔あふれた言葉に対し、沙希は余裕の笑みを浮かべつつ返す。
「魔法が解けた後はハッピーエンドが待ってるだけじゃないの?」
「それはどうかしら、人魚姫さん? 貴女に待ち構えているのはバットエンドだと思うのだけど?」
再びジョーク混じりの脅しを行う雪乃。
普通ならここで折れる。年頃の何でもない女子ならこうも脅されれば泣きだすかもしれない。
だが、沙希はそのような事はない。
「辞める気はないの?」
「うん、辞めない」
雪乃の問いかけに沙希ははっきりとそう答えた。
交渉は決裂。雪乃の脅しに沙希は屈しなかった。八幡はその光景をまさに予想通りだと思いながら見ていた。
そんな二人に何とか追いつきつつ結衣も沙希を説得しようとするのだが、沙希は金が必要だからとその説得を切った。
そして沙希は説得を試みる二人にはっきりろ断言する。
「私は遊ぶ金欲しさに働いてるわけじゃない、そこら辺のバカ達と一緒にしないで。あんた等もさぁ、偉そうなこと言ってるけどあたしの為にお金用意出来る? ウチの親が用意出来ないものをあんた達が肩代わりしてくれるんだ?」
「それは………」
そう言われ言い淀む結衣。
金額が違いすぎて話にならないのだ。まだ千円二千円といった金額なら学生間でも問題なく肩代わりできるだろう。だが、それが十万百万単位となればまず不可能だ。
沙希がそう言い結衣が困り果てる。
そのまま結衣と雪乃を追い返そうとする沙希は更に言おうとしたが、それを雪乃に止められた。
「その辺りでやめなさい。それ以上吠えるのなら…」
そこから先は言わなくても分かるだろう。これ以上言うのなら、この事を学校にバラすなり何なりすると。
だが、沙希はここでその矛先を雪乃に変えた。
「ねぇ……あんたの父親さぁ、県議会議員なんでしょ? そんな余裕のある奴に私のこと分かるはずないじゃん」
その言葉が癪に障ったのだろう、雪乃の顔が今までで一番強張った。
その心情はカウンターにも表れ、彼女は自分の前に出されたグラスを倒してしまい中身がこぼれる。
「ちょっと! ゆきのんの家の事なんて関係ないじゃん!」
雪乃の表情から察し、結衣が沙希に抗議の声を上げる。
だが、それは当然彼女にも言い分はあるわけで……。
「なら私の家のことも関係ないでしょ」
「そ、そうかもしれないけど………」
そう言われ言葉が小さくなる結衣。
(ここが引き際だな)
そう判断した八幡は二人に向かって話しかける。
「もう帰るぞ、二人とも。今日はもう無理だろ」
その言葉に気落ちした結衣と雪乃の二人は力なく頷く。
二人ももう無理だということは理解したからだ。依頼の失敗は勿論のこと、雪乃は意気消沈してしまい結衣はそんな雪乃を心配する。もう沙希の説得をする余裕はなかった。
もうこれ以上は無理だと二人を連れて八幡は店から出た。
そのまま外まで行き、二人を駅まで送る。
「それじゃあ比企谷君、また明日」
「ヒッキー、バイバイ」
「あぁ、二人とも気を付けて帰れよ」
元気がない声でそう言う二人に八幡は手を振り返しながら見送った。
そして今度は………。
「んじゃ、ここからは俺の番だな」
そう言いながら再び『天使の階』へと向かう八幡。
そのまま先程と同じように店まで行き、髪の毛を手櫛で適当に元の髪型に戻して扉を潜った。
先程とまったく同じ曲が流れる室内で八幡は先程とまったく同じ席に座る。
「ご注文はいかがなさいましょうか?」
沙希が八幡にそう話しかけてきた。先程もそうだが、実は八幡はここにきていつもより少しだけ気配を薄くしている。だから先程沙希が八幡を見ても、精々同じ学校の男子がいるという認識しかできず、それが八幡だとは認識出来ない。
だから普通に接客する沙希に八幡はこう注文した。
「では、シンデレラを」
その注文を聞いて沙希はカクテルを作り始めた。シンデレラは比較的にすぐ作れる簡単な代物だ。
それが出来あがった所で彼女は八幡にそれを渡そうとするのだが、それを八幡は手を使ってやんわりと止めた。
そして彼女が覚えているかわからないが、あの時言った台詞をもう一回言う。
『先程は迷惑をかけてしまったのでこれはお詫びです。仕事中なのでノンアルコールのものにしたので飲んでも問題はありませんよ。シンデレラ………女性に好まれる名前のカクテルですよね。でも俺もこれ、好きなんですよ。だからどうぞ』
その言葉を聞き、沙希はハッとした様子で八幡の顔を見た。
その視線には驚きが現れており、八幡はそれを感じつつ朗らかに笑う。
「あの時もそうだけど、今回も迷惑をかけてしまって悪かったな」
その言葉を聞き、沙希は八幡を警戒する。
何せ少し前とはいえ同じことを同じように言われたのだから。同一人物でなければありえない。それがまるで先程も来ていたかのように話しかけてくるのだから警戒するのは無理もない。
「あんた、一体……」
その問いかけに八幡はこう答える。
「では改めて、俺は総武高2年F組の比企谷 八幡。この間はバイトの同僚が迷惑をかけ、今回は同じ部活の友人が迷惑をかけたな。そして俺がここに来たのは………川崎 沙希、お前の願いを叶えるために来たんだ」
八幡はそう言いながら彼女に笑いかけた。