それは、まだ彼女がそんな姿になる前の事。
ストレートの桃色の髪。
アイロンを掛けたようにシワ一つ無い制服を身に纏い、首から下げられたのは大きめの白い笛。
腕に付けられた腕章は豪華な金色の刺繍がされていた。
4年前。12歳。
吊り上がった瞳は不機嫌そうに見上げる。
紫の瞳は、大柄な男二人を睨みつける。
「なんだテメー……ガキィ」
ドスの効いた声に少女は怯む様子など見せない。
腕組みをしたままだった少女、過去のファランは手を解くと、首から下げた笛を握る。
二度、笛の音が響く。
「減点1、言葉遣い。減点2、身なりの汚さ」
冷たい声は吐き捨てるように二人の男に向けられる。
「私の未来の仲間達に危害を加えたゴミクズというのは貴方達でしょう? お噂通りのようですね。見ているだけで吐き気を催します。気持ち悪い」
ファランの台詞に、男どもの額に青筋が浮かぶ。
「あぁ!? なんだテメェ糞ガキ! ぶち殺すぞ!!」
うんざりとした表情を見せるファランは下げずんだ瞳を男達へと向ける。
「あぁ……全く酷く汚らしい台詞ですね、風紀に反します。未来に必要も無い害悪に他なりません。デカイのは態度だけですか? それとも私のような糞ガキに好き勝手言われて黙っていられる程には殊勝でしょうか?」
ファランが言葉を言い終わるか言い終わらないか、二人の男が限界を超えていた。
その大きな体を全力で振り被り、その拳を体格事一層小さな少女のファランへと振り被られていた。
長い髪を弄るファランは視線すら向けずにため息を零す。
拳が近づく最中、少女に焦りは無い。
「そんな汚い見た目でよく恥ずかしげも無く生きていれますね……嫌いです本当」
虫を見るような視線が、ゆっくりと見上げる。
「嫌いです」
■
「凄い! 流石ファランさんですよ!」
規律的に、一寸のリズムを崩す事も無くファランが歩を進める。
そんな小さな彼女の周りを囲うように数名の男女。
「お陰であいつらも暫くは大人しくしてくれますよ!」
明らかにファランよりも年上の制服男女が、敬語で少女に話しかけている違和感のある空間。
その違和感を満足そうに彼等へと視線を向けるファラン。
「ええ、貴方が言うように大変下劣な言葉を使うアークスでした。十分な粛清もしています。全く本当にアークス学校を卒業したとは思えません」
気取ら無いようにしているのか、それでもファランの口元は生意気な微笑を浮かべる。
「本当にファランさんがいれば何も怖く無いですよ! アークスまで簡単に倒してしまう何て!! 流石は特例政アークス学校の生徒! しかも飛び級の天才!!」
一人の高らかな声に乗り上げるように別の人間がまた声を上げる。
「ただの一般アークス学校の生徒の私達に指導までして頂いて本当に光栄です!! 仲間に入れて頂いて私達は本当に幸せよ!」
ふん、と鼻を鳴らすファランは歩を止める。
「当たり前です。貴方達は未来の私の部下になるんですから、それよりも貴方」
ファランを煽てる一人の方を向くと笛が鳴らされる。
「服の裾が皺になってるんじゃないですか。減点1です。私の傍にいたいのであればそれぐらいどうにか出来ないのですか?」
冷たい紫色の瞳に、そのファランの瞳に乗るように残りの者達も1人へと視線を浴びせる。
「おい正気かお前? よくそんなだらしない姿でいられるな」
「信じられない……」
まるで聞こえるように他の者達がボソボソと言葉を交わす。
それをファランは止める様子は見せない。唯、うろたえる女性を冷たい目が見つめる。
慌てて服の裾を直すように引っ張る女性は消え入るような声を零した。
「ご、ごめんなさい……」
そんな女性にファランはため息を零す。
ツカツカと女性に近づき、しゃがみ込むとスカートの裾へと手を翳していた。
青白い光が広がると共に彼女が皺の上で手をスライドさせると、皺が消え去っていた。
「フォトンの軽い熱で行った簡単な処置です。折角女性なんですから、綺麗に清潔でいる事は当然の義務です」
「あ、ありがとうございます!」
スっと立ち上がるファランの背中にまた賞賛の声が挙げられる。
それはファランが当たり前に浴びる賞賛の声。幼少期から言われ続けた天才の声。
突然、そんな彼女を呼ぶ声が遠くからも聞こえた。
「おーーーーい!ふぁーらぁーーん!」
振り向かなくてもファランは解る。
自分よりも年上なのにしっかりしていない人間が嫌いだ。
規律を守らない人間が嫌いだ。
汚らしい人間が嫌いだ。
ジョーカーが嫌いだ。
そんな全てを兼ね揃えた男の声。
ファランの周りにいた男女達も表情を青くする。
「そ、それでは、私達はこれで」
そういいながらそそくさと散り散りになる彼等をファランは止めない。
この男が近づくのを嬉々として喜ぶものはいないだろう。
振り向いた先に、180半ばの男。
金色の髪に顔に入れたジョーカーの証(イレズミ)。ニヤニヤとした人を小馬鹿にするような様子。
「なんですか」
「んーだよ。お前さー本当つれねーなー昔そんなんだったか?」
「当たり前ですジョーカーの癖に話し掛けないで下さい気持ち悪い」
「うっわーこのガキ本当まじでいつか剥いてやるからな」
「汚らわしい言葉を使わないで下さい!」
ピシャリと言ったファランの言葉にレオンは「へーへーすいませんでしたー」と悪びれる様子は無い。
「ご要件は?」
「あーあれあれ、お前最近よぉ意味も無くアークスのしてるってマジ?」
ファランは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「意味が無いわけないでしょう。アレは粛清です」
「粛清?」
目を細めるレオンに対し、ファランはその見た目らしい子供らしく胸を張る。
「ええ、昨今のアークス達には秩序が行き届いていない様子を見せます。そういったアークスに考えを改めて貰っているのです」
「……ああ? そんな事が理由か? まだ学生のお前がか?」
「それは天才であり、若いからこそ出来る私だけの特権です」
「……特権ねぇ」
呆れたように視線を外すレオンに、ファランの冷たい視線が向けられる。
「それは……貴方も入っているのですよジョーカー……何れこの私が全員粛清します」
ファランの殺意ある視線にレオンは動じる様子は見せない。
「ファランよぉ。いっくらテメーが強くてもそりゃ無理な事くらい解ってんだろ?」
最強(スペシャル)のジョーカー。
一人大隊(アルバトロス)。
その異常性をファランも理解していた。
理解している上で、ファランは自信を持って言っていた。
天才の自分であれば、必ず殺せる。
しかし、それはまだその時では無いだけ。
彼女は本気でそう考えていた。
「その程度の用事なら私はもう行きます、というかジョーカーのくせに一々話しかけないで下さい」
「あ! 何だその言い方テメー! ばい菌扱いするんじゃねーよ!」
「同じような物でしょう! 近づかないで下さい!!」
「あー待てコラ、それとだな! てめー師匠が渡したマフラー使えよー! 口に出してねーけどぜってー寂しがってんぞ!」
「……先生には感謝していますがジョーカーが渡した物なんて使えるわけないでしょう」
ふん! と鼻を鳴らすファランはレオンに背中を向ける。
歩き出そうとする瞬間、背筋に、強い寒気が走る。
慌てて振り向いた視線の先にレオンはいない。その更なる下、しゃがみ込むレオンの頭部が見えていた。
瞬時に体毎振り向いたファランの小さな身体がめいいっぱい開いた瞬間、歳不はった発達した胸の横に、人差し指が、むにりと食いこんでいた。
その形のまま固まるファラン。
「おっひょひょ! いやぁ俺の目に狂いは無かったなオイー! いい感じに成長しやがってー! げっへっへー!」
飲み込まれるようにファランの胸に食いこんだ人差し指を見ながらケラケラとレオンは笑い声を挙げる。
慌てて後ろへと下がるファランは胸元を隠すように自身を抱きしめていた。
「こ、こ、こ、この!! ジョ、ジョーカーの分際で!!!」
真っ赤に染まって行くファランの表情にレオンはニヤリと笑みを浮かべる。
「そっちの顔のが充分可愛いぜー? ファーラーン」
レオンの言葉など既にファランの耳には届いていない。
乱雑に首から下げる笛が何度も鳴らされる。
「汚らわしい! 汚らわしい! 汚らわしい! ハレンチ! 変態!! 粛清!! 粛清!! 粛清!! 殺してやる!!」
涙目のまま向けられた殺意の視線に、レオンが怯む様子は見せない。
「ガハハ! 天才つっても所詮は子供だなおい」
また、場面が変わる。
■
青い芝生が風に吹かれ緩やかに揺れる。
穏やかな日が刺す静かな公園。
そんな中、ベンチに腰掛けすぅすぅと寝息を立てるあどけない幼さが残る女性。
緩やかに舞う黒髪と、白いリボンが風でたゆたう。
その一角だけ世界が違うような、そんな錯覚を覚える程に綺麗な女性。
ふと、その瞳がパチリと開く。
気持ちの良い昼寝を邪魔された女性は、その半目を訴えるようにその人物へと向けていた。
「………何」
短い疑問に、すぐに言葉が返ってくる。
「こんな所に居たのですか? ジョーカーは緊急出動の任務が出ているでしょう?」
ぴしりとしたファランの言葉に彼女、ルーファは欠伸をしながらひらひらと手を振る。
「んんー……べっつに私の手を借りなくても他のジョーカーがいれば十分でしょー」
気の抜けた言い方に、ファランは苛立ったように頬を引くつかせる。
「そんな勝手に……!! ジョーカーは強制出動が定められているでしょう!! ジョーカーとして制度に従うのが貴方達の義務でしょう!! だから貴方達は嫌いなんですよ『最悪(エンド)』!!」
悪意のある言い方にファランの表情が変わる様子は無い。
「……貴方だって、この時間は学校でしょうユートーセー様がサボりですかー」
「今日は休みです。貴方の言う通り優等生の私がサボり等というジョーカーみたいな事するわけないでしょう。学校を辞めた貴方は日付も解らない程に、お暇な用ですが?」
皮肉を込めたファランの言葉に、ルーファが大きく反応を見せる様子は無い。
ぼうっと空を見上げる。
心ここにあらず、という具合のルーファにファランは不敵な笑みから苛立ったような表情へ。
「学校を辞めてから毎日毎日毎日毎日庭でぼーっとして! これだからジョーカーは!!」
「ジョーカーは関係無いと思いますけどー」
気の抜けた言葉の後に、再び小さな間が開く。
二人の少女の間を風が吹く。
揺らぐ風の中、先に口を開いたのはルーファだった。
「……エメットは元気ですか」
「ええー元気も元気!! 私の言う事ぜんっぜん聞きませんし! 毎日ギャーギャー騒がしいにも程がありますよ!」
「そーですか」
ルーファは目線を合わせない。
ぼうっと空を見る。
「……貴方、気になるなら覗きにくれば良いでしょう? 自主退学したのですから後ろめたさは無いでしょう。ルーファ、いけ好かない『最悪(エンド)』ですが、エメットさんを黙らせてくれるならこの私が許可をしてあげましょう」
「……元気そうならいーんですよ」
【あの事件】から、ルーファという化け物は時折上の空でココに居る。
その赤い瞳は何かを思い出すように見つめている。見上げる空の奥底、雲を見透かし何かを見つめる。
楽しかった学生生活を思い出しているのか、【あの事件】を思い出しているのか。
ファランには解るわけも無い。
「……あんな小さな事件、クラスメートがケガをした位で大袈裟なんですよ」
薄い反応しか見せないルーファにファランは少し不貞腐れるように頬を膨らませる。
「そう、その通り。ケガをしたのは一人だけ、小さな小さなあの事件。退院ももうすぐ……エメットと二人で、あの子をクラスで出迎えるのは宜しくお願いしますよ……臆病ですから、あの子は……」
「あら聞こえていたんですか? ふん、私はそんなジョーカーの戯言を聞きに態々ココに足を運んだわけではありません」
そこでようやく、ルーファが視線を向けた。
面倒臭そうな赤い半目の瞳。
溜息と共にルーファは口を開く。
「じゃー何の様なんですか……そういえば昨日レオンの馬鹿に喧嘩売ったんですって? 何やってんですかアナタ」
ようやく振り向いた事に思わずニヤついたファランだが、付けたされた台詞に表情は直ぐに変わる。昨日の事を思い出し思わず解り易い青筋が浮かぶ。
「一般アークスの分際で良くやりますねぇ……」
ルーファのその言い方は結果など聞かなくても解っているというような言い方。
実質、ルーファの想像通りであるが、思い出してしまった昨日の事を、ブンブンと頭を振って忘れようとする。
「……六房均衡が止めに来なければ……わ、私が勝っていました」
明らかな強がった言い方に、ルーファは何かを言うつもりは無い。
すぐに話を切り替える。
「貴方、他にも面白い事してるらしーですねーファラン」
横目で向けられる感情を込めない赤い瞳。
それを見据えるファランはニヤリと笑う。
「ええ、改革です。私が軸に友だ……仲間を増やしています」
「仲間ねぇ……」
興味無さそうにルーファは言葉を紡ぐ。
そんなルーファを無視してファランは話を進める。
「アナタが我が特例政アークス志願学校を退学する事になったあの小さな事件。あれから僅かに見えたオラクルの裏。私は今のオラクルに違和感を感じています。しかもその違和感は日に日に強くなっている」
「それで? 特例学校の人間が、普通のアークス候補生を我が物顔で連れ回し、好き勝手に指導しているのとどういう関係が?」
「言ったでしょう改革です。特例学校の連中等、未来のオラクルには本来必要性の無い者達でしょう。本当のアークス達こそ教育に値します。この、天才の私が指導し、そして直属を作り府抜けとオラクルのガンを根絶やしにします。」
「……っは」
思わず、という具合にルーファは鼻で笑う。
「大層な野望じゃないですか。どこぞの白いちっちゃいのの真似事ですか? 六房均衡にでも言えば敬虔(けいけん)だと頭を撫でてくれるのでは?」
「ふん……あの人達も怪しいから別で仲間を増やしているんでしょう」
「確証的な言い方をするのね」
ルーファの、だらけていた声色が変わる。
間の抜けた敬語から、突然の切り替わり。
危うい鋭さに対してもファランは下がる様子も見せずに子供らしくない馬鹿にした笑みを浮かべる。
「さぁ? そう感じるだけですし、私は私が住みやすい世界を作るのです。規律と正義に彩られた世界を、新たなアークスの方向性を」
「お子様の戯言ですねぇ、誰がそんな事を望んでいるので?」
「そんなの皆に決まっているでしょう? 上の者が言わなくても、この『私がそう思っているのですから』そうに決まっています」
「……」
自信満々に胸を張る彼女に、ルーファがそれ以上を聞く様子を見せない。
何処で何に触発されたのか。そのキラキラと輝く目の光は歪んでいた。
【例の事件】からルーファが特例学校を自主的に辞めてから数週間。
その間に何があったのか等知らない。
子供で高飛車でプライドが高い天才飛び級候補生
小さな溜息と共に呆れた視線を向ける。
「……そんな貴女様が、何故その話を私に?」
「仲間になってください。今現在の大きなガン……問題はジョーカー、ゴミクズの粛清です。」
「私もジョーカーですけれど」
「【あの事件】、少なからず貴方がオラクルへと剣を向けた事を私は知っています。貴方は、まだ、『そちら側』じゃないでしょう。学友の好です、ジョーカーであろうと貴方だけは取り繕いましょう」
呆れたように再び息を吐くルーファはゆっくりと立ち上がる。
「未来の為に戦いましょうルーファ」
小さな少女はルーファへと手を伸ばす。
「若い私達だからこそ出来る新たな未来による改か……く?」
ファランの手は握られない。
呆然とする少女に目も繰れず、ルーファは背中を向けていた。
ファランが口を開く前に、既に歩を進めていた。
ひらひらと手を振りながらルーファが離れていく。
「他を当たって下さい。私には私の守る物があるんで、貴方は貴方で好きにすればよろしいでしょう?」
その後ろ姿を、ファランは睨む。
憎々しげに向ける瞳を、ルーファは気に掛ける様子も見せずに離れていく。
背中が消えた後も、ファランは憎々しげに睨み続けていた。
「……こ、後悔しますよ」
苦し紛れに零した声は、もう居ない彼女には聞こえない。