遠くからの爆音や騒音は止まらない。
一体何が起こっているのか、ルーファは無事なのか、ユラはまだ生きていてくれているのか。
焦りだけがカナタを襲う。
もう何往復しているか解らない。
見当たらない。計算は間違いな筈が無い。
想定以上に埋もれている?
大きな衝撃で場所がずれている?
垂れる汗と、暑さで歪む思考を必死に振り払う。
銀色のキセル。
持つ部分は茶色い。うるしのような薄らとした光を放ち先端の銀は派手さよりかは上品さを思わせる程度の光。
見た目は十分理解している。なぜ見つからない。早く、早く、早く!!!!
闇が触れた部分、掠れた服は所々肌を露出させていた。
垂れていた袖の片方は大きく削がれ小さな手を顕にさせる。
その小さな体で跳ねるように男から伸びる闇を辛うじて避けていたが、それは全て、すんでで避けれているに過ぎない。
呼吸が乱れ始めていた。
高い運動能力があるにしても、その姿はユラの能力値を全て大幅に下げさせていた。
「っはは、流石はダウナー様だぜ。そこらへんのアークスなら100回は殺してる筈なんだがよ」
闇が笑う。
黒い塊のような闇からうぞうぞと不気味に動く何本もの触手や小刻みに微振動をさせる同じく何本も生える歪な手の形。
それはダーカー兵器にも似たアークスらしく無い姿。
「ああ、相変わらずめんどくさい能力だな」
全てを消滅させるバッドエンドの能力。
それを理解した上で体を覆う巨大な闇を展開させる。
それは最大の防御であり、最大の威力を誇る手遅れならではの力。
しかしユラの予想と外れていたのは、膨大なフォトンを使う能力は長く継続はされない。
下手をすれば自身を囲う闇に飲まれてしまうだろう。
もう30分はその姿が継続されていた。
「あーもしかしてアレか? ガス欠狙ってんのお前? そりゃ止めとけ何か絶好調だからよ俺様」
人の思考を読み取るように嘲る声にユラの頬に汗が垂れる。
何処かつまらなさそうな溜息が闇から零れる。
「もういーだろぉー? お前の言う通りに挑発にも乗ってやったんだからよぉーさっさと死のうぜー? ダーウナァー? あれだろー? あのガキ逃がす為の囮なんしょー? 負け戦なんて最初から解ってんだろー? 俺も忙しいわけよーなぁー早く死ねよー」
ふざけた言葉に、ユラの表情が揺れる事は無い。
「……私の死はここでは無い」
その小さな容姿からは想像も出来ない鋭い視線。
「まだ私の存在には意味がある。理由がある。私の背には沢山のバカ共が乗っている。だから負けるわけには行かない。 死ぬ事が決まり切っていた奴らを、存在を否定されたバカ共が存在する意味を!! 私はまだ作れていない!!」
響く声、その沈黙を破るのは闇。
「かぁっこいーぜェー。なァーにが存在否定(ダウナー)だ、名前と被ってねーんだよぉ。いーなー俺もかっこよく叫んでみてーよぉー、まー手遅れだけど」
闇が消える。
そこに居るのはパンダ頭のふざけた男。
数秒の沈黙の中、被り物の暗い目の部分がユラを見つめる。
「……目ん玉きらっきらしやがって、まぁだ諦めてねェ。ドMかお前は、何がそこまでさせる。『最後のジョーカー』」
籠る声はのらりくらり。
真意なのか、虚偽なのか、その言葉の意味等解る筈も無く。
「全てを否定する貴様には解らんだろう、まだ手足が動く、それだけで理由は十二分。運命の捻じ曲がるその瞬間まで、私は私を貫く」
その小さな体が自身の胸をたたく。
彼女は諦めない。
何があろうと、その信念を胸に貫く。
瞬間的に、声が響いていた。
「ユ・ラ!!!! さぁぁーーん!!!!」
聞こえたのはダウナーより更に後ろから。
見上げた瞬間に、淡い光をユラの目が捉える。
それはバッドエンドの頭上より遥かうえ、弧を描くそれは高く高く上がる。
「あぁ?」
バッドエンドが声の先にへと振り向いていた。
意識が後ろを向いているのだと確信する。
小さな足が、砂漠の砂を蹴りあげる。
弧を描き、落ちてくる光に向けて。
小さな手が伸びる。
淡い光を放つそれを手に取った瞬間、ユラはそのまま縦に回転しながら砂漠へと降り立っていた。
ユラの体積以上の砂がめくれ上がり、辺りに砂煙が舞う。
バッドエンドの後ろへと現れた少女は荒い息のままへたりと砂の上へと座り込んでいた。
「と、届いた、のかな、ゼェ……体力測定でも……ゼェ……砲丸投げだけ……女子の高校記録超えなかったし……ゼェ……」
「学生の女ぁ、逃げんたんじゃねーのかよ」
ゆらりと揺れるパンダ男がカナタの方を向こうとする瞬間。
「どこに行く気だバッドエンド」
踵を返そうとしていた動きは止まる。
バッドエンドの視線の先、大きく広がる砂煙の中に、瑠璃色の二つの光が浮かび上がっていた。
ゆっくりと晴れる砂煙の中、一線の白煙が交じる。
背の高いバッドエンドをも見下ろす2つの瑠璃色の瞳。
スラリと伸びた長身の足。
右足の横にある足首から膝に掛けたジョーカーとしての細長い刺青。
ボロボロになった上着は片方の袖は消え去り長い腕が見えていた。
それも気にせずにユラは噛み締めるようにキセルから口を離し煙を吐き出す。
「あーん? 戻りやがったのかテメー痴女見てーな格好しやがって」
「なかなか涼しいものだがね、さて時間もないんだ続きと行こうかバッドエンド」
諦めない信念が、運命が変わる。
■
ようやく呼吸が落ち着いてきていたカナタはユラの姿を見て大きく大きく、安心したように息を吐いていた。
ユラの視線がチラリとカナタの方を向く。
へへへ、とカナタは屈託な笑みを浮かべながらピースをして見せていた。
ユラは小さくフッと笑みを見せると、視線はすぐにバッドエンドの方を向く。
思わず、その鋭い視線に息を呑む。
ジョーカー同士の戦い。
レオンやルーファ、二人の戦いぶりを見た事があるカナタにはそれがどういう事なのか十分に理解していた。
そしてバッドエンドの恐ろしい力も。
不安と二人の異様な威圧に、カナタは大きく息を呑む。
その中、先に動き出したのはユラ。
ふわりと一歩、前に踏み出す。
砂が舞う。
辺りに散る砂がカナタの頬を撫でる。
その緊張の瞬間の中、カナタは無意識に瞼を動かす。生理現象でしかないそれは一秒にも、コンマにも満たない物でしかない。
「は……え?」
開く瞳は。
目の前の現状にまず理解する事に頭が付いてきていなかった。
2人が立ち据えていた筈だった。
まるで場面がまるごと変わったようにバッドエンドがいつの間にか倒れていた。
身体中から鮮血を垂れ流し、遠目から見るカナタの目には切り刻まれているような、そんな姿に見えていた。
ふざけていたパンダ頭は無残な刻まれ方をされ、更に不気味にその姿を写す。
何故、そんな姿に。
最後に見たのは手を翳すユラの姿だけ。
自身でも無意識でしかない瞼の動きに気づくわけもなく。
その刹那の暗闇の瞬間に何が起こっていたのか。
対峙していた瞬間の、二人の姿の方が嘘だというように、場面が突然切り替わったように。
困惑を続けるカナタを他所にユラは白い煙を吐き出す。
「さて、最強の矛同士が立ち向かうと言うのは、均等した戦いが続く事ではない。それとは真逆だろう。互いが化物であれば決着が付くのは矛が届いた方……特に我々の能力では、な」
一度間を空けてカナタは砂を踏み鳴らし歩を進める。
「もう一度言おう。貴様は本当にバッドエンドか、最悪(エンド)の名を持つ化物の1人か、弱っている私を倒し損ねる等、最悪の矛の一角か」
倒れるバッドエンドを見下ろす瑠璃色の瞳は、怒りを見せている訳では無い。寧ろ、切なそうな色。
「この私相手に、手加減をしたとでも言うのか 史上劣悪よ」
ごぽごぽと、水の中で空気が零れたような音と共に被り物の首の隙間から鮮血が垂れる。
夥しい量にも関わらず、それが垂れた理由が、バッドエンドが笑っていたからだと掠れた笑い声に理解する。
「ゲ、ハハ……だから嫌いなんだよオメーの力よぉ、ずるく、ね?」
その台詞は、ユラの質問に答える様子は無い。ただひたすら乾いた笑だけが響く。
「そうか、答えるつもりが無いならそれも良いだろう。」
ゆっくりと、ユラの手が上がる。
「エンドのよしみだ……一瞬で殺してやろう」
空気が凍る。
その殺意は、殺気というおぞましさにも関わらず、何処か優しさが残っていた。
再び血を吐き出す音と共に「お優しい事で」と同じく吐き捨てる言葉。
そのまま言葉は続く。
「お名前通りにしちゃあ、き、綺麗な終わりだぜ……あぁ糞がボケ……いってぇ……こんな、事なりゃ、金全部ギャンブルに突っ込んでりゃ……ま、いいか、手遅、れだ」
連なる言葉は独り言だろう。
言葉の羅列にはアッサリとした諦めが込められていた。
ジョーカーらしいその姿にユラは小さく微笑み、その上げた手を重力に任せるように。
「待って! 待ってください!」
その言葉にユラの手がピタリと止まる。
転がり込むように、カナタがユラの前に飛び出していた。
「も、もしかして殺す気なんですか!? 」
「……当たり前だろう」
「もうこの人戦えないじゃないですか!!!そこまでする必要なんて無いじゃないですか!」
それは明らかに見せるユラの瞳。
呆れが入り混じる瞳は細まる。
ユラは溜息を零す。
「お前は、何を言っているのか、解っているのか」
「……ごめんなさい。これはきっと、私が間違えてる。助けてもらったことも感謝しています。それでも……それでも……!」
胸に当てる手をぎゅっと握る、服のシワが残るほどに、赤い後が出来るほどに握りしめる。
甘く、優しく、彼女の信念。
先ほどのユラが見せた信念と同じか、もしくはそれ以上か。
彼女がぶれることは無い。幸せな世界にいたからこその、呪いのような、フィクションのような愛が彼女を行動させる。
「ここでこの人を私が庇わなければ、私は私でいられなくなってしまう、から!」
「そいつは、『ジョーカー』だ」
「この人は『人』です」
二人の会話に吹き出す声が挟まる。
それは彼女の後ろから。
「た、たまんねえなオイ!!! なんだこの甘くせえガキは! 最高に手遅れだ! 最悪に下劣に劣悪だ!」
振り返るカナタの視線の先、血をぼたぼたと零しながら立ち上がる男の姿があった。
「う、動かないで! 酷い怪我なんですよ!!」
慌てて近づこうとするカナタに向けて、男は掌を向け、カナタは静止させる。
「嬢ちゃん……名前は」
「カ、カナタ……」
「がはは、名前までムカつくぜ」
軽くあざ笑うバッドエンドは身体を揺らす。
「お、俺はな、好き勝手に生きてきたんだ、殺しだって盗みだって、何だってやっていいんだぜこの俺は、だからなぁ、死んじまっていいんだ、解るか女、バッドエンド、それが結果なんだよ」
ボタボタと流れる血を無視しながらバッドエンドは言葉を紡ぐ。
おかしそうに笑いながら。
彼に対して、カナタは真逆だと言うように笑わない。
真摯な瞳が彼を見つめる。
「貴方がどれほどの悪党なのだろうと、ならば生きて償うべきです、殺めた分だけ人に尽くせばいいじゃないですか、盗んだぶんだけ人に優しくすればいいじゃないですか、手遅れだなんて言わせません。手遅れなんてものはありません」
彼女は笑う。
優しく、慈しむように。
「人は、いつからでも始められるんです、だから」
手を刺し伸ばす。
純粋無垢な優しくて柔らかい掌。
ひゅっ、と息を飲む音と共にバッドエンドの笑い声が消える。
「………………っあ。あ? お、俺に言ってんのか? それを? この最悪に? お、お、お、お前本当に頭、おかしいのか? この俺に人に優しくしろって? ハ、ハハ、爺の肩でも揉むか? 花でも埋めてやろうか? たまんねえよ、やべえ、やべえやべえやべえ」
言葉を言い切った後に、バッドエンドは大きなパンダの被り物がぐらりと揺れる。
俯いているように見える仕草のまま、カナタは手を伸ばしたまま。
数秒の沈黙。
瞬間的に、砂煙が上がった。
「この俺を!!! 舐めるなぁぁぁぁぁぁ!!!!」
踏み出した加速と共にバッドエンドが飛び出す。
血を辺りに撒き散らしながらカナタへと距離をつめる。
「カナタ逃げろ!!!!」
後ろからカナタを呼ぶ声、後ろからも地面を蹴る音が聞こえていた。
バッドエンドの身体の周りにまた黒い闇が舞っていた。消滅の闇。
それを纏う中、バッドエンドは怒り狂ったように手をおもいっきり伸ばす。
目の前の現状が、女の行動が、彼をそうさせていた。
そんなバッドエンドに対して。
カナタは、前に出ていた。
両手を広げる。傷ついた男に向けて。
受け入れるように。
瞳に、恐怖はない。
映る瞳はどこまでも真っ直ぐに優しい光が輝いていた。
伸ばしたバッドエンドの手は、両手を広げるカナタの手を当たり前のように通り過ぎ、交差する。
「……あぁ、ちきしょう。そう言うのが1番来るぜボケナス」
カナタの体が宙へ浮く。
「カナタ!!」
後ろから自分を呼ぶ血相を変える声が聞こえる。
衝撃と共にカナタは後ろからユラに抱き止められていた。
身体に痛い所は無い。
ただ突き飛ばされていた。
まるで壊れないように優しく。
呆然とするカナタの瞳にバッドエンドが映る。
「……やべぇよお前、やべぇやべえ」
篭っていた声はいつのまにか済んだ声色に変わっていた。大きな着ぐるみの頭は取れていた。
見上げるカナタには太陽の光が交差して彼をはっきりと視野に入れることは出来ない。
「おめぇ俺よりずっと手遅れだぜ……」
太陽の光が消えた。
それは覆いきれない闇の塊が覆っていたから。
突き飛ばして僅か数秒。
その闇の閃光は、バッドエンドを上から大きく飲み込んでいた。
最後にカナタが見たのは、白い髪と、不敵に笑う口元だけだった。
闇の閃光が消えた先に、最早何も存在していなかった。
その円状の空から落ちてきた形に砂の部分は消え去り、その何処までも続く暗がりの中にさらさらと周りの砂が落ちる。
「……馬鹿な、あの男が? 助けたというのか? 」
呆然とするカナタよりも、ユラは驚愕の声を思わず上げていた。
先程までカナタがいた所は、バッドエンドもろとも消え去り垂直の穴のような物が出来ていた。
サラサラと穴から落ちる砂は地に落ちる音をさせることもなくひたすらに落ち続けていた。
「……ありがとう、ござい、ます」
カナタは気の抜けた礼をユラへとするとフラフラと立ち上がる。
その視線は消え去った穴へと向けられていた。
「……さっきのは?」
「我々の、味方側の攻撃だろう……見覚えがある」
見覚えがあると言っていた闇の光は、どちらかと言えば先程まで戦っていた。
バッドエンドの能力のようにも彼女は見えていた。
「……あの人、死んじゃったんですか」
「さぁな……昔から死んでいるのか生きているのか解らない男だったからな」
ユラのその台詞にカナタは目を伏せる。
慰めてくれている、という分けでは無いだろう。本当にそういう人だったのだろう。
バッドエンド。史上劣悪。手遅れ。
あの人は何故、最後に私を助けたのだろう。
「ありが、とう……」
出会ったのも最悪で、それでも思わず零す。
まるで最初からいなかったように、彼を示すものすら残らないただポッカリと空いている穴に向けて。
空を見上げる。
先程のような、大量の黒い閃光が広がるように弧を描いていた。
遠くから聞こえていた騒がしい喧騒がいつの間にか消えている事にカナタは気づく。
地獄が終わった事を知るのは、同じく見上げるユラのみ。
「派手にやったなユカリめ……」
呆れた声と共に白い煙を吐き出す。
ふと、ポケットに手を入れる。
触れたのは固く、冷たい物体。
不思議に思いながら取り出したソレは、銀色のキセル。
「…………は?」
その存在は唯一無二の存在。
ユラの為だけに作られたキセル。
それが今、目の前に二つ存在していた。
まじまじと交互に見つめた後、視線は空を見上げるカナタの方を向く。
「お前は、一体……」