トブの大森林。王国と帝国を股にかけてそびえる広大な未開の森。豊富な資源がある一方で、強力なモンスターや危険な動物が闊歩する世界。その森の南側にナザリックの避難場所の建設予定地がある。まだ調査段階ではあるが、問題がないようなら此処に建てられることになる。
「さて、始めるとしよう」
伐採などが終わり開けた場所にモモンは居る。そして、その周辺をアウラのシモベであるモンスターが囲むようにしている。種族は様々居るが、今のところ把握しているこの世界のモンスターよりもこの場に居る者達の方が遥かに強い。
「マーレ、首尾はいいな?」
隣に控えるマーレに尋ねる。
「はい。もう少しで、お姉ちゃんが来ると思います」
「そうか。ナーベ、先に森の賢王の件を済ます。その後は、冒険者モモンとナーベで行動する事になる、いいな?」
「分かっております。モモンさーん」
どうしてもナーベは、様付けをしようとしてしまう。あくまでも対等な仲間である冒険者を演じたい。じゃないと、仲が悪いとかいろいろと勘繰られるかもしれない。
「お待たせしました! ア……モモンさん!」
森の中からアウラが現れる。隣には、神獣類のフェンリルことフェンが居る。濡れたような漆黒の巨大な狼は、深い英知を宿したような真紅の英知を持っている。何も知らなければ、フェンが森の賢王に見える事だろう。
「あれがそうか」
よく見ると、フェンが何かを口に咥えている。あのまま力を入れたら痛そうだ。
「フェン。モモンさんの前に」
アウラの命令を聞き、フェンはモモンの前にそれを置く。森の賢王の特徴を思い出す。銀色の毛並みをしているらしい。どちらかと言えば、スノーホワイトのような気もするが似ていなくはない。次に思い出すのは、森の賢王は鱗に覆われた長い尻尾を持っているそうだ。目の前に居る者も持っている。
「南の森で一番だと聞いた時にまさかと思ったが……これがそうなのか?」
あくまでも可能性だ。これが偽物で、本物がまだ隠れている可能性はある。それこそフェンみたいのが居るかもしれない。
「この辺りだと一番強いです。気絶しているだけなので起こしますか?」
「そうしてくれ」
アウラは、軽くそれに蹴りを入れる。
「……ふにゃ……此処は何処でござるか……それがしは……」
それは、言葉を発しながらモソモソと動く。どうやら会話ができそうだ。
「おい、そこのお前」
「誰でござ――」
どうやら意識を完全に取り戻したようだ。フェンと目が合ってから固まっているが。
「……アウラ」
「モモンさんが呼んでるだろ!」
アウラは、腰に下げていた鞭をしならせて振るう。パンッと破裂音のような目が覚める音が響き渡る。速過ぎる鞭は音速を超えると言うが、アウラの鞭は音速を軽く超えているのではないかと思える程に速い。
「――ヒッ!? 許してほしいでござる! それがしは美味しくないでござるよー!」
驚くと命乞い。他人の……いや、他獣のそら似だろう、きっと。
「なら、私の質問に答えよ」
「なにをでござるか!?」
つぶらな瞳だ。可愛い。デカくなければ。
「一つ聞くが、お前は森の賢王を知っているか?」
「森の賢王でござるか? それならそれがしでご――違うでござる!? だから殺さないでほしいござるよー!」
「言い直しましたね」
「うん、言い直した」
思わずため息が出そうになる。これが、これが森の賢王なのか? 伝説の魔獣なのか?
「嘘を言えば殺す、いいな?」
「本当は、それがしが森の賢王でござる! 嘘ではないでござる! だから殺さないでほしいでござるよー!」
どうやらそうらしい。なら、ついでにもう一つ聞いてみよう。
「では、お前の種族名は……そのだな。ジャンガリアンハムスターとか言わないか?」
森の賢王。尻尾は流石に違うし、大きさは人よりも遥かにデカいが間違いなくハムスターだ。これが伝説の魔獣とか嘘だろ。傍に居るフェンリルの事を魔獣とか言うんじゃないの? もしあれなら周囲を取り囲んでいるアウラのシモベでもいいけど。
「それがしは、ずっと一人だった故に分からぬでござるよ。もしかして、それがしの仲間を知っているのでござるか?」
「知っていると言えば知っているが、こんなにはデカくはない。すまないな」
「そうでござるか……」
少し同情はする。独りぼっちは寂しいもんな。
「それはともかくだ。本当に森の賢王なのか? 誰かと間違えてはいないか?」
「そうは言っても嘘を吐くと殺されるのでござろう? この辺りには、それがしよりも強者はいないでござるよ」
アウラの情報でもそうだった。しかし、こんなデカいハムスターでは計画は失敗だな。街の近くに連れていき人目のある所で戦おうと思ったが、やめだ。
「最後の質問だ。私の部下になるか、死ぬか、選べ」
「部下になるでござるよ! なんでもするでござるから殺さないでほしいでござる!」
なんだか可哀想に思えてきた。今思うと、遥かに強いモンスター達で囲んでるんだもんな。
「この者は、今日からこの拠点の守護者だ。アウラ、お前のシモベとして扱え」
「いいんですか!? 初めて見た時から欲しかったんですよね! いい毛皮もしてるし!」
「毛皮でござるか!? アウラ殿の為に頑張るでござるから剝がないでほしいでござるよー!」
「大丈夫! モモンさんから拠点の守護者を任されている間は何もしないから」
「本当でござるか? 頑張って拠点とやらを守るでござるよ!」
予定とは違うが森の賢王の件は済んだな。この拠点は、何かあれば森の賢王の物として処分するのもありだ。
「では、これから本題に入る。今回は、あくまでも私とナーベが主役になる。チームでやる以上は、相手に背中を任せる事になる。ナーベ、今日はお前に私の背中を任せる、いいな?」
「モモン様の背中を私などが!? 必ずや命に代えてもお守りいたします!」
様は……もういいや。やる気みたいだし。
「アウラは、斥候として偵察を頼む。危険があれば知らせてくれ」
「はい! モモンさん!」
「マーレは、此処でアウラのシモベ達と待機。何かあれば、シモベ達と共に動いてもらう」
「はっ、はい! 頑張ります!」
「既に知っていると思うが、アルベドには別件を任せてある。私の身を守る事のできる者は、お前達だけだという事を忘れるな」
モモンを守れるのが自分だけ。その言葉に至高の存在であるモモンに忠誠を誓う者達にとっては、なにものにも代えがたい褒美となる。アウラ、マーレ、ナーベは瞳を輝かせている。
「では、モンスター狩りへと向かおう」
冒険者モモンとナーベの物語の始まりだ。
♢♢♢♢♢
モンスター狩りの予定は、一泊二日。長くてもう一泊だ。早朝からエ・ランテルを出発して、トブの大森林に着く頃には暗くなるので一泊。次の日の朝から森の中に入り、狩りが終わり次第エ・ランテルに帰還する。それが、トブの大森林に到着するまでの予定だった。
「ペロロンさん。様子はどうですか?」
時間は既に夜を迎えている。トブの大森林には空が夕空から夜空へと変わる前には来る事ができた。天幕は、森から離れた場所に設置し、先に漆黒の剣が休憩を取っている。ただ今回は少しだけ事情が違い、本来ならチームごとで休憩と見張りを交代する手はずになっていたのだが、休憩するチーム側の方でも天幕の傍に見張りを立てて休憩する事になった。と言うのも、天幕とは別に森の方にも見張りを立てる必要ができたからである。
「どうでしょうかね?」
森の様子を見るペロロンの表情は険しい。辺りは暗くなったもののウルベルトの魔法である《ダーク・ヴィジョン》で闇夜でも昼のように見える事の出来るレンジャーのクラスを持つペロロンなら他の者より視界は良い。しかし、特に何かは見えない。
「こっちは、何もないみたいだ」
《フライ》の魔法で周辺を飛んで様子を見てきたウルベルトがたっちとペロロンと合流する。
「場合によっては即時撤退。しかし、判断材料が少ないですね」
全ては、トブの大森林に着いてからの事になる。道中でモンスターの群れと四回ほど遭遇した。モンスター狩りをしようとする者からして見れば、悪くもないし良くもない内容だ。今回は、モンスター狩りについては、漆黒の剣と分け前は内容を問わず半分となっている。その代わり、薬草の採取の時は漆黒の剣が少し多めに取る事になっている。これは、薬草採取に関しては、ドルイドであるウッドワンダーを中心に行う事になるからだ。ウルベルトとペロロンは薬草関連のスキルと知識を持っている。しかし、ウッドワンダー程ではないので教えてもらう約束になっている。早い話が授業料だ。ただ、問題はそこではない。
「急に静かになりましたね」
道中だけだと四回。しかし、森の近くに来てからは既に八回程遭遇している。森の周辺をモンスターが徘徊している事は珍しくない。そもそもそれを目当てにやってきている。しかし、今回は徘徊ではない。
「嵐でも去ったのかもな」
モンスター達は、森から逃げてきた。普通なら身を隠す事の出来る森から視界の開けた場所に出る場合は警戒する物だ。これは、人間も、モンスターも、動物もあまり変わりはしない。敵がいるかもしれない以上は、警戒ぐらいはするだろう。しかし、今回のモンスターはそのような仕草などはなかった。
「モークさん達も言ってましたけど飛び出してくるのもいましたからね。絶対に何かから逃げてますよ」
全部ではないが、森から警戒など無視で飛び出してきた者も居た。モーク達とも話したが、ゴブリンやオークが逃げ出すような者が居る可能性が高いと話し合いで結論が出た。本当ならすぐにでも離れるべきなのだが、確証がないので三人と漆黒の剣で交代して森の様子を見る事にした。ただ、八回目の遭遇からピタリと止まり、不気味なほどに森が静かなのだ。
「帰った方がいいんじゃないか? 仮にギガントバジリスクだと全滅だぞ?」
最悪の魔獣。町一つさえ滅ぼすと言われる最悪のモンスター。
「俺達、石化対策とかしてませんからね。《石化の視線》とか受けたら全滅ですよ」
ギガントバジリスクが恐れられているのは、石化の視線と呼ばれる物を持っている事だ。これは、視界に映る者が対象となり効果を発揮する。地平線の果てに居たとしても向けられたら石化対策をしていない三人と漆黒の剣は簡単に石にされ殺される。
「負けると思いますか?」
たっちは、二人に尋ねる。相手は、絶望的な相手だ。ただ、二人の表情に不安も恐怖もない。それは、たっちも同じだ。
「俺がやられたら負けだろうな。石化を回復できるのは俺しかいない。だが、問題はないだろ?」
「たっちさんが突っ込んで、ウルベルトさんの魔法と俺の弓で支援すれば行けますよ! 石化対策はないですけど、方法が無い訳じゃないですからね。まぁ、負けたらしょうがないですよ」
「相手は強敵かもしれませんが、私達なら負けるはずがありません」
勝算がないわけではない。しかし、あくまでも戦う方法があると言うだけだ。それでも不思議と怖くない。不安もない。むしろ、楽しみでしかない。
「強敵との戦い。久しぶりですね、この緊張感は」
ユグドラシルを始めた頃を思い出す。あの頃は、些細な事で全滅する事なんて普通にあった。しかし、そこから対策を考えたり、戦闘方法を考えて試したりと楽しい時期でもあった。三人は、森を見つめる。森の中にある何かを期待して。