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潮はスーパーが好きだ。
もちろん北上のことではなくて、スーパーマーケットのこと。
特に、郊外にあるような広い駐車場を併設しているタイプが良い。
外側こそ箱型で愛想がない店が多いけれど、どこも中はひんやりと涼しくて快適だし、売場と売場の間隔もたっぷりと取ってあって広々としている。
そんな空間の中をカートを押しつつトコトコと歩いて、積み上げられた商品の中からお目当ての野菜やお肉などを発掘していくのだ。
そう主張すると、隣で同じようにカートを押していた曙がジロリと潮を一瞥した。
意志の強そうな瞳をキリと釣り上げ、眉も逆さハの字で不機嫌そう。
「あんたねぇ。今の状況、解ってんの?」
「あはは……私は楽しみなんですけど」
第7駆逐隊で花火とお食事会をやろう。
漣がそう言い出したのはお昼少し前のことだった。
実際には
「ねぇねぇお嬢様方、今日はヒマ? 花火でもやろう! 夏も終わるしね。ついでにご馳走でも作ってさぁ」
という感じだったけれど。
花火ならいつも深海棲艦相手に上げている。
そう渋った曙も、執拗に誘ってくる漣には敵わず最後には折れた。
夕涼みしながらご飯を食べ、その後に花火をやろうという話になったのである。
そして潮と曙は、ジャンケンに負けた。
キタコレと叫ぶ漣たちに見送られ、外出届を出して買出しへ。
一画に大量の火薬を保管する鎮守府だが、残念なことに花火だけはない。
幸いにして目的地はすぐ近く。
職員や軍関係者、そしてその家族を客と見込んだのか、鎮守府の周囲にはある程度の商業施設が集まっている。
その中には、何でも置いてありそうな大きなスーパーマーケットまであるというわけだ。
「ふん。まさか誘われたあたしが買い物まですることになるなんて、思っても見なかったわよ。今からでも断ってやろうかしら」
「だめです、曙ちゃん。2人とも凄く楽しみにしているみたいですから、とても悲しむと思います」
いかにも怒っていますというふうに柳眉を逆立てた曙を、潮は慌てて説得した。
いくらか丸くなったとはいえ、まだまだ怒りっぽい。
もっとも本当に怒っているときはあまりなくて、大抵の場合は恥ずかしがったり心配していたりという状態の裏返しだ。
「解ってる……言ってみただけ」
今回もちょっと拗ねたようにそう言っただけで納まった。
きっとこれは、7駆で一緒に何かするのが嬉しくて、その裏返し。
とっても捻くれ者だけれど、1度理解しあってしまえば解りやすい娘なのだ。
「それで、買うものはもう全部カゴに入れたの?」
「はい。後は花火くらいです」
「花火ね。花火……花火……花火ってどの辺に置いてあんの?」
「多分、レジの近くだと思います。イベント物とか季節物は、大体あの辺りだから」
「なるほどね」
並んでカートを押す。
横の棚に缶詰がダースやダンボール単位で安売りされていたり、値引きシールの貼られたショートケーキがワゴンに山積みされていたりして後ろ髪を引かれるが、何とか振り切る。
けれど、うっかりお惣菜コーナーを横切ってしまったのがいけなかった。
芳ばしく揚げられたパン粉の香りがふわりと漂ってきて、まだ昼餉を取っていない縮んだ胃袋を直撃した。
中でもジャガイモの素朴で土臭いような匂いは一際で、潮の好物であるコロッケが並んでいることを知らせてくる。
「……曙ちゃん」
「解ってる。何も言わなくていいわ」
それ以上の言葉を交わすことなく意志の疎通に成功。
コロッケをトングでわしりと掴みポリプロピレンの透明容器に移す。
蓋が開かないよう輪ゴムで留め、そこへソースの袋を挟んだ。
粗目のパン粉がパラパラと零れて底に広がり、まだ温かなコロッケから出た湯気が透明容器を薄っすらと曇らせる。
「揚げたて?」
「かどうかは怪しいですけど、まだ温かいです」
「コロッケはそれくらいがベストよ。ソースが染みやすいから」
「揚げたては揚げたての良さがあるんですよ? ホクホクです」
なんて談笑をするが、潮も曙も、久しく娑婆から離れていた小娘だ。
スーパーマーケットに敷き詰められた罠の存在を知らぬ。
惣菜コーナーの横に意図的に配置された、テナント出店のベーカリー。
小麦、イースト、そしてバターを混ぜて焼くだけの店だ。
だがそこから漂う焼きたてパンの香りはまさに暴力。
駆逐艦娘の空きっ腹など容易く屈服して、抗うことなど出来るはずもない。
「……潮」
「解ってます」
再びアイコンタクトだけで会話を済ませ、今度は曙が突入した。
高級バター使用! 超リッチ!
そんな宣伝文句の書かれた1斤食パンを手に取ると、まるで強盗でもするかのように店員へと突きつける。
「4枚切り!」
金を出せ!
もしかすると店員はそう幻聴したかもしれない。
それくらい曙の勢いは凄かった。
「髪は逆立ち眦は裂け」とは史記に出てくる猛将を形容した言葉だが、まさにそれ。
要求を飲まねば何が起きるか解らないぞ。そういう威圧だ。
ただし、求めているのは食パンだけれども。
「待たせたわね」
厚切りにされた食パンにサービスの小さなバターを抱える曙は、ホクホク顔。
その落差は怒った鬼の顔の絵のようだ。
逆さまにすると笑った顔になる、子供向けの騙し絵のようなアレ。
「早く会計を済ませてしまうわよ」
「花火はどうするんですか?」
「食べてからで良いじゃない」
そういうことになった。
○
さすがに店舗の中で食事をするわけにもいかないが、最近はイートインスペースを設ける波がコンビニやスーパーマーケットまで及んでいるから、何も問題はない。
自販機で飲み物だけ買えば何憚ることなく椅子もテーブルも使いたい放題だし、それどころか電子レンジ、給湯ポット、電気トースターなんかも備え付けられている。
「久しぶりにイートインに入りましたけど、凄いですね」
「駆逐寮の食堂なんかよりよっぽど豪華だわ」
地下のイートインに下りてきた2人の駆逐艦は、揃って感嘆の声を上げた。
高くはないのだろうが原色の椅子も真っ白のテ-ブルもデザイン重視で、駆逐寮のパイプ椅子に長机と比べるのは失礼なほど。
「まぁいいわ。コロッケが冷め切らないうちに、パンを焼いて頂戴」
「3分くらいかな……?」
トースターのつまみを捻る。
矢印を3に合うまでチキチキと回して厚切りのパンを投入した。
1台で2枚しか焼けないために都合2台を占領することになり、ちょっと贅沢気分。
鼻歌なんかふんふんとやってしまったものだから、曙に即座にバレる。
「随分と安い女ね」
「曙ちゃん!? それ意味が違いませんか!?」
チーン。
これだけは古風な焼き上がりを知らせるタイマーの音。
アルファ化された4枚切りの分厚い食パンは、表面はカリカリで中はフワフワ。
それを手早く取ってバタ-を延ばし、横綱のように存在感のある大判コロッケを搭載だ。
で、この上にソースをかけるわけだけれど、その前にコロッケを少し割り崩してやる。
狐色のパン粉に幾重も亀裂が走ったら、そこへソースをたらり。
「ちょっとお行儀悪いですね」
「味が優先よ。ソースが垂れにくくなるし、コロッケにも馴染みやすくなるの」
言いながら揃ってもう1枚のパンで蓋をした。
コレで完成。野菜など一切入れない。
「「頂きます!」」
分厚いパンに挟まれた分厚いコロッケだ。
その高さはかなりのもので、アゴを外すつもりでかぶりつく。
食パンがカリッ、フワッ。
コロッケはザフリ。
大きさの割りに抵抗は全然無くて、一気に噛み切れてしまう。
さて、その味は。
「コロッケ!」
「コロッケ!」
コロッケだ、コロッケなのだ!
他に言いようなどあるだろうか!
じっくりと炒められたタマネギから甘いエキスが飛び出してきて、噛み締めた牛挽肉からは力強い旨味の肉汁がじわりと染み出す。
味のグラデーションが、タマネギから肉汁へとゆっくり変化する。
そして芋! ジャガ芋!
粒の残るホクホク系ではなく、丁寧にマッシュされたねっとり系のジャガ芋だ。
これがタマネギと牛肉の出汁を絡めとり吸い取って身に纏わせているから、どれだけ食べても旨味がなくなることなど無い。
ウスターソースのピリ辛すら押しつぶしてしまう濃厚さなのだ。
本来はキャベツが挟まることでこの濃厚さを緩和するのだが、しかし今は即席のサンドなので具はコロッケのみ。
ではどうするか。
こうするのだ。
自販機で買っておいた辛口ジンジャーエールのボトルキャップを空け、炭酸が逃げる間もなく喉へ流し込む。
むせ返るほどにキツイ刺激が、食道を焼かんばかりに駆け抜け舌をリセットした。
サイダーやコーラでは、こうはいかないだろう。
キレの良いジンジャーエールならではだ。
あとはもう、完食まで一直線だ。
コロッケサンドをバクバク食って、ジンジャーエールをゴクゴク飲む。
たまにゲップ。
「あぁ、食べた食べた。ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
食べ終わるまで5分もかからなかっただろう。
早飯も芸のうちという駆逐艦のサガだ。
「それじゃ、帰りましょうか」
「そうですね……じゃないですよ、曙ちゃん! 花火を買わないと!」
「あぁ、そうだったわね。もうご馳走も食べちゃったし、てっきり終わったつもりでいたわ」
「まだ始まってもいませんよ!」
「解ったわよ、どんなのがあるのかしらね」
「穏やかなのがいいです」
「え、派手なのがいいわよ」
2人は地上へ続く階段を上がる。
戦争になるのが目に見えているし、ロケット花火だけは阻止しよう。
潮はそう思った。
残念ながら、その願いが叶うことはなかった。
スーパー(で食べる)コロッケ(の)サンド