――――昨夜、謎の二人組による襲撃で、村の秘宝は奪われ、一刀と瑠華は重傷負った。
瑠華は右腕を折られたものの、翌日意識を取り戻した。しかし、問題は一刀の方である。
戦いでの傷に加え、胴体を貫かれるという重傷のせいで大量出血、正に瀕死の状態であった。
村の医師達による懸命の治療で、なんとか一命を取り留めたが、朝になった今でも意識が未だに戻らない。
それでも無事だということが分かり、一刀の仲間達はそれぞれ安堵の息を吐く。
用意された一室で、体を包帯で巻かれた一刀は、寝台で横になっている。瞼は閉じられ、寝息は正常に行われている。
彼の横では、愛紗が椅子に座り、看病をしている。
視界に写っているのは、傷つき、眠りについた想い人の姿。綺麗な瞳は、次第に潤んでいく。
「すまない一刀……すまない……!」
膝に置かれた手はふるふると震え、その手に一つ、また一つと雫が滴り落ちる。
「愛紗」
「……瑠華、か」
後ろを振り向くと、瑠華が扉を背に立っていた。その右腕は、数本の棒などでしっかりと固定されており、首元に布が掛けられていた。
「大丈夫……?」
「……まあな」
「ちょっと、休んだら?」
「……そう、しようかな」
聞こえるかどうか分からない、か細い声で、愛紗は呟いた。弱々しく立ち上がり、部屋を出ようとする。
すれ違い様、瑠華に呼び止められ、振り向く。
「愛紗で……自分を責めないでね。一刀の事は、愛紗のせいじゃないよ」
「瑠華……」
「その……愛紗まで傷つくのは、僕……嫌だから」
「……ありがとう」
自分より小さい男の子に励まされるとは。お礼の言葉と共に、俯いている瑠璃色の頭を撫でる。これ以上の心配はかけさせまいと、愛紗は今の感情を心の奥に押し込め、涙を拭った。
今回の事もあり、孔明の提案によって、新たに四ヶ所、高台を設置することになった。
【備えあれば憂いなし】というもの。
堀を掘って敵が攻めてきても籠城戦に持ち込める様にするなど、孔明の指揮の元、作業が行われた。
劉備も、孔明と共に指示をする。
そんな中、鈴々は木材に腰掛け、頬杖をつき、何やら劉備の方を仏頂面で見ていた。
横にいた馬超が、その様子に気づく。
「後もう少しで完成って所だな」
「…………」
「ん?どうした張飛」
「……気に入んないのだ」
「気に入らないって、孔明がか?」
「そうじゃなくて、“あいつ”の方なのだ」
「あいつって、劉備殿の事か?」
鈴々の不機嫌丸出しの視線につられ、馬超も劉備の方を向く。
「お兄ちゃんと瑠華があんな目にあってるのに、お宝の心配をしてたのだ」
「いや、でも二人の事も気にかけてはいるんじゃないか?」
「ずっと思ってたけど、あいつ戦いの時はいっつも後ろの方にいて全然前に出てこないのだ。大将のくせにとんだ臆病者なのだ」
「戦は大将がやられちまったらそれまでだからな。そういう戦い方もあるさ。ま、そういうのあたしはあんまり好きじゃないけど」
「それに、賊のアジトから取り返したお宝、全部ここの蔵にしまって独り占めしてるのだ」
「独り占めって……それは軍資金にする為で、別に自分のものにしてるって訳じゃないだろ?」
口々に紡がれる、劉備に対しての不満、愚痴。馬超が何となしに言うと、鈴々は俯いた。
「馬超は……お兄ちゃんが心配じゃないのか?」
「えっ……いや、そんなこと――――」
「もういいのだ!」
「お、おい!張飛!」
業を煮やしたのか。鈴々は木材から立ち上がり、屋敷へ去っていった。
その後ろ姿を眺めていた馬超。上げていた手を降ろした途端、視線が地面に向けられる。
「……心配に、決まってるだろ」
そのまま壁にもたれかかり、空を見上げる馬超。その表情は暗く、その姿は儚げに見える。
「一刀、大丈夫かな……」
その小さな呟きは、風と共に消え去った。
◇◆◇◆
それから日が暫く経ち、村の守りを強化し終えた頃。劉備が愛紗達武将を客間に集めた。
「官軍からの参陣要請?」
「ああ!何でも州境で、良民がかなりの大規模な反乱を起こしたらしい」
その報告に、愛紗は顔を暗くする。
「討伐隊を差し向けたが、一向に乱を静めること叶わず。結局、大将軍何進自ら軍を率いて出向く事になったのだが、我らの活躍がその耳に届いたらしく、朝廷に尽くさんとする志有らば、我が陣に参ぜよ――――と」
漢王朝からの要請。無論、ここ桃花村だけでなく、各地の名だたる者達が、我こそはと動くだろう。成り上がりものとはいえ、大将軍何進の命令であれば尚更である。
「こうなったら大暴れして、腑抜けた官軍共の目を覚まさせてやろうぜ!」
「お目目パッチリなのだ!」
「孔明殿はどう思う?」
「そうですね……」
愛紗が孔明に聞くと、彼女は腕を組み、口元に手を当てる。
「聞く所によると、各地で反乱が続出して官軍は猫の手も借りたい状態とか。大将軍自らの出陣と言っても、実のところ然程の兵力ではないのかと」
「成程、それで我等に声をかけてきたというわけか」
孔明の正確な考えに、愛紗は頷く。
「理由はどうあれ、これはまたとない機会だ!ここで華々しい手柄を立てれば、我らの名は更に高まるだろう!そうすれば義勇軍に参ずる者も増え、我が軍はより強く!より大きくなれるのだ!」
急に声を張り上げる劉備。目を丸くする他の一同の反応に気づき、落ち着きを取り戻す。
「そして、それがより多くの人を救うことになる」
「劉備殿……」
「関羽殿。北郷殿の事が心配なのはよく分かる。私も同じ気持ちだ。しかし、今は来る戦に備えなければならない!分かってくれますね?」
「……はい」
優しく問いかける劉備。なんとか返事を返す愛紗。弱々しく、どこか無理をしている様にも見える。
「よし!それでは、出発は明朝!皆、早速準備にかかってくれ!」
劉備は号令をかけ、明日の準備に取りかかった。
◇◆◇◆
数日経った今でも、一刀は目覚めない。安静にするようにと、瑠華は一刀の横の寝台に腰掛け、窓から月を見ていた。
「はぁ……弱ったな」
瑠華はため息をつき、頭の後ろに左手を置いて、寝転んでいる。呆けた様に、ただ天井を見ているだけ。
「ていうか…………何で鈴々がここにいるの?」
「ぐかぁ〜〜……」
横目で見ると、もう一つの寝台で鈴々が寝ていた。寝相が悪すぎて、服が乱れており、臍はもちろんの事、“未発達の部分”が見え隠れしている。
窓の方へと顔を反らし、やれやれと瑠華は寝返りをうつ。
「寝よ……」
「う〜ん……」
「ん?」
「お兄……ちゃん……」
大切な兄の事が、余程心配なのだろう。目尻には、月に反射して光るものが、うっすらと浮かんでいた。
「…………」
瑠華も、眠りに落ちた。
大事な仲間の身を案じながら。
◇◆◇◆
そして、出発の日。
屋敷の廊下、愛紗は偃月刀を肩に担ぎ、馬超も銀閃を携え、歩いている。
二人の後方で、鈴々が蛇矛を担いでついてきている。
しかし、様子が明らかに“おかしかった”。顔は紅潮しており、鼻水を垂らし、おまけに咳き込んでいる。
孔明が慌てた様子でやって来た。
「鈴々ちゃん!風邪引いてるんですからちゃんと寝てなきゃ駄目ですよ!」
「鈴々は風邪なんで引いでないのだ!」
「熱があって咳が出て鼻水垂らしてるんですから風邪に決まってるじゃないですか!」
全くもって、その通りである。
「熱があって咳が出て鼻水垂らしででも!何とかは風邪引かないって言うからこれは風邪じゃないのだ!」
「何言ってるんですか!馬鹿は風邪引かないなんて迷信です!馬鹿だって風邪引く時は引くんですから、鈴々ちゃんは風邪引いてます!」
鈴々の前に出て、孔明は大声で注意する。気のせいだろうか、遠回しに悪口を言っている様に聞こえるのは。
「鈴々はずっと愛紗と旅して、ずっと戦ってきたのだ!なのに愛紗が出陣して鈴々だけおいてかれるなんて絶対嫌なのだ!」
「鈴々。お主の気持ちも分かるが、そんな体で出陣する訳にはいかぬだろう?」
「そうだぞ。かえってみんなの足を引っ張って――――」
「行くったら行くのだ!絶対愛紗と一緒に出陣するのだ〜〜!」
子供の様に、大声で駄々をこね始める鈴々。
「――――張翼徳」
愛紗に、真名じゃない姓と名で呼ばれ、鈴々は押し黙る。
「お主に任務を与える。我等が出陣している間、ここに残り、村を守ってくれ」
凛とした面持ちで、愛紗は妹に命じた。
「私も残ります。戦が長引いたら、兵糧を準備しつつ、鈴々ちゃんと一緒に村の守備につきます」
「孔明……」
「うむ。劉備殿には、私から伝えておく」
「村を守るなんて、張飛には荷が重いんじゃ――――」
「馬超は黙ってるのだ!」
馬超が焦らす様に言うと、鈴々が大声で牽制する。
「どうだ?留守を頼めるか?」
「……分かったのだ。愛紗がそう言うなら、鈴々は残って村を守るのだ」
「よし、それでこそ我が妹だ!村は任せたぞ!」
「合点なのだ!」
元気よく答えると、愛紗が耳元に顔を近づけ、
「――――早く元気になれ」
「っ!うん! 」
嬉しさのあまり、鈴々は頭から湯気を出しながら倒れ、他の三人は一斉に慌て出す。
そして村を出発し、馬で移動しながら、愛紗は劉備に事情を説明する。
「仕方がないですね。張飛殿と孔明殿抜きで戦いましょう」
「申し訳ない……」
劉備は“愛紗の前”では笑顔で答えている。
しかし――――前を向いた瞬間、彼女の見えない所で、面倒そうに顔をしかめていた。
「…………」
「どうした、関羽?」
「いや、何でもない……」
残された仲間が心配なのか、遠ざかっていく村を名残惜しそうに見つめ、すぐに前を向いた。
「――――ん?遠征か?」
野道を進軍する劉備軍。道の端にある草むらの陰で、“一人の男”が監視している事に、誰も気づくことはなかった。
◇◆◇◆
漢王朝の何進が指揮する討伐隊の陣営に着いた。天幕の中には、各地に存在する軍人達がいた。魏の王、曹操も例外ではない。
そして、大将軍何進は、玉座に腰かけている。
「皆、集まった様じゃな。では、これより軍議を始める。曹操」
「はっ!」
何進に呼ばれ、曹操は起立する。
「反乱軍の蔓延る山は、正に天然の要害。正面から力押しに攻めても、徒に犠牲を増やすばかり。先ずは山を囲んで両道を断ち、兵糧攻めにするのが良策かと」
そもそも、此度の反乱は領主の
兵糧攻めで相手の士気が挫けた所で、これまでの施策の誤りを認め、降伏した者は罪一等を減じると告げれば、大半は山を下る筈――――という作戦を、曹操は一言一句、何進に告げる。
「うまくいけば、戦わずして乱を収めることも可能かと」
「手緩いな」
「……手緩い、とは?」
自身の考えを否定され、曹操は何進に問う。
「朝廷に楯突いた賊共の罪を許すなど、手緩いにも程がある!それにこれ以上時を掛けては朝廷の威信に関わる。悠長に兵糧攻めなどせず、一気に攻め潰せ!」
「しかし、正面からの攻撃はあまりにも無謀!」
「賊軍など、所詮は烏合の衆。首謀者さえ、討ち果たせば後は何とでもなろう」
曹操の言葉には耳も貸さず、何進は他の者達に声をかける。
「どうじゃ?誰ぞ、明日の先陣を務め、敵将の首をあげてこようというものはおらぬか?」
先程の曹操の話を聞いた後では、誰も手を上げようとは思わない。ただ徒に貴重な兵力を失うだけだ。
その無茶苦茶な要求に、誰も答える者はおらず、全員が下を向くだけであった。
「功名を立てる、またとない機会じゃぞ?」
「閣下!恐れながらその役目。この劉備めにお命じ下さい」
何進の言葉に反応し、劉備が名乗り出た。
「お主は確か、義勇軍の……」
「この劉玄徳!身も心も朝廷に捧げる所存!その朝廷に弓引く敵が例え何万あろうとも、決して恐れる者ではありません」
何進に近づきながら、演説風に忠義を露にする劉備。そんな彼を、曹操は忌々しげに見ていた。
「よくぞ申した!明日の先陣、貴様に申し付ける」
「はっ!閣下の御期待に応え、必ずや賊将の首!あげてごらんにいれましょう」
「うむ」
何進は劉備の整った顔を一目見ると、頬を仄かに赤く染める。
「見事、敵将の首を捕った暁には、貴様を官軍の将に取り立て、妾の側近の一人としよう」
「おお……!」
「期待しておるぞ?」
「ははっ!」
大将軍から、相応の報酬を約束され、多大な期待を背負う劉備。
軍議を終え、他の諸侯は明日の準備に取り掛かっている。その中、愛紗は一人、湖の畔で、夜空に浮かぶ三日月を見ていた。
「兄者、漸く道が見えてきました。どうか、私をお守り下さい」
愛紗は三日月を兄と重ね、そう告げる。
――――“あの出来事”を思い出す。
“大切な人”が傷ついた瞬間を。
俯き、表情が曇り始める。例え、心中に押し込めようとしても、頭から離れない。
何故あんな事を言ってしまったのだろうか。今も、罪悪感でいっぱいになる。
「関羽殿、そろそろ明日の作戦会議を――――どうしました?」
「いや、別に……」
そこへ、劉備がやって来た。
尋ねると、愛紗は何でもない、と答える。すると、愛紗の前に立ち、覆う様に木に手をつく。
思わず驚き、愛紗は顔を上げる。
「関羽殿。北郷殿の事、実に残念だと思っている。しかし、あなたが暗い表情を浮かべていては、兵の士気に影響が出てしまいます」
「劉備殿……」
「無論、私にも」
劉備は、愛紗の右肩に手を置く。外気に晒されている肌に触れられ、ビクッと震える。
「あなたに、哀しみの色は似合わない。仲間――――いや、“生涯を共に歩む存在”として、私だけに笑顔を見せてくれないでしょうか?」
「りゅ、劉備、殿……?」
「私には、貴女だけが頼りです。ずっと、側にいてくれますね?」
じっと見つめ続ける劉備。言葉の意味を察し、愛紗は咄嗟に目を反らす。
「いや、それは……」
「契りの証を」
「ぁ……あの、お止め下さい……」
「さあ……」
顔を近づけ、距離がどんどん縮まっていく。頬に手を添えられ、正面に向けられた。顔は紅潮し、動揺している為か、力が入らない。そうこうしている内に、相手の顔が目前にまで接近。
唇と唇が、重なり合う――――直前、脳裏に“彼の笑顔”が過った。
「嫌っ!」
「うおっ!?」
ぎゅっと目を瞑り、愛紗は劉備を突き飛ばした。勢い良く後退し、劉備は尻餅をつく。
「も、申し訳ありません!」
咄嗟に頭を下げ、その場から逃げる様に走り去っていった。呆然とする、劉備を置いていきながら。
暫く走ると、森を抜けた。野道に出て、荒れている呼吸を整える愛紗。鍛練の時よりも疲れており、両膝に手を置く。
「はあ……はあ……」
端的に言うと、嫌だった。
大切な、初めての――――。
捧げるなら、“あの人”に……。
「一刀……」
憂鬱な面持ちで、愛紗は夜空を見上げる。
蒼い月明かりが、彼女を寂しく、照らしていた。
◇◆◇◆
その頃、桃花村。
体調を崩した鈴々は、寝間着で寝台に横になっている。
「さあ、これを飲んでください」
「孔明、これ何なのだ?」
孔明お手製の漢方薬。濁った色で、茶瓶に入れて、鈴々に手渡す。
「三日草を煎じた物で、熱を下げるのにとても効き目があるんですよ」
「なんか、変な臭いがするのだ……」
「馬超さんの生気を吸い取ったものですから、有り難く飲まないと罰が当たりますよ」
「“良薬口に苦し”って言うしね」
孔明の横にいる瑠華も、鈴々にそう答える。彼も丁度、包帯を変え替えた所だ。
渋々、鈴々はそれを一気に飲み干した。
「ぷはぁ!まっず~い!もう一杯!」
「はい♪」
(この調子だと、明日には治ってるかもね)
不意に、彼の髪を夜風がなびいた。
すると、瑠華は窓に駆け寄り、月を見つめる。
(何だろう?この感じ……)
嫌な予感がする。
そして、その予感は的中するのであった。
◇◆◇◆
暗闇に満ちた谷底、そこには、大勢の賊が群がっていた。火を焚き、酒を呑んでいる。
「お頭方!念の為、もう一度様子を見てきやしたが、義勇軍の奴等、本当に出払ってる様ですぜ!」
「残ってるのは見張りの兵と村人だけっす」
「……そうか」
斥候から戻ってきたチビとデブは、三人の賊の頭に報告をする。
その三人は杯を手に、ニヤリと笑う。
「へへっ、やっと好機が来たようだな」
「根気よく見張ってた甲斐があったぜ」
「ああ、今夜こそあの時の恨み。晴らしてやるぜ」
ここにいる賊は全員、義勇軍の手によって征伐された者ばかり。その賊達が結託し、義勇軍に復讐する機会を伺っていたのだ。
「戻ってきたら砦が奪われてるのは、今度はあいつらの番って訳だ」
桃花村に、賊の魔の手が忍び寄る。