さよなら、しれえ   作:坂下郁

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 毎年同じ時期に、同じ夢を繰り返し見る飛龍。


第三話 最後の言葉

 毎年この時期になると見る夢。

 

 航海から始まる一連の夢は、日を追うごとに、悪夢へと変わってゆく。激戦につぐ激戦、そして最後は必ずあの人が私に背を向けて立ち去ってゆく。振り向かずに、別れの挨拶のように右手を挙げる所で終わる。夢が終わるのは、酷く冷たい寝汗を書き、顔中ぐしゃぐしゃにして泣きながら目を覚ますから。同室の蒼龍は何も言わずにただ私を抱きしめてくれる。この体に生まれ変わってから数年、毎年変わらない光景。

 

 今年も、数日前からそれは始まった。

 

 

 それは、とても高い所から海原を見渡している私。目の前に広がるのは鈍色の海。荒い波、白く砕ける波頭、規則正しい波音にまぎれ、時折きしむような音を立てながら(フネ)は進む。

 

 

 それは、飛び立つ航空隊。発動機の音も高らかに、飛行甲板を蹴り力強く羽ばたいてゆく海鷲達。また一機、また一機と空へ舞いあがる。私は誇らしげに、少しだけ悲しく見送っている。きっとあのうちの何機かは、二度と戻ってこない。

 

 

 それは、雲下に回避した私の目に焼き付いて離れない光景。第八戦隊司令官から齎された、赤城さん、加賀さん、蒼龍が被弾炎上している事が嘘ではない証。朦々と立ち込める黒煙、紅蓮の炎。それでも不思議と絶望は感じなかった。

 

 

 「全機今ヨリ発進、敵空母ヲ撃滅セントス」

 

 ー-そうだよね、多聞丸っ! たとえ最後の一艦になっても、叩いて見せるからね!

 

 

 どぉよ! ヨークタウンはやっつけた、友永隊……本当にありがとうね。さぁ次はっ!?

 

 

 不覚だった、エンタープライズを見逃してたなんて。いくら私でも、爆弾四発は堪えるなあ……。

 

 

 月が綺麗……。巻雲と風雲、ごめんね。味方撃ちなんて嫌だよね。本当にごめん。でも……ありがとう。ね、多聞丸……見ててくれた? 私、頑張ったよ? ねぇ、なんで行っちゃうの? いやだよ、ねえ――。

 

 

 

 「置いてかないでっ!!」

 

 

 

 背中を蹴っ飛ばされたような勢いで、跳ね起きる。薄暗い部屋の中、自分の鼓動が鳴り響いているように思える。過呼吸寸前の荒々しい呼吸を何とか落ち着けながら、左手の甲で額をぬぐうと、冷たい滴でびっしょりになる。背中と言わず額と言わず滲んだ冷たい汗。ああ、今年もまたこの夢か……。

 

 右側から近づく影。誰か、なんて分かりきってるから聞かないし、聞くような気持ちの余裕もない。

 

 「飛龍、また()()夢を見たの……?」

 

 こくり、と頷く。蒼龍も赤城さんも加賀さんも、そして私も、あの戦いで轟沈し、南雲機動部隊の矜持も帝国海軍の栄光も、北太平洋の浪間に飲み込まれた。最後まで一人戦い抜き、ヨークタウンを道連れにした私でさえこれだけ繰り返し夢に見るのに、みんな……忘れちゃったのかなあ?

 

 私は自分の思いを思わず吐露する。苦い物でも食べたように苦しそうな表情に変わった蒼龍は、それでも言葉を継ぐ。

 

 「忘れる訳……ないでしょう? でも飛龍……私や赤城さん加賀さんが思っていることと、あなたが思っていることは、きっと違うよ。飛龍は、戦いに負けた事もそうだけど、山口提督を失った事の方が 大きいんじゃないかな」

 

 分かっていた事を、改めて他人から指摘されると素直になれない時がある。ましてや、両の手の平を上に向け肩をすくめながら、からかう様な口調で言う蒼龍の言葉ならなおさらだ。

 

 「飛龍はファザコンだからねー。こりゃ提督も大変だ」

 

 

 ぼすんっ!

 

 「もうっ! そんなじゃないんだからぁっ!!」

 

 蒼龍に枕の直撃弾。きゃーっと嘘の悲鳴を上げながら枕ごと蒼龍が部屋を逃げ出してゆく。え……私、枕が変わると眠れないんだけどな……。仕方ない、起きてシャワーでも浴びてすっきりしようかな。蒼龍が場の雰囲気を変えようとしてくれたのは分かるんだけど、私、ファザコンとかそんなんじゃないからねっ。

 

 

 -ー何度も見た夢、でも、多聞丸は一度も私の事を見てくれない。どうして……?

 

 

 毎年解けることのない疑問、それは残念だけど今年も積み重なっちゃった。

 

 

 

 毎年この時期の私は、荒れているらしい。そんなつもりはないんだけどな。

 

 「艦隊出撃! 徹底的に叩きましょう! 索敵も怠りなく!」

 

 今日は対外演習の日。旗艦の私と蒼龍を中心に、榛名さん利根さん筑摩さん長良さんからなる第一艦隊。飛行甲板に日の丸をあしらった鉢巻を閉め直し、遥か遠くの演習相手の艦隊を見据える。蒼龍は意外そうな表情で、ツインテールと大きな胸を揺らしながら話しかけてくる。胸当てくらいしなよ、ほんとにもう……。

 

 「徹底的って……演習だよ、飛龍?」

 「うん、そうだよ蒼龍。訓練を怠ったら多聞丸に叱られちゃうもん」

 

 演習相手は重巡と戦艦、直掩の軽空母から成る部隊。すぐさま妖精さんから連絡が入り、蒼龍も表情が変わる。

 

 「よしっ、友永隊、頼んだわよ!」

 「そうね、大物を狙って行きましょう!」

 

 敵の直掩機を相手取る零戦二一型は練度に不足無し。友永隊長率いる九七式艦攻隊は、海面スレスレを翔け抜け一気に敵艦隊に迫り、必中射点の占位を狙う。もちろん蒼龍の江草隊長率いる九九式艦爆隊も只者じゃない、私の航空隊と一糸乱れぬ動きの雷爆同時攻撃で次々と相手艦隊にダメージを与える。その状況を踏まえ、私達の護衛のため残る長良さんを除き、榛名さん率いる打撃部隊が前進を始め砲雷撃戦へと移行するのを見守る。この調子だと完全勝利も狙えそう……優位に推移する戦局なのに、注意力散漫になっていた。

 

 「飛龍っ!」

 

 蒼龍の悲鳴と同時に、殴られたような衝撃で下半身が動かなくなり、思わず海面にしゃがみ込んじゃった。振り返ると、長良さんが懸命に爆雷で水面下を攻撃している。そっか……相手は五人じゃなかったんだ、潜水艦がいたんだね。

 

 結局、演習相手は小破の旗艦と潜水艦を除いて撃沈判定を取ったけど、こっちも旗艦の私が中破したので、総合判定で辛うじて勝利した。こんなんじゃ多聞丸に顔向けできないよ……。

 

 

 

 「すまん、筑摩か利根の代わりに軽巡か駆逐艦を入れた編成にすればよかった。自分の編成ミスなのに、よく勝利をもぎ取ってくれた」

 

 演習の後は提督の執務室で戦闘詳報と勝敗原因の分析をするのが、私達のルール。でも、今日は開口一番謝罪つき分析が待っていた。生真面目な表情で頭を下げているのが、私達の提督。はぁ……気が重いや。砲撃戦で暴れ回った榛名さん、敵の攻撃を引き受ける囮として動き回ったのに小破未満なんだからすごい身のこなし。それに引き替え……油断して雷撃を喰らっちゃった私。

 

 ぼんやりとしている私を余所に、提督を一生懸命慰める榛名さん、吾輩に水上爆撃機を搭載すれば良かったのじゃ、と編成ではなく装備に言及する利根さん、自分がもっとしっかり護衛していればとしょんぼりしている長良さん。色んな声が飛び交う中、私は視線に気が付いた。提督が真っ赤な顔で私を見ている。

 

 「あー……コホン…ひ、飛龍は大丈夫か?」

 

 細身でひょろっとしていて、大柄でいかにも強そうだった多聞丸と比べると、頼りない感じがする若い提督。緻密で冷静な作戦指揮とか、いい線行ってる部分も多いんだけど、最後の一線を超えられない、そんな風に見えちゃう。

 

 少なくとも私が知る限りで大破進撃をしたとは聞いてない。そりゃ無謀な作戦はどうかと思うよ? でも、()()()みたいに、最後の一艦になっても攻撃続行させるかな? そう考えると疑問符が付く。この辺の事は、しょっちゅう蒼龍と議論する。もう一人の自分自身って思えるほど仲のいい蒼龍だけど、どうしても意見が合わない部分。

 

 「その、なんだ、入渠はしなくていいのか?」

 「提督? 演習は模擬弾ですから入渠は不要ですけど……」

 

 筑摩さんが呆れたような表情で指摘する。提督も挙動不審に軍帽を直しながら、そうか、と頷いている。ほんとそう。そりゃ模擬弾でも当れば痛いけどペイント弾だから真っ赤になるだけ。それを見ていた蒼龍がツインテールをぴこぴこ動かしながらにやりとしている。あ、あれはまた変な事考えてるサインだ。

 

 「提督、入渠は不要ですけど、ちょっと飛龍のメンテナンスをお願いしなきゃ。さあみんな、提督と飛龍を二人きりにしてあげないとっ!!」

 

 無理矢理みんなを執務室から追い出すようにした蒼龍は、最後に振り返りながら提督にウインクしている。確かに私も提督の事は気になっているけど、それは多聞丸みたいな立派な提督になってほしいから。だからいつも蒼龍と議論している訳で。それ以上の気持ち……? そんなの……分からないよ……。

 

 気まずい沈黙の中、私と提督は執務室に立ち尽くす羽目になっちゃった。今日はこの後予定もないし、かといって蒼龍のさっきの様子だと、部屋に戻っても無理矢理提督の所に連れてこられそうだし……。よぉし、いい機会だわ、多聞丸の話を教えてあげて、少しでも多聞丸に近づいてもらう様にしようっ!!

 

 ペイントで真っ赤になった脚のままだと恥ずかしいから、シャワーを浴びる時間を貰い、三〇分後に間宮さんの所で待ち合わせということにして、いったん執務室を後にした。

 

 

 

 「ごめんなさい、待たせちゃった……よね?」

 

 白く染めかれた『甘味処 間宮』の文字が鮮やかな紺の暖簾が目印、数寄屋造りの間宮さんのお店は私たちの鎮守府のオアシス。その入り口脇に置かれた竹製のベンチに腰かけていた提督は、私の姿を認めるとすいっと立ち上がる。

 

 あちゃー、三〇分なんてとっくに経っちゃったよ。蒼龍のせいだよ、ほんとにもうっ。香水を付けろとか化粧しろとか、デートじゃないんだからっ。……で、でーと!? 自分の頭に浮かんだ言葉に、我ながら動揺しちゃうのは何でなんだろう。

 

 「蒼龍も大分強引だが、自分も飛龍には話したい事があったから、丁度いいと言えば丁度良かった……。ところで、何の匂いだろう、すごくいい匂いがする……あぁ、飛龍からか……」

 

 顔が赤くなったのが自分でも分かる。くんくん……香水、付け過ぎたかな……。うぅ~、何で提督まで顔を赤くしてるのよっ。もっと恥ずかしいじゃない。こんな所多聞丸に見られたら……怒られちゃうよ。

 

 

 その頃間宮店内では、赤城と加賀の一航戦と蒼龍が店の入り口からは衝立で隠れる位置のテーブルに、こそこそと身を隠すようにしていた。

 

 「まったく……何で私までこんなことに付き合わされるのでしょう」

 

 抹茶を啜りながら、流れるように間宮羊羹を口に頬張る加賀がこぼす。

 

 「そんな事言わずに、ね。可愛い後輩のためですよ」

 

 こんもりと皿に盛られたみたらし団子を食べ続ける赤城が微笑む。

 

 「すいませんお二人とも。でも飛龍の大チャンスなんです。私と飛龍が二人で話す話題の五割は多聞丸ですけど、二割は提督の事ですからっ。その他は四方山話ですけど、あの飛龍が多聞丸以外に二割も考えている相手なんて、初めてですっ! きっと飛龍も提督の事が……。だから、きっと提督なら飛龍の目を、山口提督から……あの戦いから、前に向けられると思うんですっ!」

 

 あの戦い、その言葉に赤城と加賀の動きが止まる。

 

 飛龍を含めた一航戦二航戦にとって、あの戦いとは一つしかない。運命を決めた五分間、それで積み上げてきた全てが崩れ去った。自分たち三人が力尽きた後、独り飛龍が何を思い戦い続け、何を思い海へ消えたのか、それは誰にも分からない。かつてと戦う相手は変わり、鉄の巨艦から女性の体へと生まれ変わった今も、魂と思いは引き継がれている。でも、だからと言って、今の生き方まで縛られる必要はないはず――必死に蒼龍は訴え続ける。

 

 からんからん。

 

 横開きの扉が開き、提督と飛龍が入ってきた。なぜか二人とも少し頬を赤らめ、ぎこちない様子。とりあえずテーブル席についた二人はお品書きを眺め、二つ三つ甘味を注文したようだ。これは脈ありかも、と蒼龍のツインテールがぴくぴく動く。先ほどまでの落ち着いた様子と一転、赤城が衝立にかじりつくようにして覗き込む。最後まで羊羹を攻略する手を緩めなかった加賀も、気分が高揚します、と言いながら赤城に並ぶ。

 

 そして飛龍が話し始めたのはーーーー。

 

 

 山口多聞提督の武勇伝だった。

 

 航空畑出身ではないのに、航空機部隊の将官として相応しくなるよう重ねた弛まぬ学習と努力。ハワイ海戦やセイロン沖海戦の大勝利の後も、作戦研究会で日本航空艦隊の編成について新しい構想を提案する先見性。『人殺し多聞丸』と呼ばれた航空機部隊の鬼教官ぶり。あの戦いにおいて、最初の兵装転換命令に対して「敵空母出撃の算あり。考慮せられたし」と警告した戦術眼。二度目の兵装転換時には「現装備のまま攻撃隊直ちに発進せしむを正当と認む」と主張する決断力。事敗れ総員に退艦命令を下した後、指令室に戻り飛龍と最後と共にした最期。

 

 「……失礼を承知で言うね。提督、あなたが多聞丸のような敢闘精神を発揮すれば、もっともっといい提督になれると思うんだ。ううん、そうなってほしいの。……最期の時を一緒に迎えたい、そう思えるように」

 

 あまりのファザコンぶりに、衝立の陰で聞いていた赤城と加賀がため息を漏らすほど、飛龍は一気に話し続けた。唯一蒼龍は、飛龍の言葉に別なニュアンスが混じるのを捉えていた。

 

 -ー最期の時を一緒にって……てゆか飛龍、自分で自分の言ってる意味、分かってるのかな? 提督、ここがチャンスッ! 飛龍を……お願いっっ!

 

 ここまでずっと飛龍の話を頷きながら聞いていた提督が、初めて反応した。それは飛龍が望むようなものでも、蒼龍が期待するようなものでもなかった。

 

 「自分は、きっと山口提督より残酷だと思う。どんな状況でも、自分はお前を戦いの海に送り込み続ける。勝とうが負けようが関係ない、必ず自分の元に戻ってきて、何度でも戦い続けてくれ。そのためにも、自分は乾坤一擲のような指揮を、今後も取るつもりはない」

 

 飛龍の顔色が明らかに変わり、厳しい目で、目の前の提督を睨みつけている。

 

 「……多聞丸の指揮を、あの場にいなかった貴方なんかにケチを付けられたくないっ」

 

 提督も飛龍の視線を真正面から受け止め、負けずに言い返す。

 

 「……その場にいなかった自分が後知恵で先達の戦いを云々するのは非礼極まりない、その点は謝罪する。だが、これだけは言わせてもらう。自分は確かに山口提督に及ばないだろう。だがそれでも今を生きていて、お前と共に戦っているのだ。いつか深海棲艦との戦争に勝利する暁、自分の隣には……飛龍、お前にいてほしいのだっ」

 

 そう言い切った提督は立ち上がると、先に行く、と言いポケットから甘味の代金には過分な紙幣と、小さな箱をテーブルに置き、飛龍を残して足早に立ち去った。

 

 当の飛龍はこれ以上ないほど真っ赤な顔で完全に固まり切っている。目の前に置かれた小さなダークグレーの箱、その中に入っているだろう物も、その意味ももちろん知っている。ただ、その箱を開ける勇気がない。

 

 「「「きゃああああああーーーーっ!!!」」」

 

 我慢の限界を超え、衝立の向こうから赤城と蒼龍が雪崩を打って飛龍に殺到する。やや遅れて加賀も現れた。歴戦の艦娘とはいえ女子は女子、目の前で起きた公開プロポーズに、興奮を隠せる訳がない。

 

 その夜、部屋に戻っても騒ぎ続ける蒼龍に閉口し、さっさとベッドに潜りこみ寝たふりをした飛龍は、やがて本当に眠りに落ちてしまった。そして、夢を見るーーーー。

 

 

 

 「……話を聞いてっ」

 

 これは……夢? だけど自分がいる。そしてその自分は誰かに呼びかけている。

 

 「多聞丸(お父さん)ってば!!」

 

 えっ!?

 

 濃紺の第一種軍装に制帽を被った大柄で体格のいい男性。こんな人を私は一人しか知らない。多聞丸……やっと顔が見れたぁっ!! 静かな表情なんだけど、でもよく見ると少-し怒ってる? その右手が誰かの胸倉を掴みあげている。白い第二種軍装を着た、細身のひょろっとした男性。緊張したような表情で、それでも多聞丸のぎょろっとした目から視線を逸らさずハッキリと言葉を切り出す。

 

 ええっ!? て、提督っ!?

 

 「山口提督(お義父さん)っ! 自分はまだ青二才かもしれません。でも、何があっても飛龍と共に戦い続け生き延びて見せます。なので……認めてくださいっ」

 

 一瞬、提督の胸倉を掴む多聞丸の手に力が籠る。そしてそのまま私の方を振り向き、くいっと顎で自分の方に来るように示す。

 

 こわごわと、体の前で弓を持ちながら多聞丸のすぐそばまで行く。提督を無造作に離した右手は、そのまま私の頭に載せられ、わしゃわしゃと撫でられる。恐る恐る見上げた多聞丸の顔は、今まで見たどんな顔より優しく微笑んでいた。私は堪えきれず、わんわん泣き出してしまった。

 

 よっこらせ、と言いながら多聞丸は提督を助け起こすと私の横に連れてきた。そして、実に見事な海軍式の敬礼を見せ、にやっと笑い、提督に一言告げるとくるりと振り返り歩き出した。

 

 「――――――」

 

 えっ!? 何を言ったの、多聞丸? お願いっ、行かないでっ!!

 

 

 「お願いっ!!」

 

 自分の叫び声で目が覚め、跳ね起きる。薄暗い部屋の中、掛布団の上にある自分の左手がぼんやりと光っているのに気が付いた。え……薬指に指輪が……? どうしていいか分からずに、持ち帰ったものの机の引き出しにしまったはずなのに……。

 

 「もしかして多聞丸……背中を押してくれたの……? そっか……きっと、お別れなんだね……」

 

 そのまま朝が来るまで泣き続け眠れずに時間を過ごした私は、意を決して立ち上がり、部屋を後にする。

 

 

 

 〇七〇〇(マルナナマルマル)――。

 

 執務室のドアをノックして返事を待ってからドアを開ける。できるだけ自然に、明るく振る舞ってみる。そうしないと、私だって照れくさすぎるもん。驚いて口を開けたまま固まっている提督。そして私の左手の薬指に気付き、みるみる顔を赤らめる。

 

 「提督、朝ごはん作ったよー。簡単な和定食だけど、ごはん、たくさん食べてね。今度は……」

 

 きっと提督には意味不明だろうけど、でも言ってみよう。やっぱり私はがっちりして体格のいい人が好きだし、提督は、ちょっとひょろっとしてるから。

 

 「お父さんに負けないよう力付けてね」

 「お義父さんに負けないように力付けなきゃ」

 

 言葉が続かない。二人で唖然として顔を見合わせる。話をまとめると、二人とも同じ夢を見ていた。でも提督は、多聞丸が最後に何て言ったかだけは、絶対に教えてくれなかった。


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