さよなら、しれえ   作:坂下郁

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 戦後の甘味処間宮。


第十三話 約束

 商店街の奥まった所にある、小さな甘味処。通りに面した壁の上半分はガラス窓で、奥に四名用の座卓が二組並ぶ小上りのある店内が見渡せる。生クリームの白が眩しいショートケーキ、ダークブラウンが魅惑的なザッハトルテ、色鮮やかな季節の果物で飾られたフルーツタルト、小豆と黒蜜の光沢が光るあんみつが収められる冷蔵ショーケース、壁に沿って作られた棚にはクッキーや羊羹、お饅頭、道明寺餅、柏餅、サツマイモの練り羊羹が並んでいる。いずれも美しい出来映えだが、品揃えには一貫性を欠いているようだ。

 

 戦争が終わって数年が経った。深海棲艦との殺し合いの日々は遠く、艦娘達が救国の英雄として熱狂的な歓迎を受けたのも今は昔。勝利の狂騒はすぐに去り、むしろ長い戦争で受けた被害から立ち直るという現実的な関心事に人間の心は埋められた。

 

 兵器として認知されていた艦娘と人間の共生に少なからず混乱があったのも事実だが、文字通り命を賭け自分達を守り救ってくれた相手を、徐々にでも受け入れ共に歩む存在と認識する程度に、長い戦争は人間に悟性を与えたのかも知れない。多くの艦娘が戦陣に倒れ海に還ったが、生き残った艦娘への戦後保障についても、莫大な退職金の請求権が与えられ、希望者には住宅、進学・就職の斡旋も行われた。多くの場合は提督が相手だが、いつの間にか身近な人間と恋に落ちケッコンする艦娘も多かった。

 

 

 この店は給糧艦の間宮が戦後に始めた甘味処。だが客足は疎ら、遠慮なく言えば不人気である。

 

 戦中は全海軍で甘味処といえば間宮、と謳われた和菓子作りの名手の彼女が開いた店にしては意外過ぎる結果だが、当の間宮はあまり気にしていない様子。元艦娘が営む店として敬遠されたり差別されたり、ということではない。理由は別な所にある。彼女自身も分かっていて、けれど分かっていてもどうしようもないこと。

 

 間宮はぼんやりと外を眺めている。すっきりと晴れた秋晴れの空の下、窓の外を行きすぎる人並の中で、地元のカップルと思われる若い男女が店の前で足を止める。二人を見ていると、おおよそどんな会話をしているか見当は付く。男はここでいいんじゃない、と気軽に言う。本音はどこでもよく、歩くのから解放されたい、と言う感じ。対する女は、顔の前で手を横に振り、だめだめ、とでも言っているようだ。

 

 -ー甘すぎるの、このお店。

 

 女の口の動きをよく見るとそう言っている。結局そのカップルは立ち去り、その後も客足は増えず夕方に近い時間になった。

 

 間宮の店が流行らない理由、それは味付けが甘すぎる事。お菓子だから甘くて当然とか世の中健康志向とか、そういう話ではなく、とにかく甘い。店を開いてしばらく経ったある日、とあるお客さんから指摘され間宮も気が付いた。戦争という極限の肉体労働、そして嗜好品に飢えていた艦娘達は、強烈なまでの甘さを欲しがっていた。その当時の基準のまま、自分は甘味を作り続けていた。変えようと思えばいつでも変えられるが、理解し納得して、そのままにしている。この店にある品ぞろえは、他の誰のためでもないーーーー。

 

 自分の腕を枕にしてカウンターに上体を投げ出す様に座る間宮は、在りし日へと思いを深く沈めてゆく。

 

 

 

 「負け戦程つまらないものはない、そう思わないか?」

 と、緑色の髪をした駆逐艦娘が、怒るでも嘆くでもなく、ただ淡々と言う。手には収穫した作物を抱え、運搬用のリアカーに近づいてゆく。

 

 「こんな配属先で運が悪かったな。それでも死んでないだけマシというものだ」

 と、銀色の髪をした駆逐艦娘が、相手の話に乗るでも乗らないでもなく、ただ淡々と言う。同じように手には収穫した作物を抱え、こちらも運搬用のリアカーに近づいてゆく。

 

 「「せーのっ」」

 

 二人同時に作物を抱えていた手を離し、どさどさどさと音を立てサトウキビが載せられる。リアカーを前から引く長月と後ろから押す菊月は、司令部へと続くでこぼこ道を引き返してゆく。

 

 ソロモン海に位置するこの小さな島に設けられた拠点には、もともと島の住人だった鳥や獣や昆虫、降り注ぐ陽光とあまり肥沃とは言えない土地に自生する野菜や果物、艦娘が今は十数名、妖精さんがほどほど、司令官、そして給糧艦ーー間宮がいた。

 

 思えば遠くに来たもんだ、とは誰の言葉だったか。最前線の小さなこの基地をスキップして、敵は後方の基地に猛攻撃を仕掛け陥落させた。次に狙われたのは、防備を強化したその隣の基地ではなく、隣の隣の基地。縦深的に連なる基地群は、分断され連携を取る事が出来ず無力化された。そして個別に挟撃され殲滅される運命が待ち受けている。度重なる戦力抽出命令を受け、戦艦や正規空母等の有力な艦娘から引き抜かれたこの島で、深海棲艦の気分一つでいつでも終わる不自然な凪の時間を、残された艦娘達は過ごしている。

 

 本来は各拠点を巡回して生鮮食品を補給し、一定期間滞在して甘味処を現地で開き艦娘達を狂喜乱舞させた後に次の拠点へと向かうのが間宮の役割だが、敵の飛び石的侵攻があまりにも早く、退避すべき後方拠点が激戦地の有様。非武装低速の給糧艦を単独退避させられず、さりとて総勢十数名の艦娘しかいなくなったこの基地では護衛に戦力も割けず、結果として間宮はこの基地に取り残される羽目になり、どれくらい経ったのかーーーー。

 

 

 

 「いつもありがとうございます」

 

 胸の前で両手をぽんと合わせ満面の笑みを浮かべ、間宮は帰ってきた長月と菊月を出迎える。トレードマークの割烹着に赤いリボンはそのままでに、ぱたぱたと軽い足音を立てて、リアカーと二人の元へ駆け寄ってゆく。

 

 「まぁ、サトウキビをこんなに」

 「これくらいお安い御用だ」

 「だから、いつも通りに、な」

 

 こんな状況でも間宮はいつも朗らかだ。サトウキビを両手で抱えると小首を傾げてにっこりと微笑む。

 

 「はい、任せてくださいね。それじゃ、お手伝いしてもらえますか?」

 

 ぱぁぁっと満面の笑みを浮かべた長月と菊月は、同時にガッツポーズを見せると、間宮と共に甘味処へと向かい小走りに走り出す。

 

 甘味処と呼んではいるが要するに食堂である。鳳翔や祥鳳、あるいは龍鳳など料理上手な軽空母がいないこの拠点では、間宮が食事の世話を一手に引き受けている。けれども間宮が営んでいる以上、やっぱり甘味処と呼ばれている。

 

 「さて、と……。今日の甘味に取り掛かる前に、こちらの仕込みを先に済ませちゃいたいんですけれど、お手伝いしてもらえますか?」

 気合を入れるように割烹着の袖を捲ると、傍らにあった鉈を手に取ろうとする間宮に慌てて駆逐艦達が駆け寄る。一人が鉈を受け取り、もう一人がぐいぐいと台所へと間宮の背中を押す。

 

 「間宮さん、そういうのは三日月がやりますからっ」

 「弥生も、これなら……」

 

 まともな補給を最後に受けたのはいつだったか思い出せないような拠点である。満足な食料や調味料があるはずもない。生命維持に必須の塩はもちろん、菓子作りに必要な砂糖もすでに使い果たしている。だから足りないものはみんなで協力して自前で賄う。塩は海水を蒸留して作る。主食であり生命線でもあるタロイモの栽培やココナッツの収穫と加工、バナナやマンゴーはドライフルーツにする、釣りや底引き網で獲れた魚は保存食にするなど、いつしか小さな拠点は集落、いや、肩を寄せ合い助け合い暮らす家族のようになっていた。

 

 そして砂糖はーーサトウキビに含まれるショ糖分を結晶化したものだが、白砂糖に至るまでは様々な工程を経る。ショ糖は時間の経過とともに含有量が低下するため、サトウキビを収穫したらすぐに作業に取り掛かる。三日月と弥生は鉈でサトウキビをざくざくと細かく刻み大きなざるに移してゆく。十分な量になった頃合い、二人はざるを抱えて甘味処の隅にある小さな手作りの設備へと向かう。

 

 「いきますよ、弥生ちゃん」

 「いつでも……いいよ」

 「ボクもお手伝いするから、まっかせてよ!」

 

 最初の工程は圧搾、水を加えながらサトウキビからショ糖を絞り出すのに、大きな石を利用した擦り機の隙間にサトウキビを入れる。三日月と弥生は息の合った動きで石を回転させ、破砕したサトウキビを皐月が手際よく入れ水を加えてゆく。ごりごりと不器用な音を立てながら、搾り汁が用意されたバケツに滴り落ちる。これに石灰を加え不純物を沈殿させ、上澄み液を掬って煮詰めて残る黒い塊、つまり黒砂糖が手に入る。本来ならこれを原料糖とし、不純物を取り除くいくつもの精製工程を経て純白の精製糖にするのだが、この拠点では黒砂糖を作るまでが限界。

 

 「さて、何を作りましょうか?」

 

 頬に手を当てながら、うーんと間宮は考え込む。考えた所で答は限られている。和洋問わずお菓子作りには、この島で手に入らない材料を多用する。あんみつも、お団子もお饅頭も、代名詞の羊羹も無理、ケーキやクッキーなどの洋菓子は夢のまた夢。現地で手に入るタロイモやマンゴー、バナナなどを使い、雑味の強いくどい甘さの黒糖を組み合わせた甘味、それがこの島での甘味処間宮の定番メニュー。

 

 タロイモを茹でて潰し、黒砂糖を混ぜて餡を作る。今度は乾燥させたタロイモを挽いた粉に水を混ぜ芋餡を包む皮を作る。出来上がった皮で芋餡を包み、オーブン代わりの石窯で三〇分程度焼き上げる。

 

 「みなさん、できましたよー」

 

 その声が終わる前に、すでに基地に居る全員が甘味処間宮に集まり、目をきらきらに輝かせている。司令官も列の最後に並んでいるのを見ると、間宮も思わずくすっと笑ってしまう。石窯の扉を開け取り出したのは芋頭酥、台湾のタロイモパイケーキである……材料さえ揃っていれば、だが。あえて言うならソロモン風タロイモの焼き菓子、とでもいうべきか。焼き上がりにもムラがあり、食感もいいとは言えない。味も黒糖のくどさが目立つ、間宮の名を冠するにはいただけない仕上がりだが、それでもみな満面の笑みを浮かべ、奪い合うようにお代わりしてくれるのを見ると、嬉しくなってしまう。

 

 人はパンのみに生きるにあらず、艦娘も資材のみで動くにあらず。人間と同様の生理機能を持つ艦娘は、お腹が空けば力が出ず、好きな物を食べると戦意高揚(キラキラ)する。日々悪化する状況に心身ともに押しつぶされそうになる中で、ほんのひと時でも何も考えず夢中になって貪るように味わい、遠くなった日常に自分を繋ぎとめてくれる僅かな光。それが勲章よりも戦果よりも重要な、間宮の甘味。

 

 「ふぅ……おいしかったぁ~」

 

 口の周りに食べかすを付けた皐月が満足そうに言い、多くの駆逐艦娘が頷く。

 

 「贅沢なのは分ってる……けれどやっぱりあんみつが食べたいな」

 

 この拠点のまとめ役の一人、矢矧がぽつりと呟く。

 

 「いつか食べたチョコレートケーキもおいしかったです」

 

 少し恥ずかしそうな表情で、神通が続く。二人の発言をきっかけにして、何がおいしかったとか、これを食べたいとか、わいわいと果てる事なく盛り上がりが続いている。

 

 「確かに羊羹は、とてもおいしかったなぁ」

 

 司令官が何気なくつぶやいた言葉をきっかけに、間宮は暗い表情になり俯いてしまった。しまった……と司令官と艦娘達はこれ以上ないほど慌ててしまった。ロクに材料がない中で苦心して日々の食事はもちろん、こうやって甘味を作ってくれているのに不平を零した、と思われてしまったのかと。もちろんそんなつもりはなく、ただ在りし日を懐かしんだだけだったのだが、間宮に謝ったり慰めたりと大忙しなった。

 

 

 ーーごめんなさい、みなさん。

 

 

 心の内で繰り返しそう詫びる間宮の心は誰にも分からなかった。

 

 

 

 結局、何も分かっていなかったのだと思う。誰もいなくなった甘味処の台所でことこととタロイモがゆであがるのを待ちながら、間宮はぼんやりと考える。

 

 それまで訪れた先は、非武装の低速艦の自分でも、駆逐艦娘一人か二人を護衛に伴う程度で航海を無事に続けられていたのだ。だが南方は、この海は地獄だった。護衛してくれた艦娘は目の前で沈められた。この拠点の艦娘達が救援に駆け付けてくれなかったら、自分も後を追っていただろう。けれど、それ以来この拠点から出られなくなった。それほどに急速で苛烈な敵の攻勢。猫の手でも借りたい戦況にあって、自分はただの足手纏いでしかない。けれど、司令官は真面目な顔で、視線を逸らさずにはっきりと言ったのだ。

 

 「間宮さんは特別なんです」

 

 そう言われて思わずドキッとした。けれど司令官の表情は真剣なままだった。

 

 「今はこんな時代で、戦争に必要なものだけが必要とされています。けれど間宮さんが作る甘味は……当たり前の事を当たり前に楽しめた日々の、平和の象徴なんです。艦娘のみんなにとっても、自分たちがちょっとした何かを喜んだり楽しんだりできる存在なんだと、理屈じゃなく分からせてくれるんです。あなたは、自分たちだけじゃなく、全ての艦娘に必要とされている特別な人です。今はこの基地から動けませんが、時が来れば必ず、間宮さんを安全な場所までお送りします」

 

 それから司令官が私にとって特別な存在になるのに時間はかからなかった

 

 ーーだからって、これは……ないよね。

 

 視線を足元の棚に送る。中に隠すようにしまってあるのは、僅かに残った白砂糖が入った小さな壺。この拠点で物資の在庫が切れる前に、職人の本能で思わず確保していた。甘味づくりに欠かせない小さな白い魔法。未精製の黒砂糖ではできない、素材の味を邪魔せず、甘みとコクを与えられる。

 

 司令官は自分の事を艦娘達が必要とする特別な存在だと言ってくれた。甘味を通して、忘れてはいけない日常や小さなことを喜ぶ感動を伝えられる、と。けれど今自分がしているのは、皆にとっての特別よりも、自分が誰かの特別になれると気付かせてくれた特別な人にだけ、自分の特別を見せようとしている。

 

 ーー私は……特別な存在などではありません。それでも、今の私にできる特別なことを、司令官、貴方に……。本当の……間宮の味には程遠いけど……それでも……。

 

 羊羹が好きだといったあの人のために、小豆が手に入らない今できるのは、芋羊羹、それもタロイモ。サツマイモと違い、里芋で代用できるように粘りが強い反面甘みはない。固める役割の寒天も、テングサが手に入らず、オゴノリの仲間の海藻から作るしかない。全てが代用品の中で、唯一、隠し持っていた純白の砂糖だけが偽りのないもの。

 

 『哨戒中の秋津洲より入電、敵艦隊が接近しているそうだ。ついにきたか……上の指示なんて待ってられるか、ただちに撤退戦に入るぞっ。せめて間宮さんだけは無事に退避してもらう、いいなっ』

 

 一斉放送で知らされた敵の襲来。慌てて迎えに来た駆逐艦娘に手を引かれ、作りかけの芋羊羹をそのままに、私は台所を後にした。

 

 

 

 

 この海はやっぱり地獄だった。

 

 

 敵の進行を食い止めるために殿(しんがり)をたった二人で務めた利根さんと神通さんとも、二式大艇で前路警戒にあたっていた秋津洲さんとも連絡が取れなくなりました。無事で……無事でいてください。その後も後方の拠点を目指して私達の逃走は続きます。母艦に座乗する司令官と私と矢矧さん、取り囲むように輪形陣を組む六人の駆逐艦、前衛と後衛にはそれぞれ軽巡が二人ずつ。

 

 「全員に告ぐ。目の前のこの島さえ越えれば、味方の艦隊と合流ができる。問題は島を北回りで行くか南回りで行くか、だが……北回りを選ぼうと思う」

 

 司令官の言葉に、全員が黙り込む。北回り航路には、秋津洲が発見した敵の重水雷戦隊が待ち構えていると報告が入っている。

 

 「そうだ……これ見よがしなまでに、な。だから南には伏兵がいるはずだ。おそらくは潜水艦」

 

 結果論で言えば司令官の読みは当たっていました。南回り航路に入るには、一度狭い水道を通過せねばならず、その出口に潜水艦隊が待ち構えていたらしいのです。当時の私達にはそれを判断する材料はなく、目に見える危機にあえて進む勇気を振り絞るしかありませんでした。

 

 「……約束」

 

 誰かが一言呟きました。

 

 「間宮さん、必ずショートケーキを作ってね!」

 「ずるいっ! 私はシフォンケーキがいいっ」

 「道明寺餅と柏餅、ご所望」

 

 次々と、皆が自分の食べたい甘味の名を上げます。艦橋では矢矧さんが準備体操を終え、出撃デッキに向かおうと歩き始めました。ふと立ち止まり、こちらを振り返ります。どうして、そんないい笑顔を見せるのです?

 

 「さて、と……。私も出るとするか。ここに居ても甘ったるくて胸やけしそうだからな。……間宮さん、私はやっぱり……あんみつがいいな、うん」

 

 言われてようやく気付きましたが、私は司令官にぴったりと寄り添うように立ち、指と指を絡めるように必死に手を握り合っていました。

 

 最大戦速まで加速し、前面に待ち構える敵を遮二無二突破しようと突撃が始まりました。砲煙が渦巻き、轟音が響く海に次々と立ち上がる水柱。怒りと恐怖と、決意と諦めが綯交ぜになった叫び声がひっきりなしにスピーカーから響き、やがてその数が減ってゆく。通常艦艇の母艦も被弾し、後部甲板では火災が起き、傾斜はみるみる増してゆきます。艦橋の窓ガラスはすでに吹き飛んでいて、次の着弾の衝撃で、気が付けば海に投げ出されていました。

 

 

 それからのことは覚えていません。目が覚めた私は、どこかの基地で入渠させてもらっている途中でした。救援に駆けつけた部隊の方が、気を失って漂流していた私を助けてくれたそうです。

 

 

 傷が癒えるのを待ってトラック泊地経由で内地送還された私は、南方に戻る機会を与えられませんでした。激化する戦闘は、私のような非武装の低速艦の長距離航行を許さなくなっていたからです。本土を中心とする近海の沿岸航路で、外地向けの輸送拠点に物資運搬を気が遠くなるくらい繰り返しているうちに、戦争は唐突に、あっけないほどあっさりと終わりました。

 

 

 司令官とも、矢矧さんとも秋津洲さんとも、長月ちゃんとも菊月ちゃんとも、あの基地にいたみんなとは、その後も会えないまま、月日だけが流れてゆきました。

 

 

 

 「はっ!? いけないっ! いくらお店が暇だからって、居眠りなんて……恥ずかしい」

 

 からからから。

 

 横開きの扉が開きます。お客様、ですか……珍しい、って私が思っちゃだめですね。お客様の姿は見えませんが、入り口の前がざわざわしています。団体でしょうか。背の高いすらっとしたお嬢さんが先頭で入ってきました。

 

 「……久しぶり、ですね。間宮さん、約束通りあんみつを……お願いしたいの」

 

 自分の目を疑います。目の前でしゅたっと手を上げているのは……矢矧さんです。ひょこひょこっと、背後から顔を出したのは長月ちゃんや菊月ちゃん、皐月ちゃん、三日月ちゃん。

 

 「もっと中に入ってほしいかも~。秋津洲、お店に入れないかも~」

 「ほう、思ったよりこじんまりとしておるが、いい店じゃな」

 

 みんな……無事、だったの? 驚きすぎると、人は声が出なくなるものなんですね。でも、こんなに嬉しい事は……ありません。お席を用意している私に、みんな興奮気味に一斉に話始めるのには閉口しました。

 

 ですが、そうだったんですね……。

 

 秋津洲ちゃんの二式大艇に誘導され急行した味方の艦隊が皆さんの救助にあたってくださった。けれど、独断での撤退が問題視され、司令官は抗命罪で収監された。その判決を受けて皆も営倉入り、その後は分散して各地の拠点に配属されていた。終戦での恩赦を経て、伝手を辿って辿って、一人また一人と探し当てた……なんてことでしょう。

 

 「間宮さんの甘味をもう一度食べるまで、絶対死なないって決めてましたからっ!」

 

 三日月ちゃんが誇らしげに微笑み、そして一人の男性ー司令官が、駆逐艦娘に背中を押されるように、よろけながら私の前までやってきました。

 

 「間宮さん、これから私のために羊羹を作ってもらいたいのですが、いいでしょうか?」

 

 さっき散々練習してたでしょ、と皐月ちゃんから声が上がります。他のみんなもにやにやと笑っています。

 

 「そ、それでですね。お代は……これで……」

 

 差し出されたのは、きれいな銀の指輪でした。そんな……こんな高価なお代をいただいたら、一生お作りしなきゃなりませんね。ちゃんと答えられたでしょうか。視界がみるみるぼやけてゆきます

 

 

 

 

 「あれ、また満員だ……リニューアル前が嘘みたいに流行ってるね」

 「なんかね、店長さんがケッコンして、味がすごく優しい甘さに変わったんだって」

 

 賑わう店内を恨めし気に眺めていたカップルは、またこよっか、と言い合い、甘味処間宮を後にした。




 二年とちょっと不定期で続けてきたこのシリーズですが、今回のこのお話をもって、いったん区切りとしようと思います。話の性質上続けようと思えば続けられる可能性もあるにはありますが、思う所感じる所がありまして、完結という形にさせていただこうと思います。ストックしていた時雨、初月&五十鈴、榛名、高雄、鳳翔などの物語は別な形で書くかもしれません。それはさておき、長らくお付き合いいただきまして、読者の皆様には感謝の言葉しかございません。ありがとうございました。

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