艦隊これくしょん 横須賀鎮守府の話 特別編短編集 作:しゅーがく
貞操観念逆転 その1
鎮守府では度々おかしなことが起きる。今回も例外ではない。否。今回は例外だ。大体はいつも白衣妖精が何かを作り出し散布か服用させ、艦娘か俺を変なことに巻き込むことが多い。だが、今回は違っていた。何故なら、世界そのものか変わってしまっていたのだから。
お盆が間近に迫った7月の終わり頃、午前6時前に目を覚ました俺は早々に身支度を整えて執務室に出てくる。そうしたならば、今日の秘書艦である吹雪が既に来ていたのだ。決められた時間よりも早く来る艦娘は時々居るのだが、今回はそれだけではなかった。
今日は朝から暑い。海の目の前だから、少しは潮風で気持ちいいのだが、そうは言っても夏なだけあって暑い。私室でも冷房を朝まで点けたままだったが、執務室に来るとムワッとした空気が体に纏わりつく。窓は開けてあるものの、吹雪は扇風機の前を陣取って風を一身に浴びていたのだ。それだけならいい。だが有ろう事か吹雪は、自分のスカートの裾を上げて風を浴びていたのだ。俺が入ってきても「おはようございます」と普通の調子で挨拶をするが、スカートの裾から手を離すことはない。それに俺の場所からだと、スカートの中身が丸見えなのだ。膝上くらいまでのスカートの更に上、股関節の付け根までの太ももから、その先の白い三角形まで丸見え。おっぴろげである。
俺はすぐさま平静を装い、自分の席に座って冷房を付ける。流石に目に毒だからだ。いつもよりも設定温度を下げて風量を上げる。そうしたならば、早く部屋も冷えることだろう。数分もしない内に吹雪は扇風機から離れて秘書艦の席に腰を下ろした。
色々な意味で落ち着いたところで時計を確認する。時刻は6時18分を指していた。そろそろ食堂に向かった方がいいだろうと立ち上がると、吹雪が不思議そうな表情で俺のことを見ていた。
「どうした? 朝飯に行かないのか?」
「え? いや、食堂で食べるのは怖いって仰ってませんでしたっけ?」
「食堂が怖い? 俺、そんなこと言っていたのか?」
「はい。こちらにいらしてからは、最初の数回で行くのを止められましたよ。朝食は大体、交代で執務室に届けてもらい、それ以外はご自分で作られているじゃないですか」
「あ、あぁ、そうだったな。どうも、最近の暑さで頭がぼーっとしててな」
「確かに今日も暑いみたいですね。体調が優れないのでしたら、どうぞ私室でお休みになって下さい。執務は私がやっておきますから」
「いいや、いい。冷房室で水分補給をこまめにしながら執務をすればいいだろ」
吹雪の話に合わせたが、先程の吹雪の振る舞いといい何かがおかしい。それを調べるとなると、食堂に行くのが手っ取り早いのかもしれない。
「飯食ったらちょっと間宮に話があるから食堂に行く」
「了解しました。そうこうしていると、朝食を届けてくれたみたいですよ」
食堂に行く口実を吹雪に言うと、どうやら朝食が届いたようだ。吹雪が執務室の扉を開けると、そこにはワゴンが置かれていた。足元にはわらわらと妖精たちが集まっている。
「ご苦労」
「今日は私たちの当番ですから」
「ほれ、ご褒美」
「ありがとうございます!!」
丁度机に置いていたお菓子を妖精たちにご褒美だと言って渡す。後でワゴン毎取りに来るとのことなので、妖精たちを送り出して俺と吹雪は朝食を摂り始めた。
※※※
朝食を食べ終わると、食べ終わっていた吹雪を連れて食堂へ向かう。今回も吹雪に対して違和感を持った。いつもなら、俺の方が早く食べ終わるのに、今回は吹雪の方が早かった。何というか、ガツガツという感じだ。男子中高生がご飯を食べる時のような様子。こんな感じだったかと首を傾げるが、俺の持った違和感の全てを食堂へ入ることで証明されることとなった。
食堂には艦娘が座って食事をしていた。それはいつもの光景ではあるのだ。あるのだが、俺が入ってきた時に向けられた視線はいつもと違っていた。
ギラギラとした目つき。戦闘前後の興奮状態とはまた違う雰囲気で俺のことを見るのだ。そして何というか、『見られている』と感じる視線。普通の『見る』とは違うのだ。
ヒソヒソと話し声が聞こえてくる中、気にせず間宮のところへと向かう。俺が食堂に向かうことを、吹雪が疑問に思わないために言ったことだった。
「あら提督、どうされたんですか?」
「ちょっとな」
「ここで言うのも何ですが、あんまり外に出ない方がいいですよ?」
「確かにそうかもしれないが、出ない訳にもいかないだろ。やらなきゃいけないことだってあるし」
「ですが、このご時世です。何があるか分かりませんよ。今も続く戦争の影響で、男性の数が極端に減っているんです。女性は酒の生存本能で男性を求めて飢えてますから、最悪襲われることもあるんですから」
「わ、分かった。ただ、間宮に用があっただけなんだ。すまない」
「えっ?! あ、そ、そうなんですね……。失礼しました」
予想はしていたが、やはりそうだったが。恐らく、男性が極端に減ってしまったことによる貞操観念逆転が起きているのだろう。間宮の説明からそのように聞き取れたのだが、吹雪の振る舞いを見てもそうとしか言えない。それに、食堂に入った時の皆のリアクションも。
艦娘は生まれる際に、基本的な道徳観と読み書きが出来る。前者に関しては、恐らく生まれた時の情勢を考慮している割合が多いのだろう。そう考えれば、艦娘の振る舞いがその時々の女性と同じ道徳観であったり振る舞いを模すのは当然であるといえる。
「ま、なんだ。食事についてだ。毎回妖精たちに運搬を頼むのも悪い気がするし、時間をずらして食堂で食べようと思うんだが、どうだろう」
「は、はい。今日の昼からはそのように致します。通常の時間から30分から60分後くらいにいらっしゃってください」
「分かった。要件は以上だ」
「はい」
「あと、忠告ありがとう。注意する」
食堂から戻り、通常通り執務を終わらせる。対して時間も掛かることなく、手早く終わらせることが出来た。秘書艦である吹雪はどうやら、俺の知っている方と一緒で終業時間まで残っていくみたいだ。勉強道具と本を持ち込んでいるみたいだからだ。
俺も吹雪を気にすること無く、自分のしたいことを始める。とりあえず、溜めていた本を消化していくために、一度私室に戻って本を取って出てくる。
程よく涼しく、給湯室には色々な飲み物が置かれているため快適に過ごしていると、扉をノックする音が聞こえてくる。返事を返すと、現れたのは見覚えのない士官だった。
妙齢の女性。ロングストレートのシルバーヘアー。切れ目で灰色の瞳。色白。どこか響を大人にしたような雰囲気の女性だ。腰に帯刀し、拳銃も装備しているみたいだが、海軍憲兵の軍服を着ていることから、士官クラスの門兵だと思う。士官クラスは人数が少ないためにある程度把握しているが、このような容姿の士官に覚えはない。
誰だか分からないが、妙齢の女性は俺に向かって敬礼をして名乗った。
「警備部部長 武下中佐、入ります」
「入れ」
「失礼します」
武下ぁぁぁぁぁぁ!?!?!
「昨日逮捕された不審者のリストを提出に参りました」
「ご苦労様」
「はッ!!」
誰この人、というのが俺の内心の感情だった。確かに威厳と風格を感じるが、性別変わってるし名前言われなきゃ分からない。というか、毎日報告するようなことなんてなかった。これも、この世界独自のものなのだろうか。
「取締を強化しているのですが、相変わらず逮捕者の数が減りません。本当に申し訳なく」
「いや、いい。気にするな」
「はい。しかしながら、このようなご時世の中であるからこそ、提督を求めてしまうのかもしれません。前世代の男性でもありますから、提督は」
前世代? 言葉から察するに、俺は何か特徴を持っているのだろうか。
そう言いながらリストを渡してくる武下の手は白く細い。もっとゴツゴツして固かったような気がするんだが、性別も変われば変わってくるものなのかもしれない。
受け取って内容を確認していきながら、武下の言葉に耳を傾ける。
「横須賀鎮守府に集まる門兵も、基本的には心技体全てに於いて優れた精兵ばかりではあります。しかし、優れているからこそ、異性と接触した際に憚られるのです」
「ふむ」
リストに目を通し終わり、一緒に渡された書類を見る。
処分をリスト通りに進めていいか確認を取るものだ。俺のサインと印鑑が必要な様子なので、サインをして印鑑を捺した。
「……本日の提督は何処か雰囲気が違うように思われますが、何かありましたか?」
「うん? 特にないと思うが」
「そうですか?」
今朝起きたらこの状態だったから、確かに身の振り方は違うかもしれない。少し注意していかなくてはならないな、と頭の中で考えつつ捺印した書類を返した。
書類を受け取った武下はそのまま執務室から出て行き、再び俺と吹雪だけの執務室へと戻る。
朝起きたらこのような状況になってしまっていたが、俺はこれからどうしていけばいいんだろうかと、本を開きながら考えを巡らせるのであった。
※※※
しっかりとした対策が練られないまま時間だけが過ぎていく。体感的には今の状況は並行世界に入ったかのような気分だが、元からここにいた俺と入れ替わる形で存在していることは確かだ。俺の身体に俺が憑依したのか、身体そのものが入れ替わったのかは分からない。ただ、吹雪や間宮、武下の口振りから察するに、俺はこの世界に順応しているみたいだ。食堂が怖いと言って寄り付かなかったり、滅多に執務室から出ないような事を吹雪から言われたからな。
前も割と出ない方ではあったが、時々運動しに行ったり買い物に出掛けたり等していた。それ以上に出ていないと考えるべきなのだろうか。起き抜けでは気付かなかったが、確かに私室に置いてある私物は少ない気がした。本棚に収めている本の数も1/6程度になっていたような気がしなくもない。そもそも、この世界の俺自身が俺がいた世界から来た俺である可能性があるために、一概に俺と同じ思考パターンや信条、嗜好を持っているとも限らない。
それはともかくとして、本の趣味に関しては変わらないようだ。小説ばかりしかないが、選ぶ作品も作者も俺と同じ。というか、置いてある本全て、並行世界の私室に置いてあるのだ。
時刻が正午になろうという頃、そろそろ昼食の時間ではあるのだが、間宮に言って時間をずらして貰っている。俺は午後1時に行くつもりだ。吹雪はその時間に合わせるのだろうか。
「お昼ご飯は司令と合わせますよ」
「お、おう」
吹雪の方を見ると、たまたま吹雪が俺の事を見ていたらしく、聞いてもない質問への返事をくれた。質問内容は間違ってないが、なんというか怖い。多分、時間を確認していた俺を見て推理したんだろう。そう考えれば怖くない、か。
読みかけていた本を手に取り、再び文章に視線を落としたが、吹雪の視線が気になる。気になった俺は、吹雪に何か用があるのかと聞くことにした。
「吹雪、何かあったか?」
「えっ?! い、いえ!! 大したことではないんですが」
「気にせず言ってくれて構わない」
おずおずと吹雪が口を開く。
「何だか今日の司令は……その……」
ゴクリと吹雪が喉を鳴らす。
「開放的と言いますか、自由と言いますか、その……」
「??」
「あれだけのことがあってトラウマになっていると伺っていましたので、存外普通に接して下さってるのが何だか」
よく分からない。吹雪の言い方だと、前に何かあったというのだろう。残念ながら俺には分からない。
「それに口酸っぱく女性には警戒するように大本営や多方面から注意をされており、それを従順に守っていた司令が急に忠告を無視するような行動をしたりだとか、一体どうされたんですあ?」
「警戒? 注意? あ、あぁ……アレね」
全く以て分からない。誰か教えてくれ。
「別に気にしないでもいいと思っただけだ。確かに注意は必要だろうが、そんな無闇矢鱈警戒心振りまいても良くないだろう?」
それとなくそれっぽいことを言って誤魔化し、俺の今の行動が不思議に思われないように仕向ける。
もし、秘書艦の仕事に変わりがないのなら、終業後辺りに秘書艦を囲んで話しているだろう。そこで吹雪が皆に報告するはずだ。それで、今後の俺の行動が不審に思われないように布石をしておこう。
「そ、そうですか」
「うん? まぁ、気にするなってことだ。それで、俺は開放的になったつもりはないんだが」
「そ、そ、そそそうなんですか?」
何故そこまで吃ってしまうのだろう。そんな言い辛いことでもしていたのか? もしかして、社会の窓でも開いていたか?
「その、えぇと……」
「??」
「その、ですね……いつもシャツのボタンは一番上まで締めておられるのに、今日は何故二つ空いているのかな、と」
「ん? 暑いからだが?」
「じ、じゃあ、上着を脱いでいるのは?」
「暑いから」
何かおかしいのだろうか。基本的に俺の軍装は、第二種軍装と呼ばれる白い学ランだ。靴は黒を履いているが、スラックスから上着まで全て白。上着の中に着るシャツも白だ。外に出る場合、冬は第一種軍装になるが、色やデザインが多少違うだけでただ重くなっただけである。
夏は第二種軍装の夏仕様。昔は半袖だったらしいが、長いこと夏場も軍装は長袖らしい。その代りに生地は通気性がいいものになっているのだとか。
その第二種軍装は、基本的に全て着用しなければならない。だが、俺は夏場は上着を脱いで過ごすことが普通になっており、それを注意されたこともない。来客がある時は基本的にちゃんとした格好をしているからな。
ともかく、俺の格好はスラックスにシャツ姿というだけ。長袖の中に着るシャツのため、こちらも長袖のシャツな訳だけどな。勿論、暑いから袖を捲っている。それに関して、何かおかしいことでもあるのだろうか。
「うぅぅぅ……」
「吹雪?」
「な、なんでもない、です……」
結局、何がおかしいのかも全く分からないまま、吹雪は下を向いてしまった。一体、何だというのだろうか。
ともかく、男女の貞操観念が逆転している以上、何かあったのかもしれない。客観的に見れば、俺の視点で言うところの男社会に女性が入ってきたようなものなのだろう。もし、俺が女性になったんだとして、艦娘や皆が男性だったのならと考えて行動した方がいいのかもしれない。
遅れて昼食を摂り、午後は別件でやることがあったため、夕食まで一度も執務室から出ることなく執務をすることになった。執務の具合や報告書を見ている限り、事鎮守府の運営に関する事は、俺が昨日寝る前と全く同じ状況だったことは幸いだった。午後始まるなり確認を初めてよかったと思う。