帰りを待ちつつ掃除をしていたところ、保健室に着信音が鳴り響いた。モップを壁に立て掛けて、
液晶画面に表示されていた発信者は、水越病院。
「水越病院?」
確か、
「もしもし、こちら風見学園保健室。略して、こち――」
『あっ、
電話の相手は、やっぱり
『やっぱり、
「構わないが、保健室はいいのか?」
下校時間まで開けて置くのが通常らしいが、まだ少し時間がある。
『この時間に来るのは稀だから、廊下に救急箱を置いておけば大丈夫。じゃ、よろしくねっ』
「ああ、わかった」
掃除用具を片付けて、戸締まりを確認。棚の中から取り出した救急箱を、廊下に設置した椅子の上に置いておく。保健室の鍵を職員室に返して、校舎を出る。
「ん?」
校門に寄りかかるようにして、附属の制服を着た女子が佇んでいた。遠目でも分かる、あの特徴的な二つの団子結びには見覚えがあった。
「
「あっ、
「お前、何してるんだ。風邪引くぞ?」
「ただ、風に当たっているだけですよ」
「そうか。それは、そいつは有意義だな」
「
「こいつを、
ポケットに入れておいた
「あ、そうでしたか。大変ですね」
「ああ、じゃあな」
片手を上げて颯爽と風見学園を後にした俺は、軽やかな足取りで水越病院へ向かって歩いていた。そしてなぜか、先ほど出会った少女も並んで歩いている。
「で、何でお前は着いて来てるんだ?」
「や、案内しようかと思いまして」
何故か隣を歩く、
届け先の水越病院は、島を散策した際に場所は何となく覚えている程度、案内してもらえるのは正直ありがたいが。
「
「どうして、兄さんが出てくるんですか?」
「どうしてって、待ってたんだろ?」
「待ってません、風に当たってただけですっ」
ムキになって否定した。その態度の否定は、肯定しているようなものだぞ。まぁ、あえて口にはしないけど。
「そうか。なら頼む」
「最初から素直にそう言えばいいんですっ」
その言葉、お前にそっくりそのまま返してやりたいぞ。
「何ですか? まだ何か言いたい事があるんですか?」
「いや、ない」
目を細めてじとーと睨まれると、そう答えるしかないだろう。
「それで、どこに届けるんですか?」
「水越病院だ」
発信者にそう表示されてたしな。まあ、病院からかけられてるんだったら最悪職員に頼んでしまえば済む話し。
「水越病院でしたら、こっちの道を通った方が近道です」
大通りを一本逸れた横道を行くと、
「着きましたよ」
「さすが、地元民だな。じゃあ、行ってくる」
入口前の階段を数段上って、自動ドアをくぐる。
「で、何でお前も着いてくるんだよ?」
「や、外で待ってるのは寒いですし」
「寒空の中で風に当たるのが趣味じゃないのか?」
「そんな訳ないです。さあ、
冬空の下、顔が赤くなってたヤツが言っても説得力ないぞ、何てことを言っていても始まらない、とりあえず、受付で
「
「はい、聞いています。少々お待ちください」
受付担当の看護士は、受話器を上げて内線を掛ける。しばらくして――。
「あちらの待ち合い室でお待ち下さい」
「わかった」
指定された待ち合い室で
「どこ行くんですか?」
「トイレ。お前も一緒に行くか?」
「行きません! まったく、もう......」
何やら頬を膨らませてブツブツ言っているが、気にせず便所を探す。さすが大病院直ぐに見つかった。用を足して、待ち合い室に戻っていたところで、背中越しに声をかけられた。
「すみません」
「ん?」
「あの、小児科病棟は......あれ、
「あんたは確か......
「覚えててくれたんだね」
俺に声を掛けて来たのは、先日枯れない桜の前で出会った
「ここの医者だったんだね。あれ? でも確か......初音島の住人じゃないって」
「医者じゃない。事情があって、風見学園で手伝いをしているんだ。今は、用事でここに居るだけだ」
「それでなんだ。いや~、白衣を着てたから、ここの医者と間違えちゃったよ。はっはっはっ!」
片手を後頭部に持っていって豪快に笑うと案の定、看護士に怒られて何度も頭を下げて謝罪している。
「他の患者さんもいらっしゃいますから、お静かにお願いします」
「す、すみません、すみません......」
看護士が離れて行ったのを確認して、
「小児科とか言っていたけど、あんたは?」
「うん......実はね、ゆずは、ここに入院してたんだ。
それが最近になって、やや体調が芳しくなくなり、設備が整った病室に変わった、と。
「そうか、それは大変だな」
あの時は、元気に走り回っていたのに......。
先程の看護士とは違う、別の看護士が近くを通った。
「悪い。この人を病室まで案内してやってくれ」
「あっ、はい、わかりました」
白衣を着ているせいか、看護士はかしこまって返事をした。案外役に立つな、
「ありがとう、
「ああ、近いうちに顔を出す」
「ありがとう。じゃあまた。お願いします」
「はい、こちらです」
待ち合い室に戻る。既に、
「遅いです!」
最初に飛んできたのは、
「悪い。知り合いと話してた。ほら」
「ありがと、助かったわ~」
「さて、帰るか」
「はい。
「また明日。ちゃお」
病院を出ると外は日が傾き、夕と夜の間くらいになっていた。行きと同じく脇道を抜けて、通学路の桜並木を横切り、桜公園の敷地をショートカット。
「助かった。ありがとな」
「いえ、どういたしまして」
「腹へったな......」
「そうですね。もうすぐ晩ご飯の時間ですし」
「急ぐか......」
「ですね」
少し早足で、公園を歩く。
公園内の噴水がある広場に出た時「なあ、いいだろっ?」と、男の大きな声が聞こえた。
足を止めて見る。噴水の近く街灯の下で照らされた、風見学園の制服を着た男女がモメているみたいだ。
「あの人、
「
「ほら、
「ああ~......」
あの時の女生徒か。
「何か険悪な雰囲気ですね」
「だな」
端から見ると、男女のモメ事......と言うより、男の方が一方的に言い寄っている様に見える。男が、
「イタッ」
小さかったが、悲鳴の様な声が聞こえた。
あまり男女のモメ事には関わりたくないが、仕方ない。
「
「行くんですか?」
「借りがあるからな」
「なっ? いいだろ?
「ちょっと......離して......」
音を立てず、男の後ろに回る。
「お願いだよっ!」
「い、痛いよっ」
「おい、こら」
「んっ、だよ!」
肩に手を置くと、男が振り向くと肩がぶつかった。わざと大袈裟に倒れて、ゆっくりと立ち上がる。
「......痛かったぞ?」
「な、なんだよ? お前......」
思いきり睨み付けると、男は怯んだ。目付きの悪さには自信がある。
「お前に突き飛ばされた善良な一般市民だ」
「お、お前からぶつかって来たんだろ?」
確かにわざと距離を詰めた。だが、そんなの関係ない共犯者......もとい目撃者が居るからだ。
「そこの可愛い少女。君はどう思った?」
近くに居る、
「えっと、そちらの方が一方的にぶつかった様に見えました」
「――なっ!?」
男の方を指差した。ナイスフォローだ、
「だそうだ。んー? よく見たらお前、うちの生徒だな」
「えっ......?」
風見学園保健医助手と書かれたネームを見せつけると、男の態度が変わった。
「今謝れば、見逃してやるぞ?」
「......す、すみませんでした」
「仕方ねぇな。ほら、行け」
アゴで指示すると、そそくさと公園の外へ消えて行く。
「フゥ」
「お疲れさまでした」
「まったくだ」
少し可笑しそうに笑顔で労ってくれた。
「あ~あ、白衣汚れてますよ」
「マジか......乾くか、これ......」
帰ったら直ぐに洗濯だな。今日は、
「あの――」
「ん?」
「ありがとうございました」
「大丈夫でしたか?」
「ああ、わざとだからな。最優秀主演俳優賞物だったろ?」
「棒演技過ぎて逆に笑えましたっ」
「おい」
「ふふっ」
ぷぷっ、とバカにするような笑いの
「あっ、お姉ちゃんからメールだ。遅いって怒ってます......」
「マジか、帰るぞ」
「はい。先輩、失礼します」
「じゃあな。気を付けて帰れよ」
「うん。ありがとうございましたっ」
公園を駆け抜ける前に、工作しておく。
芳乃宅の玄関を開けると、満面の笑顔で
「おかえり、
「ただいま、お姉ちゃん......」
「
「ただいま。ほら、みやげだ」
「え? おみやげ......クレープっ?」
公園で買っておいた、クレープを差し出す。
「ありがとう!」
「遅くなって悪かったな。
「そう、
「うん、ごめんなさい。気を付けます」
「はい、よろしい。じゃあ手を洗ってきてね」
なんとか乗りきったみたいだ。
今日は、色々あって疲れた......メシ食って、風呂に入って早めに寝るとするか。
* * *
また、あの夢。
舞散る桜の中、悲しげに立つ一人の少女。
灰色の空から雪が降って来た。
白と桃色の幻想的な風景。
彼女の頭に雪がうっすらと積もって白く染まって行く。
振り払う事もせずに、ただただ祈り続けていた。
お前は一体、俺に何を......見せようと云うんだ?