まどろみの中、起床時間を告げるアラームが枕元で鳴り響いている。それでも今の俺は、テコでも動かないだろう。冬場の毛布は、もはや寝具というジャンルを超越した神の領域、云うなれば神具だ。
「ぐはっ......!?」
二度寝に興じようと寝返りを打とうとしたとき、突如、腹部に衝撃が走った。清らかな安眠を妨げるモノの正体を拝んでやろうと目を開ける。すると腹の上で
「おきた?」
「......ああ、お陰さまでな。おはよ、
「うん、おはよー。もうすぐあさごはんできるから早くきてね」
「ああ、わかった」
腹の上から降りて先にリビングへ向かう
ドアを開けてすぐのダイニングキッチンでは、エプロン姿の
「悪いな、
「ううん、私も
「そっか、助かる。お前は無理するなよ、
「はいはい、わかってるって。ほんと心配性なんだから」
そう言いながらも、どこか嬉しそうに
あれから二年――。
俺と
なぜ、そうなったかは二年前の正月の事だ。
二日連続で
その時、落ち着いたら芳乃の家を出るつもりだと話すと、
ありがたい申し出ではあったが、さすがにそう言う訳にはいかない。丁重に断ろうと思っていたのだが「住宅は人が住まなくなると、すぐに廃れてしまうものだ」と頼まれてしまい断ることも出来ず。
三月の末。籍を入れて、長年世話になった芳乃の家から隣の朝倉家への引っ越しとは言っても、俺の荷物はスポーツバッグひとつで十分だったから楽だったけどな。
それから月日は流れ、
予定日まであと二週間ほど、昨日の夜から
「そう言えば、兄さんは?」
「弟くんのことも、
「おはよーっ」
「......おはよ」
戸が開いて、昨日の夜から芳乃の家で寝泊まりしている
「
「や、別に。私は朝倉家に伝わる先祖代々の起こし方を教えてあげただけだけど?」
「教えてるじゃないかッ!」
「まあまあ弟くん、早く席に着いて朝ごはんにしよ。お仕事遅刻しちゃうよ?」
「そうだぞ、義弟」
「いや、法律的には俺が義兄な訳で......」
「弟くんは、弟くんなんだよ?」
「そうですよ、早く座ってください。義弟さん」
「
「パパ、みんなのおとうとなの?」
「いや、違うからっ。
しかし義弟さんって、世界で一番他人行儀に思える呼び方だな。
五人でテーブルを囲んで朝飯をいただき、歯磨きをして家を出る。隣の芳乃家の玄関から出てきた、頭にはりまおを乗っけた状態のさくらも一緒に歩く。すっかり冬枯れの木になった桜並木を歩いての通勤。
「ふんふーんっ」
「お前、最近よく散歩してるよな」
「ん? んー、そうだね。朝の散歩って気持ち良いから。それに今日は、みんなも一緒だからねー。ね、はりまお」
「あんあん!」
主人の頭で、はりまおが鳴く。風見学園現学園長が、いつ復帰するか毎日のように聞いてくると伝えると「気が向いたらね~」とさくら笑った。
どうやら今のところ復帰するつもりはないみたいだ。
風見学園の正門前で三人と別れて俺は、一人校舎へ入り、いつも通り職員室で支度を済ませてから保健室へと向かった。
「それでね、今度の記事のここなんだけど」
「あたしとしては、やっぱり......」
「お前らな......」
昼休み。キーボードを打つ手を止めて床を蹴り、回転座椅子を騒がしい二人の付属女子生徒、
「何度も言うが、ここは学食でも会議室でもないんだ。昼飯と打ち合せは教室か部室でしろよ」
「ええ~っ、ちょっとぐらい良いじゃないですかー」
「ほぼ毎日じゃないか......」
「だって教室も部室も寒いんだもんっ」
「
「そうそうっ。それに日頃の感謝もちゃんとしてるじゃないですかー」
そう言って
今日は、2月14日。俺にとっては特にどうということのないただの平日なのだが、世間では俗にいうバレンタインデーってやつだ。さっき貰ったあの紙袋は、二人からの贈り物(賄賂)ということだった。
「返す」
「ブブーっ、返品は一切受け付けておりませーんっ」
シャルルが、両手の人差し指を重ねてバツマークを作った。
「悪徳商法かよ、クーリングオフ制度は習っただろ」
「クーリングオフは商品に対してで、感謝の気持ちには適応外でーす」
「はぁ、もう好きにしてくれ......」
「やったねっ、
「乙女の勝利ねっ」
何を言っても無駄だと判断した俺は、再び床を蹴り作業に戻った。
「ねぇ、せんせぇー」
「何だ?」
手を止めずに
「昔は、一年中桜が咲いてたんですよね?」
「ああ、今から十年以上も前だ。お前らが幼稚園にも上がっていない、赤ん坊の頃にな」
「
「まったく覚えてないわ。物心ついた頃には、もう普通の桜だったし。そもそも赤ちゃんの頃のことなんて覚えてる訳ないでしょ?」
「それもそっかぁ」
「何だよお前ら、枯れない桜を調べているのか?」
一旦手を止めて二人へ向き直す。
「はい、今度の新聞の記事で魔法を特集するんですっ」
「またスゲーの選んだな」
「話し半分で聞き流してください。いつものを拗らせてるだけですから。それにまだ決定じゃないですし」
「おーい、シャルル。聞こえてるぞー?」
小声で言ったシャルルの言葉を
「あ、あはは......」
「もうっ、魔法は絶対在るんだから! 前世の記憶も本物なの!」
――前世の記憶、か......。
「まあがんばれ。ああ、そうだ、ひとつ教えてやるよ。枯れない桜にはな、和菓子に目がない妖精がいるんだぞ」
「......ちょっと、
「えっ? わ、わたしのせいにしないでよっ! 先生カッコいいけどちょっと目付き怖いしっ、元からちょっと変わってるしっ」
――コイツら......自分で魔法とか前世とか言っておきながらこれかよ。教えてやる気が失せるぞ。黙ったままでいると二人は、慌てて取り繕いに走る。
「いや、信じてない訳じゃないですから! わたしには前世の記憶があるし! 妖精が居ても不思議じゃないっていうかっ。聞いたことないけど......」
「そうそうっ、意外とメルヘンなんだって思っただけですよぉ! お人形もかわいいしっ。似合わないけど......」
二人して最後にボソっと付け加えてやがって......。出禁にでもしてやろうか。なんて思っていると昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「ありがとうございましたーっ」と、小さく手を振って保健室を出ていく二人を見送り俺は、三度パソコンとにらめっこを始めた。
* * *
下校時間が近づき、青かった空がオレンジ色に染まり始めた真冬の放課後。冷たい北風が容赦なく身に突き刺さる。普段開けている白衣のボタンを閉めて、やや身体を丸め歩く。やっとの思いで正門に着くと、
その中の一人、貧血やケガをしてよく保健室に来る
「あっ、
「まだ残ってたのか」
「今から取材に行くんですよ」
公式新聞部唯一の男子生徒付属二年の
「ふーん、取材ね。まさか魔法だったりしてな」
「はい、当たりです」
「先生、スゴいですっ」
付属二年の
葛木の姓と姫がつく名前に最初は驚いた。今のところ俺の知っている葛木との関係は不明。まあ仮に渡り巫女の末裔葛木の分家だとしても、もう鬼は居ないから大丈夫だろう。
「みんな行くよー」
「ほら、喋ってないで早く来なさい」
先に正門を潜っていた
5人の女子に囲まれ、積極的なスキンシップを受ける
朝倉の家へと続く桜並木に設置されているベンチで見知った顔を二つ見つけた。
「
「
「やっほー、
「何してるんだ、こんなところで?」
「ただの散歩だよ」
「おいおい、風邪引くぞ」
「や、大丈夫ですって。少しは動いた方がいいって
水越病院の敏腕看護師が言うのなら大丈夫だろう。
「さくらも散歩か?」
「ううん、今からちょっと用事があるんだ。じゃあちょっと行ってくるねー。
「ああ、分かってる。もうじき暗くなる気をつけろよ」
「はーいっ」
俺が来た道をさくらは逆に辿って行った。現理事長から色々と相談事を受けているから、もしかすると風見学園に用事があるのかも知れない。
「座らないの?」
「帰らないのか?」
反対に聞き返す。
「もう少し空を見ていこうと思って。スゴく綺麗だから......」
空を分断するかのように、一機の飛行機が一筋の飛行機雲を描きながら夕焼け空へ消えて行く。
「やっぱり誰と見るかが重要なんだね。さっきよりもずっと綺麗に感じるよ」
「......そうだな。何か温かい飲み物買ってくる」
「大丈夫だよ、夕日が沈んだら帰るから」そう言うと
少しづつ太陽は沈み、オレンジ色だった空が徐々にスミレ色に姿を変え、東の空には白く瞬く星が見え始めた。
「そろそろ帰るぞ。
「うん、ありがと」
先にベンチを立ち、
「あっ!
「これは......」
冬枯れの木だった桜並木の桜たちが一斉に芽吹き、小さな花を咲かせ始めた。
突然の出来事に上手く事態が把握出来ずに呆然としていると、視界はあっという間に薄紅色に包まれた。
「桜が咲いた?」
「だな」
枯れない桜が枯れて、初音島の桜が普通の桜に戻って、もう十年以上。今まで冬に咲くことはなかった桜――。
またねっ、か。お前はこうなることを知っていたのか......?
「夢でも観てるのかな......? あ、動いたっ」
「マジか?」
「この子も、何か感じてるのかな?」
「そうかもな」
まるで奇跡のような憧憬。
いにしえの方術使いと魔法使いの血を引いているんだ、何かを感じ取っていても不思議じゃない。
「......決めましたっ」
「何だよ? 突然」
「この子の名前ですっ」
性別が女と分かってから幾つも候補を上げても、これと言った名前とは巡り会えず。出産予定間際となっても未だ決められないでいた。
満開の桜葉にそっと触れて、
「
――なあ、サクラ。
お前はもう一度、この初音島に奇跡を、夢を見せてくれるのか。
また枯れない桜の物語を紡いでいくのか......?
桜は、俺の質問に答えるかの様に。
桜並木の木々の枝に咲く、薄紅色の小さな花たちは、北風に吹かれて枝同士が触れ合い、ざわめき合い。無数の花びらたちを空へと巻き上げ、足下へ降り積もっていく様子は、まるで雪のようだった。
「そう言えば、
「うん。明後日のお昼に空港に到着するから、夕方のフェリーで初音島に着く予定だって」
「明後日? また、ずいぶんと早いな。予定日まで5日もあるじゃないか」
「私も、気が早すぎるって言ったんだけどね」と、
「お父さんなんて、10日間も有給取って帰って来るんだよ。『絶対に一番に抱くんだ!』って息巻いてるみたい」
「スゲー根性だな」
「プレッシャーがハンパないよ......」
予定日に必ず産まれるとは限らないからな。そもそも初産の
因みに
「それに、この子を最初に抱くのは
空いている方の手でさすりながら、お腹の子に話しかけた。
「一番はお前だろ。もっと言えば助産師だな」
「や、それはそうだけど......」
「俺は別に何番でもいい。お前と子どもが無事ならそれだけでいい」
「はぁ......、ズルいな~」
「あん?」
「なんでもないですっ。さあ早く帰りましょ、お腹空いちゃったっ」
突然上機嫌になった
今まで、いろいろなことがあった。
正直楽しいことより、辛いことや、苦しいことが多かった人生だ。
きっと、この先も、いろいろなことが起こるだろう。
それでも、いつの日か
俺の
この手に感じる
これから産まれてくる新しい命を守りながら、一歩一歩ゆっくり歩いて、大切に生きていこう。
D.C.2.K.S 流離いの人形使い ~after story~
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
原作とは、時系列や設定に差異が多々ありますが多目に見てやっていただけると幸いです。
少しだけafterstoryの設定を公開します。
○
『AIR~summer編~』の登場人物から。
○山寺について。
○38話アフターストーリー7話の裏設定。
冒頭で
他にも内部で細かい設定が幾つかありますが、全部書くと長くなりますので、この辺で――。
プロローグからアフターストーリー完結まで全40話。
最後までお付き合いくださりありがとうございました!