穏やかな春が過ぎ、長雨が続くじめじめした梅雨の季節の六月末日。俺はいつも通り風見学園の保健室で机に向かい、備品や薬品の在庫を確認しながら発注書をチェックしているのだが......。
「もうすぐ七夕だね」
「ああ~、そう言えばそうね」
「一年に一度だけ愛する人との再会出来る日なんて、ロマンチックだよねー」
背中から聞こえてくる女子の話し声。ふた月ほど前新年度四月の終わり頃から、昼休みになると付属の新入生の女子二人が頻繁に保健室へ来るようになった。ペンを置いて、足で床を軽く蹴り椅子を彼女たちへ回転させて二人に顔を向ける。
「お前らなぁ、昼飯食い終わったなら教室に戻れよ」
「いいじゃないですかー。ここでしかゆっくり出来ないんですもん」
「あはは、
「それはあなたもでしょ、シャルル」
そして、
初めてコイツを見た時驚愕したことをよく覚えている。青く済んだ大きな目、整った顔立ち、背中まで伸びるブロンドヘアーを大小二つのリボンで結った姿は、俺がよく知る人物、サクラの容姿と瓜二つだったからだ。だが、
「仕方ないな、予鈴が鳴るまでだぞ」
「はーいっ」
二人揃っての元気な返事が返ってきた。机に向き直して、ノートパソコンを立ち上げる。配布物を作るためキーボードを叩いて文章を打っていると、シャルルが覗き込んで来た。
「今は、何を作ってるんですか?」
「プリント、夏場恒例の食中毒に気をつけろってヤツ」
「へぇー、保健の先生ってこういうのも作るんですね」
「まーな」
と、言ったものの。ほとんどが前任の
「それと前から気になってたんですけど、このお人形は?」
「それ、わたしも気になってたわ。先生のキャラと合ってないし」
「平安時代のお姫様って感じだよね」
「コイツか」
「わぁっ、立った!」
机に座らせてある人形に意識を送り、舞いを踊らせる。
シャルルが人形を見て言った平安時代のお姫様――。俺の人形はシンプルな物だったが今年の春、
きっかけは、
長い髪に小さな鈴付きの髪飾り。衣装は巫女装束の上に桃色の着物と豪華な作りで背中の翼も体ほど大きく真っ白な物に取り替えられていた。さすがにやり過ぎだろうと元に戻そうとしたが、
「えいっ! あ、あれ?」
ひとりでに動く人形の頭に手をかざした
「不思議。仕掛けはないみたい。どうやって動いてたんだろう?」
「フッ......、それはな――」
「魔法よ!」
教えてやろうと思ったところで、
「やっぱり、魔法はあったんだわ! 前世の記憶も本物なのよ!」
「おーい、りっかー、帰ってこーい」
可哀想な物を見るような目で
「運命の恋人ねー」
「なによ~」
「別にぃ~、あたしにはタカくんが居るしっ」
「タカくんって、その子弟なんでしょ?」
「愛し合う二人には些細なことなんですー」
姉弟の禁断の関係かと思いきや、実際はシャルルの従姉弟らしい。お互いの恋愛観を言い合っていた二人が突如、示し会わせたように同時に俺を見る。何か嫌な予感がした直後、昼休みの終わりをチャイムが鳴り響いた。
「ほら、予鈴鳴ったぞ」
「ええ~っ、先生の恋ばな聞きたかったのに~っ」
「ざんね~ん、追求はまた今度だね。行こう
「はいはーい。じゃあ、
シャルルと
それにしても『恋ばな』ね。最近の子どもはませてるな。そんなことを思いながらプリントの作成に戻った。
* * *
七月七日、七夕の夜。
芳乃家では、七夕パーティが開かれていた。ななかや
「日本酒は、飲めるかい?」
「何でもいけるぞ」
「ははは、それはよかった」
リビングで酒が注がれたグラスを合わせる。ぶつかり合ったグラスがガラス特有の小気味良い音を奏でた。ひとくち口へ運ぶと、今までに呑んだことのない味と香りが口の中一杯に広がって抜けていく。
「......うまい。これ高いんじゃないか?」
「ふふっ、とっておきの一本さ」
「いいのかよ?」
「お、おい......!」
「改めてと礼を言わせて欲しい、
「止めろよ、
俺だって、
まあ、そんなことを説いても納得しそうにない。だから俺は、まだ半分ほど残っている
「じゃあ、酒に付き合ってくれ。身近に飲めるヤツがいないんだ」
実際酒の付き合いがあるのは、
「
「飲まないなら、俺が全部飲んじまうぞ? このとっておきを」
瓶を持ち上げる。
「ふぅ......。よし、今日は朝まで飲もう」
「おいおい、
「知らん! さあ
グラスが空になる度酒を酌み交わし。小一時間ほどが経った午後9時過ぎ廊下にある電話が鳴った。「ちょっと出てくる」と
「どうした?」
戻ってきた
「......
電話の相手は、
「ただの流行病らしいが、俺たちも歳だからな」
もの悲しそうな表情、哀愁さえ感じる。
「なあ、
「しかし、な......」
顔を上げた先には朝倉家の家族写真が幾つも飾られていた。その内の一つ、
「大丈夫だ、あいつは......
自虐的に笑って見せる。
「何してるんだ?」
「いや、アメリカ行きの航空券に空きがないかと思ってね」
「そっか......」
翌朝、
「お兄ちゃん......」
「そんな
「......うんっ、ボクに任せて! ね、はりまおっ?」
「あんあん!」
さくらと話をしている間に出航の時間が迫ってきた。スーツケースを転がしてタラップへ歩いていた足が止まって、俺を呼んだ。
「すまない、スーツケースを持ち上げるのを手伝ってくれるかい?」
「ああ、いいぞ」
隣へ行ってスーツケースをフェリーに乗せる。降りようとした時、
「ひいおじいちゃん、いつかえってくるの?」
「お正月にみんなで帰って来るって。だから良い子にしてようね、
「うんー」
海を行くフェリーが見えなくなったところで、
「行っちゃいましたね」
「そうだな。さあ帰るぞ、朝飯食ったら今日も学校だ」
「あっ、待ってくださいよっ」
さくらたちにも声を掛けて家路を歩く。
「おじいちゃんと、なにを話していたんですか?」
「ああー、正月に帰ってきたら雪見酒で一杯やろうってな」
「はぁ~......、まったくっ」
――飲み過ぎて血圧上がっても知らないんだから! とブツブツ小言を言う
俺は本当の話を教えなかった。この時は何となく話さない方がいいんじゃないかって思ったんだ。
* * *
八月中旬。俺はまた、港に居た。
今回は、
「
「うん。私、用事があるから」
「俺も休み中にしておきたいことがある。お前たちで楽しんでこい」
「そう」
「
「ママーっ」
「はーいっ」
先にデッキに上がった
「
「ちょっとな。お前こそどうなんだよ?」
「や、別に無いですよ」
「は?」
「まあ、強いて言うなら
「そ、そんなことないぞ......?」
――.行動パターンが読まれてる。顔を背けて変に疑問系で返した俺に、
「ハァ、図星ですね。ほら、夕食の買い物していきますよ!」
「あ、おい、ちょっと待て......!」
強引に腕を引っ張られ連行されてしまった。結局、商店街でショップを見て回り(振り回された)昼は外食で済ませ、スーパーで夜飯の食材を買って家へ帰った。
「ごちそうさまでした......」
「おそまつさまです。じゃあ私は食器を片付けてきます」
「悪いな」
俺は居間を出て部屋に戻る。真夏と云うことでまだ外は明るい。でも調べものをするには少々心もとない、部屋の明かりをつけて棚から目当ての地図を取りだし。組み立てた簡易テーブルの上に広げる。
「あれから、七年か......」
七年前、初音島に帰ってきた年の夏。
「ここからだと、フェリーで本島まで行って......」
「
「ん? どうした」
軽いノックあと、返事も聞かずに
「スマホ、テーブルに置きっぱなしでしたよ。はい」
「サンキュー、ちょうど使いたいところだったんだ」
受け取ったスマホで時刻表を調べる。朝一で出れば昼過ぎには着けるか。メモに、船・電車・バスの時刻を書き込んでいると視線を感じた。顔を上げる。
俺と向かい合う形で座っている
「どこか行くんですか?」
「ああ、ちょっとな」
「ふーん」
「別に遊びに行くわけじゃないぞ」
「や、別に私には関係ないですからっ」
そう言ったわりには、思いきり不機嫌そうにぷいっと顔を背けた。ま、長い盆休みをひとりで過ごせってのも酷か。それにあの時の借りを返す機会でもある。
「お前も、一緒に行くか?」
「――えっ?」
「予め言っておくが、本当に楽しい
翌朝、家の戸締まりをしっかりと確認してから敷地を出る。隣の家の玄関で待っていた
「
「そんなに慌てなくても、まだ十分間に合う」
朝一の便に乗るため朝飯はコンビニで調達して、港へ向かう。フェリーの中で朝飯を済ませ、俺たちは本島へ降り立った。
家を出た時はまだ低い位置にあった太陽も高く登り、焼くような陽射しを地上へ降り注ぎ、アスファルトに反射した熱で陽炎が揺れている。
――もう夏だな......。
「
「ああ、大丈夫だ。さあ、行くぞ」
ぽんっと、
そして、俺たちは歩き出した。