芳乃宅へ帰ってきた俺は、暗い部屋の布団の中で、うっすらと見える天井の木目を眺めながら、
『私のお母さんは、私が小さな子どもの頃に亡くなりました』
朝倉姉妹の母親の名前は――
そんな
そうまるで、今の
病院で検査を受け出された診断結果はよく聞く名の流行り病。しかし、処方された薬を飲んでも体調は回復せずそれどころか彼女の身体は徐々に蝕まれ衰弱していった。
そして、ある春の日、帰らぬ人となった。
「俺に、どうしろってんだよ......?」
思わず弱音が漏れた。
――だけど......、俺に何が出来るんだろうか?
布団から出て、洗面所で顔を流す。刺すように冷たい水で一気に目が覚めた。
十年以上前と比べたら医学は格段に進歩している。今なら別の要因がわかるかもしれないな。よし、明日話してみるか。
ただ、一つだけ気がかりなことがある。さくらの態度だ。......まあ、明日になればわかるだろう。
そう思いながら、俺は目を閉じた。
* * *
深々と、桜が舞っていた。
冬にも関わらず舞う桜に違和感を感じつつ目を落とすと、地面を薄紅色に染めるほどの無数の花びらが降り積もり足元を覆っていた。
顔を上げる。目の前には、桜の大木が満開の花を咲かせていた。
――......いるのか? と俺は桜に問い掛けた。
すると、一瞬桜はざわついて静寂が訪れる、そして。
「やっほ、
背中越しから沈黙を破る軽い感じの挨拶。振り返る。
透き通るような白い肌に青く大きな瞳。腰まで伸びる綺麗なブロンドの長い髪の毛を大小二種類の黒いリボンで結って。まるで、おとぎ話の魔女を連想させる黒いマントを羽織った少女が、初めて出会った時と変わらない同じ姿で微笑んでいた。
「お前なぁ......。いつも唐突過ぎるんだよ」
「なによー、キミが呼んだんじゃない」
口を尖らせながら軽く頬を膨らませる。でもそれはすぐに戻って、懐かしそうに目を細めた。
「久しぶりね、
「ああ、そうだな、サクラ」
俺たちは短く再会の挨拶を交わして。さっそく本題に入った。
「キミがわたしに訊きたいことは
「ああ、話が早くて助かる。
「............」
黙ったまま、どこか険しい
「サクラ?」
「
「呪い? なんだよ、それ......」
「正直なところわたしが知ってるのは
「お役目?」
「そ。ずーっと昔からあるみたいだけど詳しいことは分からないわ」
「そうか......」
『呪い』に『お役目』か、これだけじゃ全体像が見えて来ないけど。サクラの話を聞く限り、医学でどうにかなる問題じゃなさそうだな。
「それにしてもお前にも分からないことがあるんだな」
「わたしだって、そんな昔から生きてるワケじゃないのよ。枯れて力を失ってた時期もあったんだから」
「それだよ。お前今、枯れてるよな?」
桜公園の枯れない桜は枯れて、ただの冬枯れの大木になっているハズだ。サクラは桜の前に移動して振り返る。
「それは、ここがキミの夢の中だから。あ、そろそろ時間ね」
サクラの姿がだんだんと透けていく。
「あ、おい! 結局、どうすればいいんだ!?」
「キミに任せるわ。
最後に一言言い残したサクラは光り輝き。俺の視界は白に包まれた。
「サクラッ!」
「わぁっ!」
小さな悲鳴と共に
ひとりと一匹を先に行かせ、布団をたたみ、顔を洗ってから居間へ向かう。こたつテーブルの上には、まるでパーティーのような色とりどりの豪華な料理が並んでいた。
「あ、おはよー。
「ああ、おはよ。すげぇー豪華な昼飯だな」
「昨日のお礼をしようと思って。えへへ~、ちょっとはりきりすぎっちゃった」
エプロン姿で取り皿を並べている
「なあ、
「ん? なにかな」
「......いや。箸取ってくれるか?」
「まだ全部出来てないよ? みんなも来てないし」
「朝飯食ってないんだよ」
「もう~、お休みだからってちゃんと起きないとダメなんだからね」
生活の乱れは心の乱れ......みたいなことを、人差し指をピンッと立てて説教を始めた。それでも箸を渡してくれるからありがたい。
――呪いか......。
本当に
* * *
「ここが
「うん、そうみたいだね」
12月下旬。俺とさくらは初音島を出て朝倉姉妹の母、
まるで寺の入り口にありそうな山門を潜ると純日本家屋の屋敷へと続く姿を石畳の通路が姿を現した。
「デカイな......」
「さすが古来から続く魔法使いの名家だね~」
なぜ俺たちが朝倉姉妹の母親の実家に来ているのかと言うと、
玄関横の呼び鈴を鳴らす。一呼吸おいて着物を着た家政婦が応対してくれた。彼女の後に続いて縁側歩く。広い中庭は隅々まで手入れが行き届き、池には鯉が泳いでいた。
「こちらです。お客様がおいでくださいました」
家政婦は、膝を下ろし障子戸の声をかける「ありがとう。通してくれ」と中から年老いた男の返事。障子戸を開いた家政婦は頭を下げ、俺たちに入るよう促した。
「お邪魔します」
「邪魔する」
「いらっしゃい。遠路はるばるよくお越しくださいました」
俺たちが客間へ入ると、
「
「にゃはは、全然迷惑なんかじゃないよー」
さくらに深々と頭を下げた爺さんは――姉妹の母親
「なにかあったのか?」
「うん、ちょっとねぇー。
「ああ、そうだったな」
俺は
「この娘が
「うん。
「......そうですか」
爺さんはアルバムを閉じると噛み締めるようにしばらくの間、目を閉じていた。
「それで私に訊きたいこととは
「ああ、そうだ。教えてくれ」
* * *
葛木の生家を後にした俺とさくらは、最寄りの駅のベンチに座って電車が到着するのを待っている。
「結局、解決策は見つからなかったな」
「うん、そうだね......。ボクが考えていた以上に強固で根深い問題だよ」
爺さんから聞いた『
葛木家は古来から日本各地に存在する自然的力の暴走を監視する、監視者の家柄だった。
元々は、ひとつの土地に留まらない旅の巫女で問題の起こった地域で不思議な力を使い問題を収めてきた。
ある日、強大な力を持つ邪悪な『鬼』が村を襲い封印した。その鬼が復活しないようにその地に留まったのが、今の葛木の生家。
そして、その鬼を封じ込めた先が巫女の身体だった。
その後、鬼は、代々『お役目』と呼ばれる葛城一族の正当後継者(女性)の身体を
鬼の力は憑依した宿主に強大な力を貸し与え、引き換えに徐々に身体を蝕んでいく。けど、それは宿主本人の魔力でのみ抑え込むことが出来るらしいのだが――。
「......おとぎ話もいいところだな。だけど、マジなんだろ......?」
「......うん。ボクたち魔法使いの魔力の源は思いの力。魔法は愛情が芽生えると少しずつ魔力が弱まっていくんだ」
巫女と言っても一歩役目を離れれば普通の人だ、当然恋もする。好きな人が出来て、結婚して、子どもを授かれば自身の命と引き換えになると知りながらも自然と愛情を注いでしまう。
その結果400年以上も途切れることなくお役目は引き継がれ、災いをもたらす邪悪な鬼とやらは解き放たれることなく封じられたままでいた、皮肉な話だ。
「なにか方法ないのか?」
さくらは首を横に振った。まあ、あればすぐにでもやってるよな。解決策がないから
――それじゃあまるで、
「え?」
「いや、なんでもない......」
無意識に声に出してしまったらしい。
俺はいつの間にか
アイツも自分の宿命を受け入れ最期の時まで強く生きた。俺に出来たことは、ただ最期まで見届けることだけだった。
「さくら。お前は先に帰ってろ」
「
俺は
* * *
インターフォンを押すと反応はすぐあった。アパートの一室の玄関が開いて、
「どちらさま......って、
「よう。
年末。一週間ぶりに初音島へ帰ってきた俺は世話になっている芳乃家には戻らず、
「
「ああ、あとで話す。それより『
「......そっか、知ってるんだね。全部......」
「今のまま鬼を身体に宿し続ければそう遠くない未来に、お前は死ぬんだろ?」
「――
今まで口に出そうとしなかった『死』と言う言葉を聞き、血相を変えて間に入ろうとした
「後悔はないのか?」
「......後悔はないよ。覚悟もしてる、自分たちで選んだ未来だから......」
ずれたタオルケットをかけ直し、気持ち良さそうに眠る
「結婚、妊娠、出産、
「
「弟くん......」
「感傷に浸っているところ悪いが、俺はお前を死なせるつもりはないぞ」
「え?」
「......
「これを見ろ」
蛇に睨まれた蛙のように固まった二人を尻目に俺は、見るからに脆く古ぼけた二冊の古文書をテーブルに置いた。
「......よ、読めない。
「どれ? えーっと、つばさ、ひと......」
「
「
「
俺は頷いて答え、付箋をしておいたページを開いて読み上げる。
「このページのこの行にはこう書いてある。『現世で生きる最期の
「身体を蝕む?
もう一つの方は関係ないから飛ばし、もう一冊の古文書を開いて置いた。
「ここからが重要だ。いいか良く聞け」
「『
本を閉じて、
「
「そうだよ、
もう一度愛娘の
「......私に出来るのかな?」
「ああ、絶対に出来るさ。だってお前は『正義の魔法使い』なんだろ?」
「......うん、うんっ。私、がんばってみるよっ」
* * *
「弟くん、おじいちゃん、
フェリー乗り場で二人に頭を下げた
「さくらさん、
「ボクたちに任せてー」
「わかってる。もし新学期までに俺が帰って来なかったら」
「はい、保健室は任せてください。私、保健委員でしたし」
「ああ、頼むな」
いつかと同じように頭に手を置く。
「ちょっと髪乱れるじゃないですかっ」
「にゃははっ。
手を退けると
「さくら、
一足先にタラップまで行っている
「だってよ。ほら、行くぞ」
「ええ~っ、まだ撫でてもらってないよ~」
さくらをスルーして
乗客が全員乗船するとフェリーは汽笛を鳴らして、定刻通り港から少しずつ離れて行く。
「ママ~っ、いってらっしゃーい」
「行ってきまーす!」
「私も
客室に戻ってきた
「俺なんてまだまだだぞ。俺の母親は楽器を弾きながら、三体以上の人形と幾つもの小道具を同時に動かして人形劇をしてたからな」
「それはスゴいねっ」
「ところで
「ああ、そうだな......」
リュックから地図を取り出す。
「初音島はここだろ」
「うん」
「本島の港からバスに乗って、今度は電車でまたバス。で最後に山道を5キロくらい歩く。そうだな、夕方前に着ければ御の字だな」
「結構かかるんだね。
「はい、大丈夫ですよ。それに私、実はわくわくしてるんです。風見学園を卒業して魔法学校に留学する時みたいで......」
そう言うと
「好奇心や探求心だね」
「はいっ」
「どうでもいいけど、休める時に休んでおけよ。先は長いんだからな」
持ってきたタオルを枕に俺は横になった。
正直、これで
――大丈夫だ、必ず上手くいく。
そう自分に言い聞かせて、俺は目を閉じた。