うだるような暑さの夏も過ぎ去り、肌寒さを感じるようになった秋の中頃。俺は毛布に包まれ、至福の時を過していた。
今日は休日だ、昼までゆっくり寝ていよう。
昨夜からそう思っていたが、外から聞こえてくる賑やかな声で目が覚めてしまった。掛け布団を羽織り直して寝返りを打つとほぼ同時に腹の虫が鳴いた。
「......起きるか」
睡眠欲も食欲には勝てなかった。
いつもと同じように布団を出て、顔を洗い、居間へ入る。居間には誰も居なかった。いつもは誰かしら居るが珍しいこともあるんだなと、そう思いながらテーブルに用意されているラップされた朝食をいただく。
――この味付けは......
初音島へ戻ってくる前は、殺人級の料理だったが。今では、
「あ、
「さくらか、どうしたんだ?」
普段外出する時は洋服が多いさくらだが、今日は珍しく着物を着ていた。
「今から、みんなで神社に行くんだよ。今日は
* * *
今俺は、
俺も二度ほど会ったことがある、確か――。
「じぃ~......」
「なんだよ?」
気がつくと、
「どうして白衣を着てるんですか?」
「私服は洗濯機。スーツはクリーニング中なんだ」
「はぁ~......、こまめに洗濯しないから」
「今日は、ゆっくりと英気を養う予定だったんだよ......」
「モノは言いようですね。結局、ぐうたらするつもりだったんでしょ?」
「お、そこにコンビニがあるじゃないか、食後のコーヒーでも買って行くか」
都合良くコンビニを見つけた俺は、
「久しぶりに入ったけど、最近のコンビニはなかなか侮れないな」
「ああ、惣菜なんかも本格的だぞ」
弁当も惣菜も種類豊富で学食に飽きた時なんかに利用するありがたい存在だ。何より登校前に寄れるのがいい、時間的に開店してるスーパーもないから便利だ。
「コンビニのお弁当ばかりじゃあ栄養偏りますよ?」
「仕方ないだろ? 自分で作る暇なんてないんだ」
俺は常にあと十分、あと五分と布団の中で時計と格闘している。仮に、極稀にすんなり起きたとしても自分で作る気は起きない。そもそも弁当箱もないからな。
「それなら
「ええ~、かったるーい。それにお弁当箱なくされそうだしぃ~」
「あ、おばあちゃーんっ」
島の北側、俺が初めて初音島に降り立った港。その船着き場に接岸したフェリーから、女性が手を振りながらゆっくりとタラップを降りて、初音島へ上陸した。
「お帰りなさい」
「ただいま、
「ああ、しばらく」
朝倉姉妹の祖母、そして
俺が彼女と会ったのは、
しかし、相変わらず品の良い婆さんだ。
「ただいま、兄さん」
「ああ......お帰り、
微笑みながら、いとおしそうに
* * *
「そう。
「うん、なんか祈祷とか色々することがあるんだって」
「そう言えば
三人が懐かしそうに家族の思い出話をしている一歩後ろを、俺は着いて歩く。これが家族と云うモノなのだろか、会話は途切れることなく続く。その話の最中、突然
「大丈夫? 重くないかな?」
「ん? ああ、大丈夫だ。気にするな」
右手に持つ紙袋と肩にかけている
「それより前を見てないと転けるぞ」
「そうだね、ありがとう」
注意をうながすと
「なんだ?」
「や、持つの手伝おうと思いまして。そっちの紙袋貸してください」
返事を待たずに右手に持つ紙袋を奪い取った
家族との日常を知らない、俺のために――。
神社で写真撮影をした後、俺と
「これで全部か?」
「はい、カレーの方は全部揃いました。あとは付け合わせの......」
「トンカツだな」
「......福神漬け」
付け合わせの福神漬けを探しに漬け物コーナーへ行く。ぬか漬け、浅漬け、梅干し、らっきょうと豊富な漬け物が並ぶ中、目当ての福神漬けを見つけた。
「あ、あった。普通の赤い福神漬け以外にもカレー用があるみたいですね、どっちにしますか?」
「もちろん赤だろ」
初音島を離れてから、兵庫県の野球場近くで食べたカレーに添えられた真っ赤な福神漬けを今でもよく覚えている。俺の中では、あれこそがザ・カレーだ。
「どうしたんですか?」
振り向いた
「ちょっと寄っていく。先に帰ってくれていいぞ」
「わかりました。じゃあ荷物持ちますよ」
「ああ、悪いな」
突然白衣の男がひとりで入店したせいか、注目を浴びてしまった。だが、こんなことで俺は動じない。普段から白衣で行動することが多いからもう慣れたもんだ。
ショーケースに色とりどりの洋菓子の中から、適当に見繕ってもらい、家へ帰る。
「あっ! く、
「
朝倉家の門前に出ていた
「なんだよ? おい......」
「いいから早く来て! お姉ちゃんがっ!」
「
ただならぬ様子の
「こっちです!」
とにかく二階へ上がり、家を出るまで使っていた
「
「あ、ああ......」
「何があったんだ?」
「急に気分が悪くなったみたいなの。熱はないから風邪じゃないみたいだけど。
「......あんたの方が経験豊富だろ?」
「原因がはっきりしない時は、複数人で診断するのが医療の基本でしょ」
「......わかった」
医療関係の仕事で世界中を飛び回っているんだから、いち養護教諭の俺なんかとは経験値が段違いだ。そんな
「
「あはは、みんな心配しすぎだよ~。ちょっと立ち眩みしただけなのに。ねぇー
そう言って
起き上がってベットを降りた
「
「うん、平気だよ、げんきげんき~。それより夕御飯のお買い物は?」
「あっ! 玄関に置きっぱなしで冷蔵庫に入れるの忘れてた......」
「もぅ弟くんってば、ちゃんと入れないと今の季節食中毒とか怖いんだからねっ?」
「今すぐ行ってくる!」
部屋を出ていった
最後まで部屋に残ったのは俺と
「どう
「まず妊娠はないな、隠す理由がない」
そんなめでたいことなら真っ先に
「たぶん、出産後の体質の変化とかじゃないか。よくあるんだよな?」
「ええ、個人差はあるけどね。
「私は、ずっとそばには居てあげられないから。
遥か年下の俺に丁寧に頭を下げる
* * *
「
「ゆきとさん、おかえりなさーいっ」
「あんあん!」
「
七五三の祝いから二ヶ月が経った十二月の中頃、風見学園から帰ってきたら居間のコタツでさくらと、さくらの膝の上に乗っかった
「どうして
「ちょっとね......。
「うんー」
膝から降りた
「
「そうか。なあ、一度医者に診てもらった方がいいんじゃないか? 今年に入ってもう三度目だぞ」
「それは
いつも
「さくらさん、ご迷惑かけてごめんなさい」
「にゃはは。全然、迷惑なんかじゃないよー。気をつけて帰ってね。
「はいはい、わかってますって。それじゃ、お休みなさい」
「うん、おやすみ~。
「ばいばーいっ」
帰宅した
「じゃあ私も帰ります」
少し遅れて玄関から出てきた
「うん。
「いえ、お粗末様です」
「
「は? 歩いて十歩だぞ」
「や、別に送ってもらわなくていいですよ。すぐそこですし」
「ダメダメ。女の子が、一人で夜道を歩くのは、とっても危険なんだからね! ほら、
さくらは、俺の背中をぐいっと勢いよく押し出すと、家の中に入ってしまった。直後――カチャッ! と金属音が鳴った。
「カギ掛けやがった!?」
『ちゃんと開けてあげるよ。
――意味不明だ。閉ざされた扉を見たまま俺は立ち尽くしてしまう。
「はぁ......、行きましょう。帰ればで済むんですから急いでください。それに、ちょうど話しておきたいこともありましたし......」
「は?」
「いいから早く来てください。寒いですっ」
くるっと背中を向けて歩き出した
「どうぞ」
「ああ、邪魔する」
――リビングで待っていてくださいと、
「お待たせしました」
リビングに入ってきた
「私とお姉ちゃんのアルバムです」
「ふーん、で?」
「......もう少し興味持てないんですか? はぁ~、まあいいです」
「お母さんです」
「だろうな。お前らに似てる」
それにしても、この部屋の雰囲気には見覚えがある。数年前の研修で幾度となく出入りをした部屋だ。
「病室、だよな?」
「......はい。お母さんは、水越病院に入院していました。ここから先はあまり思い出したくないんですけど......」
言い難そうに躊躇しながらも
新しい出会いと、辛い別れを経験した、小さな子どもの頃の話を――。