その他にも『D.C.Ⅲ』の葛木姫乃ルートのネタバレが多く含まれますのでご注意・ご了承ください。
新生活 ~transition~
春眠暁を覚えず――。
春の夜は短く、過ごしやすい気候に、ついつい寝過ごしてしまうこと言う。
そんな言葉があることを知ったのは、6年前の初夏のこと。そして今、俺は畳の上に敷かれた布団の上で文字通り絶賛春眠暁を覚えず状態だ。
心地よい春の陽気、小鳥のさえずり、い草の薫りに微かに紛れる桜の匂い。いつまで目を閉じて感じていたい。そんな思いとは裏腹に、目覚めの時はいつも唐突に訪れるモノだ。
「ぐはっ......!?」
気持ちよく寝ていたところで腹部に衝撃が走る。思わず声が出た。目を開けて腹部を圧迫しているモノの正体を確かめる。そこには、かつてのゆずを思わせるショートカットの小さな子ども(女)が、俺の腹の上で座っていた。
「おきた?」
「見ればわかるだろ......」
「んぅー?」
少女は小さく首をかしげ、頭にハテナマークを浮かべている。俺は諦めて小さくタメ息を漏らし、すっかり目覚めてしまった身体を起こす。
「おはよー」
俺の腹から降り、隣に座り直して、やや舌足らずな挨拶をしてきた。
「ああ、おはよ。俺は顔洗ってから行くから、先にママのところへ行ってな」
挨拶を返しながら軽く頭撫でてやると「うんっ」と、笑顔でうなづいて部屋を出ていった。
「さてと......」
軽くのびをして布団を畳む。着替えを済ませて、洗面所で顔を洗い、居間に入る。居間にはこたつに入ってお茶をすするさくらと、こたつテーブルの上では五人分の朝食の準備が進んでいた。
「お姉ちゃん、お醤油取って」
「はい、お醤油。
「はーいっ」
キッチンからは
「おはよー、
「おはよ。
「
「ふーん、そらご苦労なこったな」
まあ
俺は、さくらの正面いつものポジションに座って、こたつに足を突っ込む。もう春とはいえ、こたつの温さは目を閉じると、すぐに夢の世界へと連れていこうとする魔性のアイテムだ。
「どう
「うん、おいしい~」
「うんっ、可愛いねーっ」
俺の隣で満面の笑顔の
「おい、暑苦しいぞ」
しかも、返事が噛み合っていないし。
「......なんですか? 嫌なら私と場所を変わってくださいっ」
抗議した俺に
「ゆきとさん、おにんぎょうみせてー」
「ボクも見たいなー」
朝飯を食べ終えたところで、二人の子ども(さくらと
「......仕方ないな、ちょっとだけだぞ」
「やったねー、
「うんー!」
いつもの定位置、尻のポケットにある
「にゃははっ、すごいすごーい! ね、
「うん、とってもかわいい~」
相棒と適当な小物を組み合わせた劇を見せていると、洗い物を終えた
「初めて見せてくれた頃よりも、ずいぶん劇の雰囲気変わったね」
「ほんと。最初は歩くだけだったもん」
「フッ......。何せ、この芸一本で長年旅をして来たからな!」
目を閉じると......。
「諦めが悪いってスゴいですね」
「......お前、それ褒めてるつもりか?」
「や、褒めてますよ。一応」
『一応』と付け加えるところが、
「いってきまーすっ」
「いってらっしゃい」
幼稚園の正門を元気よくくぐり抜け走っていく愛娘を
「さてと、俺も行くとするか」
「大丈夫? 送っていこうか?」
「俺は子どもか!」
――ふふっ。といたずらっぽく笑う
「あら、ずいぶん板についてきたわね」
「一人で一年もやっていれば、誰だって慣れるだろ。な?」
「あん!」
風見学園の保健室。朝、家に居なかったはりまおも、たまに姿を見せては人形劇や菓子をねだりに来る。
なぜ俺が風見学園の保健室に居るかと言うと、正式な養護教諭としてここで世話になっているからだ。
何故こうなるに到ったかは、さかのぼること今から、6年前の夏の話だ――。
* * *
「さて、どこへ行くかな......?」
数年ぶりに初音島に戻った俺は、以前と同じくさくらの家に厄介になっていた。違うことと言えば、あの頃よりも人形劇で金を稼ぐことができている。週末になると旅の終わりに身につけた新しい人形劇を毎週商店街で披露して、旅の資金を稼いだ。
「うーん......。やっぱり、先ずは――」
トントン、と軽く襖を叩く音。返事をすると滑らかに襖がスライドした。
「
「俺に客?」
――誰だ? 皆目見当もつかない。
「やっほ、
さくらの後ろから顔を覗かせたのは、以前世話になった
俺が使っている部屋は、元々、客間ということもあって押し入れにしまってある、折り畳みテーブルを部屋の中央に設置して、話を聞くことになった。
「どうぞ、粗茶ですけど」
「ありがと、
お茶と茶菓子を用意してくれた
「つまり......
「ええ、その通り」
「なんで、俺が......」
「初音島にもそれなりに人は居るけど、本島と比べるとやっぱり人材不足は否めないのよ。好き好んで離島へ来る保健医も少ないし、そこで、実務経験のある
「ボクは、大賛成だよー」
「じゃあ決まりですね。
「おい、ちょっと待て! 本人そっちのけで勝手に決めるなッ。そもそも俺は教員免許はおろか、まともな教育すら受けて来なかったただ旅人だぞ......! そんな人間に頼むか、普通」
ここまで言えば
「勉強なら、ボクが教えてあげるよー」
「私も教えられると思います。安心してください」
「教員免許、博士号を幾つも保有している
「はい、任せてくださいっ」
「にゃははっ。ボクは元学園長だよー」
いつの間にか事態は最悪の方向へ向かっていた。俺は必死で阻止にかかる。
「だから待てって!?」
「いいじゃないですか、別に悪い話じゃないと思いますよ。
「......あん?」
「もし人形劇が出来ないほどの病気になったら? 大ケガをしたら? 誰か頼れる身内の方は居ますか?」
「それは......」
痛いところを突かれた。父親は、物心ついた頃から居なかった。母親も俺に願いを託し、子どもの頃に人形に力を封じ込めて消えてしまった。
「............」
「黙る、と言うことは居ないんですね?」
俺に頼れる身寄りなんて――無いんだ。
翌日から、さくらと
保健教師は、正式には養護教諭と言うらしく、バイトの時と違い常勤となると免許が必要になるらしい。
そんな訳で、旅の計画は白紙撤廃無期限の延期となった。
更に勉強に集中するため、人形劇も週末の限られた短い時間のみ営業に......。
七月、八月と夏が過ぎ、九月に入ると、ロンドンの魔法学校を卒業した
そして、俺が高卒認定試験を受ける数ヵ月前――。
ここでひとつ注意しておかなければならないことが増えた。
その頃俺は、
そして、専門学校を卒業した翌年からは、非常勤養護教諭として風見学園に在籍し、
* * *
「あら、もうこんな時間。駐車場で
「ああ、じゃあな」
「おい、ウソだろ......!? はりまお、あとは頼む」
「あお? あんあんっ!」
俺は、はりまおに保健室を任せて飛び出した。
「
「あ、
正門付近でへたれこんでいる
「あ、ありがとう......」
「いや。それより、お前......」
「ちょっと立ちくらみしただけだから......大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
この時の俺は、まだ知らなかったんだ――。
気丈に振る舞う
アフターストーリー第一話ご拝読ありがとうございました!
※ヒロインは