深々と、桜が舞っていた。
見渡す限りに舞い散る桜の花びら。
それは一面を色づけるように、白で塗りつぶされた世界を彩るように、ただゆったりと舞い踊っ ている。
俺の目の前には、枯れてしまったハズの枯れない桜の大木が満開の花を咲かせていた。
すぐに理解した。あいつの夢の中へ来れたんだ、と。
桜に寄り添うように少女が膝を抱えて座っている。さっそく居るじゃないか。普通に声をかけてもつままらないな。気づかれないよう極力足音を殺して慎重に近づき、真後ろに移動して耳元で声をかけた。
「おい」
「うにゃっ!? い、イタイ......」
俺の声に驚いてビクっと身体を震わせた少女はバランスを崩し、桜の幹に後頭部をぶつけた。ゴツっと鈍い音が響く。これは予定外。とりあえず何事も無かったように、金色ショートヘアの少女に話しかける。
「よう、久しぶりだな」
「え? ゆ、
少女こと――さくらは、目を丸くして後頭部をさすっている。更に涙で瞳が潤んでいる非常に痛そうだった。
さくらの隣に腰を降ろして質問に答える。
「お前を迎えに来たんだ」
「ボクを......迎えに? でも、どうやって?」
「
俺の
「そうだったね。じゃあ
「いや、俺にそんな力はない」
「どういうこと?」と、さくらは首をかしげる。正直なところ、俺にだってよくわからない。
「たぶん、羽根が導いてくれたんだろな」
「羽根? それって、お兄ちゃんが言ってた枯れない桜を暴走させる原因になったっていう羽根のこと?」
「ああ」
さくらの部屋にあった桜の枝が羽根に変化した事を伝えると、さくらは――ん~......。と口元に人差し指を添えて考え込む仕草を見せ、そして何かを納得した様に頷いた。
「うんうん、そっか~」
「なんだよ?」
「うん。ボクが思うに、その羽根の落とし主が
俺と少女は、どこかで繋がっている。さくらはそう言ったが――。まあ、今はそれは置いておこう。まず優先させるべきことは、この夢の世界から連れ戻すこと。
立ち上がって、さくらに手を差し出す。
「さあ、帰るぞ」
さくらは、俺の手を取らずに黙ったまま少し困ったような表情をした。
「どうした?」
「ボクには、まだやらないといけないことがあるんだ」
「なにを?」
さっき取らなかった俺の手を掴んで立ち上がったさくらは、二度ほどスカートを叩き埃を落としてから桜を見上げる。
「夢......。ううん、希望を届けなきゃならないんだ」
俺に向き直して、にっこりと微笑んだ。
「ボクは、枯れない桜の中でボクの役目を知った。
「なんだよ、それ......。おい、さくら、お前!」
突如、さくらの身体が宙に浮き上がり光り輝き出した。
「いつになるかわからないけど、必ず帰ってきます――って。
次の瞬間――さくらは、俺の目の前から消え去ってしまった。けど、桜に取り込まれた時とは違い。さくらが笑顔だったのが、とても印象的だった。
「......これも最初から決まっていたことなのか?」
「ええ、そうよ」
背中から聞こえた声。今さら驚きはしない。俺は最初から、この声の主に訊いたんだから。振り向いて、そいつと向き合う。
「お前は、最初から全部知ってたんだな、サクラ」
「ご明察。そう、わたしは全てを観てきた。この枯れない桜にまつわる物語の全てを――ね」
「どうして黙ってたんだよ?」
申し訳なさそうな
「わたしにはね、
「俺が居る世界......?」
――何を言っているんだ? こいつは。
まるで俺が居ない世界が存在するかのような言い方だ。
「どういう意味だ?」
「言葉通りよ。世界はひとつじゃないわ。幾重にも広がり繰り返される世界。そう......まるでダ・カーポのように、ね」
風が吹いて、舞い落ちる花びらを更に踊らせ夢の世界を更に幻想的に彩る中で、俺はサクラの言葉の真意を理解出来ず、ただただ呆然と立ち尽くしてしまう。
何が面白いのかサクラは、混乱して固まっている俺を見て微笑む。馬鹿にされているみたいで癪にさわるが、まあ実際はそんな事はなく、俺に分かるように丁寧に説明してくれた。
この世界は、何度も同じ季節を繰り返している。だが、その全てが同じ時を刻む訳ではなく、微妙に差異が存在した。一番わかりやすい例は、くしくも
別世界の
そして、全ての世界で共通して起こる出来事がある。
それは――枯れない桜が枯れる、ということだ。
「
――
「なぁ、どうしてお前は、そんな事がわかるんだ?」
「ん? なに言ってるの?
不思議そうに首を傾げるサクラ。
俺が、最初に言ったこと......。サクラとの出会いを思い返す。
未来を言い当てるサクラの存在に疑問を感じた俺は、サクラは、未来のさくらじゃないかと思った。けど、それは違うと今は確信を持って言える。目の前に居る『サクラ』と消えてしまった『さくら』は明らかに別人だ。
それらと俺が、サクラに投げ掛けた言葉。それらを考えると、とても馬鹿げた結論に辿り着いてしまった。
「まさか......。お前――
躊躇しながら言った言葉にサクラは、ニコッと今日一番の笑顔を見せる。どうやら当たってしまったらしい。
「正解! そう、わたしは、桜。この枯れない桜そのものよ」
背に立つ桜を一度見上げてからサクラに目を戻す。......人畜無害にみえるけどな。目の前のサクラは、とても暴走して無差別に願いを叶え事故を引き起こすような
「なーに?」
「いや、案外軽い性格なんだなって」
「むっ......。これは
口を尖らせて詰めよって来た。さくらの姿でも良かったらしいが違う方が、俺が話しやすいと考えて今の姿にしたらしい。
サクラの姿のオリジナルは、さくらの祖母。つまり夢の婆さんの若い頃の姿と性格を模している。あの婆さんが、妙にサクラの容姿を絶賛していた理由が判明、要するに自画自賛。けど、道理でさくらにも婆さんとも似てる訳だ。
「さて、と。じゃあそろそろ行くわ」
「どこへ?」
「空。羽根を返しに行くのよ。空に居る女の子に、ね」
背に両手を回して隣に並んだサクラは、俺を見上げた。どこか清々しい
「そっか。俺は、お前の期待に答えられたのか?」
「ええ、十分過ぎるわ。
「......ああ、わかった」
俺が頷くと、サクラは一歩後ろに下がって距離を置いた。すると徐々に俺の身体が透けていく、おそらく夢から覚めるんだろう。
「そうだ。さくらと
「
「羽根って。そんなことしたら、また暴走すんじゃないのか?」
あの羽根は暴走の原因。
枯れない桜と結合し暴走の原因になったと、
「あの羽根は本来悪いものじゃないのよ。ただ、人の想いに敏感に反応してしまっただけ。暴走を押さえられなかったは、わたしの責任よ。けど、悪いことばかりじゃあなかったわ。わたしが意識を持って、
「そうなのか? なあ、お前は、また初音島の願いを叶えるのか?」
俺の問い掛けに、サクラは首を振る。
「ううん。今までみたいに願いを叶える力はもうないわ。まあ、さくらが帰ってくるまで
――じゃあ、またね! と、ウインクしながら言ったサクラの声を合図に世界が白に染まった。
次、気がついた時には、サクラと枯れない桜の姿はどこにも無く、代わりに瞳に涙を溜めた
そして、消えてしまった
* * *
「世話になった」
「こちらこそ助かったわ。今日までお疲れさま」
月末最後の登校日。俺の保健医助手としての仕事は、今日で終わりを迎える。
保健室を後にし、校舎を出て帰宅の途につく。芳乃家へと続く、枯れ木の並木道。この
最後の一週間は、さまざまなことがあった。
先ずは、
それを見る
あとは、ゆずだ。ゆずがケンカをした友達ってのは、ななかだった。
二人のケンカの
一時的に仲違いしてしまったが、今は仲直りをして、ゆずは手術を受ける決心を固めた。難しい手術という話しも聞いたが、水越病院でも随一の医師が執刀を行うことが決まった。桜も枯れたし、悪影響を受ける事はないだろう。
「あ、おかえりなさい」
「ただいま。買い物に行ってたのか? 重そうだな」
芳乃家の門前で、俺と反対側からペットボトルやら菓子やらが大量に入った買い物袋を持った
「なにいってるんですか。今夜は
「そうだっけ?」
そう言われれば、朝飯を食べている時に聞いたような気がしなくもない。まあ何にせよ美味い飯が食えるなら何でもいい。
玄関には多くの靴が並んでいた。とりあえず家に上がる。
すると、――待ってました! と言わんばかりに箸をマイクに見立てて、
「うおっほん! ええー。それでは我らが風見学園の保健医であられました
「前置きはいいから早くしなさい。せっかくの料理が冷えるわ」
「そうだぞ、
豪華な飯を食べ話をしながらしばらくすると、席の移動が始まり
「なんだよ」
「いやー、実に見事に復活したと思ってなっ。では、約束通り空に居る少女についての情報を伝えよう。まあ実際には少女ではなく、
「それでも構わない」
「うむ。では話そう。俺が得た情報によると、
「書物?」
腕を組んで頷く
「その書物の名は、
「
「わからん!」
「そうか、わからんのか......って、おい!」
「千年近く前の事だ、仕方なかろう。まあ、
悪びれる様子は微塵も見せない。期待させておいて、肝心なところはわからず終いか。けどまあ、核心とまではいかなかったが当面の目的は決まった。
今までは皆無だった空に居る少女の手がかりを掴めたのかもしれない。
「面白そうな話をしてるわね」
「
俺の右隣のエリカを挟んで、二つ隣に座っていた
「聞かせてもらていたわ。おかげで卒パ(卒業パーティー)の出し物が決まったわ」
「ちょっと
「問題を起こすことは我々生徒会が許しませんっ」
まゆきとエリカが
そのやり取りを
「何をするつもりなんだ?」
「知りたい?」
「別に......」
「ふふっ、無理しちゃって」
「巻き込まれたくないだけだ」
「嘘ね。本当は期待してるクセに」
「そ、そんなことないぞ......?」
図星を突かれたらしく顔を逸らした。しかも疑問系で返事を返した。これは、間違いなく黒だろう。それを物語るように、
「弟くん......?」
「あ、いや、その~......、すみません」
見事に尻に敷かれている
「演劇です」
「演劇?」
「
語られる講演予定の物語り。
1000年前、屋敷に囚われた
その演目の名は――『AIR』。
* * *
翌朝、日も上がらないうちに俺は家を出た。
外は暗く、町はまだ眠り、静寂に包まれていた。大きく深呼吸をして冬の冷たくも月明かりと街灯を頼りに港を目指す。
「ふぅ......」
フェリー乗り場の横のベンチに座って始発の船を待つ。
東の空から日が上りオレンジ色から徐々にスミレ色の空に変わる頃、本島から来た船が港に着岸した。すぐに折り返し本島行きの船になる。
数人の乗客が降りるのを待ち、荷物を持ってベンチを立つ。
「あー! やっぱり居たー!」
「
「あん?」
船に乗り込もうとした時、聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。振り返る。パジャマ姿の
「よかった、間に合った~」
「もうっ。お昼に出るって言ったじゃないですかっ」
「悪いな、気が変わったんだ」
そう言ったが湿っぽい別れは好きじゃない。
特に
「はい、これおじいちゃんから。缶コーヒーだって」
受け取ったコンビニ袋の中身は
「ありがたい。
「うん、伝えておくね。それと
「うん。はい、どうぞ」
「お姉ちゃんと一緒に作ったお弁当です」
「ああ、朝飯にさせてもらう。ありがと」
「いえ、困ります。それ私のお弁当箱ですから」
「あん?」
本島へ折り返しの出港の時間が迫っている。今ここで食べる時間はさすがにない。
「どうすればいいんだよ?」
「いつになってもいいです。無事に旅を終えたら返しに来てください。
まっすぐ真剣な目で俺を見る
「......わかった。必ず返しに行く」
「約束ですよ?」
「ああ、約束だ」
「わっ、やめてくださいっ。痛いです」
そんなに強くしたつもりはないが、嫌がる
「帰ってきた時には、子どもの一人や二人見せろよ? 俺の人形劇で笑わせてやるからな」
「いや、つまらないじゃないですか。クリパだって、はりまおのお陰だったんでしょ?」
昨夜、ななかに聞いたらしい。余計なことを......。だが、俺には他に実績がある。正月に神社で儲けた実績が! ......どんな劇をしたのかまったく覚えてないけど。
まあ、今までもどうにか生きてこられたんだ。なるようになるだろう。
「ふん、言ってろ。ところで
「そ、そんな。まだ、学生だし......。でもでも......」
なぜか頬を赤く染めてぶつぶつ独り言を呟やている。
「なあ、
「知りません」
目を細めて、めんどくさそうに答えた。
船員が乗船口から出航時間が迫っていることを伝えてきた。姉妹と別れの挨拶、改めて約束をさせられフェリーに乗り込む。乗り込むと、すぐに汽笛が鳴り、船は対岸を離れた。
目指すは本島、関西近畿地方。
甲板の手すりに寄りかかり、尻のポケットから人形を取り出す。昨夜、裁縫が得意な
「また一つ、約束が増えちまったな......。なあ相棒?」
潮風を感じながら、雲一つない青い空を見上げる。
どこまでも続く青。
今も、この空のどこかで風を受け続ける少女。
彼女を見つけ、旅を終えたら、初音島に戻って。また、あいつらと暮らすのも悪くない。そんな考えが頭をよぎる。
甲板に設置されているベンチに座って弁当をいただく。ピンク色の二段重ねの弁当箱の底に手紙が入っていた。
その手紙を手に取り俺は改めて思う。
――いつの日か、必ず返しに行く......。
そう、空へ誓った。
本編はこれで終わりとなりますが、後日エピローグと後書きを更新いたします。
エピローグは、時間が飛びAIRのラストから続く形になる予定ですのでAIRを知っている方が分かりやすいです。