朝、部屋に差し込む日差しの眩しさで意識が覚めた。
まだ重いまぶたを開けて、最初に視界に飛び込んできたのは、見知らぬ天井。
「どこだ、ここ?」
身体に感じる心地よい温もりと重み、視線を落とす。毛布が身体を包んでいた。基本的に野宿が身の上の俺は、こんなの寝心地の良い毛布は持っていない。この不可解な現象を解き明かすため、まだ八割方寝ている脳を巡らせ、昨日の出来事を辿って思い返す。
「ああ、そうか。さくらの家に泊まったんだったな」
頭が起きていくにつれて思い出した。
無事疑問が解消されたところで、もう一度寝ようと思ったが何やら騒がしい。布団から這い出て、騒ぎの出どころであろう居間へ向かう。
「あっ、
「おはようございます。意外と早起きなんですね」
「ああ、おはよ......」
居間に居たのは、四人分の朝食を用意している
「何ですか? じろじろ見て」
「
謎の少女は
私服姿の
「
「えぇ~、かったるいよ」
「じゃあ、私が起こしてくるから。ご飯の準備しておいてね」
「行ってきまーす」
急いで立ち上がって居間を出ていった
「もう、
「お構い無く」
人類を堕落させる魔性の
「朝ご飯抜きでいいならいいよ?」
「......顔洗ってくる」
強力な魔力も、三大欲求の食欲には勝てなかった。洗面所で、顔洗う。蛇口から流れる刺すような冷たい水温のおかげで、一瞬で目が覚めた。顔を上げた目の前の鏡には、前髪が長めの少年が写っている。俺だ。鏡に映る自分の姿をまじまじ見るのも久々、だいぶ鬱陶しさもある。自分でカットでもしてみようかと思っていたところで、身体に異変を気がついた。
これは、きっとあれだな。昨夜久しぶりに、まともな食事と睡眠をとれたお陰だろう。顔色も良い様に感じるし、何だか身体が軽い気がする。軽く肩を回してみる。いつもならパキパキと骨が軋む音が鳴るが、今日はスムーズ回った。
「布団、すげー!」
改めて、文明のスゴさを実感。この素晴らしい感動を噛み締めつつ濡れた顔をタオルで拭って、朝食をいただくべく居間に戻る。すると、
「
「そろそろ来ると思いますよ」
いたずらっ子の様な笑顔を見せて言った、
「あ、弟くん、おはよー」
「おはよう、音姉。
「ああ、おはよ。どうしたんだ? 鼻が赤いぞ」
「
と、言われたため
「くそっ!」
悪態と大きなため息をついて、
「もう。弟くんも、
「あんな起こし方した、
「すぐに起きない兄さんが悪いんです。私は、何度も忠告しましたから」
いがみ合う二人。
「ごちそうさま」
「はやっ!」
「早食いは、身体に悪いですよ?」
「俺は悪くない。この飯が旨いのがいけないんだ」
「あははっ、おそまつさまー。ほら、
誰かもわからないバラエティ番組を観ながらお茶をすすっていると、洗い物を済ませて居間に戻ってきた
「
「ん? ああ、そうだな......」
することと言っても、島を散策しながら人形劇を披露するだけ。詳しい地元民に案内してもらった方が効率がいい。ここは素直に案内されることにした。
「頼めるか?」
「うん、任せてー」
「決まりですね。兄さんも早く食べてください」
「えっ? 俺も行くの?」
「当たり前です」
そんなわけで、始めに連れて来られたのは島の東側。
昨日、人形劇をした商店街。休日ということもあってか、カップルやら、親子連れなど大勢の人で賑わっている。休日は、財布の紐が緩みやすいから狙い目。今なら、そこそこ稼げそうだ。なんてよこしまなことを考えながら歩いていたら、朝倉姉妹と
「どこ行ったんだ? あいつら。まあ、いいか。さあ、楽しい人形劇の始まりだぞー! お代いは見てのお帰りだー!」
とある店先のベンチで相棒を動かしながら、同時に大きな声を出して客引きを行う。
「なんだなんだ?」
「あっ、見て! お人形が歩いてるっ」
何事かと人が寄ってきた。客入りは、まずまず。いつものように人形を歩かせ、途中でくるりっと方向転換させると「おお~」っと、若干歓声が上がった。何度か同じ事を繰り返すと、見飽きてきたようで「これだけなのか?」やら「なんか、地味ね」やら落胆の声が聞こえてきた。
――ふっ......認めよう。そう、確かに今までは地味だった。
薄々気づいてはいたが、面と向かって言われて己を見つめ直した。どうせ同じ町では一度きりの人形劇、その日のうちに別の町へ出る大道芸人だ。その日の食い扶持さえ稼げればいい、と割り切っていた。だが、今日は違う。
目の前を歩く相棒の人形に意識を集中。すると突然、歩いていた人形が何かに
* * *
「見たか、
突然大きな声を出した俺に、辺りの通行人が奇怪な視線を送ってくる。やや足早にその場を離れ、別の店先のベンチに座り、先ほど獲得した小銭の入った袋を確認。成果は、上場。念願のラーメンセットを二人前ほど食べられるくらいはある。
「さて。アイツら、どこ行ったんだ?」
「こんにちはーっ」
「あん?」
「さっきの人形劇スゴかったです」
「ほんとほんと~。ね、
茶髪とロングヘアの二人が人形劇を絶賛してくれて、
「そうね。糸で吊っていたら出来ない動きだったわ。どんな仕掛けか興味深いわね」
「なんだ、お前らも見てたのか?」
「ええ、見てたわ。あなたが店先を占拠して、見物客からお金を貰っていたところをね」
「......はあ?」
何やら雲行きが怪しくなった気がする。
「路上パフォーマンスには、警察と自治体の許可が必要よ」
「あ、
「あなたはちゃんと許可を取ったのかしら? いち、いち、ぜろ」
「何が目的だ?」
「ふふっ、察しがいいわね。そこのアイスでいいわ」
「くっ!」
背に腹はかえられん。稼ぎの中から、なけなしの小銭を数枚手渡す。
「毎度あり。
「はーい。
「ふぇっ!? ちょっと
――アイツ、まだ揺する気かよ。
思わずため息が出た。そんな俺の様子を見た
「あの、ごめんなさい......」
「いや......」
しばらくして、二人が帰ってきた。
「はい、
「わぁ~、ありがとー。
「はい。こっちは、あなたの分」
「はあ?」
差し出されたアイスと、アイスを差し出している彼女を交互に見る。カツアゲしておいてどういうつもりだ。
「要らないなら――」
「いや、食う」
アイスを受けとる。先にアイスを受け取った
「時間がかかってたみたいだけど、お店混んでたの?」
「いいえ、私たち以外のお客は居なかったわ。他のお店に寄っていたのよ」
「そういうことだよ~、
「見せるか」
「あら、そんな態度でいいのかしら?」
「ふふっ」
「傷付けるなよ。俺の命なんだ」
いや、マジで。
「思った通りね。
「うんっ。この
「あ、おい」
心配をよそに、受け取った人形を買い物袋の裁縫道具を駆使して手入れを始めた。手際はかなりいい。
「上手いな」
「でしょ?」
得意気な様子の
「う~ん、思ったよりも傷んでるね」
「ほんとだー。遠目じゃ気がつかなかったけど、
「長年の相棒だからな」
「これで......よしっ。はい、どうぞー」
「悪いな」
「いえいえっ」
「けど、どうして......」
「珍しい物を見せてくれたお礼よ」
「そうそうっ」
「じゃあ行きましょ、
「うん、さよなら~」
「ばいば~い」
「ちゃお」
個性的な三人娘は話しをしながら、商店街の奥へ歩いていった。彼女たちを見送ったあと、綺麗になった人形を定位置にしまう。
「ふぅ。で、アイツらは本当にどこへ行ったんだ?」
「へいっ、ラーメンセットお待ち!」
商店街のラーメン屋に居た。四人掛けのテーブルにひとりで座っている俺の目の前に置かれたラーメンと、半チャーハンと餃子。これぞ、まさに夢にまで見たラーメンセット。
どれから手をつけるか迷う。けど、やっぱ先ずはラーメンだよな。なんと言っても、ラーメンセットって冠がついてる訳だし。割り箸を割って、レンゲでスープを啜る。
「うっまい!」
冷えた身体に熱いスープが染みる。昔ながらの中華麺。チャーハンも、餃子も、奇をてらわず気取ってない。そうそう、こういうのでいいんだ。この、ちょっと油っぽさがあるメニュー表もどこか味わいを感じる。
「ああー、居たー!」
堪能していたところへ、聞き覚えのある声が聞こえた方向を見る。探していた、三人が居た。
「フゥフゥ、ずずー......」
「ちょっと無視しないでくださいっ!」
構わず箸を進めたところ、
眉尻を上げた彼女を先頭に、二人も店内に入ってきた。
「もう、何してるんですかっ?」
「ラーメンを食べてるんだよ」
「見ればわかりますっ!」
お前が聞いたんだろ。心の中でツッコミを入れておく。
「まあまあ、
「そうしてくれると助かる......」
どうやら、
「急にいなくなって心配したんだよ?」
「腹が減ったんだ、仕方ないだろ?」
「ひとこと言ってくれればいいじゃないですか」
「ほんと大変だったんですよ、俺が......」
「ごめんね」
「いや、いい......」
俺の両手には、
「不思議な力で動かせないんですか?」
「動かせなくはないが......。手で持った方が楽だ」
荷物を置いて、今度は島の西側へ向かう。
満開に咲き誇る桜並木、三人が通う学校、公園、海が望める高台。そして昨日、さくらと出会ったあの桜の大木を見て回ったあと、朝倉姉妹も含めて芳乃宅へと帰宅。
数日ぶりに湯船に浸かって、タオルを首に掛けたまま居間に入った途端に、食欲をそそるいい匂いがした。
「お腹すいた~」
「うん。私も、お腹すいたな~」
「俺も」
「いつもに比べてまだ早いだろ? 夕食には」
時計の針は、六時を少し回った辺り。だが、俺の胃袋は夕食を欲している。
「麺は消化が良すぎるんだ」
「や、
「しかも餃子も付いてた」
「そんな昔の事は忘れた。今は、カレーだ。カレーなんて食欲しかそそらない
「うん。それは、わかります」
「だね~」
「確かにそうだけど、あと一時間くらい待ちなさいってば。作りたてより、寝かした方が美味しいんだから」
「や、そんな変わんないって。食べたい時に食べるのが一番美味しいんです」
「
「あん? ああ、やっぱり少し小さいな」
「まあ、兄さんのだから仕方ないですね」
俺が今、着ている服は
「不潔です! 今すぐ入ってきて下さいっ!」
「服は俺のを貸しますよ。小さいと思いますけど」
「溜まってる服、全部出してね。洗濯しておくから」
と、こんな感じで有無を言わさず押しきられた。一張羅のズボンも洗濯中のため、ポケットから出しておいた人形を
「あれ? 綺麗になってる?」
「ホントだ、どうしたんですか?」
「お前たちと同じくらいの三人組の女に......」
言い掛けたところで、襖が開いた。入ってきたのは、もちろん
「こんばんはー。お邪魔しま......あれ?」
「お邪魔......あら」
「あっ、あ~っ!」
「お前ら」
来客は、昼間に会った三人組の少女たちだった。
「こんばんは。
「先輩方、こんばんは」
「みんなは、
不思議そうに首をかしげる
「へぇ~、そうだったんだね」
全員でテーブルを囲んで、
「おかわり」
「私も」
「はやっ! だけど、
「フッ......」
「むっ、なんですか? その人をバカにしたような笑いは?」
冷静を装っているが少しイラついたのが、俺にはわかる。そんな
「おばべば――」
「食べながら喋らないでくださいっ!」
「そうだよ、
姉妹に注意されてしまった。飲み込んで改めて勝利宣言をすると、
「じゃあ、そろそろ帰りましょう」
夕食後駄弁っていた中で、
「うん、そうだね~」
「
「お粗末さま。外まで送ってくる」
「どうだ? スゴいだろ? 楽しいだろ?」
「まあ、
「......ああ、出来るさ!」
「うわぁ~......」
「ほら、見てごらん。毛先の一本一本が独立して蠢いているね。まるで毛虫の様だね。そこの可愛いお嬢さん、触ってみるかい?」
「続けるんですか?」
「......寝る」
「ハァ、それにしても兄さん遅いですね」
時計を見る。四人が玄関へ行ってから二十分ほどが経っていた。確かに、遅い。洗い物を済ませた
「ただいまー」
そして帰ってきた
「ねぇ、エト」
「なんだい、シャル」
「エトは、クリスマスにサンタさん――」
* * *
暗闇の中、誰かが立っている。
周囲が徐々に明るくなってきた。人の後ろ姿だ。
――誰だ?
俺は、その誰かの背中に声を掛けた。
そして、次の瞬間、俺は......現実に引き戻された。