あの日から、三日が過ぎた。
長年枯れることなく、年中咲き誇っていた初音島の桜は、桜公園のひときわ大きな桜の木――枯れない桜が枯れると同時に花は散り、葉も無く、冬枯れの木――全て普通の桜へと戻った。
この重大な出来事に新聞やテレビのニュースは連日この話題で持ちきり。年中咲き誇る桜を売りにしてきた観光業界には衝撃が走り、地元経済への影響、中には天変地異の前触れではないかと心配する声も上がるほど。
だが、この話題と反比例して、初音島で頻発していた原因不明の火事、事故、不可解な事件はすっかり鳴りを潜めた。
「何してるんですかー、おいて行きますよっ」
「ああ、悪い。今行く」
休日を挟んで、最初の月曜日。
一緒に家を出た
「今晩は、ハンバーグに挑戦してみようと思うんです。それも煮込みです」
「そりゃまた凝った料理だな」
「はい。ですので、放課後買い物に付き合ってください」
――わかった、と
午後の授業が終わり、約束の放課後。
保健医助手の仕事を終えて、正門へ向かうと。
「
「あっ、
「奇遇って、待ち合わせしたじゃないか」
「そうですけど、世の中に絶対なんてないですから――よっと。じゃあ行きましょう」
身を翻して、一歩先に商店街へ向かい歩き出した。
大晦日に買い物をした商店街のスーパーで夕飯の買い物を済ませて、家へ帰る。玄関の鍵を開け、
「じゃあ俺は散歩に行ってくる」
「またですか?」
疑いの眼差しを向けて来た。
「お前の飯を食べるために腹を空かせてくるんだよ」
「まあ、そういう事にしておいてあげます。六時までには帰って来てください」
「ああ。大盛りで頼む」
「はいはい」
一応誤魔化せたらしい。家に入っていった
散歩の目的地は、桜公園内の枯れない桜。
「サクラ!」
冬枯れの大木になった枯れない桜へ向かって呼び掛けるも、返事は返ってこない。桜が枯れ、
枯れない桜を離れ、海を見渡せる高台のベンチに腰を下ろす。
「お前までどこいっちまったんだよ......?」
オレンジ色に染まった空へ問い掛けても、当然、返事は返ってこない。
「はぁ......」
返事の代わりに、近くで小さなタメ息が聞こえた。空から顔を戻して、タメ息の出所を見る。
長い髪を黄色のリボンで二つに結んだ、風見学園の制服に袖を通した女生徒――ななかが、浮かな
「どうした? 悩みごとか」
「えっ? あ、
最初は躊躇していたが、やがてゆっくりと話しだした。
数日前、友達とケンカをしていまい、今も仲違いが続いている。聞いた感じ、前に親友と言っていた
「私、何を言ってあげればいいか......。あの子が望んでいる言葉が分からなくなっちゃって......」
「そっか。大切な友達なんだな」
「――うん。とても大切で、大好きなお友だち......なのに、私は......」
「もう一回話してみろよ、その友達と。今度は、その友達がどんな言葉を望んでるかじゃなくて。お前がどう思っているかを素直な気持ちで、な」
「......でも」
「人間なんて、いつ居なくなるか分からないんだ。会えるときに、話せるときに話しておかないと後悔するぞ」
俺の話を聞いた後うつ向いていたななかは、顔を上げてベンチを立った。
「......私、もう一度話してみます。ありがとうございました」
――何を偉そうなこと言ってるんだ、俺は? 何も出来なかったじゃないか。
「いやー、なかなか説得力のある助言であったな。まるで自身に経験があるかのような」
「あん? ああ、お前か」
空から海へ沈んでいく夕日を眺めながら、自己嫌悪に苛んでいたところへ、どこからから現れた
「何か用か?」
「うむ。あったと言えばあったのだが。今の
「腑抜け、ね」
――俺の心境を的確に突いてきやがる。
「まぁ、参考までに教えておこう。貴殿のいう、空に居る少女についての話しだ」
「マジか......?」
俺の反応を楽しむように、ニヤリと不敵に笑みを浮かべる
「多少やる気が出たようだな。だが、ここから先を知りたければ――成すべきことを成すのだな」
「なんだよ、それ?」
「既に貴殿の中で答えは出ているのではないか? では、さらばだ!」
そう告げると、
俺は、
目を閉じて、耳を澄ます。浜風の音の先に波の音が聴こえて来た。
* * *
『思えば通じる。思いは通じるから』
波の音に混ざって人の声が聞こえる。
――誰だ......? 何処かで聞いたことのある懐かしい声。
『
いつ? 何処で? 思い出そうとしても靄がかかったように上手く思い出せない。
それでも懐かしさを感じる声は、確かに聞こえている。
『思いだけじゃ動かないよ。動かしたい思いの、その先の願いに触れて、人形は動き出すんだから――』
思えば通じる、思いは通じる。
その思いの先の願いに触れて......。
それは、まるで――枯れない桜じゃないか。
* * *
「――ッ!?」
気が付くと、辺りは真っ暗だった。
夜空には、月が輝き、無数の星々が瞬いている。
「......ヤバい」
天体観測をしている余裕などない。
ベンチから飛び起き、走って高台を後にする。家に帰る途中、桜公園の時計を見ると、
俺は、無我夢中で走った。
世界記録を狙えるんじゃないかと思うほどの短時間で、
「あ、いらっしゃい。時間ぴったりですね」
「あ、ああ、お邪魔します......」
どうやら間に合ったらしい。さっそく家に上がらせてもらう。
「
「自分の部屋です。まだ食欲がないみたいで......」
あの日から殆ど食べていないと、
ちゃんと食べなければ善くなるものも善くならない、大丈夫なのだろうか。
「でも。今日は、お腹が空いたら食べるって言ってくれました」
「そっか。なら、先に食うか」
「はい。もう出来てますから、手を洗ってきてください」
洗面所で手を洗って、食卓に着く。
夕食は今朝の予告通り、煮込みハンバーグだった。味は、桜を枯らす前夜、
夕食を食べ終え、
玄関先に黒い影があった。恐る恐る近付き、影の正体を確かめる。
「くぅ~ん」
「なんだ、はりまおじゃないか」
謎の影は、これまた謎の宇宙生物、はりまおだった。いつもなら帰っている時間だが、今日は隣に居たため閉め出しを喰らっていたみたいだ。
「悪かったな。すぐに飯をやるからな」
鍵を回して、戸を開ける。
はりまおは、俺より先に上がって台所のへ方へと駆けていった。余程腹が減っていたらしい。
「あん! あん!」
「ちょっと待て」
台所の戸棚を開ける。はりまおの晩飯になるような物を探すが、何も見つからない。
「何もないな。仕方ない、はりまお......」
ものスゴいプレッシャーを放つ縦線の目が、俺をロックオンしている。今日はガンマしろ、と言える雰囲気ではない。
「わかったよ、探せばいいんだろ?」
「あんっ!」
とは言ったものも無いものは無い。
俺が、
台所を出て、さくらの部屋に入る。
テーブルの上には、茶封筒があるだけで、他には何も無い。だが後ろの引き戸を開けると、思った通り、饅頭の箱を発見。
「ほら、あったぞ。はりまお」
「あん! あん!」
包装紙を剥がして置くと、はりまおは一心不乱にがっついた。
はりまおが、食べ終わるのを待つ間、改めて部屋を見回す。床は全面畳、部屋の中央には一枚板のテーブル、掛け軸に生け花とさくららしい純和風の部屋。
「ん?」
生け花の近くに、見覚えのある物が丁寧に置かれていた。
それを手に取る。
「これ、さくらが持ってたのか。って、おい、嘘だろ......」
持った瞬間、俺は有り得ない事に気が付いた。
「はりまお! 留守番頼むぞ!」
「あお?」
首らしき箇所を傾げるはりまおを残してさくらの部屋を出て、大急ぎで準備を済ませて、家を飛び出した。隣の家の呼び鈴を連続で鳴らす。
「もうっ! 誰ですかっ! 何度もなんど――」
「
むくれて抗議をする
「
「そうか、上がらせてもらうぞ」
階段をかけ上がり、
「だれ?」
部屋の中に数段の階段がある一風変わった部屋のベッドで横になっていた
「
「体調は、どうだ?」
「うん。もう、大丈夫だよ」
だが、顔色は優れない。けど体調が良かろうが悪かろうが、今はどっちでもいい。パジャマ姿の
「
「えっ?」
一足遅れて、
「ちょっと、なんなんですかっ? ちゃんと説明してくださいっ」
「
「お望み通り着替えて来ましたけど、これでいいんですか?」
「ああ。じゃあ行くぞ」
「
数歩歩いてから振り返り、
「桜公園」
三人で、夜道を歩く。
「それにしても、どうしたの? 急に、桜公園へ行こうだなんて」
「ちょっと、お前たちに頼み事があるんだ」
「頼みって、何ですか?」
「着いてから話す」
風見学園の前を通り過ぎ、桜公園。
そのまま桜公園の奥へと進んでいく。不意に、
「どうしたの? お姉ちゃん」
「
「悪いが一緒に来てくれ。お前が、お前と
「ほんとに枯れちゃったんですね」
枯れない桜がそびえ立つ広場に到着。
「よし......。
「あの、
「ん? ああ、これだ」
客間で用意してきた袋から、さくらの部屋で見つけたある物を出す。
それを見た二人の表情が劇的に変化した。目を丸くして動揺している。さっきの俺も、きっと今のこいつらと同じ
「ど、どうして......?」
「それ、本物なんですか?」
「ああ、本物だ。正真正銘、本物の桜の枝だよ」
さくらの部屋で見つけたのは――桜の枝。。
初音島の桜は、全て普通の桜に戻ったにもかかわらず、この桜の枝は、小さな薄紅色の花を満開に咲かせている。
「この枝はな。この枯れない桜の枝だ」
正月、ここでさくらと話しをした時、俺の頭を直撃した枝。
何故、この枝だけ花を咲かせているのかはわからない。だが、今咲いているのは確かだ。
「
二人に向き合う。
「
まったく想像していなかったんだろう。二人ともかなり動揺している。
「弟くんを......迎えに......?」
「で、でも、どうやってっ?」
「大丈夫だ、心配するな。まだ、桜は咲いているんだからな――」
目を閉じて手に持った桜に願いをかける。
俺は、先ほど聞いた言葉を思い出していた。
『思えば通じる。思いは通じる。思いの先の願いに触れて人形は動き出す』
――お前が、本当に人の願いを叶える魔法の木なら、俺の思いを願い聞いてくれ......。
「あっ......」
どちらかはわからないが声が聞こえた。目を開ける。
俺の手にあった桜の枝は消え去り、代わりに純白の美しい羽根が手元にあった。
「桜が羽根になった?」
「うそ......、どうなってるんですか?」
「俺にだってわからない」
この羽根が、サクラの言っていた強力な力を持つ羽根か? 暴走は羽根が原因と言っていたが、俺にはさほど嫌な感じはしない。それどころか妙な懐かしさを感じる。
「
一度、取り込まれかけている
枯れない桜の根本、二人の間に、そっと羽根を置き、二人の背中に手を添える。
「目をつむれ」
「......はい」
「......うん」
二人とも小さく頷いた。
俺も目を閉じる。
――俺に、
真摯に願いを込める。
二人の笑顔を見せてくれ、と......。
あの羽根が、俺の思いの先の願いを叶えてくれたのか。
目を閉じて真っ暗だった視界が目映い光に包まれた。