「じゃあな、ちゃんと夜飯食って、ちゃんと寝ろよ?」
「......おやすみなさい」
――結局、俺には何も出来ないのか......。
見上げた夜空に瞬く満天の星々が憎らしく思えてしまうほど、今の俺の心は穏やかじゃない。
その
『くそっ......』
頭を掻いて、世話になっている隣の芳乃家へ帰る。
白衣のポケットに両手を突っ込み、若干俯きながら敷地の門を潜った時だった。
『おわっ!』
小学生くらいの二人の子ども(男女)が、中庭の方から飛び出して来た。ぶつかりそうだったのを寸でのところでかわす。
『おい待て、こらっ!』
呼び止めたが、子どもたちは完全に俺の存在を無視して敷地の外へ走って行った。
『なんだ、アイツら......』
こんな夜に、小学生くらいの子どもが二人、しかも他人の家の庭から何をしてたんだ。まあ、いい。考えるのも面倒だ。少し立ち止まったが、気を取り直して、玄関の戸に手をかける。
『ん?』
戸には鍵が掛かっていた。帰りが不規則なさくらや、朝倉姉妹が夕食を食べに来ることから、
珍しいな、と思いつつ呼び鈴を鳴らすも。しばらく経っても中から反応は返って来ない。その代わりに、子どもたちが出てきた中庭から声が聞こえた。
『こんにちは』
『ども』
中庭へ回ると、落ち着いた色の着物を着た気品のある婆さん縁側に座っていた。その婆さんは、俺に座るように促す。若干戸惑いながらも、隣に用意された座布団に座る。
『いい天気ね』
『はあ?』
日も出てないのにいい天気も何も――って、嘘だろ? 俺は、自分の目を疑った。
見上げた空には、ついさっきまで瞬いていた星々が消え。その代わりにまばゆい太陽が輝き、降り注ぐ穏やかな日差しと、心地よい風が縁側を吹き抜けていく。
『......夢か?』
『へぇ~、いいカンしてるのね。そう、これは夢』
――夢? 俺は、いつの間に寝たんだ。それとも、枯れない桜の前で見た夢と同じで、枯れない桜が何らかの意図をもって、俺に夢を見せているのだろうか。
『それで、あんたは誰だ?』
『あら? わからないの?』
そう言われても、俺に婆さんの知り合いは居ない。完全に初対面のハズだ。
とりあえず、婆さんの顔を観察する。白髪混じりの長い金色の髪をかんざしでまとめ、さくらやサクラと同じ綺麗な蒼い目をしていた。
どことなく、さくらよりもサクラに似た容姿に思えた。
『まさか、サクラか?』
『サクラ? ああ~、あのすごーくかわいい美少女の事ね!』
何故か、サクラの容姿をべた褒めしているような気がするが気のせいだろうか。
婆さんは、否定もしないが肯定せずに黙っている俺を見てつまらなそうな表情で言った。
『でも残念外れ、あの娘と私は別人。私は、さっきあなたが見た子ども......さくらと
『さくらと
言われてみれば、すれ違った女の子の方は髪型がツインテールだったものの姿形は、俺の知っているさくらそのものだった。雰囲気は子どもだったけど。
『私の可愛い孫たち。あの子、さくらね、昔虐められてたのよ。だから、孫娘のためにと思って植えた桜が、
最初の枯れない桜は、この婆さんが植えた桜。
『あなたにも、迷惑をかけちゃってるし』
『いや、俺は別に......って、わかるのか? あんた、死んでるんだろ?』
『ええ、私はもう、この世には居ない。死んでいるわ』
『じゃあ、どうして――』
『説明するのもかったるいわね。そうねぇ、あ、ほら、私魔女だから』
『で、その魔女様が、俺に何の用だよ』
『謝罪とお礼。それから、こうして話すことがあの娘たちの......あなたへの助力になると思って。ずっと悩んでいるでしょ?』
『......ああ』
全部お見通しな訳か。
少し悔しいが、婆さんの言うことは的を射てる、俺には、枯れない桜のことを常時相談出来る相手が一人もいない。
『実際問題俺にだって、どうすればいいかなんてわからない。いっそのこと、このまま逃げ出そうとか頭を過るさ』
『それは、しょうがないことよ。誰だって傷つきたくないもの。みんな同じ』
『何か、策は無いか?』
『策、ね。無いこともないわよ』
婆さんは、人差し指を口元に当てて微笑んだ。
その仕草と笑顔に、サクラの姿がダブって見えた。
『あんた......』
『ん、なーに?』
『いや、何でもない。それで、その策ってのは?』
『いちから説明するのは時間がかかるし、かったるいわね。要点だけ簡単に言うと、コインの裏と表。それと同じ様に、物事の原因と解決策は案外近い位置にあったりするものよ』
婆さんは、めんどくさそうに答えると俺の背中に手を添える。
『なんだよ?』
『枯れない桜に原因があるなら、答えも枯れない桜にあるかもってことよ。じゃあ、あの子たちのこと頼んだわ、よろしくね~』
『あん? なっ!?』
背中の添えた手に力を入れて縁側から突き落とした。地面にぶつかると思った瞬間、地面は消え去り、俺は眩しい光の中へ落ちて行った――。
* * *
「――って、殺す気かッ!?」
「わぁっ」
女の声。さっきまで話していた婆さんとは違う声が、近くで聞こえた。
「もう、脅かさないでくださいっ」
「ハァハァ......。
荒れている呼吸を整えながら、声の主に目をやる。
「落ち着きましたか?」
「......ここは――」
辺りを見回す、見覚えのある部屋。俺が世話になっている芳乃家の客間だった。どうやら俺は、客間に敷かれている布団の上で寝ていたようだ。
「スゴい汗。ちょっと動かないでください」
「あ、ああ......」
枕元にあるタオルで額から滴るほどの汗を拭ってくれる。
「お姉ちゃん呼んできます。横になっててください」
俺は言われた通り横になり頭の後ろで両手組み、婆さんとのやり取りを思い返していた。
――原因と解決策は案外近くにある......か。
あの言葉を聞いた俺は、枯れない桜に関係していることを
そう、それが、すべての始まりだった。
さくらからは、枯れない桜の真実。
そして、桜に込められた願いと贖罪を聞いた。
次は――サクラだ。
サクラは、まさに神出鬼没。唐突に現れては訳のわからないことを言って、気付けば姿を消してしまう。まるで夢のような存在。
そして何より、あの言葉――。
『覚めない夢は無いわ。いつか必ず目覚めの時を 迎える。その時を、キミに見届けて欲しい。そして願わくば、あの子たちの支えになってあげて』
そうだ。サクラは、未来に起こるを常に予言していた。サクラの言葉が全て正しく必ず歩む未来だとしたら......。
「覚めない夢は無い、目覚めの時を――」
サクラの言葉を前提にした場合、あることに気がついた。ガバッと勢いよく身体を起こし、考えをまとめる。
「......桜が枯れることは、どうあっても避けることの出来ない規定事項で。それに、支えてあげてってことは......」
桜が枯れ、夢が覚めた先に何をするか何が出来るかは、全て俺次第ってことか。もしかしたら打開策を見つけることが出来るかもしれない、そう思ったとき襖が開いた。
客間に入ってきたのは、
「もう平気なの? どこも痛くない?」
「はあ? 何が」
「覚えていないんですか?」
よくわからないが、
「
自覚はまったくない。ただ気がついたらいつもの客間で寝ていた。違和感があるとすれば、
「家に入ってすぐ外から物音が聞こえて、玄関を出たら......」
塀にもたれる形で意識を失っていた。
「きっと疲れていたんですよ。前にも上の空だったことあったし」
「......ごめんね」
「どうして、お前が謝るんだよ」
まるで自分の責任と言わんばかりに申し訳なさそうに謝る
「だって、送ってくれた直後だから......」
桜公園で弱音を吐いて困らせた、とでも思っているんだろか。
「大袈裟だな。寝てたっていっても一時間そこそこだろ」
目覚まし時計の針は、八時過ぎを表示している。冬場で日が沈むのも早い。
「なに言ってるんですか、違いますよ」
「ん、朝の八時か? それにしちゃあ暗いけど」
雨戸でも閉めているんだろうか、客間には照明が灯っている。
「ううん、今は、夜の八時だよ」
「どこまで惚けるんですか。
「昨日の夜? ってことは......丸一日?」
「そうです。まったく、なかなか起きないから兄さんも心配していましたし。お姉ちゃんなんて、学校を休んで付きっきりだったんですから」
「......そっか。悪かったな、
と、言ったタイミングで腹の虫が豪快に鳴いた。
「腹へった......」
「はぁ~......もう大丈夫みたいだよ。お姉ちゃん」
「あ、あはは、そうだね。用意するね」
――仕方ないだろ、三食も飯を食い損ねたんだ。
襖をあけると
その言葉の真意は、姉妹が帰った後に判明した。
「
「なんだよ」
「今朝、さくらさんに会いました」
「さくらっ!?」
反射的に思わず聞き返した。自分でも驚く程の大きな声で。
「はい。て、言っても夢の中でです」
「......夢かよ」
取り乱して損した気分だったが、
「俺、他人の夢を見ることがあるって前に話しましたよね。その夢で、さくらさんに会ったんです。それで全部聞きました。枯れない桜の事も、俺のことも......」
親子の絆とでも言うのだろうか。
はからずも今、さくらは枯れない桜の中で夢を見ている。その夢と
「俺、明日、枯れない桜のところへ行ってきます」
「......まさか、お前!」
「はい。桜を枯らします。それが正しい選択だと思うから......」
* * *
翌朝俺は、普段もよりも二時間以上も早く起きた。
着替えを済ませ、居間に入る。隣の台所では既に起きていた
因みに今日の朝飯も豪華。
「じゃあ、行ってきます」
「まだ、いいじゃないか。せめて――」
――あいつらが来てからでも......、と言おうとしたら、
映し出された番組は地元ニュース。初音島では昨夜もまた原因不明事故が発生したとアナウンサーが現場の中継を挟んで報道している。
「今は、まだ軽いケガだけですんでますけど。もう時間はないです」
「決意は変わらない、か」
俺は、まだ何も打開策を見出だす事が出来ていない。俺は無力だ。そんな俺に今出来る事があると言うのなら、それは見届ける事だけだろう。
玄関を出て鍵を掛ける。いつもの通学路を歩き風見学園の正門前で一度足を止めた。
「......よし、行きましょう」
「もういいのか?」
「はい」
再び歩き出す。
少しして桜公園へ到着。公園の奥へ進み枯れない桜がそびえ立つ広場へ。
枯れない桜の前に思わぬ先客が居た。
「弟くん......」
風見学園本校の制服を着た少女――
「
「何となく弟くんがここに来るような気がしたの」
「そっか。......
「ダメっ!」
「
「来ないでっ! それ以上、そばに来ないで......」
「
顔を伏せて懇願する
俺には、何を言っているのか聞こえないが耳元で何かを囁いているように見える。
「弟くん、ずるいよ。ほんと......ずるい」
「ごめん」
「............っ」
「
「ダメだ!
「えっ......?」
「くそっ!」
突然の事に固まる
「
「はあ......はあ......うぅ......っ」
呼吸は乱れ、顔も青ざめている。あと一瞬遅かったら危なかった事を物語っていた。
「
「たぶん、あの日のさくらと同じように枯れない桜に取り込まれそうになったんだ」
「そんな、どうしてっ!?」
――もしかしたら、覚悟を決めるのが遅すぎたのかもしれない。制御はもちろんのこと枯らすことすら出来ないほど、枯れない桜の魔力は増大しているのか。
「わからん。だが、決断するのが遅すぎたのかもしれない」
「......
「
「おい、止めろ!」
「大丈夫です。
――......今まで、ありがとう。
それを合図に枯れない桜の花びらは全て散り果て――枯れない桜は枯れた。
そして――