「兄さん、はやくー」
「わかってるって」
玄関先で
「それじゃあ、さくらさん。いってきます」
「いってきまーす」
「いってらっしゃ~い。気を付けてねー」
寝間着のままのさくらに見送られ、二人は風見学園へ登校して行く。俺はというと玄関の戸が閉じられ二人の影が見えなくなってから、さくらと向き合う。
「お前は、行かなくていいのか?」
「うん、ちょっと体調が優れなくって。今日はお休みなんだ。にゃはは」
憔悴とまではいかないが相当キツそうな笑顔。
俺は――この時、すべてを悟った。
さくらは、もう限界なんだと。それでも俺は......いや、だからこそ普段と変わらない態度でさくらに接した。
「そっか。じゃあ行ってくる。大人しく寝てろよ」
「うん、ありがとう。いってらっしゃい」
玄関を出て風見学園へ向かう。通学路の桜並木の桜は今日もいつもと変わらず満開に咲き誇っていた。
初音島に来て一月弱。最初は綺麗だと思っていたが、真実を知った今この異質な光景に
「くそ......。どうしろってんだよ......?」
俺の声は、風に舞い散る薄紅色の花弁と共に空に消えた。タメ息を付いて止まっていた足を進める。風見学園の正門を潜り保健室に着くといつも通り掃除を済ませた。
二時限目が始まって数分後――。
「おはよん。
「ん? ああ、
新学期になってから午前中に
「研究所の方はいいのか?」
「ええ、目処は立ったから。
「そうか......」
大したことはしていないが役に立てたらしい。
「
「
「悪いな。じゃあ午前で上がらせてもらう」
「さくらっ!」
家には誰も居ない。居間の
今朝の予感は的中していた。
「くそっ、あいつ......。ん?」
もう一枚手紙があった『追伸。
「......バカ」
手紙を握り潰す。俺の給料なんかより心配する事なんて幾らでもあるだろ。
「何処に行ったんだよ......」
商店街、住宅街、団地、桜公園、高台。そして枯れない桜にもさくらの姿は見当たらない。陽も傾き始め、諦めそうになったその時だった。
「あんっ!」
「お前、はりまおじゃないか」
謎の宇宙生物『はりまお』は俺の足下で鳴いた。膝を曲げてはりまおに目線を合わせる。
「お前、ご主人様がどこに居るかわかるか?」
「あお?」
はりまおは首らしき場所を傾げた(分かるわけないか)。姿勢を戻すと突如にはりまおが駆け出した。
「あ、おいっ」
「あんあんっ!」
付いてこいと言いたいのか振り返って俺に向かって鳴く。はりまお以上に頼れるヤツは居ない。俺は、はりまおの後を追った。
「はぁはぁ......ここか?」
「くぅ~ん」
枯れない桜から休みなく走って十分弱。とある家の前ではりまおは立ち止まった。見覚えのある家、俺が世話になっている隣の
ここから先は俺に行けって事なのか、はりまおは塀を見上げた後、尻尾を下げて歩いて行ってしまった。玄関の前に立つ。インターフォンに手を伸ばした時、男女の話し声が聞こえた。
「この声......」
中庭へ回ると桜の木の前に二つの人影が見えた。一つは、
その姿を見て、俺は大笑いをしてしまった。
「あっはっはっ!」
「もう、いきなり笑うなんて失礼だよーっ!」
「いや、笑うだろ? 今のお前、俺の知ってる5才の子どもと同じシルエットだぞ」
「うにゃ! 5才っ!? むぅ~、ていっ」
「ぐは......」
金髪ショートヘアの子ども、もとい、さくらは椅子から勢いよく立ち上がって、俺の頭にチョップを叩き込んだ。
「言うに事欠いて5才だなんて......。失礼にも程があるよっ。ね、お兄ちゃんっ?」
「ははは......。そうだな、さくらんぼ」
「お兄ちゃんまで!?」
「さくらんぼ?」
殴られたところを擦りながら訊く。
「ああ、昔のアダ名だよ。今と変わらずちんちくりんだったから桜の子供で『さくらんぼ』ってな具合にな」
「そう呼んでたのはお兄ちゃんだけだよっ」
抗議の声を上げた。まあ、それは置いておいて、俺はさくらの劇的に変化したことについて訊いた。
「で、お前何で髪を切ったんだ?」
「うん? うーん、そうだねー。覚悟って言うか、決意の表れ感じかなー?」
「ふーん」
「そう言う
いつもより早いね? と首を傾げる。
「
「そっか、
「それと――」
さくらの横を通り枯れない桜に触れる。
「今日一緒に居ないと後悔する気がした」
さくらに目を戻すと目を伏せていた(当たりだな)。確信を持った。さくらは、先日
「
「にゃはは......。そだね」
さくらは頷き困ったように笑って、庭に咲く桜を見上げた。
「枯れない桜の魔力はどんどん高まってる。もう外からじゃ制御仕切れないないんだ。だから――ボクが桜と一つになって暴走を食い止める」
「一つにって......。それじゃあお前はっ!」
「......
「何だよ......?」
俺に向き直したさくらの表情からは、とても穏やかで優しさを感じる。
「ボクの家族を......。
「さくら......」
「お兄ちゃん、あとの事はね――」
「ああ、わかってる。どんな結果になろうともあとの事は、任せてくれていい。ただ、こんな老いぼれの力が必要無いことを祈っているよ」
「お兄ちゃん......。ボクの話を聞いてくれてありがとう。
お礼を言ったさくらは『行ってきます』と俺たちの横を通り枯れない桜の元へ向かった。
この物語りの幕を引くために――。
* * *
日は暮れて黒く染まった空に金色の月と煌めく星々が彩り、今にも落ちて来そうな星の代わりに薄紅色の花弁が深々と降り続けている。
このまま居続ければ飲み込まれてしまうのでは無いかと錯覚してしまうほどの鮮やかで妖艶な桜の大木。
「......綺麗だね、本当に......」
「ああ、そうだな。まるで――」
「あの時と同じ、だね」
「だな」
隣にいるショートヘアの少女。さくらとの出会いもこんな風にゆったりと桜が舞い散る夜だった。
「訊いてもいいか?」
「ん? なーに?」
枯れない桜から、さくらへ目を移す。
「あの日、どうして俺を......?」
「商店街でね、
枯れない桜の幹に触れた。
「この枯れない桜の願いを叶える魔法がキミに人形を動かす力を与えているんだと思って。それで話をしたかったんだ」
桜の幹に背を預けて体育座りをしたさくらは、俺にも座れと言うようにポンポンと隣の地面を叩いた。同じ様にして、桜の幹を背中を預けて座る。
「ここでもう一度、動いている人形を見て気づいた。
俺からも人形からもさくらや
――それはそうだ、俺は魔法使いじゃなんだから。
そしてさくらは、自分の知らない俺の持つ
「
「ああ」
「それでね。だから調べてみたんだよ。ボクの魔法とは違う
さくらはわざとらしく無駄に含みを入れる。教えて欲しい、と言えと催促されているみたいで癪に障った。
「知らん。それより腹が減った飯が先だ」
「ええーっ! 訊いてよ~」
ここに来る前にコンビニで買った弁当を開封して食べ始めると、さくらは俺の肩をしつこく揺さぶる。振動で箸がぶれて非常に食べにくい。
「うるさいな......何だよ? 言いたいなら早くしてくれ」
「むぅ~、まあいいや。えっとね、
「あん? どういうことだよ?」
実際に俺は、
「遥か昔、位の高い僧侶の中でも一部の僧侶だけが扱うことの出来た秘術があったんだって。それが、方角の『
「
読みは同じでも字が違う力。俺の力と何か関係があるのだろうか? さくらは「ここから先は、ボクの憶測になるんだけど」と一つ付け加えてから見解を話し始めた。
「
さくらが言うには、一口に
「きっとボクたちの魔法は、
「じゃあ、俺の
「たぶんだけど、魔法へ派生されることなく
さくらの憶測が正しければ、俺が使う特化型の
「お前、よく調べられたな。どこで知ったんだ?」
さくらに、普段から桜の制御をしていた。調べものする時間は限られていたハズだ。得意気に胸を張った。
「ボクは、魔法使いだからねー」
「何だそれ? 答えになってないぞ」
「にゃははっ」
笑顔を見せると勢いよく立ち上がった。身を翻し、右手を伸ばしてそっと桜に触れた。
「じゃあ、そろそろ始めるね。夜は夢が深くなるから......」
俺も立ち上がり、コンビニの袋からおにぎりを差し出す。
「飯は? 食わないと力出ないぞ?」
「お兄ちゃんにとっても美味しいお饅頭を貰ったから大丈夫だよっ」
「そっか」
「うん、心配してくれてありがとう。
「いや......。俺は居てもいいのか?」
うん、と小さく頷いた。数歩下がって見届ける――さくらが成そうとしていることを。さくらは、大きな桜の木に、寄りかかるようにして、そっと抱きついた。
「......ボクは、
願いを叶え、束の間の幸せな日々を送らせてくれた桜へのお礼を述べたさくらは一歩後ろに下がり、両手で桜の木に触れた。
「さあ――。始めようか」
と、言った次の瞬間――枯れない桜がざわついた。
これは......ヤバイ。ただの直感なのか、それとも
「うっ、くぅ............」
「さくら!?」
枯れない桜の制御を試みていたさくらは呻き声の様な悲鳴を上げて、身体がダラリと崩れ落ちていく。身体は頭で考えるより先に動いていた。
「
地面に倒れ込む寸前、さくらを抱き止めた。
その時――。
「さくら......?」
抱き止めたハズの俺の腕の中には――何も存在していなかった。
目の前に舞う桜の花弁。頭上を見上げると普段と変わらず、枯れない桜の大木が悠然と咲き誇っていた。