二週間余りの冬休みも終わり、新学期。
俺は白衣を纏い、風見学園の保健室に居た。冬休み以降保健医助手を続ける予定は無かったのだが、どうせ給料が出る月末までは初音島を離れられないし、
何やら最近研究所の方でトラブルが立て続けに起きているらしい。こんな事は今までに無かった事だそうだ。
もしかしたら枯れない桜の悪影響を受けているのかも知れない。
そして何より――、俺自身がこのまま初音島を去る気になれないのが一番の理由だ。
「ふぅ......」
背もたれにもたれ掛かるとキィーッと甲高い鉄の軋む音が静かな保健室に響いた。頭の後ろで手を組んで窓の外に目をやる。
どこのクラスか分からないが校庭のグラウンドで体操服姿の女生徒たちが寒そうにトラックを走っている。
「寒空の下ご苦労なこった。さて」
昼休みまであと二十分ほど。今のうちに午前中に訪れた患者の記録(人数、病名、患部、要因等)を診療録に書き記す。クリパの時ほどではないが、十人近い生徒がケガや体調不良を訴えて保健室にやって来た。
ここ
「......昼飯、行くか」
診療録を片付け、保健室を閉めて学食へ向かう。学食は既に大勢の生徒で賑わっていた。
カウンターで食券を定食に替えて、空いている席に座る。黙々と箸を進めていると、
「相席いいですか?」
「ああ、好きにしてくれ」
「さくらさん、最近帰り遅いですね」
「ん? ああ、そう言えばそうだな」
「昨日も夜中に帰ってきたみたいで、顔色も優れなくて......」
「そっか。なら元気が出る美味い
「......そうですね。気合い入れて作ってみます」
「ああ、そうしてやれ」
再び箸を進めてしばらく......。
「おとーとく~ん!」
聞き覚えのある声と、花柄の刺繍がほどここされた大きなピンク色のリボンが視界に入った。
彼女は、生徒会長と云う立場もあってか注目を浴びながら(主に男子生徒から)、急ぎ足でこちらに向かって来る。
「あっ、
「ああ」
「それでどうしたの?
「そうそう。これ見て弟くんっ」
「これ、新聞記事?」
「うん。図書室の奥に保管されてたのをコピー取ったの。それでね、この記事なんだけど――」
二人は、何やら小難しい話を始めた。俺はその間に定食の残りを平らげるとしよう。
「ごちそうさまでした、と」
箸を置く。食べ終わっても二人は話し続けていた。
「お前たち、さっきからなんの話してるんだ?」
「ちょっと枯れない桜について調べているんですよ」
「ここ最近の事件に関係有るんじゃないかと思って。この記事によると五十年くらい前にも一時的に原因不明の事件が頻発したんだって」
こいつら、そんなことを調べてたのか。まあいい、今はさっさっとこの話題を切る事が先決だ。
「ふーん。ところで
「はい? うわっ!」
「お、俺の昼飯が......」
「あ、あははは......」
昼飯を失い呆然とする
午後の授業を終え、下校時間をもって一日の勤めを終えて帰宅。玄関を開けると晩飯を作っているのか良い匂いが漂ってきた。洗面所で手を洗って客間に戻り着替えを済ませてから居間に入る。居間には誰も居なかった。
とりあえず
「あ、お帰りなさい。
「ああ、ただいま」
キッチンへの襖が開き姿を見せたのは風見学園の制服の上にエプロンを着た
「
「はい、お姉ちゃんもまだ帰ってないみたいです」
「そっか」
「では、私は戻ります」
「おかえり」
「ただいま~」
「鞄を置いたら、すぐに夕飯作ります」
「
「えっ!?
不安と予想外が混ざった様な声。襖が開いた。笑顔の
「私がキッチンに立つことに何か問題があるんですか? 兄さん」
「い、いや。俺が作ろうと思ってたから......」
「もう出来ましたから明日にしてくださいっ」
「けど、どういう風の吹きまわしなんだ?
「や、私もそろそろ料理くらい作れる様にならないと、て思って」
「ふーん......(明日は吹雪だな)」
「何か言いましたか? に・い・さ・ん?」
ぼそっと呟いたのを
夕食を終えると姉妹は帰っていき
「さくらさん。今日も遅いですね」
「そうだな。明日はごちそうを作るから早く帰ってこい、って手紙でも書いたらどうだ?」
「そうですね。寝る前に
「ああ。じゃあ俺は散歩に出てくる。さすがに食い過ぎた......。風呂は先に入ってくれ」
「はい、じゃあお先に」
「ああ。そうだ、バナナ貰っていいか?」
「どうぞ」
許可を貰ってバナナを持って外に出る。途端に吐く息が白に変わった。夜空には雲もなく星が瞬いている。さて、行くか。俺は目的地へ向かい歩き出した。
桜公園の奥に立つ枯れない桜へやって来た。
「よう」
「――うにゃ......。
幹の影からさくらが姿を見せた。さくらの顔色は優れない浮浪困憊と云った様子だ。
「お前、ちゃんと飯は食ってるか? 聞くだけ無駄だな。ほら、バナナだ」
「うん......ありがと」
バナナを受け取ったさくらは、幹に体を預けて座った。日に日に顔色が悪くなっていくのがわかる。
「桜はどうだ?」
「うん。大丈夫だよ」
真っ青な
「悪いが、俺はお前の『大丈夫』は信じない事にしたんだ」
さくらは困った様に無理矢理笑顔を作った。
「明日、
「
「ああ、でっかい買い物袋を下げ帰ってきたぞ。だから――、明日は帰ってこい。お前の家に」
「......うん。がんばってみるね。よーしっ! じゅうでんじゅうで~んっ」
バナナを食べ始めた。あとどれだけの時間が残されているのだろう? 魔法を使えない俺には見当もつかなかった。
* * *
翌日、大きな事件が起きた。
風見学園の校門に車が激突し壁が崩れた。幸いにも怪我人は出なかったが、枯れない桜の悪影響が強まっている事が伺える。
そして、夕食時になってもさくらは帰って来なかった。
「ちょっと探しに行ってくる」
「俺も行きます」
「いや、
「......わかりました。お願いします」
上着を着て家の外へ出ると雪が舞っていた。道にうっすらと降り積もっている。
「......急ぐか」
玄関に傘があったが俺は、構わずに桜公園へ走って向かった。枯れない桜の前に人がいた。頭と肩に雪が積もり白くなっている。
「さくらっ!」
「......
雪を払う。
「さくら、お前......」
「ごめんね。もう難しいかも知れない」
「ああ、そんな気がした。昼間、風見学園に車が突っ込んだんだ」
「うん......知ってる。間に合わなかったんだ」
さくらは、うつ向き肩が震えていた。その頭に手を乗せる。金色に輝く綺麗な髪は、まるで空から舞い落ちるこの雪の様に冷たくなっていた。
「......さくらさん、今の話し」
うしろから聞き覚えのある声が聞こえた。振り向くと制服姿の
「
「お前、どうしてここに」
「事件の事を調べていたら、この枯れない桜に手がかりがあるんじゃないかと思って調べに来たの。それよりさっきの話し......どういう意味ですか?」
「さくら」
「ありがとう、
さくらは、ゆっくりと話し始めた。
この人の願い叶える枯れない桜の真実を――。
「
「......えっ?」
「目が覚めても、本当の夢を見る事の出きる様に......。この枯れない桜は......そう思って作った魔法の木なんだ」
「魔法の木?」
「
「はい......。やっぱり枯れない桜と何か関係があるんですか?」
「関係というより、今まで起きた事は全部この木が原因なんだ。この魔法の木が不完全だったから......、今まではボクが制御していたんだけど。でも、ボクの力じゃ、だんだん制御出来なくなって......」
「なんとか......ならないんですか?」
だから――俺が代わりに言った。
「また桜を枯らせばいい」
「
「どういう事?
「初音島で起きている事件は、この枯れない桜が原因だ。だから元を断てば全てが
そう元に戻るんだ。桜が咲き誇る前の普通の初音島に。
「本当なんですか? さくらさん」
「............」
さくらは、黙ったまま小さく頷いた。
「だったら――桜を枯らしてください。危険な事件がいくつも。今日だって、校門で交通事故が――」
「知ってる。
「それならっ」
「でも、桜を枯らすわけにはいかないんだ」
言葉を遮り拒否した。
「何で、ですかっ?」
「それは......」
「落ち着け、
「
「ああ、知ってる。この桜に掛けられた願いも、な」
枯れない桜を見上げる。いつもと変わらず満開の桜。薄紅色の花弁が雪と共に舞い落ちる。
「願い?」
「さくら、いいよな?」
「............うん」
「
さくらが枯れない桜に願った。可能性から産まれた家族――。
「そんな......弟くんが......」
「ごめんね......
枯れない桜と
「――大丈夫だよ、
「さくらさん......」
安心させる様に笑顔を見せる。
「ねっ?」
「......はい」
「うんっ。ほらほら、こんなところにずっと居ると風邪引いちゃうよ? 今日はボクもここまでにするから一緒に帰ろ?
「さくら、お前......」
さくらの目から強い決意を感じる。
「わかった。
「う、うん。ありがと......」
手を差し出し、
「さて、帰るか」
「だね~。そう言えば、今日はご馳走なんだよねっ?」
「ああ、気合い入れて作ってたぞ」
「にゃははっ、楽しみだね~」
三人で家路を歩く。終始暗い
このままでは結局、サクラの云った未来へ進んでしまうのかも知れない。
夢が目覚めるその時、俺に何が出きるのか。
今の俺には何も分からなかった。