枯れない桜の前に佇む少女の元へ向かった。
彼女は集中しているのか、数メートルの位置まで近付いても俺の存在に気づかない。
「............」
枯れない桜に両手を添えながら何かを呟いている。小さな声で何を言っているのかは聞き取れないが、ただ真剣に真摯に心から祈りを捧げている、そんな風に感じた。
「おい」
「っ!?」
声を掛けると少女の体がビクッと震えた。恐る恐るといった感じでゆっくりと振り向く。髪の色や背格好から薄々そうじゃないかと思っていたが。やはり少女は――、俺の知っているさくらだった。
「えっ、ゆ、
青い瞳を大きく見開いて訊いてきた。どう答えるか一瞬悩んだ。けど、隠す必要もないと思い直し正直に答える事にする。
「呼ばれたんだ。サクラに――」
「ボク?」
ボクは呼んでないよ、と不思議そうに首を傾げた。
「お前じゃない。......桜だよ」
「桜?」
さくらの頭上で咲き誇る桜に目を向けて言う。我ながら苦しい言い訳だったが、さくらは笑顔になった。
「そっか~、桜かぁ~。にゃははっ、じゃあしょうがないねー」
「ああ、しょうがないな」
適当に頷いておく。
「お前は、何をしてるんだ?」
「ボク? ボクもね、
さくらは、俺に背を向けると枯れない桜にそっと手を添えた。その後ろ姿は、昨日のサクラの姿とダブって見えた。
「そっか」
「――うん」
肯定の返事は小さな声だった。
けど『この話しはもう終わり』そんな強い意思が込められている気がした。その証拠に、さくらは俺に背を向けたまま何も言わない。
「じゃあ、俺は――。ぐはーっ!?」
突然頭に衝撃が襲った(な、なんだっ?)。大した痛みじゃないが、反射的に頭を抱えて、その場に座り込んでしまう。
「大丈夫っ?」
顔を上げると、さくらが心配そうな
「ああ、大丈夫だ.....。たぶん、それが当たった」
「え? あっ、桜」
さくらの視線の先には枯れない桜の枝。あれが直撃したんだろう。にしても、先に帰ると言おうとした、絶妙なタイミングでピンポイントに脳天に......。
突然、無風だった広場に風が吹いた(あ、ああ......そう言う事かよ)。この時、俺はアイツの言っていた事を理解した。お前はまだ帰るなって、話しを聞けって、そう言いたいんだな。
「なあ、さくら」
「ん?」
立ち上がって枯れない桜に目を移す。
「この桜。人の願いを叶える魔法の木なんだろ?」
「さあどうだろう。そんな噂はあるみたいだけどね」
さくらは、表情を変えずに返事をした。相変わらず嘘が下手だ。
「もし仮に、そんな夢みたいな事が本当だとしても......。
* * *
「あっ、たい焼き屋さんだ」
「美味そうだな」
神社で場所を確保出来なかったのか、桜公園のクレープ屋の近くにたい焼きの屋台が出ていた。
屋台から漂う餡やクリームの甘い匂いが、俺の胃袋を揺さぶる。
「買ってくか」
「いいねっ、行こー」
「おいこら引っ張るなっ」
「にゃははっ。早く早くーっ」
さくらに手を取られ早足で屋台へ。
俺とさくら、
「ふんふんふ~ん」
「随分ごきげんだな」
先ほど迄の空元気から打って変わって、嬉しそうに笑顔で鼻唄を歌っている。
「だって
「まあ結構儲かったからな」
さくらは、立ち止まって空を見上げた。俺も同じ様に見上げる。雲一つ無い晴天。
朝は寒かったが、今は結構温かい。
日が傾きオレンジ色した西の空、明日もきっと晴れるだろう。
「明日は、吹雪かな」
「......お前の分は返品してくる」
「うにゃっ!? うそうそっ」
たい焼き屋に向かおうとする俺に、慌てて取り繕って来た(お前、俺のファンだ、って言ってたじゃないか......)。一つ大きなタメ息をついてから再び家路を歩く。
「ただいまー」
「お帰りなさーい。さくらさん、
玄関を潜ると出迎えてくれたのは、エプロン姿の
「さくらさん、お願いがあるんですけど」
「なーに?」
「実は――」
そう言えば今朝、
それともう1つ、最近物騒な事故や事件が頻繁に起きている事も理由の一つだそうだ。
「うん、もちろんいいよー」
「ありがとうございます。すぐ晩ご飯ですから、手を洗って来て下さいね」
昨夜の話しをしながら晩飯を食べていると
「
「ああ、そっか。客間は
「俺は、別に開けてもいいぞ」
野宿なんて日常茶飯事。駅や公園のベンチ、橋の下、納屋だろうが何処でだって寝れらる。一日くらい余裕だ。
「ダメダメっ。
「私たちは何処でも。ね、お姉ちゃん」
「うん」
「う~ん......。じゃあボクの部屋で寝ればいいよ」
「でもそれじゃあさくらさんは......?」
「ならさくらが、
「あっ、それいいね!」
「いやいやいや!」
乗り気のさくらと慌てて阻止しようとする
「なんでー? 前に泊まりに来たときは、一緒に寝てたのに~」
「そ、それは子どもの頃の話じゃないですかっ!」
『はいはい! それなら私がっ、弟くんと一緒に寝ますっ!』と
風呂上がり、客間から
「じゃあ電気消します」
「ああ、頼む」
部屋の電気が消え、カーテンから漏れる月明かりが差し込む。しばらくすると
けど、俺は寝付けないでいた。何時もなら直ぐに寝てしまうが今日は眠気が訪れない。その理由は俺自身分かっている。
枯れない桜で聞いた真実。あの話が俺の頭の中を支配しているからだ。
* * *
「
「......そう、だね」
さくらは、うつ向いたまま小さく頷いた。この反応、やはりサクラの言っていた当事者はさくらだ。
「お前は、この桜に何を願ったんだ?」
「......
「どういう意味だ?」
さくらは、俺に背を向けて話し始めた。すべての始まりの物語を――。
枯れない桜は、人の願いを叶える魔法の木。人が人を大切に想う力を集めて困っている人のために奇跡を起こす。
実際、その恩恵受けていた人が何人もいたらしい。
しかし五十年以上前にこの枯れない桜は二度散った。
そして枯れない桜が二度目の散りから、ここ数年前までは年中咲き誇ることなく春になると綺麗な薄紅色の花を咲かせる普通の桜の木だった。
だが、数年前この島の桜に何かが起きた。
そして現在起きている多くの事故や事件、その全ての原因は自分にあると、さくらは言った。
「枯れない桜には欠陥があったんだ。でもね、本当に困ってる人が幸せになれるなら、苦しみが減るのなら。そんな夢みたいな桜があっても良いんじゃないかって――。日本を離れて長い長い時間、ボクは一人、アメリカで研究をしていた。でも......」
枯れない桜を見上げていたさくらは目をふせた。
「桜の研究を進めている間、外の世界は進んでしまっていた。ボクの大好きな人たちは結婚して子供を作って幸せになっていった。ボクは、急に寂しくなってしまったんだ。このままずっと独りぼっちなのかなって......」
「そっか。それで?」
「......うん。ボクは、初音島に戻って......絶対にしてはいけない事をした。まだ未完成の枯れない桜の
さくらの願い。
それは――『ボクにも家族が欲しいです』。
「もしかしたらあったかもしれない可能性の未来を見せてください、ってそう願ったの......」
家族――。さくらの願いを聞き入れ、枯れない桜から生まれたたった一人の家族との出会いだった。
* * *
「ふぅ......」
結局寝付けず布団から起き上がる。ベットで寝ている
俺は、そのまま部屋に戻るずに居間の
「............」
頬杖をつく。さくらが言っていた枯れない桜の欠陥。それを完全に修正出来ずに咲かせてしまった代償。未完成の故の暴走。
人を幸せにするために植えた枯れない桜が初音島に悪影響を及ぼしてしまった。それが最近多発している原因不明の事故や事件を引き起こしている。
今までは、さくらがどうにか魔法で制御していたらしいが、日に日にそれも及ばなくなり始めているらしい。ただ元凶である枯れない桜を再び枯らせば問題は解決する。
「お前は、どうして俺を選んだんだよ......?」
俺の疑問は静かな居間に響くだけで、アイツには届かない。その代わりに背中にある襖が開いた。
「
「ん? ああ......
入ってきたのは淡いグリーン色の寝巻き着た
「どうしたの? こんな時間に」
「中々寝れなくてな。お前は?」
「私も同じ、ちょっと眠れなくて。飲み物淹れてくるね」
「甘酒以外で頼む」
「もぅ~、いじわるだよ~」
「はい」
「悪いな」
湯飲みを受け取ると、
「もう酔いは醒めたか?」
「さ、最初から、よ、酔ってなんてないよっ。甘酒は子どもでも飲めちゃうんだからっ」
「ふーん」
よく云うな。あれだけ暴走してたってのに。
夕食後、買ってきたたい焼きをつまみながら温めた甘酒を飲んだんだが
甘酒で酔うヤツなんているんだなあ、とある意味で関心している俺がいた。
「はぁ~......おいしい」
「だな」
お茶を啜りながら話しをしていると僅かだが異変を感じ取った。
この異変は覚えがある。保健室で何度も同じ症状見てきた。近しい人だと
「
「えっ? そう言えば、少し寒気がするような......」
「なら、もう寝た方がいい。年始じゃ病院も開いてないだろ?」
「そうだね。じゃあ寝るね。心配してくれてありがとう。おやすみ」
* * *
翌日の昼。俺は、
真面目に選ぼうとしない
さて俺はどうするか考えていると突然
「
「どうした?」
声のした方を見ると、
「
「完全に熱だな」
今日は、1月2日。水越病院の救急なら開いているが幾分遠い。近く診療所はおそらく休館だろう。
「
「えっと、どうだろう。帰って見ないと......」
「そうか、じゃあお前は
「はい、わかりました。お願いします」
俺は、市販の風邪薬(保健室にあるのと同じ薬)を購入してドラッグストアを出る。
夕暮れ時の商店街を歩いていると以前プリンを買いに立ち寄ったカフェを見つけた(確か、
「あ、お帰りなさい」
「二人は?」
出迎えてくれたエプロン姿の
「家です。自分の部屋の方が落ち着けると思って」
「ああ、それもそうだな。風邪薬を渡してくる」
朝倉家に移動して呼び鈴を鳴らす。対応しに出てきた
居間に入ると電気の消えた部屋でぽつんと一人、
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
電気をつける。
「これ、全部一人で作ったのか?」
「まあ、一応。昨日のうちにある程度仕込みを済ませていましたから。............」
やっぱり無駄になっちゃった......。と僅かに聞き取れた。まったく世話が焼ける姉妹だ。
「さて、片付けないと。手伝っていただけますか?」
「任せろ」
ドカっと座る。目の前の料理に手を伸ばし口に放り込んだ。
「ちょっ! 何してるんですかっ?」
「......うまいな。
惚けている
「............」
「
「......はいっ」
箸を受け取って片っ端から食べる。形は幾分イマイチ、けど味は昨日とは段違いだった。その努力の証しがふと目に入る、指に貼られた絆創膏が物語っていた。
「ごちそうさま、でした」
「ほんとに食べちゃった......スゴいですね」
一時間程でほぼ全ての料理を平らげた。若干飽きれ気味に言われた気がするが気のせいだろう。
「ふぅ~......。そうだ、これ」
「何ですか? プリン?」
「ああ、誕生日プレゼントだ」
「ありがとうございます」
「食べないのか?」
「もう入らないから明日いただきます」
「そっか。さて」
「ちょっと待ってください」
風呂に入るため、立ち上がろうとしたところを止められた。
「あの、ひとつお願いがあるんですけど」
「何だ?」
「えっと、人形劇を見せてくれますか?」
どういう風の吹き回しかは分からない。もしかしたら
「あはは......。やっぱり、つまらないですねっ」
「ほっとけっ」
前言撤回だ。
ただ最後に『ありがとうございました』と小さくお礼の言葉を言ってくれた。