妙な寝苦しさで目が覚めた。視界は暗いままで何も見えない。手探りで、枕元の目覚まし時計探し時刻を確認すると午前二時を少し回った頃だった。
額には汗が浮かび、えらく喉が乾いている。眠気もあるが、気だるい体を起こし、喉の渇きを解消するためキッチンへ向かう。
キッチンへ行くため居間の襖に手を掛けると、隙間から光が漏れていた。誰かがいるのか、もしくは電気を消し忘れたか。
だが、そんな事どうでもいい。今は、この喉の渇きを解消する事が先決。
「お前ら、何してるんだ? こんな時間に......」
「あーっ、
「すみません、うるさかったですか?」
居間には先客がいた。さくらと
「どうぞ」
「ああ、ありがと」
何故、俺がこんならしくもない話しをしているのかというと、それは、目の前にいる二人が正に今、そう言った類いの話しをしていているからだ。
「それで、
「えっ?」
続けるんですか? と言いたげな
おそらく
だが、現実は非情だ。
例えば、人形劇が終わり稼ぎを数えている時に見つけた百円玉より大きな硬貨が、ゲーセンのコインだった時ぐらい非情だ。期待の大きさに比例して喪失感が半端じゃない。
「
「どうして
困惑する
「ほらだって、
まるでまゆきの様な言い方で
「べ、別に......そんな相手」
「動揺してるぞ」
「動揺してるね」
「し、してません!」
焦った様子で否定したが、実に怪しい。消費期限が四日過ぎた牛乳の様な怪しさだ。あれは地獄だったな......。乳製品の消費期限は洒落にならん事を学んだ夏だった。
「く、
「あん?」
何を思ったのか俺に振ってきたが――。
「気になる女子とか......」
「ここに来て二週間弱だぞ?」
「......ですよね~」
諦めた
その背中を、さくらは微笑んで見送っていた。
「ねぇ。
「なんだ」
「
「お兄ちゃんから聞いたけど――」
「お兄ちゃん? お前、兄弟がいたのか?」
さくらに、兄弟がいると言うのは初耳だった。何故か興味沸き、話しをぶったぎり質問で返す。
「そういえば話してなかったね~。ボクのお兄ちゃんは、
「
俺の頭に思い浮かんだ、一人の老人。まさか......。
「......
「大せいか~いっ。ぱちぱちぱち~」
「......マジか?」
「マジだよ~」
嘘をついている雰囲気は感じない。(さくらは、何歳なんだよ?)。俺の中で、さくらへの謎は更に深まった。
「正確には、従兄弟なんだけどね~」
「へぇ......」
さくらと
「なあ」
「ん? な~に」
「実際、お前
訊いたとたん脳天に衝撃が走る。
「いてっ」
「こらっ。レディに年齢を訊くのは失礼だよっ」
さくらは、眉を吊り上げて批難の眼差しを向けてきた。どうやら年齢の話しは御法度らしい。
「罰として時代劇観賞に付き合って」
「......眠いんだが」
「明日から冬休みだよ? 一緒に夜更かししようよ~」
「お前、年末は忙しいって言ってたじゃないか」
「それとこれとは別だよっ。ねぇ、いいでしょ、おねが~いっ」
さくらの必死の懇願に、結局、俺は折れてしまったのだった。
* * *
誰かが、俺を呼んでいる。男なのか、女なのか、それすらも判別出来ない。ただ、妙に鼻をくすぐる良い香りがした。(誰だ?)。訊いても返事は返っては来ない。もしくは、俺の言葉が声になっていないのか。
声の、匂いの主を確認するために、重いまぶたをゆっくりと持ち上げる。気を抜くと閉じてしまいそうだ。気合いを入れて開く。
「あ、起きた。こんな所で寝てると風邪引いちゃうよ?」
「......ああ」
俺を呼んでいたのは、
「おはよう」
「......ああ」
「もうっ。朝は『おはようございます』だよ?」
「......おはよう、ございます......」
挨拶をして気がついた、身体が痛い。肩には掛け布団が掛かっていた。さくらの姿は無いどうやら、俺はあのまま
「朝ご飯用意してくるね」
「ああ、悪いな。ふんっ......」
「お待たせー」
おぼんを持った
ご飯、味噌汁、目玉焼き、ベーコンと定番の朝定食が
「
「お家だよ」
「あいつ冬休みだから、だらけて寝てるんですよ。まったく、俺が起こされてるってのに、あのぐうたらな妹は......」
「......誰が、ぐうたらですか?」
「げっ......」
「げっ、て随分な挨拶ですね。まったく......」
文句を言いながらも何時ものポジション、俺の正面に
「兄さん、お茶ちょうだーい」
「たまには自分で淹れろよ......」
そう言いながらも、お茶を淹れてやる
四人分の料理がテーブルに並び、用意してくれていた
「そう言えば、そろそろ準備しないとだね」
「うん、そうだね」
「何をだ?」
姉妹は何かを企画しているのだろうか。
「大掃除の準備だよ。少しずつ始めようと思って」
「そらご苦労だな」
固定の居住を持たない俺には縁の無いワードだ。
「他人事みたいに言わないでください。今年は、
「マジか......」
「おおマジです。と言うわけで、朝ご飯を済ませたら、兄さんと
* * *
「あっ、お姉ちゃん、あの服可愛いよ」
「どれ~? ほんとだ。これ
「そうかな?」
俺は、朝倉姉妹と共に商店街へ来ている。
「お前ら、大掃除の買い物はいいのかよ?」
「や、息抜きも必要ですから」
「うんうんっ、だねー」
そうは言っているが、姉妹は、商店街に着いてからショップを見て回るだけで、ホームセンターへ向かう気配は微塵も感じられないと言うより、さっきホームセンターの前を躊躇なく華麗にスルーしていた。
「やっほー。
「ん?」
背中から声を掛けられた。振り向いて見ると、まゆきとエリカが居た。
「お前らか」
「おはようございます」
「ああ、おはよう。買い物か?」
「そだよ。エリカは、日本で初めての年越しだから、いろいろ手伝おうって」
「そうか」
「
女性物の服屋で目付きの悪い若者(男)が一人佇んでいる。確かに、端から見たら異様でしかない。
「女装癖があるとか」
「......そう、なんですの?」
「んなもんあるかっ」
若干エリカに引かれた気がする。
「お待たせ。って、まゆき? それにエリカちゃん?」
「おや、
「あ、おはようございます。
「はい、おはようございます。
バッタリと出くわした事も何かの縁というわけで、近くのカフェで一服する事になった。
「とても不思議ですわ。どうなっているのかしら?」
エリカは、テーブルの上でひとりでに動く人形を興味深そうに観察している。俺にとって、エリカの反応は新鮮だった。
何故なら、どこかの誰かと違ってオチを求めない。チラッ、と目だけを動かすと
「何ですか」
「別に何も言ってないぞ」
否定したにも関わらず、目を細目て疑いの眼差しを向け続けてくる、勘のいい女だ。
カフェを出て、五人で商店街を歩く。目的地が同じだったため、まゆきたちも一緒に行くことになった。
朝倉姉妹は大掃除の道具、まゆきとエリカは、年越しの準備をホームセンターで購入して、商店街の入り口で別れた。
「それじゃあ、また夜に行くね」
「荷物ありがとうございました」
「ああ、じゃあな」
朝倉家の前で姉妹と別れて、俺も帰宅。
ホームセンターで買ったカップ麺を昼飯に食べながらテレビを見る。(つまらんな......)。特に興味を引く番組は放送していなかった。
空になったカップ麺の容器を片付けて外に出る。今日は、気持ち暖かい。
「散歩にでも行くか」
俺は、桜公園へ向かい歩き出す。いつもの通学路を歩き、いつも潜る校門を通り過ぎて公園に到着。人は居るが、それほど多くない。(人形劇をするには少ないな)。それに年末年始は神社に集まるという話だ。
舞い散る桜を眺めながら、公園の奥の高台までやって来た。一番高い位置に設置されたベンチに腰を降ろして手摺の向こうに目をやると、冬の日差しに照らされ、キラキラ光る蒼い蒼い大海原が広がっていた。
島の為か、海を遮る物は無く、水平線が丸く見えて何処までも、何処までも続いていた。
忙しかった日々から解放され、久しぶりに穏やかな時間が流れる。冬にしては暖かい気温と空気を感じながら、しばらく海を眺める。
* * *
気がつくと見知らぬ通路に俺は立っていた。
少しずつ視界に映る景色が変わっていく。足下をみると床が動いていた。どうやらエスカレーターに乗っているようだ。
横を見ると、仕切りの無い巨大な窓があり外には青い空が拡がっていた。そのまま視線を落とすと、広大な海或いは湖か。その中心部に桃色に染まった島が浮かんでいた。徐々にその島が大きく見えることから近づいている事から、このエスカレーターは相当高い場所にあり下っているのだとわかる。
初音島のさくらの家で寝ていた俺が、何故見知らぬ土地にいるのか、その
何故なら、唐突に風景が切り替わったからだ。
今度は、目の前に建築物が現れた。見覚えの無い建物、その周りを囲む様に幾つもの桜の木が薄桃色の小さな花を満開に咲かせている。
そして、俺と同じ
俺の体は、自然と校舎へ向かい進んで行く。入り口を潜ると、まばゆい光に包まれた。あの少女の夢から覚める時と同じだ。
そう......。これは――夢だ。
初音島に来てから、何度も見てきた枯れない桜の木の下で謝罪を続ける少女の夢とは違う雰囲気の夢。
それはまるで――誰かが、俺に何かを伝えようとしていると、そう感じさせる夢だった。