高熱で倒れた
「じゃあ、あとのことよろしくね」
「ああ、わかった」
遡ること数分前。
いつも
「よし、もういいぞ」
「ありがとうございましたー」
「浮かれすぎるなよ」
「はーい」
他校の女子生徒(廊下を走って転んだ)は間延びした返事をして、保健室の外で待っていた女子生徒と歩いていった。ったく、ほんとわかってるのかよ。お祭り気分で浮かれるのは解るが、ケガして苦労するのは、俺だ。あと、本人も痛いだろう。
「フゥ......」
タメ息を一つ付いて、背中を預ける形で背もたれ付きの椅子に座る。ふと、室内の壁にある掛け時計を見ると、
「たのもーっ」
「ん?」
時代錯誤の掛け声と共にドアが開き、附属の女子生徒が入ってきた。乳牛柄の帽子と、長い赤いマフラーが真っ先に目に入る。
「お前か」
「おおーっ、
久しぶりに会った
「どうした? ケガでもしたか」
「
そう言って
「見舞い?」
「ああ、
「
「そんなはずはない」
疑うように彼女は、ベッドに目をやった。
「......居ない」
「だろ。さっき一時的に無人だったから、家に帰ったのかも知れないな」
誰も居ないかったとはいえ、ベッドを使うほどじゃないなら大丈夫だろう。
「そうか。では
ビニール袋から棒を一本を引き抜いて差し出した。小分けされ透明の袋に入ったそれは、祭りなどの屋台でよく見る定番の食べ物。
「屋台で買ったチョコバナナだ。体調が悪い時は、栄養価の高いバナナに限る」
「わかった。渡しておく」
「頼む。ではな」
「ま、いいことなんだろうけど。さて......」
留守中に来室した患者の記録を日誌に書き記していると、
「ただいま~、留守番ごくろうさま」
「
「風邪が少し悪化しただけよ。昨日の熱が下がりきらないまま無理して、登校したのね」
出張保険医で校内を回っている時に知ったが、
「もう、こんな時間か。
「いいのか?」
時計を見る。針は16時を指していた。何時もよりも少し早い。
「ええ」
「じゃあ、日誌」
日誌を渡して、チョコバナナの入った袋持つ。
「はい、ごくろうさま。そうだ。明日は、自由にしてくれていいわ」
「わかった。そうさせてもらう」
保健室を出て、扉を閉める。
「さて、どうするかなー」
時間を貰ったのはいいが、
「んー......帰るか」
結局、特に見たい催し物はない。というより、出張保険医をしていた事で色々な露店、企画を見て回る事ができた。来客用の玄関で靴に履き替え、校舎を出ると太陽は傾き、西の空はオレンジ色、東の空には星空が見える。気温も昼と比べると、だいぶ下がっていた。手に持つ、チョコバナナを見る。
「この気温なら大丈夫か」
俺は、真っ直ぐ
* * *
「ありがとうございましたー」
商店街の洋菓子屋を出る。俺の右手には、小さな箱が二つ。箱の中はプリン。昨日、
商店街は夕暮れ時とあって、夕食の買い物客で賑わっている。人波みを避けながら家路についた。
風見学園と商店街のちょうど間にあたる住宅街の一画、居候させてもらっている
「で、どこだ」
目的の水越病院に着いたのはいいが、ゆずの病室が分からない。小さな島とはいえ、大病院。小児科だけでも病室の数はそこそこある。ひとつひとつ探すのは、骨が折れそうだ。とりあえず、小児科病棟に向かう事にした。エレベーターを降りて廊下に出ると、女性看護師が配膳の準備を始めていた。ちょうどいい、尋ねる。
「聞きたいことがあるんだ」
「はい、なんでしょう?」
「
見舞いのプリンの箱を見せる。
「ゆずちゃんのお見舞いの方ですね。どうぞ、ご案内します」
看護師の後に続いて歩く。彼女は、とある病室の前で立ち止まり扉をノックした。どうやらここが、ゆずの病室みたいだ。
「はい。どうぞ」
男の返事が聞こえた。聞き覚えのある声、父親の
「ゆずちゃん、夕御飯の時間ですよ~。それと、お客さん」
「よう。元気か?」
看護師の後ろから顔を出す。
「んー? おおー、にーちゃんだーっ」
「やあ
ゆずは、一瞬首を傾げてから指を差して大声を上げた。看護師にやんわりと注意されたのは言うまでもないだろう。ゆずが夜飯を食べ終わるのを待ってから、見舞いの品を渡す。プリンはちょうど、デザートになった。
「にーちゃん、ありがとなっ」
「ゆず、ついてるよ」
プリンの欠片を頬につけて礼を言うゆずの顔を、
「とーちゃん、これよんでくれ」
「またこれかい? ゆずは好きだな~」
「さくらひめのでんせつ?」
「この島の桜、人の願いを叶える枯れない桜を舞台にした童話だよ」
「へぇー」
「ただ、一つ不可解な事があってね。この童話、作者が不明なんだよ」
「ん? それが不可解なのか?」
童話やおとぎ話なんてものは、作者が曖昧な物も多いだろう。特に不思議な事でもないと思う。
「少し調べてみたんだけど。この童話、其ほど昔に作られた物じゃないみたいなんだ。ここ百年位なら中世と違って技術も発達してるし、必ず形として何かが残ってると思うんだけどね」
そういわれればそうだ。数百年前なら不思議じゃないが文明が発達している現代で。それも初音島と云う小さな島で手懸かりが無いのは異様な事なのかも知れない。
「いやー、見つからないとなると、ライターとしての血が騒ぐよ。はっはっは!」
「とーちゃんっ!」
「ああー、ごめんごめん」
急かされて娘に平謝りの
「『さくらひめのでんせつ』枯れない桜の木の下に――」
さくらひめのでんせつ。
一人の少女が毎日毎日、枯れない桜の木の下で泣いていた。
桜の木は、彼女に問いかける。少女は、答えた。友達が虐めると。すると桜は微笑み、その枝で少女の頭を優しく撫でた。
そして、翌日。
「次の日。女の子を虐めていた男の子は――」
続きを聞く前に外の大きな破裂音で遮られた。窓の外を見る。
「ああ~っ、花火だー!」
夜空に、光り輝く大輪の花が咲いていた。
「本当だね。この島では、クリスマスに花火を上げる習慣があるのかな?」
「いや、違う。あれは――」
花火が上がっている方向は、風見学園。クリパの案内には花火の事は触れられていなかった。これが、
「へぇー、粋な演出だね」
「そうだな。さて、そろそろ帰る」
「ああ、うん。遅くまでありがとう」
「ええ~......また、きてくれるか?」
「ああ、今度は人形劇を見せてやるよ。じゃあな」
病院を出ると既に真っ暗だった。空は今にも落ちてきそうな分厚い雲に覆われている。少し早足で帰る。時間が時間だけに寒いし、何より腹が減った。
再び、
「おや、キミは......」
「
「うむ、渡しておく」
「それとこれは、俺からだ」
「ありがとう。ところでキミが、
「ああ。知ってるのか、俺のこと」
「もちろんだとも。どうだろう、少し上がって話を聞かせてくれないかい?」
* * *
ダイニングキッチンに通され、正面に座って話をする事になった。お互いの目の前には、店屋物のラーメンが湯気を立てている。
それと爺さんは、朝倉姉妹の祖父で
「ははは......」
「なんだ?」
爺さんが突然、愉快げに笑いだした。
「いや、すまない。孫娘が話していた通りなんで可笑しくてね。あの娘たちから、
「はあ?」
どんな言われ方をしているんだろうか。
「おじいちゃん、静かにしてよっ」
「悪い悪い」
「もうっ......って、
「俺が誘ったんだよ」
「おじいちゃんが? ああーっ、ラーメン取ってるっ。お姉ちゃんに怒られても知らないんだからっ」
また血圧が上がると
「まったく」
「ははは、
じとー、と目を細めて睨みつけるような視線を軽口を言った爺さんに向ける。しかし、元気じゃないか。心配する程でもなかったか。
「おお、そうだ。
「お見舞い?」
「お前、体調が悪かったんだろ?」
「えっ? あ、はい、そうでした」
妙に歯切れの悪い返事が気に掛かった。まるで今、思い出したかの様な言い方だ。
「あっ、あのお店のプリンっ」
「それは、
「ありがとうございます。えっと、こっちは――チョコバナナ?」
「
「
「ああ、そうしてやれ」
時計を見てから席を立つ。
「さむ!」
「うわっ、ホント!」
「確かに、今日は冷えるな」
セーターを着ている
「ここでいい。ごちそうさまでした」
「ああ、また話そう。おやすみ」
玄関先で見送られ、隣の
「兄さん、お腹すいたぁ~」
「開口一番がそれかよ......」
「
「病院に直行。インフルエンザじゃないそうだ。点滴を打ったそうだし、明日には下がるだろう」
「そっか~、よかった」
「お姉ちゃん、はやくー。
玄関の前で、
「はーい、今いくー。いこ」
「ああ」
「
「ん? あっ、
「なにー? 寒いんだけど」と若干抗議しながらも、玄関の雨よけから出てきた。
「雪......」
「道理で寒い訳だ」
「本当に降ったな、
「うん。ホワイトクリスマス......だね」
空から降る雪と庭で咲き誇る桜が舞い散る中、寒さを忘れ、俺たちはしばらく幻想的な風景を眺めていた。