クリパ初日の朝。
結局、新しいネタは未完成のまま本番を迎える事になってしまった。洗面所で顔を洗い、眠気も一緒に洗い流してから居間に入ると、さくらと
「
「おはようございます」
「ああ、おはよ......。
「兄さんは、今日も朝練ですよ」
「今日が、本番なのにか?」
「はい。兄さんは、テスト前に慌てるタイプですから」
「ふーん、そいつはご苦労だな」
適当に返事を返して、いつもの場所に足を入れる。足の裏にむにゅっとした感触がした。なんだ? これは。もふもふしていて踏み心地がいい。
「あんっ!」
「ん? ああ、お前か」
「は、は......」
もう少しで思い出しそうだ。山形で見た樹氷がまるで針のよう連なる山々。針と山、そんなような名前だった気がする。そうか、思い出した。こいつの名前は――。
「蔵王」
「ああーんっ!」
残像が残って見えるほど、高速で首をブンブンっと横に振った。どうやら違ったらしい。
「もう~、はりまおだよ~」
「あん? そうだったか?」
「最初の『は』は、何だったんですか?」
「あんあんっ!」
二度と間違えるなと言いたげに、縦棒の様な眼が俺を捉えた。
こいつ犬なんだよな? 一応。未だ俺の中で、はりまおへの疑念は晴れない。
「お待ちどうさまー」
そうこうしているうちに
「いただきます」と、四人で手を合わせて朝飯をいただく。
「なんだ? お前も食いたいのか?」
「あんっ」
「よし、この卵焼きをやろう。旨いぞ」
「自分のをあげてくださいっ」
「......仕方ないな。ほら」
一個摘まんで口にやると勢いよくかぶり付いた。
食事を済ませて登校 。今朝は、さくらも一緒。桜並木の通学路も、ずいぶんと通い慣れた。冬に咲く桜に積もる雪が、何ともミスマッチで幻想的な風景。さくらは、はりまおと一緒に降り積もる雪にはしゃいでいる。幼い容姿も相まって子どもにしか見えない。背中を丸めた
そんなこんなで、風見学園に到着。朝倉姉妹と別れ、さくらと一緒に職員用の玄関から校舎に入る。
「じゃあ、また後でね~」
手を振って、学園長室に入っていった。
俺の方はいつも通り、保健室へ向かう。
「おはようございます」
「はろー、
「はりまお?」
足下を見ると、確かにはりまおがいた。てっきりさくらに着いて行ったと思っていたんだが、俺に着いて来たみたいだ。
「お前、何で居るんだ?」
「あんあんっ!」
何を言いたいのかさっぱり解らない。とりあえず、掃除を始める。掃除の間もはりまおはモップの上に乗ったりして、俺の近くで遊んでいた。
「終わったぞ」
「ごくろうさま。じゃあ、行きましょ」
「どこへ?」
「体育館よ」
体育館に到着。館内は、星や輪飾り、ツリーなどで装飾されていた。ここも、クリパ仕様という事だろう。
『――ということで、本日の14時からクリスマスパーティーが開催されます』
さくらが壇上に立ち、クリパの注意事項を述べていた。
『パーティーには一般のお客さんなど学園外からの――』
生徒は、気持ちが高ぶっているのかざわついている。そんなにスゴいイベントなのだろうか。
『風見学園の生徒として恥ずかしくない行動を心掛けてください』
さくらが壇上を降りた。どうやら今ので、挨拶は終わったらしい。「さあ、忙しくなるわよっ」と、
「そんなに忙しいのか?」
「ええ、それはもう。この手のイベントになるとやんちゃする子が多いから」
「今年は、
「時間貰えるんだろうな?」
「人形劇だったわよね。ちゃんと確保してるから安心して」
「なら、いい」
正直、このクリパでどれだけ稼げるかが勝負。大きなイベントとみたいだから、財布の紐が緩い事を期待するか。
そして、俺は――後悔した。
「すみませーん、ケガしましたぁー」
「またか。さっさとここに座れ!」
パーティーが始まっていないにも関わらず、患者が絶えない。準備時間もあと僅かということもあってか、突貫で最終調整をしているクラスが多いらしく、ケガ人も多数出ている。その殆どが擦り傷、切り傷の軽い患者なのが唯一の救い。
「はい、お大事に。
「なんだ?」
「その子の処置が終わったら、先にお昼行って来て」
「昼?」
時計を見る。既に正午を過ぎていた。嘘だろ? 俺の記憶では、ついさっきまで10時だった。クリパ前からこれか、始まったらどうなるんだ? 保健室のあの様子だとゆっくり食べている暇は無いと判断して学食は諦めて、売店でカツサンドとkEyコーヒーを買って、中庭のベンチに座る。
白衣のポケットから営業許可書を取り出して確認。畳一畳分のスペースが確保されていた。人形劇には十分過ぎる広さ。あとで、余っているダンボールを貰って舞台にするか。ちょうどいい下見になった。
「うまいな。これ」
右手に持った、カツサンド。普段は残っていない人気の惣菜パンなのだが、何故か今日は残っていた。パーティーの準備で昼飯を食う余裕もないのかしれない。絶品カツサンドを3分ほどで食べ終え、コーヒーで一服。この時だけは、慌ただしさ忘れる至福の瞬間だ。
あと五分したら戻ろう。そう考えていると、附属の校舎から女生徒が走ってきた。あの二つ結びの髪は――。
「ななか」
「えっ?」
目の前を横切った時に声をかける。ななかは、急ブレーキで止まった。バランスを崩さないところをみると、運動神経はいいみたいだ。
「あっ、
「急いでどうした?」
「えっと......」
「
ななかを呼ぶ数人の声。
「やばっ! すみませんっ!」
ななかは、本校の方へ身体を向けたがその動きが止まった。見ると本校の校舎からも数人の生徒がこちらに向かって来ていた。
「ど、どうしよ~っ?」
何か訳ありみたいだな。
「来い」
「えっ?」
「どこだ?」「確かこっちに......」と、附属と本校から来た生徒が合流して目に前で言い合っている。その中の一人と目が合った。
「あ、あの~」
「なんだ?」
「こちらに、
「
惚けてみせる。何故か、生徒たちがざわついた。話しかけて来た生徒は、ななかの特徴を説明。
「そんな女生徒なら、あっちに走って行ったぞ」
「特別校舎の方だっ! 行くぞっ!」
「ありがとうございましたっ!」
「
と、彼らは礼を述べ、校舎へと走っていった。
「もういいぞ」
背中の白衣に声を掛ける。ハラっと捲れて、ななかが出てきてた。
「ありがとうございましたー」
「いや、呼び止めた俺にも責任がある」
ななかは、そのまま隣に座った。
「なんで追われてるんだ?」
「えっと、実は......」
恥ずかしそうに
「ミスコン?」
「はい、出るつもりは無いって断ってるんですけど。しつこくって」
乾いた苦笑い。そういえば、学園のアイドルとか言われてるんだったな。人気者も大変みたいだ。ななかと別れて保健室へ戻り、
そして迎えた14時、いよいよクリパ開演。今から一時間、人形劇の時間をもらった。焼却炉行きのダンボールを一個拝借して、中庭で準備を始める。
「よっし。さぁ、楽しい人形劇の始まりだ! お代は見てのお帰りだぞーっ!」
客寄せをしてダンボールの上に、相棒をセット。ひょこっと立たせて歩かせる。一番最初に反応してくれた客は――。
「あんあんっ!?」
はりまおだった。
「なんだ?」
「ここでも人形劇?」
ひとりでに歩く人形を見て騒ぐはりまおがいい宣伝なって、客が集まって来た。歩く、側転、転ける程度の単純な芸だが、物珍しさからそれなりに反応がいい。一時間弱で、数千円の利益が出た。想像以上のデキだ。礼に、はりまおにフランクフルトを奢ってやる。
「ただいま」
「おかえり。成果はどうだった?」
患者の手当てをしながら訊いてきた。
「想像以上だ、クリパすげぇな」
「そう。ちょっと頼みがあるんだけど」
保健室へ戻った俺は、救急箱を持って再び廊下に立っていた。
「とりあえず、行くか」
当てもなく、附属の校舎に向かって歩く。各クラスの廊下はきらびやかな装飾が施されていて、正にパーティーの雰囲気を醸し出している。
階段を上り二年の廊下を歩いていると、見知った女生徒二人が前からこちらに向かって歩いて来た。
「あっ、
「おや、ほんとだ。おーい」
「お前ら、何してるんだ?」
「それは、こっちの台詞だよー」
「私らは、見回りだよ。あれ? 救急箱? ケガ人?」
まゆきが、持っていた救急箱を見つけた。
「出張保健医ってヤツだ」
「そうなんだ。そうだ、一緒に回ろうよ」
「スゴいね。私、びっくりしちゃったよ」
「そうか?」
救急箱道具を片していると、まゆきに誉められた。悪い気はしないな。
「さて、次が本命だよ。
「本命?」
「弟くんのクラスがある附属の三年を見回るの」
「
気合い入れるまゆき。人形劇で何か悪さが出来るのか? 疑問に思って歩いていると、ある教室から慌てて男子生徒が出てきた。あの後ろ姿は......。
「弟くんっ!」
「あっ、
「何かしたんじゃ......」
「違いますよ、まゆき先輩。
「あ、ああ」
「
人集りの中心に、
息苦しそうに呼吸している。頬も赤い。救急箱から体温計を出して、額に当てる。直ぐにピッと音がして、液晶に38℃と表示された。完全な発熱。デコに徐熱シートを貼り付ける。
「保健室に運ぶ。
「何をすればいいですか!?」
「決まってるだろ? おんぶ」
「えっ?」
教室内がざわついた。
「はい、俺が運びますっ!」
「ダメだよー。
「何でだよっ?」
「あんたからは、疚しさを感じるからよ」
「そうそうっ」
「そんなこと考えてねぇよっ」
三人は、やいやいと言い争っている。これじゃ埒があかないな。仕方ない。
「
「うんっ、まゆき、お願いっ!」
「はいよ。ほらほら、あんたたち道開けなさい!」
まゆきが先導して道を作ってくれた。ありがたい。
「待ってください、俺が運びます」
「そうか、任せる」
「いらっさーい。どうしたの?」
軽い感じで、
「この子を診てやってくれ。体温は、38℃」
「おっけー、
「はい」
「あの、
「完全に風邪ね。インフルエンザの症状じゃないけど、念のため病院に連れて行くわ。
「
入ってきたのは、
「いえ、お姉ちゃんから事情を聞いて手伝いに来ました。私、保健委員ですから」
「そうか、ありがたい」
外は既に日が落ちて、夜になっていた。
「寒いな......」
「そうですね。急いで帰りましょう」
「どうした?」
「裏門から帰りましょう」
校門を見る。
「いいのか?」
「なにがですか?」
「
名前を出すと
そして、小さな声で――兄さんが待ってるのは、私じゃないからと儚げに呟いた。
「
「えっ?」
「結構儲かったんだ。今日の礼に奢ってやるぞ」
「はぁ、別にいいですけど」
めんどくさそうな
俺には、どちらか一方を贔屓して応援してやることは出来ない。
まったく、しんどいな、こいつら。心の中の呟きは、夜風と一緒に流れていった。