狩人の夜明け   作:葉影

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get back - 中村佳穂


第53話 夜深の青

ゆっくりと瞼を開く。

目覚める瞬間、人は普通本能で目を開くものだが、ラウラは目が覚めるとあらかじめ分かっていたかのように、ごく冷静に瞼を開いた。それでもやはり、身体は覚醒直後特有の甘ったるい倦怠感をわずかに感じていた。

 

暗い部屋の中で、うつ伏せで寝ていたラウラの頬に薄暗い光が差し込んでいた。窓を開けたまま眠りについてしまっていたのか、目の前ではカーテンがゆらゆらと揺れている。時折小さな風が吹き込み、肌寒さを感じる。もう窓を開けて眠りにつく季節はとうに過ぎた。

窓の外の夜空には、小さくも主張を囁く星たちが闇に浮いている。それを見てようやく、今はまだ夜なのだと自覚する。

 

「────変な時間に起きたな……」

 

どうやら病棟から帰ってきてまだ数時間しか経っていないようだった。枕元の液晶に表示された時計は午前3時になりかけようとしていた。

ひどく鮮明な夢だった。先ほどまで夢で過ごした自身の記憶は、確かに過去に現実で起きた出来事であり、ラウラの中であまり思い出したくない記憶でもあった。窓の外の星空を見ていると、あの時の部下の言葉が蘇ってくるのを感じて、ラウラはカーテンを閉めた。

汗はかいていないが、喉が渇いた。夢での追体験に疲れたのか、身体の隅々が無性に水分を欲している。

ラウラはベッドからゆっくりと起き上がり、トコトコと部屋の冷蔵庫へと歩いていく。冷蔵庫の扉を開くと、低い電気音とともに、ささやかな冷気が首元を撫でた。

 

「……」

 

飲料水はペットボトルの残り半分もなく、明日の朝を迎えるまでを考えると心許ない量だった。

 

(……買いに行くか)

 

ラウラは深くため息を吐いた後、一旦ベッドまで戻り、フード付きの黒パーカーを着る。ポリエステルと綿、レーヨンでつくられた生地……内側は暖かく、肌寒さを感じることはなくなった。

携帯をポケットに入れ、ラウラは静かに部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

学生寮内廊下、ラウラは自室と同じフロアにある自販機に着いた。

自販機は小さな共同スペースの中で3台ほど横に並んでおり、ラウラはその一番奥の自販機の前で立ち尽くしていた。

 

(……スポーツドリンクにするか)

 

特に汗をかいたわけでもない。スポーツドリンクを飲むタイミングとしてはあまり良くはないかもしれないが、清涼な甘さが欲しくなったラウラは己の欲求に素直に従うことにした。

ショーウィンドウのボタンを押す。自販機に携帯をかざすと、ガコンとペットボトルが落ちた。少し屈んでそれを手に取り、ラウラは自販機前の木のベンチに座ってドリンクを飲む。

3秒ほど飲み続け、勢いよく口を離した。そう思う根拠は何もないはずなのに、しばらくぶりに人間に生き返った気がした。手足にまで水分が行き届くような心地の良さに、ひっそりと浸る。わずかに乱れた呼吸を、ゆっくりと整える。

天井の明かりもあえて点けず暗い空間の中、ショーウィンドウから生まれる淡い青の光がラウラの顔を照らす。

 

青い光を見ると落ち着く────それはラウラがこの世に生を受けてから無意識に感じていたことだった。そしてラウラはそれを自身の本能的な一面だと自覚していた。最初はどうして落ち着くのか、理由が分からなかった。

しかしVTシステムの一件が起きた時、意識が闇の中に落ちていく中で、自身が『遺伝子強化試験体(Advanced)C-0037』として生まれた記憶が蘇ったのだ。軍の研究所にある、薄暗い実験室……静かに青く光る試験管の中で、自分は造られた。青い光は、母体の子宮を知らない自分が唯一帰ることのできる温もりだった。

ラウラがこうして、夜中に自販機の前で一人居座るといったこの行為は、実は初めてのことではない。時折ラウラは夜中に目が覚めて、ここで飲み物を買って自販機を眺めるという時間を過ごす。偶然ではあるが、これまで誰かと鉢合わせたことはなかった。しかし自身もわざと目を覚ますつもりはなく、毎回自然と夜中に起きてしまうので、それもまた青い光を求める自身の本能なのだと結論付けていた。

 

自販機から響いてくる浅い機械音が、壁に当たっては消えていく。

 

『幼い頃……夜になると、よく雲の流れを観察していました。風が吹くのを待って、夜の底が少し明るくなってから、空を見上げるんです。そこには、たくさんの綺麗な星が……』

 

頭の中で、あの時の部下の言葉が過ぎる。

今思えば、彼女のことをどこかで羨ましがっていたのかもしれない。私の知らない外の世界を、彼女は幼い時から眺めていたのだから。

あれから時も経ち、色んな人間と出会ってきた。黒兎隊以外にも学園で仲間と呼べるような繋がりもできた。だがそれでも今は、目の前にどこか影が差している。

自販機から溢れてくる機械音の波に揺られながら、しばらく青い光を眺めていると、誰かの声がした。

 

「……ラウラ?」

 

入口の方に目をやると、そこにはジャージ姿のシャルロットが立っていた。こんな時間に人がいると思わなかったのだろう、少し驚いた顔をしている。

 

「……眠れないのか?」

 

ラウラが小さく尋ねると、シャルロットも小さく微笑んだ。

 

「ううん、眠れたよ。……ちょっとだけ、ね」

 

「……そうか」

 

目に力のないシャルロットを見て、ラウラも心細さが胸の底から湧いた。ラウラは隣をポンポンと叩き、シャルロットをベンチに誘う。シャルロットも素直にラウラの隣に座った。

 

「何がいい?」

 

ラウラは静かに立って、自販機に携帯をかざした。シャルロットの分を買うつもりのようだ。

 

「え、いいよいいよ。そんな気を遣わなくたって」

 

「構わん。たまにはこういうこともさせてくれ」

 

ラウラの言葉に、シャルロットも小さく礼をした。

 

「ありがとう……じゃあ、温かい飲み物でも」

 

「ふむ。そうだな……」

 

ラウラは数秒ほど考え、自販機の下の段のボタンを押した。選んだのはハーブティーの小さなペットボトル。ガコンと中から落ちてきたそれを手に取り、シャルロットに渡す。

 

「よく眠れない夜にはハーブティーがいいぞ。気持ちを落ち着かせる効果がある。飲み過ぎには注意だがな」

 

「ありがとう……僕も紅茶好きなんだ。こっちに転入してきてからは、よく飲んでた」

 

ペットボトルのフタを開けて、シャルロットは一口飲んだ。口を離した彼女の吐息は、さっきよりも少し落ち着いた色になっていた。

 

「日本は便利だよね。どこに行っても自販機があるから」

 

「全くだ。それに購入する者たちの欲しがるものをよく分かっている。まぁ、たまに意味のわからない飲み物もあるが」

 

「セシリアは自販機の紅茶、飲むと思う?」

 

「英国人のあいつのことだ。きっと紅茶の代表候補生と自称しそうなくらい、紅茶にはうるさいと思うぞ?」

 

「ふふっ。『淹れたての紅茶以外、紅茶とは呼べませんわ!』とかね」

 

「ふっ、言いそうだ」

 

少し笑いあった後、二人の間に沈黙が流れた。しばらくして、先に口を開いたのはラウラだった。

 

「あの後、まだ残って彼女(マリア)を見舞っていたのか?」

 

ハーブティーをまた一口飲んだ後、シャルロットは小さく呟いた。

 

「うん……でも消灯もあるから、そんなに長くはいなかったよ。三十分くらい」

 

「そうか……」

 

手のひらの中でペットボトルをコロコロと揺らすシャルロット。またしばらく青い光を眺めながら、ラウラはふと呟いた。

 

「シャルロット」

 

「?」

 

シャルロットがラウラを見る。

 

「しばらくは私と一緒に食事を取ろう」

 

「え?」

 

ラウラの突然の提案に、目を丸くするシャルロット。

 

「あえて正直に言うが、人間は何か精神的にショックな出来事に直面した時、食欲不振に陥ることが多い。頭では空腹など感じる余裕はないため食事をとる必要はないと錯覚しやすいが、身体はエネルギーを欲しがる」

 

「……」

 

「今回の件は確かに我々の心に深く傷を残した。だがシャルロット……心にストレスを負いすぎると、お前まで倒れてしまうぞ。私としても、それはなんとしても避けたい」

 

「ラウラ……」

 

「無理にとは言わない。一人にしてほしい、構ってほしくない時もあるだろう。だが抱えきれなくなったらいつでも話せ。部屋でマリアのことを思い出すのが辛くなったら、いつでも私のもとへ来ればいい。話したくない時は、ただそばにいてやることも出来る。私でなくても、専用機持ちは皆周りにいる。シャルロット、お前は一人じゃない。私たちは皆、支え合っていかなければ……」

 

しばらく俯いた後、シャルロットは小さく呟いた。

 

「ありがとう……」

 

自販機の機械音が少しだけ音程を変えて、青く淡い闇にじんわりと溶けていく。ラウラもシャルロットも、その青い光を見つめていた。自販機には大手ISスーツメーカーの広告のイラストと文字が載せられていて、ただただ目線はその文字の上を滑っていく。

しばらくして再び機械音の音程が戻った頃、シャルロットがラウラに尋ねた。

 

「……夜、ここにいることが多いの?」

 

ペットボトルの中のスポーツドリンクが、小さな波を立てる。

 

「……時々な」

 

「時々、眠れなくなることが?」

 

「……いや、そうではない。多分、身体がそうさせてるんだ」

 

「?」

 

シャルロットが首を傾げる。

 

「私に母親はいない。研究所の試験管の中で生を授かった。その時初めて見たのが、青い光だ。私自身は覚えていないが、私の身体が覚えている」

 

「……」

 

「今日は……少し昔のことを思い出してな」

 

小さく、深い息が漏れる。

 

「そういえば、ラウラの過去ってあんまり聞いたことないな……」

 

「ここの学園生のように華やかなものでもないぞ」

 

「……ねぇ、よかったら僕に話してくれない?」

 

シャルロットがラウラを見る。少しの間目が合った後、ラウラは小さく俯いた。

 

「機密事項が多いのだがな……ここだけの話にしてくれるか?」

 

「うん、約束する」

 

しばらくの沈黙が流れ、ラウラが口を開く。

 

「そうだな……」

 

青い光を見つめながら、ラウラは話し始めた。

 

 

 

 

 

 

──── 三年前、私はある軍事作戦に参加していた。今日は、その時の夢を見ていてな……。

 

 

ラウラの軍……黒兎隊のこと?

 

 

ああ、そうだ。教官と出会うよりもずっと前のことだ。

我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の初の任務だった。隊長である私と副官(クラリッサ)、そして二人の部下の四人編制で作戦は行われた。舞台はエーゲ海だった。

 

 

エーゲ海か……もうずいぶん行ってないね。それに三年前は大変な年だったよね……フランスでも大停電が起きてさ。もうそんなに経つんだ……

 

 

ああ……。

 

 

でも、初めての任務か……黒兎隊にとっても晴れ舞台だったわけだ?

 

 

いや……色々あって、私にとってはそう呼べるものではなかった。作戦は成功、というかたちで上層部からも認められたがな。

 

 

そうなんだ……。

 

 

その作戦に参加していた私の部下二人だが……実はしばらく前から連絡が取れていない……。

 

 

え……

 

 

行方不明と報告されたのは、今年の夏頃だった。血の繋がった人間がいない私にとって、黒兎隊の隊員たちは家族のようなものだ。彼女たちが行方不明と言われた時は、私は身体の一部を無くした気持ちになった……。

 

 

……もしかして、臨海学校の最後の夜、ラウラが突然出て行ったのって……

 

 

……ああ、よく覚えているな。その通りだ。

 

 

 

 

 

 

──── ラウラが静かに自身の眼帯を外す。隠された左目は金色に染まっており、こんな暗い空間でも映える彼女の目を、シャルロットは無意識に美しいと感じていた。

 

「作戦が終わった時、私の目はすでに金色に変色していた……作戦前に行われた移植手術は、最終的に失敗に終わったのだ」

 

「……」

 

「右目も赤い色をしているだろう?これもその影響だ。私はもともと青い目をしていたんだ……信じられないと思うだろうがな」

 

「そうなんだ……」

 

「行方不明となった部下たちの手がかりは未だに見つかっていない……だがこの左目を鏡で見ると、当時の作戦を思い出すんだ。今となってはこの左目こそが、彼女たちとの唯一の繋がりだ」

 

放物線を描く私の記憶が、たとえどれだけ過去に流れていってしまったとしても、その接点は決して揺らぐことはない。ラウラにとってその事実は、この上なく価値のあるものだった。

またしばらくの沈黙が続いた後、今度はシャルロットが話し始める。

 

「……僕も、この学園に来てから色んな繋がりを持てた」

 

手の中のハーブティーが、少しずつ温度を失っていく。

 

「繋がりはたくさんの線になって、僕の身体を作っていった……でも今回の事件で……」

 

「……」

 

「もちろん……失われたわけじゃない、それは分かってるつもり……。でも、目を覚まさないマリアを見て……僕は、僕が分からなくなった」

 

「っ……」

 

シャルロットの呼吸が僅かに荒くなっていく。

 

「眠りについた中でも、あの“糸”が、僕の身体を這うんだ……見えない“糸”に縛られて……それでね、僕はなんだか、呼吸の仕方さえも────」

 

「シャルロット」

 

名前を呼ばれたシャルロットはハッとする。

気づけば、ラウラが自分を優しく抱きしめていた。ラウラの身体は柔らかくて温かく、そのおかげでいつの間にか荒くなっていた呼吸もどんどんと落ち着きを取り戻していった。

 

「……今日はもう眠れ。私がここにいてやる。ずっと……」

 

ラウラの囁きに、やがてシャルロットは彼女の肩に顔をうずめた。

 

「はは……おかしなことを言うね、ラウラは……」

 

「……そうだな」

 

シャルロットもラウラの背中に手を回す。

 

 

 

「こんなところでなんて……眠れないよ……」

 

 

ラウラがシャルロットの背中を、ゆっくり優しく撫でる。疲弊しきったシャルロットにとって、それはとても温かく、安らげる時間だった。

薄暗い空間の中にいる二人を、青い光が淡く照らし続ける……────

 

 

 

 

 

 

あれからどれくらいの時間が経っただろう。

気づけばシャルロットは私の肩の中で眠りに落ちていた。安心しきったような、静かな寝息だった。

 

私はシャルロットが起きてしまわないように、彼女の身体を支え、そのまま抱き上げる。身長は私の方が低いが、鍛えている自分にとって彼女の身体は羽のように軽く思えた。

 

彼女のハーブティーを一旦自分のポケットに入れ、そのまま暗い廊下を歩いていく。

シャルロットの部屋番号は覚えている。以前、シャルロットとマリアのもとへ遊びに行ったことがあった。

 

部屋の前に着くと、扉に鍵がかかっていなかったことに気づく。疲れたまま出てきて、鍵をかけるのも忘れてしまったのだろう。彼女を起こす必要も無くなったと安心し、私は音を立てないよう部屋の扉を開けた。

 

部屋の中は暗かったが、奥でカーテンが揺らめいてるのが見えた。窓を少し開けていたのだろう、その隙間からは月光が差し込んでいる。

ベッドを見ると、一つは毛布がめくれていて、もう一つのベッドはまるで誰も使っていないかのように綺麗な状態を保っていた。恐らくここが、マリアのベッドなのだろう。

 

私は毛布のめくれていた方のベッドに彼女を下ろし、ゆっくりと毛布をかける。風邪を引かないよう、窓も閉めておく。カーテンは夜空が見られるように、そのままにしておいた。

 

ベッドで眠る彼女の目元は隈ができていたが、その顔はとても安らかなものだった。私も静かに微笑み、彼女のもとを立ち去る。

 

明日は休みだ。ゆっくり眠るのがいいだろう。

ポケットからハーブティーのペットボトルを取り出し、台所に置いた後、私は静かに彼女の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とある日の夕刻
IS学園・医療病棟エリア
A病棟ICUエリア・A-301


p……p……p……


────……織斑先生。


……デュノアか。


……今日は、いつもの職員会議には出ないんですか?


先に用を済ませてきた。後は私がいなくても会議は滞りなく進むだろう。


……。


……毎日ここへ?


……はい。顔を見せないと、きっと寂しがるでしょうし……


そうか……。


そういえば、会長は……?この前、お見舞いに行っても見当たらなくて……


ああ、更識ならもう問題ないと言い張っている。本当はまだ大人しくしておくべきなんだがな。あいつは元々じっとしていられるタイプではないらしい。


そうですか……。


織斑の傷も大方治りかけている。じきに包帯を付ける必要もなくなるだろう。


…… 一夏は人気者ですからね。授業に復帰した時は、クラスの皆も喜んでました。


そうか……。


……。


……。


……マリアのこと、病棟の先生たちから何か聞いていますか?


……これまで数回脳波検査(EEG)を行っているが、小康状態のまま変化はないらしい。


……。


定期的に、全身の筋肉には負荷と運動をかけているそうだ。しかし、見た目ではあまり分からないが……やはり少しずつ衰えている……


はい……。


目覚めた時にすぐにでも動けるよう、可能な限りサポートをしてくれているが……この長さだからな……


……あの事件から、明日で三週間ですね。


……アリーナの修復も、もうじき終わる。学園の風景も、元に戻りつつある。あとは、マリアが目覚めてくれれば……


……。


……デュノア、気負いすぎるな。お前は一人ではない。私も、生徒たちも、皆そばにいる。


はい……。


最善は尽くすつもりだ。いつでもいい。何かあれば、声をかけてくれ。


……ありがとうございます。


……。


……。


……。


……少し、二人にしてくれませんか。


……ああ。


コツ、コツ、コツ……


































──── マリア、聞こえる?僕だよ。


ここ、いい場所だよね。夕陽も綺麗で、IS学園の広い森によく似合ってる。
羨ましいな、特等席だよね。


気づいてた?みんな、いつもマリアのところに話しに来てるんだよ?


僕とは入れ違いだったみたいだけど、昨日は箒が様子を見に来てたんだって。


箒、最近すごいんだよ?朝早くと放課後は遅くまで、ずっと竹刀を振ってるんだって。
剣道部の中でも、先輩たちを超える勢いだって風の噂で聞いたんだ。


一夏もそれに触発されたのか、過度な運動はできないけど、いつも見えないところでトレーニングして鍛えてるみたい。
まぁ、それでこの前織斑先生に怒られてたんだけどね。


そういえば、セシリアと一夏は今度秘密のデートするみたいだよ?一夏の傷が治ったらって、約束したんだって。
ふふ、仲睦まじいよね、あの二人。


……今日はね、見せたいものがあって来たんだ。


ほら、この画面……この前、休みの日に写真撮って来たんだ。


覚えてる?僕たちが、初めてデートした場所……


誰もいない、ひとりぼっちの小さな公園。夕陽がよく見えて、金網の向こうには学園の島とモノレール、どこまでも続く水平線がとても印象的で……


……それで、マリアに僕のお母さんのことを話したんだっけ。こうして病室で誰かを見舞うのも、お母さんの時以来かな。


マリアは僕のご先祖様(アデライン)の話を聞いてくれて、それでマリアも、過去の話を教えてくれて……。


マリアの話……驚きはしたけど、自分の中では腑に落ちたんだ。
マリアは自分のことを卑下していたけど、僕のご先祖さまをこんなに想ってくれていた人が、悪い人なわけがないって……あの時も、今でもそう思ってるよ。


……この御守りの鍵のことも、マリアに話せてよかったと思う……。


……。


……あの時、僕はね。


──── マリアに黙っていたことがあるんだ。


……マリアが僕のご先祖様に渡したこの鍵……。ご先祖様が住んでいたところには小さな中庭の露台があって、その庭一面には白い花が咲いていた。


ご先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまった。だけど、せめて外気と花の香りがご先祖さまの癒しになるように……マリアはこの鍵を、ご先祖様に渡した。


その時のご先祖様の感情を、マリアは知ってた?


……公園ではそれを言わなかったけど、その時僕のご先祖様は、その花の香りを理解できなかったんだ。


それを言ってしまえば、マリアが傷ついてしまうんじゃないかって、ご先祖様はそう思ったんだと思う。


でも同時に、もはやマリアとの記憶も曖昧になるほど、病気は進行していた。花の香りも分からぬまま、花も、鍵も、そしてマリアとの思い出も忘れてしまって……


でも、最期までマリアの名前を口にしていたのは本当だよ?デュノア家では、確かにそう伝わってきた……。


……もう、僕の家族はいないけれど………。








──── ねぇ、マリア。


……僕はね、君のことを忘れたりはしないよ。


……僕に生きる理由を与えてくれたのは、マリアだから………。


……


……だから、ね?


……早く、うっ……ひっく……起きてくれないと……


……ぐすっ、ぼく、さみしいよ……


……マリア………














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