狩人の夜明け   作:葉影

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ラウラの過去編です。
次話からまた学園編に戻りますので、ご安心を。
今回は実際の地図と照らし合わせながら読んで頂くとよりイメージが浮かび上がるかもです(ちなみに私は現地に行ったことはありません。それゆえ現実と異なる部分も出るかと思いますが、創作ということでご容赦ください)。

※一部、グロテスクな表現が含まれています。


Operation. Lepus

────三年前

 

 

 

 

 

 

「隊長、聞こえていますか?」

 

「……!?あ、ああ。すまない」

 

「何か考え事でも?」

 

そう声を掛けてきたのは私の直属の部下・クラリッサだった。気づけば私は軍用ヘリの中に座っており、隣の窓からは、太陽に照らされた深く底の見えない鮮やかな青の海と、自然豊かな島々が広がっている。

 

(私はこの景色を憶えている……これは三年前の……)

 

そう思いながら機内へと目を向けると、私は驚きのあまり心臓が止まりそうになった。

私の目の前にいるクラリッサ、その横には行方不明になったはずの部下のカリンが、そして私の隣には同じく行方不明だったはずのニーナが座っていた。

 

「……隊長?」

 

驚いた私を変に思ったのか、怪訝な表情で見つめるカリン。

 

(これは……夢か?そういえば、さっきまで私は学園の自室で夜空を見ていたような……)

 

肩の上でくるりと整った、容姿や顔立ちにあどけなさが残る金の短髪が特徴のカリン。クラリッサのように凛と大人びた雰囲気を纏わせ、腰のあたりまで伸びた黒髪が特徴のニーナ。操縦士を除き、機内には私を含めて四人だけが向かい合わせで座っていた。

 

「……いや、なんでもない」

 

私は三人から視線をそらす。皆、軍の特殊戦闘服を着ており自身のそばに銃火器を備えている。かつての黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)にとってはありふれた光景で、私にとっては懐かしい感覚でもあった。

 

「隊長、ブリーフィング(作戦会議)を始めても?」

 

「ああ……すまないな。始めよう」

 

クラリッサの問いに答えると、彼女は真剣な声で話を始めた。

 

「二日前、エーゲ海南部に位置するレロス島にて連続爆破テロが発生。爆破の時刻、ならびに犯行場所も不規則になっており、ギリシャ政府当局はレロス島全域に非常事態宣言を発令しました」

 

「レロス島……トルコのすぐそばに位置する島ですね。幼い頃、父親と一度だけ行ったことがあります」

 

「そうか、父君は確か日系トルコ人だったな」

 

ニーナの言葉にクラリッサは相槌を打つ。トルコ共和国出身のニーナは友好国である日本の血を引いており、その黒髪や凛とした日本風な顔立ちもそれが影響していた。

 

「副官、被害状況は?」

 

クラリッサの横にいるカリンが尋ねる。

 

「事件発生から約45時間……爆破による死亡者は10名、負傷者は40人程と報告されている」

 

「“犯行場所は不規則”だと言ったな。実際の場所はどのように点在している?」

 

「ええ、そこでこちらを見ていただきたく」

 

ラウラの質問に答えたクラリッサはいくらか機械操作をして、機内の床にあるセンサーから空間投影型ディスプレイを自分たちの前に出現させた。ディスプレイにはレロス島全域地図が表示されており、赤い点がいくつか点在している。

 

「この点々とした赤い円が実際の犯行場所です。現在5ヶ所ですでに爆発、市街地もあれば、人気の全くない山間部など……犯人の手段要素・目的も不明瞭と現地から報告を受けています」

 

「犯人の国籍は?何かしら政治的な目的が絡んでるとは思うが」

 

「それも現時点では判明しておらず……犯人たちは爆発各地に数人ずつ散らばっているようですが、当然顔は全て隠し、言葉も発していないため訛りの特定も不可能。使用武器も全て未登録のものを使用している疑いがあるそうです」

 

闇市場(ブラックマーケット)か……()()()()()以降、需要はかなり拡大していると聞いている」

 

窓の外に目を向けると、ちょうどレロス島の北に位置するリプシ島上空を通り過ぎたあたりだった。その高度はかなりの高さだ。

 

「────本作戦ですが」

 

クラリッサは一息置き、さらに真剣な声で話を続ける。

 

「実行するのは我々四人のみ。それも極秘裏に行われなければなりません」

 

「極秘裏……何か理由が?」

 

ニーナが尋ねる。

 

「我々、IS配備特殊部隊である黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)は現在非正規部隊……正規になるかどうかは今回の結果次第です。つまり……我々の存在意義をかけた任務(ミッション)となります」

 

クラリッサは話を続ける。

 

「レロス島には軍事基地がありますが、その軍事力・人員はおよそ小さなものです。現地軍勢力だけではこのテロを無力化することは困難とみたギリシャ側が救援要請を出したところ、ドイツ軍上層部が()()()()で応援を派遣すると交渉しました」

 

「条件?」

 

カリンが首を傾げる。

 

「先ほども言ったように、非正規部隊である我々の存在は(おおやけ)になっていません。公にされていない隊長のIS(シュヴァルツェア・レーゲン)がギリシャ国内にいることが知られれば国際問題に繋がります。ギリシャ政府には『現地の軍部人員は全て爆発各地に包囲網を張り、警戒強化・負傷者の救護に当たるように』とドイツ側は伝えています。また、我々も表向きはKSK(特殊戦団)の一員ということになっている」

 

「このそれぞれ赤い円の周りにある緑の線は、現地軍の包囲網か」

 

ラウラがそう聞くと、クラリッサも頷いた。

 

「本作戦の目的はテロの無力化ですが、その要はIS配備特殊部隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の力を試す意味合いがあります。これが成功すれば、我々は正式に部隊として編成される……」

 

「ふむ……。それで、我々はどこに向かえば?」

 

ニーナが凛とした目つきで尋ねると、クラリッサはディスプレイ上の赤い円を指でなぞっていった。

 

「──── ニーナ、君はこの爆発場所に何か規則性を導き出せるんじゃないか?」

 

クラリッサが部下を試すように質問をすると、ニーナは少しの間考えて回答した。

 

「もしや……()()ですか?」

 

クラリッサは深く頷く。

 

「そう……この形は、うさぎ座(Lepus)とほぼ一致している。そして、その最輝星である“α星”の位置は────」

 

クラリッサの指がすっと流れていき、ある場所で静止した。

 

「レロス島空港の近く、アルテミス神殿(The Temple of Artemis)跡地です」

 

ラウラが顎に指を当てる。

 

「つまり、ここが奴らの拠点だということか」

 

「ええ、我々はそう見当をつけています」

 

()()……なるほど、敵の拠点も極秘裏ということですね」

 

カリンの考えにクラリッサも頷く。

 

「すでに空港のスタッフは避難済み。空港の警護に割く軍部人員も最低限に抑えてもらっています」

 

「近くだから、隊長のIS(シュヴァルツェア・レーゲン)が目撃される危険性もありますもんね」

 

「ああ、だがその点に関してはそこまで心配はない。衛星写真から敵の拠点と思われる人工物は確認されていない……恐らく地下に潜っているのだろう。どこかにその入口があるはずだ」

 

「つまり私がISを展開できるのは地下に潜ってから、か」

 

「はい、それまでは隊長も我々と同じように動いていただきます」

 

「クラリッサ、降下方法についてもう一度確認しておきたい」

 

クラリッサは頷き、ディスプレイを指でスライドさせる。するとレロス島の地図が3D化され、その上に小さなヘリコプターが投影されていた。現在自分たちが乗っているものだ。

 

「まず私たちが乗っているこのヘリは、現在高度約2万1,300ft(フィート)を飛行中。通常なら低酸素症になるリスクが高い環境下ですが、私たちの体内にあるナノマシンがそれへの適応を可能にしています。レロス島上空に着き次第、私たちはここからアルテミス神殿跡地まで一気に降下します」

 

ディスプレイ上に投影されたヘリから、四人の人間が飛び立った。

 

「本作戦の主眼はあくまで隠密作戦……HALO降下(高高度降下低高度開傘)のように大掛かりなパラシュートの使用も軍上層部から禁じられています。そこで我々が使用するのは、IS配備特殊部隊のため特別に作られたこの靴……」

 

ディスプレイ上に投影された降下中の四人の人間が、地面に着く寸前でスピードが緩まり、無事着地した。

 

「我々が今履いている靴は、簡単に言えばジェット噴射のような機能が備わっています。上空300mに達した辺りで身体を直立させ、靴から空気を噴射させる。それで降下時の衝撃を防ぐという理屈です」

 

VR(バーチャル)訓練では何度か行いましたが、実戦では初めてですね。まったく上層部も無茶な要求を……」

 

カリンが少しばかりのため息を吐くと、クラリッサも同意したようにフッと笑った。

 

「そうだな。しかし、我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)は今後全ての人員に対しISが配備されるという保証はない。逆に言えば、これぐらいの降下方法が成し遂げられないようではいつまでも隊長の足を引っ張ってしまうということだ」

 

「IS搭乗者との連携に引けを取らない降下を会得しろ……そういうことですか」

 

顎に手を添え、ニーナがディスプレイ上の四人をじっと見ている。

 

「着地後は四人でそのまま地下へ潜入。場合によっては二人ずつバディを編成することも頭に入れておいてください。その際のメンバーは、隊長と私、そしてカリンとニーナの二組に分かれて行動します」

 

「「了解」」

 

カリンとニーナが声を揃えて返事をした。

 

 

ズキッ……

 

「っ……」

 

ラウラは唐突に左目に小さな鈍い痛みを感じた。それを紛らわせるために、黒い眼帯の中で左目を瞬きさせる。しかしラウラの副官はそれを見逃さなかった。

 

「隊長、大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ……」

 

クラリッサはラウラを心配気な表情で見つめる。ラウラはしばらく考え、その場の全員に向き直った。

 

「皆、すまないが聞いてもらいたいことがある」

 

三人がラウラの方を見る。

 

「────実は、今回黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の命運が掛かっているのは、元は私のせいなのだ」

 

「隊長!」

 

心配気な顔で否定しようとするクラリッサを、ラウラは手を上げて制止する。クラリッサも、渋々だがそれ以上何も言わなかった。カリンとニーナは事情を把握できていないようだった。

 

「二週間前、私がこの左目に移植手術を受けたのは報告を受けているな?」

 

カリンとニーナが頷く。

 

「……それ以来、私は以前よりも力を発揮できずにいる。いや、もっと正確に言えば『制御できずにいる』か……。ここ最近、私は訓練でも最低な成績を出し続けているんだ。その報告を受けた軍上層部の一部は、私たちを戦力外と見ている者も……」

 

「「……」」

 

ラウラは自身の左目についた眼帯を外す。その目はドイツ人特有の青い目をしていた。外見だけ見れば、以前と何も変わっていないように思える。

 

「本作戦について先ほどクラリッサは、『我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の力を試す意味合いがある』と言ってくれたが、本当は『私が作ってしまった汚名払拭のため』なんだ。皆に迷惑をかけてしまい、本当にすまない……」

 

ラウラは頭を下げる。わずかに沈黙が流れた後、その沈黙を切ったのは部下たちだった。

 

「────隊長、謝らないでください!こうして隊長と同じ初任務に選ばれたことは、とても光栄です!」

 

誇らしげな顔で答えるカリンに、ニーナも微笑みそれに続く。

 

「私たちはこの部隊に配属された時から、隊長を心から尊敬しています。それは普段の私たちに対する隊長のありがたい心遣いに感銘を受けているからです。私もなかなか成績を出せない時がありましたが、隊長は親身に支えてくださいました。ならば部下である我々も、隊長を支えるべき……我々黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)には良い関係性です」

 

クラリッサもそれに続き、ラウラを励ます。

 

「今の私たちがあるのは、何よりも隊長のおかげです。我ら黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)の心は、常に隊長と共にあります」

 

部下たちの言葉に、ラウラはもう一度深く頭を下げた。

 

「お前たち……ありがとう……」

 

雲の狭間から新しい島が見えた。それは今回の舞台となるレロス島だった。窓からその光景を見下ろしたクラリッサがぽつりと呟く。

 

「────レロス島には野うさぎの逸話があるようです。増えすぎた野うさぎによって大打撃を受けた人間たちは、やがて野うさぎたちを撲滅した、と」

 

ニーナとカリンも、ニヤリと笑った。

 

「紛れ込んだ野うさぎ(テロリスト)の始末は、我々()()がつける」

 

「初任務にはちょうどいい肩慣らしですね♪」

 

「お前たち……油断するなよ?あくまで実戦だ」

 

ため息を吐きながらも、わずかに笑みを見せるクラリッサ。副官として力をいよいよ発揮できる初任務に、冷静になりながらもどこかで胸を膨らませているようだった。

ラウラも外していた黒の眼帯を再び左目に着け、気を引き締める。

 

「よし……皆この作戦、必ず成功させるぞ」

 

「「「了解!」」」

 

ラウラの言葉に答える部下たち。すでにヘリはレロス島上空の端にまで来ていた。全員、マスクを装着する。

 

 

降下まで、後数分────

 

 

 

 

 

 

「降下2分前、起立せよ(スタンドアップ)

 

クラリッサの指示に、ラウラたちも一斉に立ち上がる。ヘリの後部ハッチがゆっくりと音を立てて開いていく。高く上った太陽光が燦々と降り注ぎ、下界に広がる青い海がその光をキラキラと反射させている。

 

「各員、後部へ移動。降下中は風速冷却に注意せよ」

 

二人二列。前列はカリンとニーナ、後列はクラリッサとラウラが並んでいる。

 

「全て正常、オールグリーン。カウント開始、10、9、……」

 

クラリッサのカウントに、ラウラたちも一切の隙を見せないよう気を引き締める。

 

「3、2、1……幸運を祈ります」

 

カウントがゼロになる。

カリンとニーナが空へ羽ばたき、それに続きクラリッサとラウラも空へと身を投げ出した。四匹の黒い兎は、太陽の下で降り注ぐ星のように一直線に降下していく。薄いブラウンの島の地面が、どんどんと視界の中で面積を拡大していく。

 

 

アルテミス神殿跡地着地まで、後25秒────

 

 

 

 

 

 

四人はそれぞれ10mほど間隔を空けて着地した。ラウラは地面に手をつき、目と鼻の先は砂が支配している。手のひら、特殊スーツ越しに伝わってくる砂の熱がじんわりと指と指の狭間から全体へと広がっていく。

ラウラが顔を上げると、前方にはレロス島空港が広がっていた。カラッとした空気だが、太陽から背中に受ける光はそこそこに熱い。砂の地面が広がっているせいか、空港はゆらゆらと陽炎(かげろう)によってほのかに歪んでいる。空港内には確かに隅に追いやられた航空機の他に2機ほどの軍用機しかなく、小さく見える軍人たちもこちらに気づいている様子はない。

 

「全員無事か?」

 

ラウラが無線で聞くと、クラリッサたちも大丈夫だと返事をした。

 

「怪我はありません。が……」

 

ニーナが考える様子を見せた。

 

「着地時の衝撃については、より改善の余地がありそうです。恐らく、全員が無傷というわけにはいかないかと」

 

「ふむ……報告しておこう」

 

ニーナの主張に、クラリッサも頷く。

 

「では隊長、シュヴァルツェア・レーゲンでの調査を……」

 

「ああ、分かった」

 

ラウラは自身のISを腕にだけ部分展開し、ハイパーセンサーを起動させる。ラウラの視界は一気にクリアになり、草の表面から砂の一粒まで鮮明に見える。周囲を見渡していると、ある地点から警告音が鳴った。それはこの坂の上から反応を示していた。

 

「あの坂の上に何かありそうだ。金属反応が不自然に集中している」

 

「ふむ……ではそこへ向かいましょう。隊長、指示を」

 

「ああ。全員、一緒に行動する。全方向に注意せよ」

 

ラウラを筆頭に、クラリッサたちは隊列を組む。ラウラは鋭い目つきで合図をした。

 

「────これより、『Operation. Lepus』を開始する」

 

 

 

 

 

 

「これが、神殿跡地……」

 

「跡地であり、教会とも言えますね……」

 

カリンとニーナが目の前の石積みの中にある十字架を見て首を傾げる。道無き道を上ってきた一同は、草木の中で石が積んである場所に到着していた。目の前には小さな十字架と、ガラスの置物の中で揺れている小さなロウソクの炎があった。

 

「この地下に拠点があるようだが……まるでそうとは思えないような雰囲気だな」

 

「隊長、どこかに入口へと繋がる手がかりなどは見つけられませんか?」

 

「そうだな……少し待て」

 

ラウラはハイパーセンサーの情報量をさらに拡充させる。すると、地下から一本の熱反応が一直線に上ってきており、それを辿ってみるとカリンの横にある石積みの一つに繋がっていた。

 

「カリン、そこから離れろ」

 

「は、はい!」

 

ラウラがブロックに手を当ててみるが、反応はない。今度は少し力を入れて押してみると、なんとブロックが奥へとずれた。

 

ガコッ

 

「!?」

 

十字架の置かれた石積みがゴゴゴと唸り声をあげ、奥へとずれていく。一同は銃を構え、その様子を睨んでいる。

やがて現れたのは、地下へと続く階段だった。その階段は長く、底は暗くてここからでは見えない。

 

「こんなところに地下空間が……いったいいつから……?」

 

「ああ、わざわざご苦労なことだ。全員、油断するな」

 

ラウラを筆頭に一列となって、四人は地下へと繋がる階段を下りていく。深い闇からは冷たい空気が流れ込み、それは妙に気味の悪い心地だった。

数分後、階段がついに終わる。そこは蛍光灯も数本しかないような薄暗い空間で、細長い道の先はやがて二手に分かれていた。ラウラは分かれ道の前で一度立ち止まる。

 

「よし、ここからは二手に分かれる。私とクラリッサは右、カリンとニーナには左を任せる。バディ同士は絶対に離れないこと。何かあれば、すぐに無線を飛ばすように」

 

「「了解」」

 

カリンとニーナは返事をしたのち、左側の道を進んでいく。

 

「よしクラリッサ。私が先導する。ここではISの展開は最小限に留める……狭いゆえに機動性は期待できなさそうだ。背中は任せるぞ」

 

「はっ」

 

ラウラとクラリッサは銃を構え、ゆっくりと前へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

左右に分かれ、およそ3分が経過した。

暗く冷たい鉄の空間でほのかに吹く風が、ラウラとクラリッサの頬をかすめる。またしばらく進んでみると、一本道の空間は相変わらず続くが、その途中途中でいくつか扉が見受けられた。

 

「隊長、中を探りますか?」

 

クラリッサが無線越しに尋ねる。ラウラも一息思考を巡らせ、返事をしようとしたその時。

 

「────待て。誰か来るぞ」

 

目の前、右側にある扉の中から数人の足音がした。その足音は慌ただしく乱暴で、音は次第に大きくなってくる。

 

バンッ!

 

突然扉から現れた一人の男。全身装備で顔も隠しており、その手には銃を持っている。ラウラとクラリッサはすかさず銃を構えた。

 

「動くな!」

 

ラウラが声を張る。しかし男はこちらを見向きもせず、何やら扉の方を見て酷く怯えている様子だった。

 

「銃を捨てろ」

 

「あ、あ……」

 

「聞こえないのか!銃を捨てろ!」

 

ラウラの怒号に男は反応を示さず、ひたすらに怯えながらその胸に銃を抱きかかえている。腰を抜かし、何かから逃げるように。しかし男の背中は壁にぶつかり、男はさらに怯えた。

 

「うわああああああ!!!」

 

「!?クラリッサ、私の背後に隠れろ!」

 

男の異変を感じ取ったラウラはすぐさまISを展開し、AIC(慣性停止能力)を自身の前に発動させる。

男は銃を扉の奥へ乱射するが、焦りと恐怖からかその照準はひどくブレており、壁に当たった跳弾がAICの前で慣性を止める。暗い空間の中で、まるで雷のように何度も瞬時に銃弾の閃光が広がっては消えてゆく。

 

銃弾が止まった。おそらく弾切れを起こしたのだろう、男は何度も引き金を引くが、銃はピクリとも反応を示さない。

すると突然、扉の中から何かが飛び出してきた。よく見るとそれは、男と同じ格好をした遺体だった。遺体だとすぐに分かったのは、その頭部が無残に引き裂かれ、脳の中身が見えたからだ。

 

(むご)い……仲間割れか?」

 

クラリッサが呟く。

 

「いや……何かいる」

 

ラウラの頬に一筋の汗が滴る。脳から流れた血が男の足元に流れつく。その血はよく見ると人間の血のようで、人間の血ではなかった。鮮血の色と()()が混じり合った、濁った液体が蠢いている。

 

「ッ…アアアアアアアア!!!!」

 

得体の知れない()()()()が扉の中から響き渡る。すると扉から出てきたのは一人の人間だった。男と同じ格好をしているため仲間だと思われるが、明らかに様子が変だった。その人間はふらふらと緩慢な歩みで男に近寄っていく。

 

「来るな……」

 

不気味さを漂わせた亡霊のようでもあり、死人(ゾンビ)のようでもある。その異様な光景に、ラウラとクラリッサも息をのむ。

 

「……くるなぁあああああ!!!!」

 

男がこれ以上ないほどの叫び声を上げる。しかし死人は立ち止まることもなく、喚き叫ぶ男の肩を両手で掴み、男の首元に口を近づけた。

 

ゴキッ

 

勢いよく血が噴き出す。死人に首を食われた男はやがて声にならない声で叫び、ビクビクと痙攣した後、やがて動かなくなった。死人が男を食べる音が、冷たい空間の中で湿ったく響き渡る。

 

「動くな!手を上げろ!」

 

ラウラとクラリッサが銃を向ける。すると死人は男を食べる動きを止め、ゆっくりとこちらに振り向いた。

 

(異常だ……あまりにも異常すぎる……)

 

嫌な予感がした。

ラウラの銃に装着されたフラッシュライトが、死人の顔をゆらゆらと動く。

ダメだ、恐れるな。

 

しかし、予感は的中した。

死人は突然素早い動きでラウラの前へと走ってきた。

 

「隊長!」

 

クラリッサの声をよそに、ラウラは死人の両肩を掴もうと腕を伸ばす。ISを展開しているのだ、こちらの方が有利に決まっていると、ラウラは自分に言い聞かせる。

しかしその両肩を掴んだ瞬間、ラウラは突然左目に鋭く激しい痛みを感じた。

 

「くっ……!」

 

死人はもはや人間と思えないような力でラウラを食いにかかる。いくらISを展開しているからといって、あの牙で装甲以外の露出した肌を噛まれたりしたらひとたまりもない。しかしラウラの左目はどんどん痛みを増していき、無情にも死人の牙がラウラの首元に届きそうになった、その時。

 

パァン────!

 

死人がぐったりとラウラの前で倒れる。男の頭部を撃ち抜いたのはクラリッサだった。クラリッサの銃口から上がる白煙を見てラウラは正気に戻るとともに、途端に呼吸が荒くなっていった。

 

「隊長!大丈夫ですか!?」

 

「あ、ああ……すまなかった」

 

「隊長、どこか痛むところが?」

 

クラリッサが顔を覗き込むが、ラウラは心配をかけまいと首を振る。クラリッサの気遣いをそらすように、ラウラは足元に転がった死人を見下ろした。

 

「しかしこいつは……人間なのか?」

 

「人間……だったもの、かもしれません」

 

「……非科学的だな」

 

「ええ、全くです。背格好も我々人間と同じ。しかし……」

 

クラリッサはライトを死人の口元に向ける。

 

「人の肉を喰らう……そんなもの、映画の世界だけだと思っていました」

 

死人の牙はまるで獣のように尖り、その歯には先ほどの男の肉と皮膚がこびりついている。あまりにも惨い光景に、クラリッサもライトを当てるのをやめた。

ラウラも無線を開く。無線を繋いだ先は、もう一つのグループであるカリンとニーナだった。

 

「こちらラウラ。テロリストによる襲撃を受けた。身元は不明、一部人間とは思えない行動を起こした。そちらの状況を報告せよ」

 

『こちらカリン。我々も襲撃を受けました。目の前で仲間を食べたのには驚きましたが……』

 

「了解。こうなった以上、犯人たちを無理に拘束するのは危険だ。上層部からも敵勢力抹殺の許可は下りている。自身の安全を最優先に行動しろ」

 

『……ニーナ!?くそっ!』

 

「おい、どうした!?」

 

『ニーナが敵勢力に取り囲まれました!っくそ!離れろ!!』

 

「おい!?応答せよ!────」

 

ザザッ

 

無線が突然途切れる。歯を食いしばるラウラだったが、クラリッサが声を張り上げた。

 

「隊長!前方より何か来ます!さっきよりも多い……!」

 

何人もの足音が、暗闇の奥から響き渡ってくる。それらは二人の聴覚を完全に支配していき、やがて現れたのは何人もの死人だった。

 

「……くそっ!クラリッサ、私の後につづけ!」

 

「了解!」

 

ラウラは機体からワイヤーブレードを射出し死人を次々と貫いていくが、死人たちはそれでも蠢くのをやめない。それどころか、左目の痛みがどんどん増していく。

 

「隊長!頭部を破壊してください!そうでなければ奴等はいつまでも動き続けます!」

 

クラリッサの声にラウラも銃を放ち続けるが、殺しても殺しても奥から死人が湧き出てきてキリがない。

ラウラとクラリッサはただひたすらに銃弾を放ち続けた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

夥しい数の死体の上で、ラウラとクラリッサは立ち尽くす。肩で呼吸をするラウラの吐息が、冷たい空間の中で溶けていく。すでに身体は灰色と赤で塗れていた。

 

「っ……」

 

「隊長、大丈夫ですか?」

 

ラウラと違い、クラリッサの呼吸は落ち着いていた。それがクラリッサにとっては不安に感じ、ラウラの元へ駆け寄る。

 

「ああ……大丈夫だ」

 

「……ここに来てからというもの、隊長の呼吸がひどく乱れています。失礼ですが、どこか痛むのでは?」

 

「……大丈夫だと言っている」

 

しかし誰よりもラウラをそばで見てきた副官として、ラウラの異変を見過ごすわけにはいかなかった。

 

「隊長、私の肩に腕を回してください。少しは楽に────」

 

「────私に構うな!」

 

ラウラが乱暴にクラリッサの手を払う。それと同時に、ラウラの左目の眼帯が宙を舞った。解けた眼帯が、冷たい鉄の闇に落ちる。

 

「……すまない。冷静さを失っていたようだ」

 

ラウラが小さく謝る。しかしクラリッサはそれに反応を示さず、驚いた顔でラウラの左目を見ていた。

 

「隊長……その目……」

 

クラリッサが口を開けたまま黙る。なんだと思い、ラウラも自身の腕の装甲を鏡代わりにして自分の顔の前に上げた。

 

そこに映っていたのは、金色の目だった。

少なくとも作戦開始時は青い目をしていたはずだった。

 

「……!?」

 

ラウラも驚きのあまりまじまじと反射した左目を見るが、何度見てもそれは金色の目だった。

 

「……隊長?」

 

クラリッサが心配気な顔をする。しかしラウラはなんとか落ち着きを払い、隊長としての威厳を見せた。

 

「……問題ない。手術後まだ間もないからな。多少内出血でも起こしているのだろう。作戦終了時までは余裕で耐えられる。先へ進むぞ」

 

眼帯を再び装着し、ラウラは銃を持ち上げる。ラウラとクラリッサは、暗闇に広がる死体の川を歩き続けた────。

 

 

 

 

 

 

やがて一本道は終わりを迎えた。

ついに突き当たりへと到着し、そこには大きな扉と、その横に座る今にも死にかけな男。誰かに撃たれたのか、両足腹部を損傷しているようだった。

ラウラは男に銃を突きつける。

 

「貴様もテロリストか?他に仲間は?」

 

息も絶えそうな男は、ゆっくりとラウラたちを見上げる。マスクの隙間からは青い目が見えた。

 

「その目……ドイツ人か?言葉は分かるな?質問に答えろ」

 

しかしラウラの質問に答えることなく、男は小さな声で呟く。

 

「……ここへ入るな……入れば、後悔することになる……」

 

男の言葉を聞いたクラリッサが、扉の横に何かがあるのを見つけ、近寄る。それは小さな円状の機械で、何かを読み取るような仕組みのようだった。

 

生体(バイオメトリクス)認証……まさかその男が?」

 

クラリッサが男の方を見る。男の左手はよく見ると人差し指が無くなっており、その指は男の足の上に置かれてあった。

 

「誰かに撃たれたか?まだ撃たれたばかりのようだな……」

 

ラウラが男の指の断面を見る。ハイパーセンサー上では、その指はまだ人間と同じ温度を保っていた。

 

「おい!この先に何があるんだ!」

 

ラウラが男の額に銃口を突きつける。しかし男はすでに絶命しており、その目は虚ろなものになっていた。

 

「……くそ」

 

ラウラは銃を下ろす。男もぐったりと顔が落ち、地面に倒れた。しばらくの沈黙が流れた後、クラリッサが口を開く。

 

「隊長、どうしますか?」

 

ラウラも深く息を吐き、男の前にしゃがみこむ。手にしたのは、男の足に置かれた人差し指だった。

 

「……ここで止まるわけにはいかん。これで先へ進もう」

 

ラウラはクラリッサに指を渡す。クラリッサがその指でセンサーに照合させると、扉が内部で何重ものロックを解除していく音が聴こえた。

やがて連続していく解除の音が止まり、扉がゆっくりと自動で開いていく。ラウラとクラリッサも銃を構え、その扉の先へ目を凝らす。

 

扉の先に広がっていたのは決して広くはない小さな部屋で、壁沿いには大きなモニターが設置されていた。

モニターの中は世界地図が投影されており、その上に夥しい量の数式が広がっている。数式は絶えず流動し、やがて世界地図の中心に集合していく。数式はやがてゼロになり、後に残ったのは世界地図だけどなった。

 

「今のは……?」

 

その様子を後ろで見ていたクラリッサが呟く。

 

「……分からん。だがここで爆発が起きる兆しもなさそうだ。ひとまず任務終了後に軍部へ報告しよう」

 

バンッ!

 

突然左から何者かが扉を開く音が響く。

 

「誰だ!」

 

ラウラとクラリッサが警戒すると、銃を構えていた相手が驚いた顔をしていた。

 

「隊長!?それに副官も!」

 

扉を開けたのはカリンとニーナだった。お互いに銃を下ろし、四人は集まる。

 

「無事だったか!?」

 

「ええ、なんとか……」

 

灰色に濁った血に染まったニーナが、ラウラたちの身体を見る。

 

「やはり隊長たちも、同じ敵に?」

 

「ああ。だがなんとか凌いだ……並の人間とは比べものにならないほどの力だった」

 

カリンがモニターの方にゆっくりと近寄っていく。ニーナから敵を全て無力化した報告を受けたクラリッサも、ラウラに話しかけた。

 

「隊長、ひとまず私は上層部に報告をします」

 

「ああ、頼む」

 

クラリッサの無線がしばらく続いた後、彼女は全員に向き直った。

 

「上層部から帰還命令が出ました。ここから100mほど離れた場所にヘリを着陸させる、と」

 

「ふむ……分かった。全員、帰還するぞ」

 

「「了解!」」

 

クラリッサとニーナが扉の外へと先に出る。私も出ようとするが、振り返った。

 

「おい、カリン」

 

「……」

 

「カリン・アーデルハイト!」

 

「は、はい!」

 

「何をしている。早く帰るぞ」

 

しかしカリンは相変わらずモニターに目を奪われていた。私も彼女が何をそんなに気になるのかが不思議だった。

 

「何か気になるものでもあるのか?」

 

カリンはずっとモニターを見続け、私はそんな彼女の背中を眺めている。いつものあどけないような彼女とは全く違う、見たこともない一面だった。

 

「────隊長は、満天の星空を見たことがありますか?」

 

彼女の問いに、私は首を傾げる。

 

「……あまり縁がない」

 

そうですか、と彼女は小さく笑う。

 

「幼い頃……夜になると、よく雲の流れを観察していました。風が吹くのを待って、夜の底が少し明るくなってから、空を見上げるんです。そこには、たくさんの綺麗な星が……」

 

「……」

 

世界地図のモニターは絶えず流動し、今度は小さな無数の光がバラバラに小さく輝き始める。

 

「私、宇宙工学に興味があったんです。大学を出て、軍部に入って隊長に会うまでは……いえ、本当は今も……」

 

「……隊を抜けるか?君の進む道だ、私は止めはしない」

 

カリンはまた小さく微笑み、首を振る。

 

「いえ、隊を抜けるつもりはありません。私は黒兎隊(ここ)で、何度も救われましたから」

 

目の前に広がる満天の星空を、カリンは幼子のように見上げる。

 

 

 

「ですが今は、もう少しだけ……────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女から星の話を聞いたのは、それが最初で最後だった。

 

 

当時の私には、何かを見上げることなど出来はしなかったのだ。

 

 

 

 

 




『Operation. Lepus』出動隊員一覧

Laura Bodewig(ラウラ・ボーデヴィッヒ)
IS配備特殊部隊・黒兎隊(シュヴァルツェ・ハーゼ)隊長。階級・少佐。
2017年秋、左目に移植手術を受ける。現在はドイツ代表候補生となり、IS学園に転入中。

Clarissa Harfouch(クラリッサ・ハルフォーフ)
IS配備特殊部隊・黒兎隊副官。階級・大尉。
現在は、日本にいるラウラの代理として黒兎隊を牽引している。
大西洋に繋がる北海の海中にある地下施設にて、黒兎隊の活動に努めている。

Karin Adelheid(カリン・アーデルハイト)
IS配備特殊部隊・黒兎隊隊員。
ドイツ出身。ベルリン工科大学航空宇宙工学専攻後、黒兎隊に入隊。
2020年現在、行方不明。

Nina Claudia(ニーナ・クラウディア)
IS配備特殊部隊・黒兎隊隊員。
トルコ共和国出身。日本人の血を引いており、ラウラとクラリッサ以外に唯一日本語対話が可能な人物。
銃は狙撃手としての戦闘が主な専門だが、日本の剣術も学んでいたため剣の扱いにはかなり長けている。
2020年現在、行方不明。


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2017年秋、世界各地で謎の大停電が発生。
各国の住民・インフラ・交通網に甚大な被害を与え、1977年に起きたニューヨーク大停電の再来とも伝えられた。
三年経った今でも、その原因は突き止められていない。

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