狩人の夜明け   作:葉影

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お待たせしました!
そしてだいぶ前のお話で誤爆をしていたことに気づき大爆笑しておりました(編集済み・本編には支障ありません)。


第52話 傷痕

22:15

IS学園・医療病棟エリア

A・C病棟間渡り廊下

 

IS学園は教室のある校舎だけではなく、医療病棟なるものも兼ね備えている。IS学園に属する生徒や教師のほか、学園島にいるあらゆる関係者への医療サービスを実施している。診療室はもちろん手術室もあり、他の大学病院にも負けない、最先端の機器も備えたこの医療病棟は、さすが世界に誇るIS学園なだけあって、その土地も広大だ。ISを扱う以上、学園としても予期せぬ事故や怪我人の発生に対し、万全に対応・治療できる体制を整えなければならない。また、世界中の様々な国から入学してくるということで、感染症リスクへの対策も考えなければいけないというのも、病棟が建てられた大きな理由の一つだった。

学園病棟に在籍している医療従事者たちは、生徒たちのケアをする時間以外は、研究室での研究に没頭しているようだ。臨海学校で一夏が現地で懸命な治療を受けられたのも、同行していた5,6人の彼ら医師によるおかげだった。

 

A棟とC棟の間のガラス張りの渡り廊下でラウラは立ち止まり、夜に染まった学園を見渡す。アリーナ襲撃を受けた際、ロッカールームにいた者の中で幸いほとんど怪我がなかったのがラウラだった。大爆発が起きた瞬間、吹き飛んだロッカーなどが幸運にもラウラの前を覆い壁の役割をし、機体の防御力も相まって怪我を防げたようだ。楯無は軽度の火傷と全身に強い打撲、一夏は軽度の火傷と全身に浅い切創が見られていた。その二人は、しばらくの期間はそれぞれ個室の療養部屋での就寝を言い渡されているが、ラウラは額に小さな火傷を負っただけなので、額に包帯を巻いて、もう自室での生活が許可されたのだ。

 

無音で夜風に揺れる木々の葉を見下ろし、ラウラは先ほどの千冬との会話を思い出した。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

ラウラが療養部屋のベッドで窓の外を眺めていた時、外からカツカツと足音がした。それはラウラのよく知る足音だった。

 

プシュッ

 

スライドして開いたドアの向こうには、千冬が立っていた。

 

「教官」

 

「学校では織斑先生だ」

 

ため息をつき、千冬は部屋に入る。

 

「────具合はどうだ?」

 

「ええ、変わりなく」

 

「痛みは?辛くはないか?」

 

「問題はありません」

 

「そうか……ならいい。お前は昔から無理をしがちだからな」

 

「そうでしょうか」

 

「ああ、そうだ」

 

およそ普通の人間ならば分からないほどの差だが、千冬の表情と声に安堵の色がついたのをラウラは感じた。少なからず自分のことを心配してくれていたのだろうと、ラウラは嬉しくなる。ただそれを悟られるのもなんだか恥ずかしく、ラウラは平然を装っていた。

千冬は静かにベッド横の椅子に座り、ラウラの額を見る。

 

「医者はどのくらいで治ると?」

 

「1週間も経てば、皮膚も元通りになるらしいです」

 

「そうか……痣にならなくてよかった」

 

千冬はラウラの額に巻かれた包帯に、そっと手を添える。

 

「すまない……私の思慮の無さで、皆を危険な目に合わせてしまった……」

 

千冬の目に、悲しみの透けた影が落ちた。

 

「何を言いますか!」

 

否定しようとするラウラだが、千冬は首を振る。

 

「もっと策を講じるべきだった……指示を出すだけ出して、生徒一人も守れないなど……こんな情けない話はない」

 

「……」

 

「他にも安全かつ最適な対抗策があったかもしれない……思いついていれば、皆が被害を負うこともなかっただろう。それに、マリアも……」

 

千冬はグッと唇を噛み、膝の上で拳を握りしめた。それを見たラウラは、その千冬の手を優しく包む。

 

「────戦場は、銃を持った兵士(ソルジャー)だけでは戦えません。それらを束ねる頭脳を持った指揮官(コマンダー)がいて初めて戦うことが出来るのです。あの時教官は私たちのために……出来る全てのことを為されたのだと思います」

 

千冬の手は温かい。不謹慎にも、改めてこの人も一人の人間なんだと感じさせられる。しかしラウラはあえて、静かに強い叱咤を俯く千冬に向けた。

 

「しっかりしてください、教官。戦場で、もっと酷い惨状を目にしたこともあります。いえ、本来比較をすべきではないことも分かっていますが……。怪我を負ったのは私たち専用機持ちたちだけで、他の一般生徒は負傷者ゼロだったと聞いています。今は……最小限に被害を抑えられたと捉えて、前を向くしかありません」

 

ラウラの言葉に、千冬はゆっくりと顔を上げた。ほんの少し、目の重みが軽くなった気がした。

 

「そうだな……。強くなったな、ボーディヴィッヒ……」

 

「いえ、私など……まだまだ教官の足元にも」

 

「だが忘れるな。お前たちは、決して兵士などではない。私の大切な……可愛い生徒だ。これまでも、そしてこれからもな」

 

千冬はラウラの頭を優しく撫で、静かに立ち上がった。

 

()()()も、早く目を覚ましてくれれば気が休まるのだがな……」

 

背を向けた千冬が、小さく呟いた。

 

「……意識不明(coma)だと聞きました。目を覚ます兆しは?」

 

「……何とも言えん。外見に目立った損傷はそれほど見られないが、あの大爆発を一番強烈に受けたのがマリアだった。他の専用機たちも目の前で爆発を受けたが、威力的にはマリアのものが圧倒的だったらしい。本当はすぐにでも調べたいところだが、頭部の損傷具合が未だ不明瞭なのもあり、MRIにも踏み出せない状況だ」

 

「……そうですか」

 

枕元の液晶から小さなアラームが鳴った。夜の10時を知らせる合図だった。

 

「目覚めるのがいつになるか……何一つ分からんが、今はあいつを信じるほかない。昏睡状態に陥った全ての患者が外界の刺激に無反応なまま、とは限らないようだ。親しい人間が声をかけ続けるのも一つの光明となりうる。今日はもう遅いから無理にとは言わんが、よかったらあいつに声をかけてやってくれ」

 

そう言って千冬は部屋を後にする。しばらくしてラウラも上着を羽織り、部屋の電気を消した。

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

 

思えば、私を見舞う彼女とああして話をしたのは二回目だ。

一度目は学年別トーナメント。あの日私は力に溺れ、獣に成り下がった。あの時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。全身に無数の黒い手が伸びて、私を底の無い闇の中へ誘い込む……小さな、湿()()()()とともに。

保健室で目が覚めた私に、彼女は私が一人の人間であると教えてくれた。道を失った私にとって、それは救いだった。そして私も誰かを守ることのできるような人間になりたいと、密かに誓ったのだ。だから今回の件で目の前を見失いそうになっていた彼女を、なんとしても立ち上がらせたかった。

 

夜空に浮かぶ月が、小さく漂う雲に隠れる。夜の景色を後にし、私はA棟へと足を進める。

A棟にはICU(集中治療室)CCU(循環器疾患集中治療室)がある。私はそのICUエリアへと向かった。ICUエリアの自動ドアが開き、小さな空間に入る。天井から消毒の霧が散布され、私の全身を包む。やがて廊下へのドアが開き、私は教えられたA-301へと向かった。

部屋のドアを開け、またそのさらに奥のドアの前に立つ。耳をすませると、中から誰かが泣いている声が聞こえた。小さくノックをしてドアを開けると、そこにはシャルロット、セシリア、小さく泣いている静寐と彼女を静かに慰める本音……そして彼女たちに見守られながら眠っているマリアがいた。

 

「あ、ラウラさん……」

 

私に気づいたセシリアが顔を上げる。するとシャルロットも振り返り、挨拶を交わした。シャルロットは私の額に巻かれた包帯を見る。

 

「ラウラ……大変だったね。その傷はもう大丈夫なの?」

 

「ああ、幸いにも軽く済んだ。シャルロットこそ大丈夫だったのか?」

 

「僕と箒も、なんとか無事だったよ。僕たちのそばで起きた爆発自体は弱いものだったから……」

 

「そうか……」

 

規則的な心電図の音が、静寂な部屋に響き渡っては溶けていく。人工呼吸器をつけた彼女は、まるで今にも起きそうなほどに綺麗に眠っていた。腕や肩、脚に包帯は巻かれているが、大量出血などの目立った外傷は大して見受けられない。昏睡状態なのがいまだに信じられないと思ってしまう。

すると静寐が皆に、そしてマリアに涙を流し謝った。

 

「ごめんなさい……!私のせいでマリアさんが……私があの時無理にでも止めていたらこんなことには……!」

 

肩を震わせ泣く静寐の肩を、本音が優しく撫でる。

数時間前────全ての敵を排除した後、専用機持ちたちは大体の彼女の状況を伝えられていた。一般生徒の避難誘導を任されていたマリアは、アリーナ観客席に閉じ込められていた生徒たちを解放……そして他観客席エリアにまだ生徒たちが取り残されていると思っていた彼女は、そのまま生徒たちの救出に向かう。「大勢の熱反応が出ている」と管制室からも通信があったが、しかし実際には蜘蛛(アラクネ)による偽装誘導(ダミー)。その場にいた静寐を匿うようにマリアは大爆発に巻き込まれた……。マリアに守られた静寐は、マリアの機体(狩装束)の防御力の高さ、そしてマリアという肉体の壁のおかげで幸い負傷することはなかったが、大爆発の衝撃と炎の乗った爆風を直に浴びたマリアは耐えきれなかったようだ。

シャルロットは優しい声で静寐を慰める。

 

「謝ることなんて何もないよ。幸い、負傷者が出たのは僕たちだけに留まった……むしろ、謝らないといけないのは僕たち専用機持ちの方。一般生徒たちに被害を出さなかったとはいえ、もっと早くに動けていればより安全な避難誘導が出来たかもしれない」

 

「でも……!」

 

「むしろ鷹月さんがあの時いなければ、マリアはもっと奥に進んでいたと思う。そうすれば、きっと蘇生処置すら望めない状況だった……。マリアも鷹月さんに謝ってほしいとは思っていないはずだよ」

 

静寐はそれでも、涙を流すしかなかった。横にいた本音も、静寐の状態を見て心配そうにしていた。

 

「しずねん、今日はこのくらいにして帰ろう?しずねんの身体も、きっと限界だよ……」

 

「そうですわ……一度睡眠をしないと、休まるものも休まりませんもの。ここまでマリアさんを心配してくださって、ありがとうございます」

 

「そうだな……今日はもう深く考え込まない方がいい。すまないが、彼女を見送ってやってくれ」

 

「うん……寮まで一緒に帰るよ。皆もあまり気を張らないでね……」

 

セシリアと私も静寐を励まし、本音に後を頼んだ。静寐ももう何も言わず、本音とともに小さく別れの挨拶を告げ、部屋を後にした。再び、規則的な心電図の音が響き渡っていく。

 

「────ラウラさん。一夏さんを守ってくださり、ありがとうございました」

 

セシリアは私に礼を告げる。

 

「……いや、一夏の無事に大きく貢献したのは会長だ。私は……目の前にいながら、何もできなかった……」

 

「そんなことありませんわ。会長も、そしてラウラさんも……どちらか一人でも欠けていれば、一夏さんも命の保証はありませんでした。ラウラさんがどう思われようと、私は深く感謝しています」

 

「セシリア……」

 

セシリアはマリアの手に自分の手を重ね、口を閉ざす。マリアを心配そうに見つめ、やがて深く息を吐き、席を立った。

 

「私も、今日は失礼いたしますわ。ラウラさんは?」

 

「私は……もう少しだけ」

 

「そうですか……。シャルロットさん、無責任な言葉になるかもしれませんが、貴女もあまり思いつめないよう……」

 

「うん……ありがと」

 

そしてセシリアは病室の扉を閉める。扉の外で足音が聴こえなくなった頃合いに、私は言葉を紡いだ。

 

「────マリアは」

 

脳裏に、あの時の彼女の声が過ぎる。

 

「あの時、教官が私たちに指示をして散開したその後のことだ。彼女はプライベート・チャネルで私に『一夏を頼む』と」

 

「……」

 

「彼女にしては不安げな様子だった。まるで、自分の身に何かが起こるのを予期していたかのような……」

 

「そうだったんだ……」

 

そう言って、私は自分の言葉にひどく後悔した。誰も彼女がこのようなことになるなど望んではいないのだ。

 

「すまない……無神経だった。元はといえば、私がもっと早く一夏のもとへ着いて敵を無力化していれば────」

 

「ラウラ」

 

私の声を遮るシャルロット。その目は静かに、眠っているマリアを見ている。

 

「誰も悪くなんてない。悪いのは、皆を酷い目に合わせた敵なんだから……」

 

「シャルロット……」

 

「僕は……マリアを信じてるよ。いつか、必ず目を覚ますって……」

 

「……」

 

「マリアはこの学校で、皆のためにずっと頑張ってくれてた。僕たちは皆違うかたちで、時には共に過ごした中で、マリアに守られていた。今度は、僕たちがマリアを守らないと……何があっても」

 

「……そうだな」

 

ふと一瞬、あのアリーナの霧で見た一夏が脳裏に過った。雪片弐型を振り下ろした一夏の目は、深く澱んだ色に溢れており、まるで()()()()()()に塗れたように……。

私はマリアのそばに近寄り、彼女の手をゆっくりと握る。

 

 

私が人間でなくなったあの時、お前と一夏は私を救い出してくれたな。

 

もう随分前のことのように感じるが、私は今でも鮮明に憶えている。

 

普通に考えれば、あのような状態の私を救うなど、到底想像できなかっただろう。

 

だが、それでもお前たちは私を救ってくれた。

 

今度は私が、お前たちを守る番だ。

 

一夏のことは私に任せろ。

 

今はしばし、ゆっくり休め。

 

 

彼女から手を離し、私は席を立つ。

 

「私もそろそろ戻る。シャルロットも、しっかり休むんだぞ」

 

「うん……ありがとう」

 

シャルロットの横顔に後ろ髪を引かれる思いになったが、素直に病室を出ることにした。

 

 

 

 

 

 

窓の向こうで夜風に揺れる木々の葉に、半透明な自分の指が重なった。夜の空気を作る物質の海に、白い包帯で巻かれた腕が溶けていくようだった。

時刻は夜の22時45分────学園の明かりも、そろそろ眠りにつく頃である。一夏も今日は大人しく寝ようかと思い、ベッド横の台にある電気のスイッチを取ろうとする。

伸ばした手の影がスイッチを覆ったその時、頭の中で黒いマントが浮かぶ。そして、先ほど見舞いに来た姉との会話も。

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

 

『私もそろそろ仕事に戻る。お前も今日は大人しく寝ておけ』

 

 

『仕事?もう夜の10時だぜ?』

 

 

『こんな事件が起きた後だ、教師は最後まで後処理が残っているからな』

 

 

『……』

 

 

『……ふっ、お前は相変わらずの心配性だな。案ずるな、私もむやみに遅くまでやるつもりはない。自分の身を管理できない教師に生徒を指導する資格はないからな』

 

 

『……だといいけど』

 

 

『あぁそれと、お前たち専用機持ちたちにもまだやってもらうことはあるぞ。明日以降、定期的に事情聴取を行わせてもらう』

 

 

『……』

 

 

『もちろんお前たちの身体の調子も鑑みて、だがな。しかし人間の記憶には私たちが思っているよりも早く(もや)がかかっていく。なるべく記憶が新鮮なうちに話を聞かせてもらう、というわけだ』

 

 

『……』

 

 

『見たもの、聴いたこと、感じたこと、なんでも構わん。今回の事件に関して思い当たることを……おい、聞いているのか?』

 

 

『……あ、ああ』

 

 

『……いや、すまない。仕事に戻るといったのは私の方だったな。長話をして悪かった。ではな』

 

 

『あの、千冬姉』

 

 

『?』

 

 

『その……家族のことなんだけど』

 

 

『……』

 

 

『俺たち以外に、家族っているのかな……?』

 

 

『っ……』

 

 

『……その、妹とか』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『……』

 

 

『……な、なぁ、何か言っ────』

 

 

『────私の家族は、お前だけだ』

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

コンコンッ

 

誰かが病室の扉をノックした。

 

『あの、一夏さん……まだ起きていらっしゃいますか?』

 

「セシリア!?起きてるけど……」

 

『お邪魔してもよろしくて?』

 

「あ、ああ」

 

開かれた扉の先にはセシリアが立っており、一夏の顔を見ると、表情に少し明るさが戻ったように思えた。

 

「申し訳ありません、こんな夜更けに来てしまって……。一夏さんの部屋の明かりがまだ見えてましたので、もしかしたら起きていらっしゃるかなと……」

 

「いやいや、嬉しいよ!ほら、椅子もあるし座ってくれ」

 

一夏がベッド横の椅子を勧めると、セシリアも姿勢正しくそこに腰を下ろした。

 

「見舞い、来てくれてありがとう」

 

一夏が優しく微笑みかけると、セシリアの頬がほんのりと紅く染まる。

 

「あの、その……い、一夏さんの顔を見ないと落ち着かない気分でしたので……」

 

「!そ、そっか……」

 

不意なセシリアの可愛い一言を見事に食らう一夏。セシリアは自身の照れを隠すように、話を続けた。

 

「一夏さん、お身体の具合はいかがですか?」

 

「ああ。軽い火傷に浅い切り傷がまんべんなく……って感じか。怪我については先生たちから聞いてたとは思うけど、生活に支障はないぜ。『しばらくは安静に』って言われてるけどな」

 

「生活に支障はない、って……本当ですの?」

 

「まぁ、歩いたりシャワー浴びる時とかは少し痛むけど」

 

「もう!そういうのを『支障がある』って言うんですわ!」

 

「ははは。でも心配ないって」

 

「一夏さんはよく我慢される方ですから、心配したくもなりますわ!もう……」

 

あまりセシリアに心配をかけたくない一夏だったが、全て見透かされていたようだ。しかし拗ねたように頬を膨らます可愛らしい顔を見れて、「心配されるのも悪くない」と呑気に思っていた一夏であった。

しばらく談笑する二人だったが、やがて二人の間で沈黙が流れた。話を切り出したのは一夏の方だった。

 

「その……マリアの容態は?」

 

セシリアの目に影が差す。一夏は病室で安静にするよう言われているため、事件以降まだマリアの姿を見ていない。最後に話したのは学園祭の最中だった。

本当は千冬からすでに聞いてはいたのだが、同じ専用機持ちからの言葉を聞きたかったのだ。セシリアは一夏から視線を外し、小さく答える。

 

「マリアさんは……静かに眠っていました……。まるで今にも目を覚ましそうなほどに……昏睡状態なのが信じられないですわ……」

 

「そうか……」

 

時計の針の音が、やけに耳に響く。

 

「俺があいつ(オータム)を倒してさえいれば……俺がヘマなどしてなかったら、マリアもあんな目に────」

 

「──── 一夏さん」

 

一夏の言葉をセシリアが遮る。

 

「今回の被害は、一夏さんのせいではありません……ましてや、誰のせいでもありません。全ての元凶は、学園を襲った敵ですわ」

 

「セシリア……」

 

「少なくとも一般生徒に物理的被害は生じませんでした。被害は私たち専用機持ちたちだけに留まっています。ですが私たちは、彼女たちの心までは守りきることができませんでした……そして、私たち自身の心も。敵は外にいますが、皆内なる自分の心を責めています。現に、マリアさんが爆発に襲われる姿を目の前で目撃した鷹月さんは、ひどく心に傷を負われているようでしたわ……。彼女のような生徒も生んでしまったという事実も、私たちが受け止めるべきことだと思います」

 

「……」

 

「人間誰しも、悲しい出来事に直面すれば目の前が暗くなり、唯一目に見える自分自身を責めるものです。ですが、こういう時こそ、力を合わせなければ……」

 

「……そうだな。俺たちも、今はマリアを信じよう」

 

一夏の頷きに、セシリアも優しく微笑む。しばらくの沈黙の後、セシリアはまだ暗い顔をしている一夏に、元気づけようとある提案をした。

 

「ときに一夏さん」

 

「ん?」

 

「一夏さんのお怪我が完治しましたら、一緒にどこかへ出かけませんか?」

 

「え、え?」

 

突然の誘いにビックリする一夏。胸の中で、心臓の音が少し速くなった。

 

「もちろん、無理にとは言いませんが……少し突然過ぎたでしょうか?」

 

「いや、そんなことないぞ!ちょっとビックリしただけだ!」

 

「それでは……?」

 

「もちろんいいぜ!むしろ、嬉しいよ」

 

「まぁ!ありがとうございます♪」

 

セシリアの花が咲いたような満面の笑みに、一夏は自分の顔がほんのり熱くなるのを感じた。

 

「晴れた週末の日に出かけて、美味しい日本料理を頂きたいですわ」

 

「そうだな。何がいい?」

 

「『ソバ』という食べ物が気になってまして……日本にあるオルコット家の別荘の近くにもお店があるらしいのですが、行ったこと自体はありませんの」

 

「蕎麦か……俺も蕎麦は好きだぜ。蕎麦好きならではの、()な食べ方ってのもあるんだ。セシリアにも味わってほしいな」

 

「『ツウ』?」

 

「その料理をもっと楽しめて、ちょっとだけ風情も優越感も味わえるって意味だよ」

 

「なるほど。乙なものですわね」

 

「なんだ、知ってるじゃんか」

 

「ふふふ♪」

 

会話もやがて終わり、ふとセシリアが腰を上げ、一夏に顔を近づける。そしてゆっくりと、一夏の頬に口づけをした。あまりに衝撃的な出来事に、一夏は思考が停止する。セシリアは一夏の頬から唇を離し、赤く染まった顔で一夏の目をまっすぐに見た。

 

「景気づけですわ。一夏さんのお身体が、早く良くなりますように」

 

「あ、その……」

 

「一夏さん、私は待ってますわ。次は、貴方から……────」

 

セシリアはそこから先の言葉は言わず、静かに席を立った。そして半ば放心状態の一夏を背に、部屋の扉に手をかける。そして扉を少し開けてまた一夏の方へ振り向き、視線を下の方に彷徨わせる。

 

「……私、自分からしたのは初めてですの。もちろん、殿方としたことも……」

 

頬を赤く染め、恥ずかしげに袖口で小さな唇を隠すセシリアが愛しくてたまらなかった。

 

「また様子を見にまいりますわ。おやすみなさい、一夏さん」

 

「あ、ああ……おやすみ……」

 

セシリアが部屋を出てからしばらくして、一夏は大きく息を吐いた。

 

(夢…?夢なのか……?)

 

あまりに嬉しい出来事に、一夏は未だに信じられないといった様子だった。あの可愛くて綺麗なセシリアが、以前から心のどこかで気になっていた彼女が、自分にキスを────

 

(〜〜〜〜〜!!)

 

一夏がようやく寝れたのは、電気を消しておよそ一時間後のことであった。

 

 

 

 

 

 

22:55

IS学園・学園棟エリア

とある歩道

 

医療病棟エリアを出たラウラは、寮への帰路についていた。規則的に並ぶ電灯とその(そば)で漂う目に見えない黒の空気が、彼女の顔を二色に塗り替えていく。この時期の夜はすっかり冷える世界となっていて、それは一夏が倒れていたあの日の夜を思い出させた。そういえば一夏が見つかったのも、確かここの近くだったか…。

学園祭を狙った襲撃、専用機持ちたちへの被害、一般生徒たちへの精神的ダメージ、千冬への叱咤、そして意識不明となってしまったマリア……あらゆる面でのショックな出来事が重なり、ラウラは正直なところ自身の身体に積もっていく疲労感を隠せないでいた。きっと誰しも無理をしているが、互いの前ではそれを出さない。一人になれるこの時間が、唯一の気休めだった。

小さく吐いた息が、闇の中でわずかに白く染まって空へと上がる。ラウラはその息を追うように夜空を見上げた。皮肉なことに、自分たちの病んだ心とは正反対の満点な星空が広がっていた。

星空を目にしたラウラの中で、ある光景が思い起こされていた。あのロッカールームで、蜘蛛(アラクネ)が仕掛けた大爆発……その直前に目にした、部屋中に張り巡らされた糸に満ちた、大量の水滴……。それはまるで、私たちの頭上に広がる煌々たる星のように……。

 

寮の自室に帰りベッドに横たわっても、窓から覗く星はラウラの目から離れなかった。暗い部屋の中で、ただ月と星たちだけが、私の瞳を支配する。

 

 

『────私、()()()()に興味があったんです。軍部に入って隊長に会うまでは……いえ、本当は今も……』

 

 

それは数年前、部下に言われた言葉だった。その部下は、今は行方不明という報告を受けている。依然として情報は見つからず、そして彼女を探しに向かったもう一人の部下も……。

 

眠りに入ったその時まで、ラウラの中でその言葉が反芻された────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ドイツ軍上層部
特殊部隊司令部・最高総司令官室


pppp…


「私だ。私が連絡を寄越したということは、何を言いたいかが分かるか?」


「君も聞いたとは思うが……君の部下が学園を襲撃したそうだ。しかも、単独で」


「……やはり蜘蛛は、一匹での狩りを楽しむことでしか生きられないようだ。まぁ、君も寄生を好む方ではないだろうがな」


「……ふっ、心配することはない。君と私はあくまでビジネスの関係にある。私が蜘蛛を狩ることはない……君の部下だからな」


「君には感謝しているよ。最初に彼女(月の香りの狩人)の存在を聞いた時は耳を疑ったが……」


「……傾倒深い?ふん、面白い冗談だ。君にそれを言われる日が来るとはな」


「……ああ。例の実験が、もうすぐ完成する。成功すれば、世界は自由になる」


「報告義務はなかったがな。だが取引相手に一言も寄越さないのは、君も腑に落ちないだろう?それに、君とはこれが最後になるかもしれないからな」


「……ふっ、そうか?まぁいい。思えばKSK(特殊戦団)よりも手間も金もかかる部隊だったが……ようやく役に立つ時が来た」


「ああ、それと。蜘蛛はどれだけ時間がかかろうと、知らぬ間に巣を張り巡らせる生き物だ。(スコール)も、その糸で足元を(すく)われないようにな」


p…


「蜘蛛は自身の糸を吐いたが最後、それを戻すことはできない……その糸を利用し、巣の主を手にかける生物も現れる」


「……()()()()()()

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