狩人の夜明け   作:葉影

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第51話 蜘蛛

15:04

第1アリーナ 上空

 

「セシリア、何か確認できた?」

 

鈴は、学園より向こうの海上をスターライトmk.Ⅲで見張っているセシリアに声をかける。やがてセシリアも、スコープから目を離した。

 

「いいえ、何も……」

 

「そう……」

 

管制室にいる真耶たちから出動時のブリーフィングにて報告されたのは、「単機での侵入の可能性が高い。しかし陽動の可能性もあるので厳重に警戒せよ」との内容だった。もちろん警戒を怠るつもりはないが、出動してからというものの、こうも敵の気配がなくてはかえって居心地が悪い。

鈴はふと、気になることをセシリアに呟いた。

 

「────今回の戦陣だけど」

 

「はい?」

 

「セシリアはどう思う?」

 

鈴は何かを勘ぐっているような表情だ。うっすらと、セシリアは彼女が何を言いたいのか感じ取ったが、一先ず無難に返事をする。

 

「そうですわね……恐らく織斑先生の采配だと思いますが、考えられるバランスとしては最善の構成ではないでしょうか」

 

「そう…そうよね。でも、()()あると思わない?」

 

()()、とは?」

 

鈴はアリーナを見下ろして、呟く。

 

「一夏の援護にラウラが向かったのは、実戦経験のある人間として相応しいと思うわ。でも一方で、マリアもかなりの戦力を持っていると思うの」

 

「同意しますわ。しかし、だからこそマリアさんには生徒たちの盾となってほしいと考えたのではないでしょうか」

 

「それも考えた。私が言うのも情けないけど、正直一夏の援護を一番上手くできるのはマリアじゃないかって。でも先生たちは、マリアを第一線から外している」

 

「……」

 

()()()()()()、だとしたら?」

 

セシリアは黙る。鈴は言葉を続けた。

 

「臨海学校の件……マリアは私たちが福音と戦っている一方で、行方不明になっていた。その間の行動内容は不明だけど、きっと学園側も彼女を疑っているはず」

 

「……」

 

「一夏と同じところに送り込めば、監視の余裕はない。けど、生徒の避難援護……いや、教師陣のそばに送り込めば、監視カメラに加え、教師たちの目もつく。何か不可解な行動があれば、すぐに察知できる」

 

ま、その監視カメラが作動してるかは分かんないけど、と鈴は付け足した。

セシリアは、福音を倒して旅館へ帰ってきた時の真耶の言葉を思い出す。

 

『正直……私も織斑先生も、この一件でマリアさんのことをかなり疑ってしまっています。ただでさえ素性が分からないのに、このタイミングでこのようなことを起こすなんて……』

 

しかしマリアが普段から心優しい人物であることも、ましてや学園の侵入者の幇助をしたわけではないことも知っている。だからこそ、疑いきれないと。

 

「鈴さんは、マリアさんを疑っていますか?」

 

鈴は顎に手を添え、しばらく考え込む。

 

「分からない……でも、正直信じきれない気持ちもあるわ」

 

鈴は顔を上げ、セシリアの目を真っ直ぐに見る。

 

「セシリアはどうなの?」

 

「……」

 

「確か、イギリスにも一緒に行ったんでしょ?マリアを、信じられるの?」

 

「私は……────」

 

しかしその瞬間、二人の会話は中断された。

突如アリーナから聞こえた異常発生に、目を奪われたからである。

 

 

 

 

 

 

15:02

第1アリーナ ロッカールーム

 

楯無の清き熱情(クリア・パッション)による水蒸気爆発により、ロッカールーム内に煙が立ち込める。

「ミステリアス・レイディ────『霧纏の淑女』を意味するこの機体は、水を自在に操るのよ。エネルギーを伝達する、ナノマシンによってね」

 

徐々に晴れてきた煙の内から、装甲に損傷を負ったオータムが現れる。オータムは静かに楯無に声を放った。

 

「……まだだ」

 

「いいえ、もう終わりよ」

 

楯無は冷たく言い放ち、後ろに微笑みながら声をかけた。

 

「ね?一夏くん♪」

 

するとそこには拘束を解かれた一夏が立っており、オータムを真っ直ぐに見据えていた。

 

「雪片弐型、最大出力!」

 

一夏は両手で構えた雪片弐型を、オータムに高速で接近し上から振り下ろす。オータムはそれを両手で受け止めるが、一夏もジリジリと力を加えていく。

するとオータムが、眼前に迫る一夏に口元を歪ませる。そして一夏にしか聞こえないくらいの声で囁いた。

 

「へぇ……織斑一夏、お前も人生を狂わされたな」

 

先ほどまでの雰囲気と違うオータムに、一夏は警戒を強める。

 

「……何が言いたい?」

 

「お前も、もう引き返せまい。だが私はちがう。私はお前を殺すことで、()()()()()()()()()()()()からだ」

 

オータムの言葉の意味が分からない一夏。

 

「醜いな、織斑一夏」

 

「……なんだと?」

 

「この学園の者など、お前には何一つ守れやしない」

 

「……黙れ」

 

 

 

「────()()()()()()()()()()()

 

ギョロ

 

「!?」

 

その瞬間、オータムの頭部がパックリと割れて、大きな瞳が現れた。一夏はそれを見た途端、強烈な頭痛に襲われる。

 

「うぁあああああ!!」

 

頭を抑え、痛みを振り払おうとする一夏。だがオータムがその隙を許すはずもなく、一夏を吹き飛ばした。

 

「一夏くん!?」

 

突然の出来事に驚く楯無。楯無は蒼流旋を構え、オータムを睨む。しかしオータムを見ても何一つ姿は変わっておらず、楯無はオータムが一夏に何をしたのか見当がつかなかった。

脳の内側からけたたましく鈍い痛みが響く一夏は、苦しみながら蜘蛛を見る。しかし蜘蛛の頭部には何もなかった。

 

(気のせいか……いや、そんなはずは……!)

 

すると突然、オータムの背後で大きな物音とともに扉が破られた。扉を破ったのは援護に駆けつけたラウラで、レールカノンを構えていた。

 

「侵入者よ、そこまでだ!大人しく投降せよ!」

 

オータムは振り返りラウラを見ると、

 

「────ふん、()()()()()のおでましか」

 

「……なに?」

 

オータムの挑発に、ラウラは眉をピクリと動かす。しかしオータムは飄々とした佇まいで、ニヤリと笑った。

 

「まぁいいさ。お前もやがて()に堕ちる時がくる。すでにその片鱗は、お前に取り憑いている」

 

そしてオータムは苦しんでいる一夏を見た。

 

「邪魔が入ったな、織斑一夏。私はいずれまた戻ってくる。それまで白式は預けておくぜ」

 

「あら、このまま逃げられるとでも?」

 

楯無はオータムを睨む。しかしオータムは自身に向けられた蒼流旋に微塵も焦ることなく、見下すような目つきで楯無を見た。

 

「ああ、そうさ。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

後ろでレールカノンを構えていたラウラが、視界に細く一閃とした光が走るのが見えた。ラウラは目を凝らしてよく見る。

 

(糸……?)

 

静寂が闇を包む。音もない世界で、オータムは静かに呟いた。

 

「お前が私の引き立て役となってくれたおかげで、私も安心してここを抜けられる」

 

「……何が言いたいの?」

 

「────『蜘蛛の糸は、物質科学の神秘だ』と言われているのを知ってるか?人間の毛髪の10分の1の細さであるにも関わらず、その強度は恐ろしく高い。もちろん、()にもな」

 

周囲に、深く濃い霧が充満し始める。

 

「私は蜘蛛(アラクネ)だ。自分の巣も作らずにわざわざ攻めてきたと思うか?」

 

楯無の頬に、一筋の汗が流れる。胸の内がざわめく感覚がする。

 

「巣に凝結した水分はある程度まで溜まると、表面張力に従い滑らかな接合部の表面を伝って、やがては大きな水滴になる……」

 

「……あなた……まさか……!」

 

「蜘蛛は糸に含ませた水を、そして熱を……自在に操ることができる」

 

すると、先ほどまで霧纏の淑女(ミステリアス・レイディ)から放出されていた霧が、突然無数の大きな水滴となって出現した。しかしそれはよく見ると浮遊しているものではなく、その水滴ひとつひとつの間に無数の糸が張り巡らされていると分かった時には、すでにオータムは勝ち誇った目をしていた。

 

「もう遅い。()()()()は、神をも凌駕する────」

 

 

 

 

 

 

15:01

第1アリーナ 観客席北A付近非常通路

 

マリアは北エリアに取り残されている生徒たちを救出すべく、全速力で走っていた。走り抜けながら、マリアは頬に汗を流す。

 

(やけに蒸し暑い……気のせいか?)

 

マリアはアリーナ内の気温が、先ほどよりもほんの少し高くなっているような気がしていた。全般的に、ISの基本システムには搭乗者の体温調節機能が多少備わっているが、もちろん過度な運動をすることで汗をかくこともある。しかしマリアにとっては今のところ過度な運動ではなく、自身に潜む不安の表れなのかもしれないと結論づけた。

まもなくマリアは北エリア・Aの扉の前に辿り着いた。マリアは扉の向こう側に声をかけてみる。

 

「中に誰かいるか!?聞こえたら返事をしてくれ!」

 

すると扉の奥からすぐに返事が聞こえた。

 

『マリアさん!?』

 

「その声……静寐か!?他の生徒たちは!?」

 

『皆ここに閉じ込められてるの!扉もロックされて開かなくて……』

 

「よし、分かった。扉から離れてくれ!」

 

マリアは落葉を展開し、扉を一閃する。そして左右真っ二つに割れた扉を蹴り飛ばした。観客席の中には静寐の他に、数十人ほどの生徒が残っていた。

 

「皆慌てず、落ち着いて外へ出るんだ。この先に非常通路がある。他の教師陣もそこで生徒たちの誘導をしているはずだ」

 

マリアの指示に従い、生徒たちはぞろぞろと非常通路へ避難し始める。すると静寐がマリアの方に近づき、ホッとした表情を見せた。

 

「ありがとうマリアさん……一体何が起こってるの?」

 

「ここから少し離れたところに侵入者が現れた。今は一夏とラウラが応戦している。他の専用機持ちたちも、アリーナの安全確保のために動いている最中だ」

 

「そうだったのね……」

 

「静寐も早く避難しろ。私は奥の観客席も見てくる」

 

「奥の観客席……?」

 

静寐と分かれ、マリアは奥の観客席・北Bの方へ足を運ぶ。観客席も一つのエリアだけで相当広く、マリアが北Bの扉の前に着いた時には、先ほどの生徒たちの足音も随分と遠くなっていた。

 

「ここか……」

 

マリアは落葉を構え、扉を一閃する。そして、扉を蹴り飛ばそうとしたその時。

 

「待ってマリアさん!」

 

なんと避難に向かわせたはずの静寐がこちらに走ってきていたのだ。長い距離を走り、静寐は肩で息をしていた。マリアは驚いた顔で声を上げる。

 

「何をしている!早く避難へ向かえ!」

 

「おかしいの!そっちのエリアには、誰も入っていないはずよ!」

 

「だがこの中から生徒たちの熱反応も感知されてると、管制室から指示されている!どのみち確認しておくに越したことはない」

 

「待って!そこは元々閉まっ────」

 

ダァン!

 

マリアは切った扉を蹴飛ばし、中へ入る。観客席は暗闇で、ジメッとしていた。

 

「誰かいるか!?今すぐ避難するんだ!」

 

マリアの声が反響する。マリアはそのまま奥へと進んだ。

すると暗闇の中で、誰かが動くのが見えた。怖がっているのだろうか、返事がない。しかしマリアは落ち着かせるように、生徒のもとへ近づき手を差し伸べる。

 

「安心しろ。敵は遠いところにいる。非常通路はしっかりと安全に────」

 

ピチャッ

 

マリアが生徒の手に触れると、人間とは思えないような手触りがした。人間の手にしてはやけに濡れて、粘着性のある……

 

 

 

 

ジリリリリリリリリリ!!!!

 

突然、サイレンとともに赤いランプが暗闇の中を放射状に照らした。暗闇の中を回転する赤い光に照らされたのは、観客席中に存在していた大量の人────人間の形をした“(ダミー)”だった。人間の形をした糸たちは、マリアの前で蠢いている。熱反応はここからだったのか…?

 

「まさか……」

 

ジメジメとした空気が、一段と濃くなる。

 

湿った空気が無数の水滴となって、暗闇の中に散りばめられた星のように光り輝く。

 

あらゆる時間と空間が、ゆっくりになる感覚。

 

マリアはすぐさま振り返り、入口の側で不安な顔をしていた静寐に向かって走る。

 

「静寐、危ない────!」

 

マリアの後ろで、急激に温度が高くなる。灼熱のような空気が迫る中、マリアは静寐に飛び込み彼女を守るように抱きしめる。

 

そして糸たちは急激に膨張し、破裂する。

 

大爆発の炎が、マリアを襲った────。

 

 

 

 

 

 

一瞬の内に、目の前にいた楯無さんが、逆さになった。

 

 

いや、逆さになったのは俺だった。大量にある周りのロッカーが宙に浮き、ガラスの破片が、光が、飛び交っている。

 

 

全ての光景が、あらゆる空間と時間がスローになり、縦横無尽に動いていた。

 

 

やがて楯無さんは煙に包まれ、爆風が俺の身体に迫る。

 

 

壁に打ちつけられ、鋭い耳鳴り音が空間を支配した。

 

 

吹き飛ばされ、倒れ臥した俺の目に映ったのは、額から溢れ出す血だった。

 

 

俺の血は、こんなに濁っていただろうか?

 

 

背中が激しく重くなる。天井が崩れ、俺は瓦礫の下敷きになったのだろう。

 

 

意識はゆっくりと焦点を失い、闇に誘われる────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目が覚める。

次第に聴こえてきたのは、鳴り響くサイレンの音と雨の降る音だった。次に戻ってきたのは嗅覚で、水滴に混じった煙の臭いが泥のように顔に(まみ)れる。

ほどなくして、瓦礫から顔に滴ってくる雨はスプリンクラーの水だということが分かった。ここから脱出しようと、瓦礫に手を伸ばす。

瓦礫から抜け出し何とか立ち上がると、天井に大きな穴が空いており、そこからアリーナの光が射し込んでいた。

 

(そうだ……アイツを追わないと……)

 

白式の視界映像HUDの時刻表示はほとんど時間が進んでいなかった。長い間気を失っていた感覚だったが、ほんの一瞬の間だったらしい。まだ(オータム)は逃げきれていないはずだ。

ひどい頭痛がする。全身が痛む。他にも腕や足を怪我しており、今は白式のおかげでやっと歩ける状態だ。

まだふらふらとする頭を抑え、一夏は力を振り絞って瓦礫とロッカーの山を上り、天井の穴へと手を伸ばす。そしてアリーナへ上がると、アリーナ中が深い霧とスプリンクラーの雨に覆われていた。少し遠くが見えないほどに、視界は悪い。

 

ピーーーー

 

『一夏くん!……答して……ザザッ…』

 

『前方に未確認の……リーナ中に…』

 

『こちらオルコッ……敵の位置が見つから……』

 

『大量の熱……管制室!スプリンクラーを止め…ザザッ』

 

『聞こえますか!?……管制室!…れか報告……』

 

通信が入り乱れては切れ、繋がっては消える。深い霧の漂うアリーナ内で、銃声と破壊音が反響している。周囲を見渡すと、いくつかのISの影が、何かと戦っている様子がうっすらと見えた。

 

(アリーナから出るなら、きっと奴は上に逃げるはずだ……上空に飛べば……)

 

「────よく眠ったようだな、()()()()

 

霧の中から声がする。囁いているようで心臓に深く到達してくるその声は、何処かで聞き覚えのある声だった。

ゆっくりと、ゆっくりと、前方から小さな足音がこちらに近づく。

やがて霧の中からうっすらと姿を現したのは、黒いマントを羽織った、自分の姉と瓜二つの顔をした()だった。

 

「お前は……!」

 

一夏は奥歯を強く噛みしめ、目の前の女を睨む。女は一夏の前で立ち止まり、飄々とした顔で静かに見据える。

 

「全く運の良い男だ。常人ならば死んでいる」

 

「何を言ってやがる!」

 

静かに鼻で嗤う女に、一夏は沸々と怒りを募らせる。つい先日自分に銃を向けた人間が、今まさに目の前にいるのだ。一夏も黙ってはいられなかった。

 

「なぜ俺を襲う?」

 

「“なぜ”?ハッ、可笑しなことを」

 

「何が目的だ?白式か?俺自身か?それとも学園か?」

 

「それはお前が一番よく分かっていることだろう」

 

そして、一夏はハッとする。

 

「そうか……お前もあいつ(オータム)の言う亡国企業(ファントム・タスク)の一員ということか……」

 

「……」

 

「第二回モンド・グロッソで俺を誘拐した……その主犯が────」

 

 

 

「────()()()?」

 

女の突然の言葉に、無意識に湧き上がる困惑と、ひどく脳を揺さぶられたかのような感覚に陥る。

 

「力もなく、弱い。誰よりも劣っていて、なんとも惨めな気分だろう」

 

「何を────」

 

「今すぐ私の首を絞め上げ、これ以上ないほどに痛めつけ、死を請うようにさせたい」

 

「だから、何を言ってるんだ!」

 

「お前の求める()は、誰かを守るためのものではない。目の前の人間を殺すための、ただ単純で、幼稚な道具に過ぎない」

 

「ふざけるな!そんなことがあってたまるか!」

 

しかしその言葉とは裏腹に、一夏の胸の底で、劣等とどす黒い欲が渦巻くのを感じる。一夏はそれを全力で否定しようと自己暗示するが、(マドカ)はそれを見逃さなかった。

 

「お前の気持ちは手に取るように分かるぞ。なぜなら()()()()()()()()、織斑一夏」

 

「黙れ……」

 

「『もっと力さえあれば、他の皆が傷つくこともなかった……だが今ここで目の前の女(ワタシ)を殺せば、まだ取り返しはつく』……さしずめそういったところか」

 

「黙れって言ってんだよ!!」

 

一夏は沸き上がる感情のままに雪片弐型を瞬時に展開し、女に詰め寄り振り下ろす。

 

「!?」

 

しかし斬りつけたはずの女はそこにはおらず、姿を消していた。

するとひっそりと、背後から女の声がした。

 

「────私への報復のつもりか?」

 

その声に振り返ると、目の前には黒色の()がいた。全身の装甲がまるで一匹のように佇むその蝶は、口元から上を隠している。しかしその隠された目は真っ直ぐに一夏を見ていた。

 

「いや、お前自身への報復……どちらでもいい。所詮何も変わらないのだから」

 

「お前……ISを……」

 

雪片弐型を握る手に汗が滲む。降りしきる雨(スプリンクラー)が、蝶の(はね)を伝って滴り落ちる。

 

「いいだろう。蜘蛛(オータム)が巣から消えるまでの時間稼ぎだ。少しだけお前の相手をしてやる」

 

「ふざけるな!これ以上好き勝手はさせねぇ!」

 

睨む一夏の目に、女の口元はニヤリと笑う。

 

「いずれお前も身をもって知るときがくる。弱者への愛には、いつだって殺意が込められているということをな────」

 

 

 

 

 

 

迂闊だった。

敵の策略にあと少し早く気づいていれば、ここまで重大な被害にならずに済んだのに。

楯無は焦りと悔しさでいっぱいになり、下唇を強く噛み締めた。

さっきまでいたロッカールームはほぼ全壊。アリーナ中に煙と霧が立ち込め、敵の位置さえも分からない。しかも恐らく、敵は爆発と同時に電波欺瞞紙(chaff)のようなものもばら撒いている。糸に僅かながらに含ませていたかは知る由もないが、おかげで先ほどから通信がほとんど断絶されており、まともに機能しない。

 

「一夏くん!応答して!一夏くん!!」

 

反応がない。この視界の悪さとレーダー感知機能が死んでいることで、一夏の居場所も、他の専用機持ちたちの状況も分からない。

楯無は、本来蒼流旋に纏わせる超高周波振動の水を解除し、ランスだけの状態で展開する。蒼流旋にはガトリングガンも装備されているから、攻撃としては使えるだろう。周囲で他の専用機持ちたちが戦っているのか、銃声が乱雑な反響となって耳に届いてくる。

楯無が周囲に耳を澄まし、敵の居場所を探っていると、どこからか何かが飛んでいる音が聞こえた。見上げると、霧の中を縦横無尽にジャンプしている巨大な影があり、そしてその影が突然目の前に飛んできて空中で動きを止めた。現れたのは、身体中から糸を何本も引っ掛けて、まるで巣の中心にいるような蜘蛛だった。

 

「残念だったなぁ?生徒会長さんよぉ」

 

オータムは装甲に傷を負っていながらも、ニヤニヤと余裕の表情を浮かべていた。

 

「よくも……!生きて帰られるなんて思わないことね……!」

 

「へぇ?舞台を仕上げてくれたのはあんたじゃねぇか。お前が私をすぐに殺さなかったおかげで、あんたの水は私の糸にしっかりと行き渡った。その間、私も馬鹿なふりをしているだけで事が上手く進み、楽だった。当然の結果だろ?」

 

「ふざけないで!決して許さないわ……報いを受けなさい!」

 

楯無は蒼流旋の先端をオータムに向け、一直線に間合いを詰めようとする。しかしその時、楯無は自分の足が全く動かないのを感じた。下を見ると、足首に白い糸が巻き付けられていることに気づく。

 

「何を……!?」

 

「悪いが今日のところは私も引き上げだ。後は残りの糸たちが相手するよ。じゃあな、虫にも劣る学園最強さん?」

 

「あなた……!」

 

「あぁそれと。スプリンクラーは止めた方がいいぜ?また同じ目に遭いたくなけりゃあな────」

 

楯無はハッとする。先ほどからアリーナ中にはスプリンクラーの雨が降りしきっていた。これでは蜘蛛の思うツボだ。

オータムは霧の中へと消えていき、しかしやがて、複数の人間の影が近づいてくるのが見えた。それはよく見ると、不気味なほどに真っ白い、糸で作られた人間たちだった。顔もなく、ただ枯骸(ミイラ)のようにのろのろと近づいてくる、声も出せぬ糸たちに、楯無は本能的に恐怖を覚える。しかし、足に纏わりつく糸がなかなか切り離せなかった。

 

「管制室!聞こえますか!?至急スプリンクラーを停止せよ!管制室!……クソッ!」

 

楯無の頬に雫が滴る。やがて糸たちがすぐ目の前に来た。楯無の心にほんの一瞬敗北の感情が生まれかけた、その時────。

 

ザシュッ!ザシュッ!

 

突然糸たちが真っ二つに切り裂かれた。人間の形をしたそれらはただの糸となって、地面に散らばり尽きる。切り裂いたのは、双天牙月を持った鈴だった。

 

「会長!大丈夫ですか!?」

 

「鈴ちゃん!」

 

「足を…!じっとしてください」

 

鈴は楯無の足に絡まった糸に気づき、彼女を解放する。

 

「ありがとう。他の子たちの状況は?」

 

「私とセシリアは爆発を聞きつけてアリーナ内に来ました。けど、この視界の悪さじゃ……」

 

二人が話していると、再び霧の中から人間の形をした糸たちの影が複数見えた。鈴と楯無は互いの背中を合わせ、武器を構える。

 

「会長、こいつらは!?」

 

「詳しく説明している時間はないわ。ただ、こいつらは水を吸収し、爆発する。厄介なものよ」

 

「一体何匹いるのよ…!」

 

「おそらくだけど、さっき鈴ちゃんが切ってくれたのを見る限り、こいつらの再生能力は低い……いや、ほとんど無いと思われるわ。そこで鈴ちゃん、あなたにはアリーナ天井のスプリンクラーを破壊してほしい。その後、この残された糸たちの殲滅を。途中他の子たちとも合流できたら、それを伝えて。この糸たち一人一人の水の含有量はそれほど高くはないはずだから、私の機体である程度爆発は防げると思う」

 

「けど、あの未確認のISは!?」

 

「敵は恐らく退いたわ。今は全員、学園の被害をこれ以上出さないことが最優先。さぁ、行って!」

 

鈴は頷き、上空へ飛んでいく。楯無は蒼流旋を構え、糸たちに立ち向かう────。

 

 

 

 

 

 

一夏は息を切らし、膝をつく。雪片弐型を地面に突き刺し、それを杖にして立ち上がろうとするが、力が入らない。傷は増え、すでに限界も近かった。

 

「────貴様も酷い姿だな」

 

雨が降りしきる中、女は呟く。

 

「まぁ、いずれ真相に辿りつくだろう。お前も、狩人(マリア)も、そしてあの女(黒兎)も」

 

朦朧とした視界の中で一夏が目にしたのは、蝶の翅に落ちた雨粒が黒く滴っている姿だった。翅がぽつりぽつりと、黒く染まっていく。

 

「血に隠された秘密こそが、お前を導く」

 

聞き覚えのある言葉だった。

その直後、はるか遠くの天井で破壊音が聞こえた。そして、次第に雨が止んでいく。女は上を見て、黒い雫を顔で受け止める。

 

「時間だ。蜘蛛は一度巣にかけた生物は、どんなに時間がかかっても喰らいにくる。お前も、あいつの巣に飲まれないようにな」

 

すると風が吹き、女は霧の中に包まれ、やがて消えていった。一夏は雪片弐型を持つ手に力を込め、なんとか立ち上がる。

 

「待てよ……!」

 

一夏はふらふらになりながら前に霧の中へ飛び込み、雪片弐型を振り下ろす。

 

キィン────!

 

一夏の攻撃を受け止めたのは、突然霧の中から現れたラウラだった。

 

「待て一夏!私だ!落ち着くんだ!」

 

一夏はハッとして、雪片弐型を離す。ラウラは深く息を吐き、胸を撫で下ろした。

 

「酷い怪我だ……!このまま歩けるか?」

 

「あ、ああ……」

 

「敵は退いたが、まだ奴の残した糸たちが残っている。殲滅にかかるぞ」

 

そう一夏に告げ、飛翔しようとするラウラ。

 

「ま、待ってくれ!」

 

「どうした?」

 

一夏は呼び止めたものの、上手く言葉が出なかった。

 

「……いや、なんでもない。他の皆は?」

 

「セシリアと鈴、そして会長はこのアリーナ内で残りの敵を殲滅。それ以外とは連絡がつかん。無事だといいが……」

 

そう言って、ラウラは先へ急ぐ。一夏も深く呼吸をし、一瞬倒れそうになりながらも、その後を追った。

 

気づけば雨は止み、あれだけ濃かった霧も晴れていった。

アリーナに光が差し込み、霧が晴れたその内部は、(ほつ)れた無数の糸が散らばっていた。そして地面に残る水たまりは、うっすらと灰色に濁っていたという。

 

やがて、通信状況も回復し、敵を殲滅した一行は、マリア以外の他の専用機持ちたちとも合流。

楯無、ラウラ、一夏は軽度の火傷。一夏に関しては全身に浅い切創も見られた。

 

 

その後、管制室から入ってきたのは、一般生徒には被害が及ばなかったことと、マリアが意識不明となったという情報だった────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『黒い蝶』

「死と再生」
「守護」
「変化と受容」
「転機」

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