2020年7月8日 06:15
花月荘 正面入口前
まるで昨夜の禍々しい夜空は幻であったかのように、清々しい太陽が旅館を照らしていた。先程まで出ていた霧の名残が、植物たちの葉に雫を落とし、キラキラと輝かせている。
専用機持ち達は一列に並び、千冬と真耶の前に立っていた。そこには一夏とマリアも居た。
「作戦完了………と言いたいところだが、お前たちは重大な違反を犯した」
千冬が硬い声で告げる。
「帰ったら直ぐに反省文の提出。懲罰用のトレーニングも用意してあるから、そのつもりでいろ」
すると、千冬の横に立っていた真耶が、恐る恐る横から入る。
「お、織斑先生……もうそろそろ、このへんで……。みんな疲れているはずですし……」
「………」
千冬は小さな溜息を吐き、そして肩の力を抜いた。彼女の表情が、少しだけ柔らかくなったように見えた。
「しかしまぁ……よくやった」
まさか千冬からそう言われるとは思っていなかった一同は、少し驚く。
「全員……よく帰ってきたな。旅館も一泊延長させてもらっている。今日はゆっくり休め」
呆気にとられた一同をよそに、千冬は踵を返し、旅館の中へと入っていく。真耶もその背中についていった。
箒やセシリア、鈴、シャルロット、ラウラが顔を見合わせていると、一夏が何も言わずにフラフラと旅館の中へと入っていった。
「あ、一夏……さん……」
セシリアが手を伸ばすが、一夏はそれに振り向かず、旅館の中へ姿を消した。
「一夏……」
「心配だね……」
「あまり喋りたくないのかしら……?」
「命の危機に晒されながら、あそこまで闘ってくれたんだ。今日はそっとしておこう」
箒、シャルロット、鈴、ラウラが心配そうな表情で呟く。
何も言わずに帰った一夏を見て、セシリアは海での出来事を思い出していた。
*
気絶した一夏を海底からなんとか救出した後。
ボロボロの状態の専用機持ちたちは、僅かに残ったエネルギーの過剰消費を抑えるために、低速飛行で旅館を目指していた。そのため、最終的に旅館へ到着するにはかなりの時間を要したのだ。
セシリアが一夏を背中におんぶし、その前を鈴やシャルロット、ラウラが飛行する。途中、無人島で気を失っていた箒ともなんとか合流することができ、箒も前を飛んでいた。
十分程海上を飛んでいると、セシリアの肩にもたれていた一夏の頭が僅かに動いた。
「う……ん……」
「一夏さん⁉︎目を覚ましましたの⁉︎」
「セシ……リア……」
「ああ、良かったですわ……!」
セシリアが涙ぐんでいる一方で、一夏は未だボンヤリとした目をしていた。
「おれ……は……?みん……な、は……?」
「ご安心を。福音は撃墜し、今は皆さんと一緒に旅館へと帰還しているところですわ。ほら、皆さん前を飛んでいます」
一夏が前を向く。
箒たちが飛んでいるのが見えた。
まだ一夏が目覚めたことに気付いていないのだろう、皆こちらを見ず、前を向いていた。
一夏の身体には力が入らず、頭も回らない。
機体越しでも伝わるセシリアの温かい背中が、やけに心地よかった。
一夏はなんとなく、自分の手のひらを見た。
一夏の両手は、所々血が付着していた。
海水によって身体に付いた血はほとんど流されたようだが、それでもまだ残っていた。
一夏は手に付着した血を見て、福音を思い出す。
(そうか……俺は……)
福音を刺した時の僅かな記憶がフラッシュバックする。
(俺が……福音を………)
福音が死んだ今、無人機だったかどうかは最早確かめようがない。
しかし、無人機であろうとなかろうと、自分は福音を殺した。それだけは揺るがない事実だ。
福音はかなりの強敵だったはずだ。
しかし、自分はその強敵を倒した。
本意ではなかった。
自分にあれほどの力があるなど、知る由もなかった。
何故だ?
俺はこんな力を求めていたのか?
俺はどうしてこんな力を手に入れた?
記憶が曖昧で、今は思い出すのも煩わしい。
ただ、自分がこれほどのことをしでかしたということに、恐れを抱くしかなかった。
恐くて身体が震えてしまう。
一夏は無意識に、セシリアの背中に強く抱きついた。
「きゃっ!い、一夏さん?どうなさっ……」
いきなりの一夏の抱擁に、セシリアは顔を赤らめる。しかし一夏の表情を見て、セシリアの顔は心配気なものへと変わった。
「こわい………こわい………」
一夏が顔を俯かせ、震えた小声で呟いていた。
少しでも安心させようと思ったセシリアは、震えた一夏の手を優しく握りしめ、空を飛ぶしかなかった。
◇
「私たちも休むとしよう」
ラウラの呼びかけに、セシリアはハッと顔を上げた。
「そうね……」
「そうだな……」
鈴と箒もラウラに続き、旅館へと入っていった。その場に残っているのは、セシリアとシャルロット、そしてマリア。
しかしマリアも疲れたような溜息を吐き、
「すまない。私も先に休む」
と残し、その場を後にした。
セシリアとシャルロットが心配そうな表情でマリアの背中を見送る。
やがてマリアの姿が消えたのを確認し、シャルロットがセシリアの方を向いた。
「ねぇ、セシリア」
「はい?」
「マリアに、一体何があったの?」
「………」
少し押し黙った後、セシリアがシャルロットに尋ね返した。
「シャルロットさんは………マリアさんの過去の話を聞いたことがありますか?」
「……少しね」
────『シャルロット……もしも、私が変なことを言っても、君は信じてくれるか……?』
あの見捨てられた小さな公園でマリアが自分に言ったことを、シャルロットは思い返す。
「……失礼を承知でお伺いいたしますが、シャルロットさんは疑ってはいないのですか?その……マリアさんの素性について……」
シャルロットは胸にある小さな鍵を握りしめた。
「マリアは、嘘なんてつかないからね」
「………」
「驚きはしたけど、納得はできるよ」
シャルロットの深い表情に、セシリアも問い詰めるようなことはしなかった。
そしてしばらくの沈黙の後、セシリアは語り始める。
「あの時、マリアさんは……────」
*
「…………さん……」
誰かに頭を支えられている、そんな感覚が最初に来た。
「……、アさん………」
知っている声。いつも聴く声。
「……リアさん……!」
どんどんと、はっきり聴こえてくる。
「マリアさん!」
ゆっくりと、マリアは目を開いた。
目の前には少し白みがかった夜空と、誰かの人影。その人影はすぐに、自分のよく知る人物であることが分かった。
「セシ……リア……?」
「マリアさん!ああ、よかった……!具合はいかがですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ……」
ぼんやりとしたセシリアの輪郭が、徐々に鮮明になっていくのを感じた。マリアはセシリアに支えられながら頭だけを動かし、周囲を見渡す。
「私は……何を……」
「山田先生から私たちへ連絡が入ったのです。『マリアさんが行方不明だ』と……それで教師陣と私たち専用機持ちでマリアさんを捜索していたのですわ」
「私が……」
「一時間程探していましたが、ようやく見つかって良かったですわ……何はともあれ、一安心です」
セシリアがブルー・ティアーズを部分展開し、無線を開いた。
『こちらオルコット。捜索中のマリアさんを発見しました。繰り返します。マリアさんを発見。意識は良好、
セシリアの無線から数々の応答が返ってきている。しかし無線から聴こえる声は何一つ頭に入ってこなかった。
マリアは自分が何故ここにいたのかをゆっくりと思い出してみる。ぼやけた脳を無理矢理働かせ、今までの出来事を振り返ってみた。
「そうだ……福音は⁉︎」
「ご安心を。一夏さんが撃墜してくださいましたわ」
「一夏が……?」
そうだ、私は昏睡状態に陥っていた一夏を見張っていたはずで、それで……私は何故ここに………
マリアはハッとした顔をした。
「そうだ!奴がここへ来たんだ!」
「ど、どうなさいましたの?」
驚くセシリアを余所に、マリアはガバッと起き上がる。そして自分の胸を見た。
「な……⁉︎」
心臓を貫かれたはずの胸は、傷一つ無く、制服にも傷が無い。自分の心臓は、確かに貫かれたはずだった。
「傷が……無い……?」
服の中を覗いても、肌に傷はない。
「マリアさん、何があったか話してもらえますか?」
セシリアが真剣な表情でマリアに問う。僅かに震えた呼吸を落ち着かせ、マリアは話し始めた。
「イギリスの、あの森の廃家で、奴が現れたのを覚えているか……?」
「……忘れもしませんわ」
「奴が……旅館へ現れたんだ」
「なんですって⁉︎」
セシリアの顔が、驚きと恐怖の色に染まる。
「私は奴を追ってここまで来た。そして私は再び……殺されたはずだった」
「はずだった……?」
「奴は私の心臓を貫いたんだ。はっきりと痛みを感じたのも覚えている。しかし今目覚めると、血はおろか、傷一つ無かったんだ……」
「何かマリアさんの身体に細工をして、死を免れさせたとか……」
「いいや、奴はそんなことはしない。もっと他に理由があるはずだ。何か理由が……」
もし自分が月の香りの狩人の存在を知らなければ、マリアの頭がおかしくなったと捉えていただろう。しかしセシリアも彼女の存在を知っている以上、現実に起こってしまったことだと判断せざるを得なかった。
「そもそも、何故あの狩人がここに?」
「……『赤い月が近づくとき、人の境は曖昧となり偉大なる上位者が現れる』」
マリアがポツリと呟く。
「それは……?」
「すまない、昔どこかで聞いた文章だ。奴は……赤い月が近づくときに現れる」
「福音を倒すまで、禍々しい空が広がっていました。あんなに赤い月も、見たことがありません」
「今日は月食だった。月が赤くなり、それが奴を引き寄せた。」
「でも一体、何のために……?」
マリアは頭を抑え、記憶を思い出す。
「奴が求めているのは……『知識』だ。この星にはまだまだ知り得ないことが沢山あると言っていた」
「知識……?」
「……セシリア、君の家に伝わる話の中で、
「ええ」
「奴は知識を求めるあまり、罪のない女性たちを次々と殺した。強大なる存在を生むために」
「ま、まさかそんな……ジャックが彼女だと言うんですの⁉︎」
「奴自身が、それを肯定していた……」
「そんな……」
セシリアの脳裏で、月の香りの狩人から漂っていた血の匂いが甦る。あの血の匂いは、人を殺めた血の匂いだったということか。
「奴は気になることを言っていた。『人形も君と一緒のようだ』と……」
「人形………確か、あの森で彼女は人形の居場所を問い詰めてきていましたね………人形とは一体……?」
すると、すぐそばの木々が風に吹かれ、葉が擦れた音を出す。
そしてすぐ頭上に現れたのは、ISに乗ったシャルロットだった。
「マリア!」
◇
「『月の香りの狩人』……?」
「はい。マリアさんと深く因縁のある人物のようです」
旅館の正門内にある小さな池に、項垂れた木の葉が水滴を落とす。
「そうなんだ……僕がマリアから聞いてたのは、マリアが過去に死んで、そこから悪夢に囚われて、そしてまた死んで、気付けば学園にいたってことくらいだから……」
「………」
「……それで、織斑先生には何て報告を?」
「………何故か、織斑先生はマリアさんに何も尋ねませんでした。しかし学園内での監視を強めるようです……勿論、私たちを含め、ですが」
セシリアは真耶と話した時のことを思い出す。千冬が何も喋らない代わりに、真耶が少しだけ本音の部分を話してくれたのだ。
『正直……私も織斑先生も、この一件でマリアさんのことをかなり疑ってしまっています。ただでさえ素性が分からないのに、このタイミングでこのようなことを起こすなんて……』
『……はい』
『ですが、福音と彼女の行方不明との繋がりも想像出来ません。マリアさんが旅館にいる生徒たちを危険に陥れようと行動していた場合も考えましたが、旅館や旅館付近、そしてマリアさんの倒れていた現場周辺には一切形跡は見当たりませんでした』
『………』
『私も織斑先生も、普段のマリアさんをしっかりと見ています。彼女は優しくて、皆さんに気を配れる大人な生徒です。だからこそ、疑いきれない………それが、私と織斑先生の本音です』
セシリアは横顔に受ける太陽に眩しさを感じながら、シャルロットに言った。
「私たちも、一度休みましょう。今の状態で考え続けても、何も進展しないと思いますわ」
「……そうだね………」
セシリアとシャルロットは、ゆっくりとした足取りで旅館へと入っていった。その足取りには、疲労の顔が滲み出ていた。
◇
その日の夜。
IS学園一年生たちは夕食を堪能していた。
一夏は朝からずっと寝たきり、マリアも疲れが取れない上にあまり食欲が無いらしく、部屋で今も寝ている。
シャルロットとラウラ、そしてセシリアと鈴は一緒に夕食を食べていた。
するとそこに、相川清香や谷本癒子、そして本音と静寐が興味津々な顔で尋ねてきた。
「ねぇねぇ、結局あれはなんだったの?」
「私たちは無人機の襲来としか聞いてなくてさー、本当に誰も乗ってなかったの?」
「たたかってるとき、こわくなかった?」
「教えて!先生たち、何も話してくれないの」
するとシャルロットがお茶の椀を口から離した。
「だーめ。機密って言われてるんだから」
「大体、あたしたちだって詳しく聞いてないのに」
「それに、情報の詳細を知れば、お前たちにも行動の制限がかかるぞ。それでもいいのか?」
「そ、それは困るかなぁ〜……」
「見張りとかついたらイヤだもんね〜」
癒子たちは笑いながら自分たちの席へと帰っていった。呆れたような溜息を、セシリアがもらす。
pppp……
着信音がした。
するとラウラは直ぐに自分の浴衣に手を入れ、太ももに着けている脱着式の超小型ディスプレイを見た。
ガタッ!
ラウラが驚いた顔で突然立ち上がった。
「ど、どうしたの?」
横で座るシャルロットが心配そうに声をかける。
ラウラは平常心を装ったようで、しかし歯を食いしばりながら、
「すまない。少し一人にさせてくれ」
と一言だけ残し、その場を後にした。
理由は分からないが、彼女のこれ以上ないほどの悲しみを背負ったような背中が、シャルロットの目に焼き付いていた。
◇
夜の月が海に映り、夜空には数え切れない程の星たちが散らばっている。
静寂が辺りを支配し、聴こえてくるのは細やかな波の音だけ。
一本の木が立った崖の端で、束は海を眺めていた。
「白式……まさか操縦者の生体再生まで可能だなんて、まるで────」
「まるで、『
いつの間にそこにいたのだろう。そこには木にもたれかかった千冬がいた。
「コアナンバー001。お前が心血を注いだ一番目の機体にな」
「……やぁ、ちーちゃん」
束は疲れた笑みで、そう言った。
「妹がお前のことを随分と心配していたぞ」
「……箒ちゃんは優しいからね」
波に運ばれてきた潮風が、束の髪を靡かせた。
「VTシステムはお前の仕業か?」
千冬の質問に、束は首を振って否定する。その否定は、自信のないものに千冬は見えた。
「……例えばの話がしたい」
千冬は夜空を見上げながら、彼女の仮説を話し始めた。
「とある天才が、一人の男子を、高校受験の日にISのある場所へと誘導出来るとする。そこにあったISを、その時だけ動かせるようにしておく。すると、男が使えないはずのISが動いたように見える………」
束は感心したような疲れた含み笑いをした。
「それだと、その時しか動かないよね」
千冬は話を変えた。
「まぁいい。今度は別の話だ。とある天才が、大事な妹を晴れ舞台でデビューさせたいと考える」
「………」
「そこで用意するのが、専用機と、どこかのIS暴走事件だ」
「………」
「暴走事件に際して、妹の乗る新型の高性能機を作戦に加える。妹は華々しくデビューというわけだ」
「……すごい天才がいたものだね」
「ああ。すごい天才がいたものだ。嘗て、12カ国の軍事コンピューターをハッキングした天才がな」
「……それが本当なら、まだ救いはあったのかな」
「……なんだと?」
束は夜空に浮かぶ白い月を見上げる。
「ねぇ、ちーちゃん………今の世界は楽しい?」
「……そこそこにな」
「……そうなんだ」
沈黙が流れる。
そして束は、消え入るような声で呟いた。
「……少し、疲れちゃったな………」
束が一筋、涙を流した気がした。驚いた千冬が瞬きをすると、すでにそこには束の姿は無かった。
千冬は崖の端まで行くが、下を見渡しても束の姿はない。
千冬は振り返る。
すると、先程までもたれていた木の幹に、いつの間にか文字が刻まれていた。
千冬はすぐに、それが束のメッセージであると分かった。
千冬は木に近寄り、荒々しく刻まれた文字を見る。
『As flies to wanton boys are we to the gods. They kill us for their sport.』
その文字の荒々しさは、まるで悲痛に叫ぶかのように。文字を触ると、何処からか彼女の痛みが伝わってくるようだった。
千冬は頭の中で文を訳す。しかし、彼女が何を思ってこの文を書いたのかは、考えても分かることはなかった。
「……束………お前は一体…………」
夜空に浮かぶ月は、千冬の背中と木に刻まれた文字をただただ冷たく照らしていた。
*
一年生たちが夕食を取っているその頃。
箒は一人、水着姿で夜空に照らされた海を眺めていた。
岩場に立ち、静かな夜の海を眺めながら、箒は昔のことを思い出していた。
あれは、姉がISを開発して間もない頃。
まだ彼女が自分たち家族と共に暮らしていた時のことだ。
白騎士事件が起きた次の日の夜。
姉さんは家の庭に立つ木に乗って、月を眺めていた。あの日は満月だった。
白騎士事件をきっかけに、世界中の国々がISに注目し始め、姉さんの行方を追っていた。
白騎士事件が起きた直後、姉さんは私たち家族に何も伝えず姿をくらました。政府の人間が家に来たが、姉さんの部屋はすでにもぬけの殻だった。
あの夜。
私が庭に出ると、何故かそこには姉さんがいたのだ。昨日まで一緒だったのに、随分と久しぶりな感覚だったのを覚えている。
私に気づいた姉さんは、月を眺めながら声をかけた。
「やぁ、箒ちゃん」
明るい声で、姉さんは私の名を呼んだ。
「……どうして何も言わずに出ていったのですか?」
「箒ちゃん、心配してくれてたの?」
「怒っているんです!」
「あはは、ごめんごめん」
姉さんは私の真剣な主張をひらりと躱す。そんな態度に、幼い私は腹が立っていた。
「大体、どうしてISなんて……あぶないじゃないですか」
姉さんは相変わらず月を眺めている。
「箒ちゃん。お姉ちゃんはね、
「……だから何なんですか」
「だからね。お姉ちゃんはもっともーっと!宇宙についてお勉強したいんだ!ISは宇宙とみんなを繋げてくれる凄い機械なんだよ。箒ちゃんだって、宇宙に近づける日が来るかもしれない」
ワクワクとした姉さんの話を、当時の私は理解などしたくなかった。まだ小学生だった私にとって、今まで一緒に過ごしていた姉と離ればなれになるのはとても辛かったのだ。
「そんなの、私はいらないです」
私は強がってみせるが、感情を堪えきれなかった私の目からは涙が溢れていた。私は俯き、声をしゃくり上げながら、目を何度も拭う。
私は姉さんの温もりが欲しかった。
でも、姉さんは私の側に来ることなく、ずっと木の上に立ったままだった。
「泣かないで、箒ちゃん。顔を上げなよ。だって────」
私は顔を上げ、姉さんを見る。
そこには、木の上で立ち上がり、こちらを優しい笑みで見ている姉さんがいた。
「────
夜空に浮かぶ満月に照らされた姉の優しい笑みに、私の本能の何処かが恐れを抱いた。
あの名もなき夜に私が憶えているのは、そのくらいだ。
As flies to wanton boys are we to the gods. They kill us for their sport.
神々の手にある人間は、腕白どもの手にある虫だ。
気まぐれ故に、殺されるのだ。
──── King Lear / Shakespeare
├─────────┤
July 8th, 2020
To: Major, Bodewig
We inform you that the following members were reported as missing.
Deleate this document the moment you read this.
Schwarzer Hase
Executive officer, Harfouch
├─────────┤
〜読者のみなさまへ〜
この話をもって、前編を終わらせていただきます。一先ず、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。いつもいつも更新が遅くて本当に申し訳ありません。
ちなみに今回の『名もなき夜に』では、人物それぞれの夜を描いたつもりです。
シェイクスピアを引用したのは、ちょうど良い文があったと言う理由と、セシリアがシェイクスピアを好んでいる理由からです。セシリアのドラマCDでシェイクスピアについての言及があった覚えがあります。笑
あと、この小説の割と序盤の方で、結構漢字をわざと弄ってたりしました。
例えば『赤』について。
箒が『赤』と言うときは、彼女の機体は紅椿なので、わざと『紅』と変えてみたり。
マリアの場合は『緋』と書くなど…。
セシリアは『青』ではなく『蒼』と書いてみたり……。
文字を変えていたことに意味は無く、ただの遊び心です(笑)
途中からややこしい上に面倒くさくなったのでやめましたが…笑
後、話の中の区切りで『◇』や『*』を多用しましたが、『◇』はシンプルに人物の視点や場面のチェンジ。『*』は過去や夢に関する話の時に使用しています。何かのヒントとして捉えてみてもいいかもしれません。
前編では主に過去について焦点を当てました。後編では現在と未来について焦点を当てていければなぁと思っています(勿論、過去にも焦点を当てますよ!)。
前編では主人公はマリア。
後編でも主人公は変わらずマリアですが、恐らくラウラも同じくらい物語に関わってくる内容となります。
これ以上は言えません!笑
後編、さらなる展開が専用機持ちたちを巻き込んでいきます。今後も楽しみにしていただければ幸いです。
改めまして、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
今後とも、何卒よろしくお願いします!
影葉