狩人の夜明け   作:葉影

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イメージ曲
The Night Unfurls - Bloodborne OST

Bloodborneのメインテーマ曲です。


第42話 Omen

ゆっくりと、目が覚めた。

目の前には、遠く高い青空。気ままに流れる雲は、いつまでも見ていられるくらいに清々しい。

目は覚めているのに、夢を見ているような感覚。けれど、夢にしては鮮明だ。

ふと、身体に水の感触を覚えた。

俺は起き上がる。

すると辺りは永遠に続く湖で、湖は青空を映し、まるで鏡のようだった。

 

「俺……なんでこんな所に……?」

 

頭の中で出来事を整理してみる。

しかしあまり思考をすることが出来ない。何かを考えようとしても、すぐに霧のように消えてしまう。本当に、夢の中にいるみたいだ。

 

「そうだ……俺は箒と福音を倒しに行って……それで……」

 

それで……?

 

ああ、なんとなく分かった。

 

俺は死んだのかな。

だって福音を倒してたら、今頃皆と一緒にいるはずだもんな。こんな所にいるってことは、恐らく俺はもう死んだのかもしれない。

 

箒はどうなったんだろう。

俺は箒を守ることが出来なかったのか。情けないな……こんなんで専用機持ちだなんて、笑われるよ。

でも、もう笑う人もいないのか。天国ってのは全く、本や宗教で聞いてたよりも寂しい場所らしい。

 

鈴もせっかく中学振りに会えたのに、またお別れか……幼馴染と別れるのは、何度経験しても胸にぽっかり穴が空く感覚になる。

シャルロットも優しくて一緒に喋ってて楽しかったし、ラウラも妹みたいな感覚で新鮮だった。皆には、少しラウラに甘いんじゃないかって怒られたりしたけど。

 

マリア……同じ年のはずなのに、マリアはすごく大人なんだよな。頼れる親友っていうか、心強い姉みたいな感じというか……いや、姉は千冬姉なんだけど。

千冬姉も、最初はIS学園の教師だったことを知らなくてビックリしてたっけ。最近は学園での顔しか見てなかったから、あまり姉弟としての会話は交わしてなかったな。

千冬姉は俺がISに乗ることをどう思ってたんだろう。反対してたのかな、それとも応援してくれてたのかな。最後くらい、育ててくれてありがとうの一言くらい、言えば良かった。もう死んじまったから、それも叶わないのか。

 

そして、セシリア……。

最初の印象は正直良くなかったけど、お互いに和解して、話し合っていく内にすごく仲良くなって、良い子なんだなって思うようになった。

あの日……一緒に外へ出掛けた時、帰り道にセシリアから家の話を聞いて、本当に、頑張ってきたんだなって思った。

まだ中学生の内に親を亡くして、でも家を守るために必死に勉強して……。

俺はセシリアの、そういう真っ直ぐに頑張っている姿に心を奪われたんだと思う。もちろん、女性としてもすごく魅力的だし、なんたって可愛いからな。可愛いだけじゃなくて、時々見せる大人な女性の顔もすごく綺麗だし。

だからセシリアが自分のことを打ち明けてくれたのはすごく嬉しかった。

 

 

 

 

 

でも、もうセシリアに会うことは出来ない。

 

セシリアだけじゃない、俺の周りにいてくれた皆とも……。

 

なんで……どうして……

 

俺はこんなにも、力が無いんだ………

 

 

俺は湖に手をついて、涙を流す。

 

滴り落ちた涙は、映された青空に波紋を作った。

 

 

 

 

 

ピチャン

 

 

俺の前で、誰かの足音がした。

顔を上げると、真っ白なスカートと、そこからすらりと伸びる脚が目に入った。

視線を上げると、そこには純白のワンピースを着た小さな少女がいた。

つばの広いリボンハットを被っていて、顔は見えない。

 

「ねえ」

 

少女が、口を開いた。

 

「どうしてあの時、私に()れたの……?」

 

()()()────?」

 

この子は誰だ?なんでそんな悲しそうな顔をするんだ?

俺はこの子と会ったことがあるのか?

ただ、なんだろう……

俺はこの子を知ってるはずなんだ。

なんでそう思えるのかは分からないけど、この子はいつも俺と一緒にい、て………

 

パリンッ!

 

「うっ⁉︎」

 

痛い。

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 

頭が割れそうだ。

俺は頭を抱えて、湖の上で(うずくま)る。

 

「ねぇ、どうして?」

 

蹲って息を荒くしてる俺を冷たく見る少女。

少女の声は、やけに俺の耳の中で響いていた。

激しい痛みが、今度は眼球の裏から放射状に広がって、頭蓋骨の裏で反射し、(うなじ)のへんに焦点を合わせて、喉の奥を締め上げる。

 

「どうしてっっ!!!?」

 

少女の咆哮に、俺は身体ごと遠く後ろに吹き飛ばされた。

頭を抱え、湖に手をついて起き上がろうとする。

すると、さっきまで青空を映していた湖の水は、いつの間にか赤く変色していた。

ただの赤じゃない。これは……血だ。

顔を上げるとそこに清々しい青空はなく、血のように赤く染まった………例えるなら、まるで()()()()()()()のような………

 

ひっく、ひっく………

 

少女が目を擦って、涙を流していた。その涙は血の色をしていて、湖に赤味を増させている。

 

「おい」

 

聞き覚えのある声に、俺はハッとして横を見る。

何故かそこには、木にもたれかかったラウラがいた。

 

「貴様は護られてばかりだな」

 

氷のように冷たい目で、ラウラは俺に言う。痛みでまともに答えることのできない俺は、ラウラの言葉をただ聞くことしかできない。

 

「所詮、貴様の力などその程度のものだ」

 

いつか彼女に言われた言葉。

その言葉は、俺の中で負の感情を増幅させる。

 

「貴様にあの人の弟などという立場は務まらない。貴様にあの人を超えることなど、出来やしない」

 

黙れ……

 

何も知らないくせに……

 

いつだって俺は出来のいい千冬姉と比べられて、うんざりしてたんだ。

 

黙れ。

 

黙れよ。

 

黙れ黙れ黙れ。

 

黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。

 

「────貴様は哀れなほどに、弱い」

 

「黙れって言ってんだよ!!」

 

俺はラウラの口を押さえようと、ラウラに飛びかかる。

しかしいつの間にかラウラの身体は消えていて、俺は湖に顔から倒れてしまった。

 

「くっそ……」

 

顔に飛んだ湖の血を拭い、俺は顔を上げた。するとそこにはラウラでも少女でもなく、一人の大人の女性が立っていた。

黒のタイトスカートに、肩や袖や裾に赤いラインが施された黒の正装。頭に被る黒帽子は、素材のしっかりとした、少し固そうな造形をしている。そして左目には眼帯が付けられていた。

 

既視感───。

 

俺はこの格好を、前にも見た気がする。

 

何処で……?

 

そうだ。鈴との試合の日、襲撃されて意識を失ったときの夢で見たんだ。

確かその夢の中にいた女性は、謎の男たちに実験用の手術台のようなものの上で手足を拘束されて……それで……俺の方に血が飛んできて………。

 

今目の前にいる女性は、その人とは別人のようだ。でも服装は全く同じ、黒。

いつのまにか目の前の女性は、全身に傷と血が溢れかえり、彼女の身体から滴る血が、湖に不穏な赤を塗りたくる。

彼女の足は蹌踉めき、立っているのもやっとな状態。

 

震えている目の前の女性の肩に、手を伸ばす。肩に触れそうになったその時、突然彼女が顔を上げて俺を押し倒す。

 

「は、離せ!」

 

肌は変色し、傷口の状態は酷い。

左目の瞳孔は崩れ、蕩けている。

彼女は人間には出せないような悲鳴を上げ、その血塗れの爪で俺の腕を食い込ませ、歯を剥き出しにする。

歯は鋭い獣の牙となり、俺の首元を狙う。

 

「クソ!離せよ!」

 

俺は精一杯抵抗する。少しでも気を抜くと、獣の血塗れの牙が俺に届いてしまう。

 

ふと横に視線が移ったとき、そこにはまたラウラがいた。腕を組んで、ただただこちらを見ていた。

さっきまで学園の白の制服を着ていたはずなのに、何故か今は黒の服装に変わっていた。

しかもその服は、目の前の獣と同じ黒の正装だった。ラウラはスカートではなく黒のズボン。そして頭に被っているのは黒の帽子。

 

「ラウラ!」

 

ラウラに助けを求めようとするが、ラウラは声をかけるでもなく、俺たちを背に去ってしまった。

 

くそ……

 

俺に力が無いから、お前は俺を見捨てるのかよ……

 

力があれば、こんな獣なんて……!

 

しかし俺の非力な抵抗も虚しく、獣の牙が首元に触れた、その時────。

 

はるか遠くの後ろで、衝撃波のような風が飛んできた。

獣はその風に煽られ姿を消し、俺は荒くなった息のまま身体を起こした。

 

 

そして後ろを振り返ると、さっきの純白のワンピースを着た少女がいた。しかしそのワンピースは血に染まっていて、少女は依然として血の涙を流していた。

 

少女が泣いていると、少女の肩に優しく手を置く女性が現れた。

あの女性……顔は殆ど布で隠されていて、目元しか見えない。肩まで伸びたその髪と彼女の瞳は、この湖と同じくらい赤い。俺はあの女性と何処かで会ったような……。

俺は月に行ったことは無い。

でも、()()()()とは多分、こういうものを言うんだと思う。

月の香りのする女性は、優しく少女の背中を抱く。しかし、少女はそれに肩を震わせて怯えているようだった。

 

「どうして……」

 

ひっく、ひっく………

 

少女は涙を流して、どうして、と繰り返す。

月の香りのする女性は、少女の目から零れ落ちる涙を指先で拭う。少女の顔は血に染まり、最早穢れなき純白の少女は幻となった。

 

月の香りのする女性が、ふとこちらを見た。

 

顔は見えないが、妖しい笑みをしていることは分かった。

 

俺は月の香りのする女性から目が離せなくなり、ずっと彼女の顔を見ている内に、そこは湖ではなく暗い部屋に変わっていた。

目の前には死にかけた一本の蛍光灯。

気付けば俺は、手術台のようなものに仰向けで寝ていて、俺の顔を彼女が覗き込んでいた。

 

『君は正しく、そして幸運だ』

 

月の香りのする女性の声が、俺の頭の中で響く。

 

『血に隠された秘密こそが、君を導くだろう』

 

彼女は俺に顔を近づける。

 

『だから君、先ずは私の………譁ュ怜血縺代ヱ繧ソ繝シ夢ウ……───』

 

女性の声が潰れ、なんと言ったのかが聞き取れない。

そして身体にチクリとした痛みが走り、女性は呟く。

 

『何があっても、また君に会いに行くよ』

 

女性が静かに笑っている。

 

女性の笑い声をぼんやりと聞いてるうちに、そこはまた血の湖に変わっていた。

怯え、血に濡れた少女の側にいた月の香りの女性は、こっちを見ていた。

 

「ようやく会えたな」

 

ひっく、ひっく……

 

「力が欲しいのだろう?」

 

俺は本能で頷く。もう俺の中には理性など無かった。

 

「ならば、もう目を覚ます時間だ────」

 

少女が、大声を上げて喚き泣く。

少女の喚きと共に、湖の血はどんどんと量を増し、足元が血に溺れていく。

 

そして足元から顔を上げると、空には血のように赤い月が上っていた。俺はその月を見た途端に吐き気が込み上げた。

 

「うおえええ!!」

 

胃の底から這い上がってきたのは胃液でもどろどろの吐瀉物でもなく、血だった。

全身の筋肉と血管がけたたましく(うごめ)く。まるで溶岩にでもなったかのように熱い。

 

怖い。

 

俺はどうなってしまうのだろうか。

 

怖い。

 

いや、そんなことはどうだっていい。

 

俺に力をくれ。

 

何ものにも得られない、俺唯一が得られる絶対的な力。

 

力を。

 

力を!

 

 

 

 

俺は赤い月を見上げ、叫びを上げる。

 

 

 

 

人間には到底出せないような、血の叫びを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年7月7日 21:50

花月荘 第2臨時特別室

 

 

襖が閉まる音がした。

 

 

月の香りがした。

 

 

行かないと。


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