2020年7月7日 20:50
花月荘 臨時待機室
───箒さんを、探しに行きましょう。
セシリア……
ここで泣いていても仕方がありません。それに今、私たちには為さねばならないことがあります。
……そうね、よく言ったわ。
決まりだな。箒を迎えに行くぞ。
◇
「ハァ……ハァ……」
夜の真っ暗な海岸沿いを、箒は息を切らして走っていた。暗くて砂に足が
そして、ふと足を止めた。
(私は……何をしているのだろう……)
自分のせいで、一夏を危ない目に合わせてしまった。
一夏はいつ目覚めるかは分からない。
いや、もう一夏は目覚めないかもしれない。
それなのに、自分は……。
『新しい力を手に入れて、弱い人間が見えなくなったのか?』
一夏が放った言葉が、箒の頭の中で想起する。
『変わっちまったな、箒』
「わ、私は……」
そんなつもりじゃなかった。
だがあの時、私は確かに自分の力に溺れ、周囲が見えなくなっていた。
一夏を守りたい────ただそれだけのはずだった。
ISを開発した姉のせいで、篠ノ之家は政府に保護されることとなり、そのため学校を転々とすることを強いられた。
新しい環境ばかりに順応しなければならない生活に、私は心身ともに疲弊していた。
中学の時、剣道の全国大会での決勝戦………私は自分のストレスを竹刀にのせた。
酷いものだった。私はただ力任せに相手を痛めつけていたのだ。強い力を持ったが故に。
試合は私の勝ちとなり、優勝という結果になった。だが私は、その後試合相手が涙を流しているのを見たとき、自分の浅はかさを思い知った。
それなのに、私はまた同じ過ちを繰り返してしまった。最早私には、ISという力を持つ権利など何処にも無い。
箒の目の内に、熱いものが込み上げてくる。
すると、後ろから砂の足音がした。
「はぁ……分かりやすいわねぇ。アンタって」
鈴の声だった。彼女は呆れた顔で箒を見る。
「で?落ち込んでますってポーズ?」
「………」
「───ざっけんじゃないわよ!!やるべきことがあるでしょうが!!今戦わなくてどうすんのよ!!」
鈴は箒の胸ぐらを掴み、怒号を浴びせる。
しかし箒は鈴に目を向けられず、足元の砂に目を落とした。
「もうISは………使わない」
「っ……!」
パァン!
鈴が箒の頰を思いっきり叩いた。箒は力無く砂浜に倒れる。顔にかかった砂は湿っていて、それが海水なのか自分の涙なのかは箒自身もよく分からなかった。
「甘ったれてんじゃないわよ!!専用機持ちってのはね、そんなわがままが許される立場じゃないのよ!!」
「っ……」
「それともアンタは、戦うべき時に戦えない臆病者なわけ⁉︎」
箒は肩を震わせ、拳を握る。
「どうしろというのだ……もう敵の居場所も分からない……」
「………」
「私だって……戦えるなら戦う!」
箒の意志に、鈴は真剣な笑みを見せた。
「……やっとやる気になったわね」
「え……?」
暗くて気付かなかったが、いつの間にか近くには、セシリアやシャルロット、そしてラウラがいた。
「あーあ、めんどくさかった」
「み、皆……どうして……」
「みんな気持ちは一つってこと!」
「負けたまま終わっていいはずがないでしょう?」
シャルロットとセシリアが箒に応える。
仲間に励まされた箒は、再び意志を固めた。
もう、逃げない。
敵からも。そして何より、自分からも。
◇
「ラウラ、福音は?」
「確認済みだ」
ラウラはシュヴァルツェア・レーゲンを右腕だけ部分展開し、皆の前でディスプレイを投影する。
「ここから約30km離れた沖合上空に福音を確認した。ステルスモードに入っていたが、どうも光学迷彩は持っていないようだ。衛星による目視で発見した」
「さすがドイツ軍特殊部隊♪やるわね」
「お前たちの方はどうなんだ?準備は出来ているのか?」
「当然!
「こちらも完了していますわ」
「僕も準備OKだよ。いつでもいける」
「ま、待ってくれ!行くというのか……?命令違反ではないのか……?」
箒の問いかけに、鈴がなんでもないような笑みを見せた。
「だから?アンタ今、戦うって言ったでしょ?」
「お前はどうする?」
ラウラが箒に問いかける。
箒は拳を強く握りしめた。
「私……私は……」
そして力強い目で、皆を見る。
「戦う!今度こそ勝ってみせる!」
「決まりね。今度こそ確実に落とすわ!」
一致団結した専用機持ちたちは、各自ISを展開し、海の上を飛び始める。
銀の福音を目指して────。
◇
海を飛び始めた時、シャルロットが皆に尋ねた。
「マリアはどうするの?」
ラウラがその問いに応える。
「福音は私たちだけで倒そう。マリアには、旅館とその近辺を守る砦になってもらう」
「シャルロットさん、マリアさんが気になりますか?」
マリアとシャルロットの関係を知っているセシリアは、心配そうな顔でシャルロットに聞いた。
シャルロットは一度だけ旅館の方を見て、しかし首を振った。
「ううん、今は福音の殲滅が最優先だよ。行こう!」
「分かりましたわ!」
専用機持ちたちは飛行速度を更に加速し、彼方にいるであろう福音の方向へと向かう。
すると突然、水平線上の遠く彼方から強い衝撃波が来た。
「くっ…!」
「敵か⁉︎」
ISを身に纏ってさえも直に伝わってくる衝撃風に、専用機持ちたちは腕で顔を隠す。
そして風が収まり、一同が顔を上げると、目の前は信じられない景色に変わっていた。
「な、なんだ⁉︎」
「さっきまで曇っていた空が、一気に晴れましたわ……」
「それに……何なのよ……この赤い空と月は……」
「……不気味だな………本当に夜なのか………?」
ラウラは今の衝撃波の原因を探るために、再び投影型ディスプレイを出現させた。そして衛星写真などを見ていると、ラウラは驚きの表情を浮かべた。
「こ、これは……!」
「ラウラさん?どうされましたか?」
「皆これを見ろ!福音が……暴走を始めた!」
「な、何だと⁉︎」
一同はラウラから送られたデータを確認する。
「な、何ですのこれは……」
「この暴走の様子……さっきの比じゃないよ!」
「それに機体の姿も……」
「まるで……あの時みたい……。アタシと一夏がアリーナで襲撃された時の様子と似てるわ……!」
「とにかく急ぐぞ!」
ラウラの呼び掛けに、専用機持ちたちは真っ直ぐに福音のもとへと加速を始めた。
海を飛んでいる最中、シャルロットは遠く彼方にある、血に染まったように赤い月を見て、あの日のことを思い出していた。
一ヶ月前……シャルロットがマリアと一緒に出掛けて、寮に帰って来たときのこと。シャルロットが電源を入れたラジオからは、こんなニュースが聞こえていた。
『………来月、日本で珍しい〝皆既月食〟が起こるようですが───』
『………月食という現象は、地球が太陽と月の間に入ることで───』
『………地球の大気に入った光……それが屈折して、赤い色だけ月面に───』
そう、今日はあの日から一ヶ月。
皆既月食が起きる日だった。
「赤い、月……」