狩人の夜明け   作:葉影

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第36話 紅椿

臨海学校二日目。

今日は砂浜全域を使ってIS実習が行われる日だ。一年生たちは数カ所に置かれた訓練機・打鉄の周囲に散らばり、各教師の下、指導を受けている。

一方、専用機持ちたちは別の岩場に召集されていた。ここは他の一年生たちがいる砂浜とは崖を挟んで隔離された場所であり、規模もひっそりとした小さい岩場である。

 

「よし、専用機持ちは全員揃ったな」

 

皆の前に立った千冬が確認を取った。

しかし、本来ここにいるはずのないメンバーがいることに、鈴は疑問を唱えた。

 

「ちょっと待ってください。箒は専用機持ちじゃないはずですけど……」

 

そう、本来専用機持ちは一夏・セシリア・鈴・シャルロット・ラウラ・マリアの六人のはずなのだが、何故か箒が横にいたのだ。皆も疑問に思っていたようで、箒を見る。

 

「そ、それは……」

 

どう説明するべきかと困った声を上げる箒。

しかし、千冬が助け舟を出す。

 

「私から説明しよう。実はだな────いや、あいつに出てもらうか。そこにいるんだろう?出てこい」

 

千冬は何もない大きな岩へと声を掛ける。

するとその岩の陰から現れたのは、兎の耳を付けた人物。

 

「……やあ」

 

「姉さん⁉︎」

 

兎を見た箒は驚きの声を上げた。「姉さん」という箒の声を聞いて、他の専用機持ちたちも動揺し始める。

 

「ほ、箒のお姉さんって……」

 

「ISの開発者にして、天才科学者の……?」

 

「篠ノ之、束……?」

 

初めて目の当たりにする天才科学者。兎の耳を付けるなどと随分茶目っ気な感じもするが、兎の顔はそれを忘れさせるくらいに暗く、目の隈も隠しきれていない。

 

「会いたかったよ箒ちゃん。ちーちゃんも、久しぶり」

 

「ね、姉さん……?その顔……どうしたんですか……?」

 

「ふふ……お姉ちゃんは普通だよ?」

 

「ふ、普通って……」

 

姉と妹を包む異様な空気に、専用機持ちたちは唯々押し黙る。

 

「いっくんも、大きくなったね」

 

「お、お久しぶりです……」

 

「………束。自己紹介くらいしろ」

 

「ん……そだね」

 

千冬に言われ、束は改めて専用機持ちたちに向き直った。

 

「篠ノ之束だよ」

 

兎の顔は、疲れた笑みに満ちていた。

このただならぬ静寂の唯一の救いは、恐らく遠くで聴こえる波の音だろう。

皆が動揺している中、マリアは一人束をじっと見て、深く考え込む。マリア自身も、驚きを隠せないようだった。

 

(篠ノ之束……)

 

マリアは千冬と嘗て交わした会話を思い出す。一夏とラウラが危うく私闘を行いかけた後の、学園の川沿いでのことだ。マリアは一夏と鈴がクラス代表対抗戦で闘っていた時に起きた襲撃事件について、千冬に問い詰めていた。

 

『……篠ノ之束は知っているな?』

 

『ISの開発者、か。それで?』

 

『……恐らく、奴が関与している』

 

千冬はそれ以上何も語らなかったが、マリア自身もそう考えていた。

いや、仮にそうでなくても、篠ノ之束は何かを知っているはずなのだ。

ISの開発者……つまり打鉄の開発者でもある彼女は、セシリアとマリアが起こした打鉄の損傷反応について何か知っているかもしれない。

打鉄の損傷反応……分かっているのは、穢れた血に反応を起こすということだ。

もし本当に打鉄がそのように意図して作られたとするならば、篠ノ之束は穢れた血の存在を知っている────。

 

いきすぎた考えかもしれない。

だが、篠ノ之束が何かしらの鍵を握っていることは間違いないだろう。

 

 

 

すると、この静寂を破ったのはセシリアだった。

セシリアは笑顔で束の前に行き、礼をする。

 

「はじめまして、篠ノ之博士。私、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットと申します。お会いできて光栄ですわ!」

 

そしてセシリアは、にこやかに手を差し出した。

その瞬間、箒と千冬、そしてマリアは束の異変に気付いた。

束の顔は真っ青に変わり、口と肩が僅かに震えていたのだ。まるで、何かを恐れているように。

 

「そっか……君が……」

 

束の呟きは耳を澄まさないと聞こえない程に小さく、波の音に掻き消されてしまう。

しかし箒と千冬とマリアには聞こえていたらしく、三人は不審に感じていた。

 

「君の機体……」

 

「は、はい!ブルー・ティアーズですわ!」

 

「『蒼い雫』、か………綺麗な名前だね……」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

束は差し出されたセシリアの手をゆっくりと握り、笑みを浮かべる。セシリアは天才科学者に褒められたことで気分が上がっていて気付かなかった。束の声と手が、酷く震えていたことに。

箒と一夏、そして千冬は、セシリアと手を繋ぐ束を見て、信じられないといった目をしていた。

彼らの記憶の中では、束は誰とも親しくなろうとしない人物だったはずだ。他人に興味を全く示さない……それが束という人間だったはずだ。

しかし今、目の前にいる束は至って普通の人間の行動をしている。

一般的に考えればこれが普通なのだろう。しかし束を昔から知る三人にとっては異様な光景だった。

 

「姉さん……その、私の機体についてなのですが……」

 

箒が恐る恐る束に尋ねた。

束は少しハッとしたような表情をして、箒の方を見る。

 

「そうだったね。そのために来たんだもんね」

 

束は、少し皆と離れた所へ歩き、もう一度箒の方を見た。

 

「ねぇ、箒ちゃん」

 

「はい?」

 

「────本当に、専用機が欲しい?」

 

束の問いに、箒は首を傾げた。

束が自分のために専用機を作ってくれたというのに、何故改めて尋ねてくるのだろう。

しかし箒の答えは決まっていた。

 

「はい。勿論です」

 

「……………そっか」

 

箒の答えを聞いた束は、何かを諦めたような顔を僅かに見せ、目を閉じる。

そして深呼吸をした後、空高くに向けて指を差した。

 

「さぁ、大空をご覧あれ!」

 

束の言葉に、一同は空を見上げる。

すると空高くから、小さな点が現れた。

点はみるみるうちに大きくなり、それは高速で落下してくる鉄の塊だった。

双角錐の形をした純銀に輝く鉄の塊は、岩場に刺さった後、瞬時にISへと姿を変える。

 

目の前に現れたのは、紅の機体。

美しいラインを纏うその機体は、まるで椿のように、美しい。

 

「これが箒ちゃん専用のIS・紅椿(あかつばき)。全スペックが現行ISを上回る、束さんお手製だよ」

 

一同は紅椿と呼ばれた機体に、目を丸くする。

 

「なんたって、紅椿は束さんが作った第四世代型ISだからね」

 

「だ、第四世代……⁉︎」

 

「各国で、やっと第三世代型の試験機が出来上がった段階ですのに……⁉︎」

 

「なのに、もう……」

 

想像も出来ない事実に、専用機持ちたちは呆気に取られる。だが、天才科学者が手掛けた紅椿という機体が目の前にある以上、それを否定することはできないだろう。

 

「じゃあ箒ちゃん、フィッティングとパーソナライズを始めようか」

 

「さ、篠ノ之」

 

「は、はい」

 

束と千冬に促され、箒は紅椿の前に立つ。

自分よりも何倍も大きい紅の機体は、近くにいるだけで異様な存在感を放っていた。

 

 

 

 

 

 

紅椿を身に纏った箒の横で、束は自分の前に展開した幾つものディスプレイを操作していた。指だけでなく、足にもディスプレイを展開させて操作している。

 

「箒ちゃんのデータは予め入れてあるから。後は最新データに更新するだけだね」

 

人間が操作しているとはとても思えないくらいの速さで、束はデータを更新していく。そのあまりの速度に、他の皆も瞬きすることを忘れていた。

 

「はい、終了!後は飛ぶだけだね。試用も兼ねて、一度飛んでみようか。箒ちゃんのイメージ通りに動くはずだよ」

 

「はい、試してみます」

 

箒は一度深呼吸をし、そして空を見上げる。

すると紅椿はゆっくりと浮上し、次の瞬間、途轍もないスピードで上昇を開始した。

 

「す、すごい……!」

 

「これが第四世代の加速……ということ……⁉︎」

 

鈴とシャルロットが驚きの声を上げる。

紅椿が大空を自由に舞う姿に、皆は釘付けになっていた。

 

 

 

皆が紅椿に目を奪われている最中、束は静かにマリアの側へと行った。そして誰にも聞こえないような声で、マリアに話しかける。

 

「マリアちゃん……だよね?」

 

マリアは束の方を見る。

束は空に舞う妹の姿を、哀しい表情で見つめていた。

 

「……何故箒に機体を作った?」

 

「………」

 

「彼女は代表候補生でもない。なのに世代を飛び越えたISを渡すなんて、彼女の帰属を巡った国同士の争いの火種になりかねんぞ。一体何を考えて────」

 

「違うよ」

 

弱々しい目で、しかしハッキリとした否定を束はする。

 

「箒ちゃんに────託したんだよ」

 

「託した……?」

 

一体、何の話をしているのだろうか。束の言わんとしていることが読み取れない。

 

「マリアちゃんの機体……あの子が作ったんだよね」

 

あの子……エマのことだ。マリアの緋い雫(レッド・ティアーズ)を作り上げた張本人。

 

「……知ってるのか?」

 

「ううん、見たことあるだけ。話したことはないよ。色んな科学者を見てきたけど、あの子は私に次ぐ天才だと思う」

 

暫くの沈黙が流れる。

マリアは束の言葉を待ち続けた。

 

「これは、私からの忠告」

 

束はマリアに振り向く。

 

「───()()()()には気をつけて。そして、あの子(エマ)がしている地下実験のことは、絶対に誰にも言わないで」

 

「なんだと……⁉︎」

 

束の口から出た言葉に、マリアは驚愕した。

()()()()』────これが何を意味しているのかは、マリアは直ぐに理解できた。

篠ノ之束は、月の香りの狩人を知っている。

そして、研究所のごく一部の人間と、セシリアとマリアしか知らない地下実験についても。

冷や汗が、マリアの背筋を凍らせる。

 

「君は……君は何を知っている……⁉︎」

 

皆がこちらに気付かないように、マリアは束に詰め寄る。

 

「地下のことを知っているということは、『血』のことも知っているな⁉︎君は────」

 

「……ごめん。今の私に、全てを打ち明ける勇気はない」

 

「っ………」

 

「私は、罪を犯した。『償う』なんて言葉が浅はかなくらいの罪を………もう、取り返しがつかないの」

 

束が何を、そしてどこまで知っているのか問い詰めようとしたが、束の顔を見て、マリアは口を閉ざす。この顔は、例えどれだけ問い詰めようとも答えない顔だ。

束は踵を返し、マリアとの話を打ち切る。

 

「これだけは覚えておいて。敵は……そして脅威は、皆のすぐ近くで身を潜めている」

 

去り際に、束はマリアに小さな声でそう呟いた。そして、まるで何事もなかったかのように、束は箒に無線で話しかける。

 

『じゃ、箒ちゃん。刀使ってみようか!右のが雨月(あまづき)で、左のが空裂(からわれ)ね!武器特性のデータ送るよ〜』

 

再び束は指でディスプレイをタッチする。

 

箒は送られたデータを受信し、空中で動きを止めた。

そして、右手に雨月、左手に空裂を展開した。どちらも刀剣の形をした主力武装だ。

 

「いくぞ、雨月!」

 

箒は試しに、雨月で空を突く。

すると剣先からレーザーが直線上に放出され、巨大な雲を霧散させてしまった。

 

「す、すごい……」

 

『じゃあ、今度はこのミサイルを斬ってみて!』

 

束が指をパチンと鳴らすと、束の横に突然砲台が展開され、ミサイルを放った。ミサイルは箒のいる方向へと飛んでいく。

 

「空裂!」

 

箒は、左手に握った空裂を横に一閃する。

すると斬撃そのものがエネルギー刃として放出され、放たれたミサイルは瞬く間に散っていった。

 

「やるな」

 

「すげぇ……」

 

地上に立つラウラと一夏も、紅椿の機能に驚いている様子だった。

 

『うん。いい感じだね』

 

束の笑み……しかしどこか哀しい横顔を、千冬は怪訝な表情で見つめていた。

 

「やれる……この紅椿なら……!」

 

箒は自分の新たな力に喜びを噛み締めていた。

しかし、その場の空気を一変させる出来事が起きてしまった。

 

「織斑先生!」

 

遠くから走ってきたのは真耶だった。真耶は焦った表情でこちらへと向かってくる。

 

「織斑先生!これを!」

 

真耶は急いで携帯を千冬に渡す。千冬は渡された携帯の画面を見た。

 

「『特命任務レベルA、現時刻ヨリ対策ヲ始メラレタシ』か……」

 

千冬は携帯の画面を閉じ、顔を上げる。

 

「テスト稼働は中止だ!お前たちにやってもらいたいことがある」

 

その後、専用機持ちは千冬の命令で旅館の特別室へと移動。その他砂浜にいるIS学園一年生全員に、旅館の自室での待機命令が下された。

 

 


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