二人の食卓 - Infinite Stratos OST
試着室に一緒にいるのを見つかってしまった一夏とセシリアは、その場で真耶に説教をくらっていた。何も言い逃れ出来ない二人は床に正座し、ただただ反省していた。
「いいですか⁉︎いくらクラスメイトでも、ケジメはつけなければいけません!試着室に男女が一緒に入るなど、言語道断です!」
「そ、そうよ!あんたたち何考えてんのよ!」
「嫁失格だな」
真耶に続き、鈴とラウラも説教に便乗する。
真耶の後ろでは、千冬が腕を組み、溜息を漏らしていた。
マリアとシャルロットも、その光景にただ苦笑いをするしかなかった。
その後マリアとシャルロットは、互いに似合いそうな水着を選び購入したが、会計を済ませた後もまだ真耶の説教は続いており、マリアは一夏たちを心の中で少しだけ励ました。
シャルロットが、千冬の背中に声をかける。
「先生、僕たちはこれで」
すると千冬も振り向き、
「ああ、引き止めて悪かったな。遊ぶのもいいが、こいつらのような馬鹿な真似はするなよ」
千冬がそう言うと、一夏とセシリアは更に項垂れてしまう。
鈴もまだお怒りの様子らしく、暫くここを離れそうにない。
一方のラウラは、店内を散策しながら誰かと電話をしていた。
「クラリッサ、例の臨海学校の件だが……」
電話の相手は彼女の部隊の副官だろうか。
どうやら彼女も水着探しに必死らしい。転入当時では想像出来なかった、ラウラの女の子らしい一面だ。
マリアとシャルロットはその様子を見て微笑み、店を後にした。
◇
シャルロットの誘いで、次は水族館へと行くことになった。ショッピングモールから中庭へ一度出ると、水族館に行けるらしい。
中庭は、ショッピングモール・水族館・遊園地の三つに囲まれているエリアであり、中庭へ行けば自分の好きな所へすぐにアクセスできるようになっている。
「本当に色々な店があるな」
「今年は特に外国からの観光客が多いから、それに対応できるくらいの規模に作られたんだって」
中庭に向かいながら様々な店に寄り道をしていた二人は、ある店の前で足を止める。
「ねぇマリア。ここ、ちょっと入ってみない?」
シャルロットの指が向いていたのは、アクセサリーショップだった。少し高級なブランドとして知られるその店は、全国で多くの人気が寄せられていて、テレビのCMでもよく目にする。
「ああ、入ってみようか」
マリアは笑顔で答え、二人は店の扉を開ける。
店の中には、ガラスのショーケースに覆われたアクセサリーがたくさん並んでいた。
「マリア、僕奥の方見てくるね」
そう言って、シャルロットは店の奥へと進んでいった。
マリアはとりあえず、近くにあるものを見ていくことにする。
ネックレスや指輪、ピアスなど、どれも綺麗なつくりになっている。やはり大人の店ということもあり、価格も相応に張るものが多い。
マリアがショーケースの中をゆっくりと眺めていると、一つのアクセサリーに目がとまった。
それは、小さな髪飾りだった。
丸い宝石の周りに、点々と星が散らばった美しい装飾。
隅に置かれていても、それは一際輝きを放っていた。
(綺麗………)
記憶の中の、
マリアは自ずと、手を伸ばした。
「お試しになりますか?」
咄嗟に、マリアは手を引っ込める。
声の方に振り向くと、店員がニコニコとした顔でこちらを見ていた。
「いや、その……」
「綺麗ですよね、その髪飾り。実はそれ、もうその一品しか無いんです」
「一つだけ……?」
「はい。その髪飾りも結構古いタイプのもので、今の人々の好みにはあまり合わないみたいなんです。私は好きなんですけどね……この子だけが売れ残ってしまって。もう今月いっぱいでショーケースに入れるのは止めるつもりなんです」
店員が、寂しげに微笑む。
マリアは店員から目を逸らし、再びガラスの中の髪飾りに目を向けた。
(こんなに綺麗なのに………)
マリアの中で、この髪飾りを付けてみたいという思いが芽生える。
だが、これを手にすると、なんだか悲しい感情も生まれてきそうで………。
心の中で葛藤していると、横からこちらへと向かう足音が聞こえた。
「マリア、どうしたの?」
シャルロットがマリアの顔を覗く。
「い、いや────」
「わぁ、この髪飾り、すごく綺麗だね!」
マリアの返答を待たない内に、シャルロットは直ぐに小さな髪飾りへと目が釘付けになった。
「星みたいにキラキラしてて可愛い〜。ね、マリアもそう思わない?」
シャルロットが笑顔で問いかける。
しかしマリアは言葉が見つからず、シャルロットとその髪飾りから目を逸らし、
「すまないシャルロット。私は先に外で待ってる」
「え?あ、うん……」
マリアは背を向け、店の外へと出ていってしまった。
そのすぐ後に、シャルロットが続けて外へと出てきた。
そして心配気な表情で、マリアの顔を見る。
「マリア、大丈夫?体調でも悪い?」
「いや、そういうわけではないんだ。さ、行こうか」
「う、うん」
マリアとシャルロットは再び中庭へと向かい始める。
しかし、どことなく心残りといった感情が、マリアの顔に表れていた。
◇
「ねぇマリア、あの髪飾り、欲しかったの?」
「………どうしてそう思う?」
「なんとなく、ね。そんな気がしたんだ」
「……そうか」
「うん……」
「………」
「………ねぇ」
「ん?」
「綺麗だったね。とっても」
「………ああ」
「………」
「………」
「………ごめんマリア。ここで少し待っててくれる?」
「どうした?」
「ちょっとお手洗いに行きたくて」
「そうか、分かった」
「ありがと。すぐ戻ってくるから」
「急がなくていいぞ」
◇
用を済ませ戻ってきたシャルロットと合流し、二人は水族館へと向かった。
水族館の客層は家族連れが多く、しばしばカップルも見られる。
マリアとシャルロットは受付で入場券を購入し、水族館の中へと入った。
「マリア、もしかして水族館は初めて?」
「ああ」
海に棲む生き物たちについては人並みに知ってはいるが、実際に見たことがあるのは魚や鮫くらいで、イルカやアザラシなどといった生物は見たことがない。
水族館の中は少し薄暗く、入ると目の前には巨大な水槽があった。
「すごい……」
目の前の大きな海の生き物たちに、マリアは感嘆の声をもらす。
そこでは何十種類といった生き物たちが共生しており、一方では同じ動きをする魚の群れ、一方ではあざやかな色をした生き物など、幻想的な世界が繰り広げられていた。
「綺麗だね、マリア」
「ああ、こんな景色が見れるとはな……」
シャルロットとマリアはゆっくりと歩きながら、海の世界を眺め続ける。
しばらく歩くと、今度は筒状の通路に入った。
そこは通路を取り囲む360度全てが水槽になった水中トンネルで、ガラスの外ではウミガメが泳いでいた。
「見てマリア!ウミガメだよ!」
「可愛いな」
「僕もウミガメを生で見るのは初めてかも」
水の中の世界は、上から差す光を優しく包み、ウミガメたちの甲羅を美しく反射させている。ゆっくりと泳ぐウミガメたちだが、その自由気ままな様は見ていて飽きない。
「ねぇマリア。ウミガメって、卵を産むときに涙を流すんだ。何故か知ってる?」
横でウミガメを見上げるシャルロットが、マリアにそう問いかけた。
「出産の痛みか?」
ウミガメについて深い知識を持っていないマリアは、なんとなくのありきたりな予想で答えた。
その答えを聞いて、シャルロットは微笑み、首を横に振る。
「ウミガメが海の中で水を飲むとき、身体の中に塩分がいっぱい入っちゃうでしょ?ウミガメの目には塩類腺っていう器官があって、そこから余分な塩分を排出するんだよ。それが涙に見えるんだって」
「そうなのか。よく知っているな」
「ほんとは、卵を産むとき以外にもちゃんと排出してるんだよ。海の中にいるから分かりにくいだけでね」
「確かに水の中じゃ分からないな」
「でもね」
一度口を
「僕はあの子たちが涙を流すのは身体の仕組みのせいだけじゃないと思うよ」
「つまり?」
「マリアの言ったとおり、出産の痛みとかもちゃんとあると思う。母親なら誰でも辛いと思うから。後は、子どもを生む喜び……とか」
「……確かにな」
自分の母親も、私を生んだときは泣いたのだろうか。
「でも、仮にね。あの子たちの涙が全部、塩分を出すために使われているんだとしたら、あの子たちが本当に泣きたいときに、本当の涙は残っているのかな……?」
マリアはシャルロットを見る。
その横顔は、何処か儚げな色を含んでいた。
「僕、ね」
「ああ」
「お母さんが大好きだった」
「………」
「でも、お母さんが僕に涙を見せたことはなかったんだよ」
二年前に亡くなったという、シャルロットの母親。
「お母さんも、本妻の人に悪く言われて、辛かったと思う。『妾』っていう立場だったから、それは仕方のないことなんだけど……。でも、でもね。お母さんは
『あの人』とは、シャルロットの父親のことだろう。
「僕も嫌がらせは受けたよ………でも辛くはなかった。お母さんがいたから」
シャルロットとマリアの横を、子供連れの家族が通り過ぎる。
シャルロットはその家族の背中を見つめていた。
「一番泣きたかったのは、きっとお母さん。なのに、僕はお母さんの涙を見たことがない」
「涙………」
「────それってさ、結構皮肉なことだよね」
シャルロットは力の抜けた含み笑いをする。
「つまり僕は………僕は、お母さんの心の拠り所に最後までなれなかったってことでしょ?」
「本当にそう思うのか?」
マリアは否定の意を込め、シャルロットに問う。今のシャルロットは、あまりにも悲観的だった。
「だって……お母さんはあの時、誰よりも泣きたかった。でも泣かなかった。いや、泣けなかったんだ。きっと、僕がいたから」
「………」
「僕はお母さんにもっと頼ってほしかった。涙でもなんでも、娘の僕に全部さらけ出してほしかった」
「………」
「でもそれは僕の気持ちにすぎなくて、お母さんにとっては逆だった。僕がいたから………僕に心配をかけないように……。お母さんにとっては、僕が足枷だったのかな………」
「いや、違う」
マリアの言葉に、シャルロットが振り向く。
その目は、少し潤んで見えた。
「シャルロットに涙を隠したんじゃない。シャルロットがいたから、彼女は救われたんだ」
「え……」
シャルロットの顔が、悲壮から違うものへと変わる。
「彼女にとって、自分の悲しみを癒してくれる存在こそが、娘のシャルロットだったんだ。決して重荷になんて思っていない」
「………そんなの、言いがかりだよ」
「本当に重荷に思っていたのなら、少なからず彼女はシャルロットに素っ気ない態度を取っていたかもしれない。そんなことはあったか?」
「それは……」
シャルロットは目の前の水の世界を眺め、視点をゆらゆらと流れに任せながら、母親を思い出す。
「………お母さんは、どんな時も僕に優しかった……」
「シャルロットに救われていたからだ」
「でも、そんなの本当は分かんないよ……」
「分かるさ」
マリアは自信を持って答えた。
先を辿れば、彼女はあの優しいアデラインの血を引いている。
その優しさを受け継いでいることは、今のシャルロットを見れば自明だった。
「こうして優しいシャルロットが今ここにいることが、何よりの証拠だ」
驚きの感情の次にシャルロットが感じたのは、長い間奥深くにあった心の枷が解けていくような感覚だった。
マリアはシャルロットの肩を抱き、優しく微笑む。
「彼女はシャルロットのお陰で、泣くことよりも笑うことを選んだ。それだけの話さ」
「マリア……」
シャルロットの目から、涙が一筋零れる。
「それに、シャルロットの前で彼女が泣いたことは無かったと言っていたが、そんなことはない」
「え……?」
シャルロットはマリアを見上げる。
「彼女もシャルロットを生んだとき、きっとシャルロットの横で大いに泣いたと思うぞ」
「僕を、生んだとき……」
「彼女も一人の母親だ。娘を生むときは涙だって流すさ」
母親は自らのお腹を痛めて我が子を生む。そして生まれたての待ちわびた子と一緒に並んだとき、我が子の泣き声を聞いて、母親も涙を流す。
ごく自然で、尊いことだ。
「お母さんでも、泣くんだね」
「ああ。人間もウミガメも、そこは変わらないさ」
「ふふ、お母さんが僕の隣で泣いてるところ、ちょっと見たかったな………」
ウミガメが、マリアとシャルロットの目の前を通り過ぎた。暫くの間、シャルロットはマリアに肩を抱かれたままでいた。
そしてシャルロットは、マリアの腕から離れ、マリアに向き直った。
「ごめんね、マリア。なんか、しんみりしちゃって」
「気にしなくていいさ」
「ふふ、ありがとう」
マリアに礼を言った後、シャルロットはおもむろにマリアと手を繋いだ。
少し驚くマリアだったが、シャルロットの満面の笑みを見て、マリアも微笑む。
「ね、マリア。そういえばこの水族館、イルカと触れ合えるところがあるんだって!行こっ!」
「ああ」
シャルロットはマリアの手を優しく引っ張り、先へ歩く。
マリアは引っ張られながら、一度だけ後ろを振り向いた。
さっきいたあのウミガメも、こちらを振り向いた気がした。
◇
「マリアー!こっちこっち!」
「ふふ。そんなに急がなくても、イルカたちは逃げないぞ」
シャルロットとマリアは水族館の開けた屋外にいた。
最上階に位置するこの巨大プールは、普段はイルカショーを開いているエリアであり、毎回多くの客がここへ足を運ぶらしい。
今日はイルカショーが休みらしいのだが、その代わりに時間限定でイルカたちと触れ合えるといった日だった。
幸いあまり人は並んでおらず列も短かったため、シャルロットとマリアがイルカと触れ合える順番はすぐに回ってきた。
プール上の、少し出っ張った足場に行き、水族館の従業員から説明を聞く。
「では、イルカちゃんは今水中で泳いでいるので、お客様に呼んでいただきます!手を水の上に伸ばしてもらえますか?」
「は、はい!」
シャルロットが少し緊張した声で返事をする。
その横で、マリアは微笑みながら見守っていた。
シャルロットが、前に手を伸ばす。
「それでは、その手を勢いよく上に上げてください!」
「わ、分かりました」
「ふふ、緊張し過ぎだぞ、シャルロット」
「そ、そうだね」
シャルロットは深呼吸をし、下にいるであろうイルカたちに目を向ける。
「じゃあ、いくよ………えい!」
シャルロットが腕を勢いよく上げた。
すると同時に、一頭のイルカが水上で大きくジャンプをする。
「す、すごーい!」
「これは………驚いたな」
弧を描く濡れたイルカの背中は空の太陽を反射し、美しい景色を作る。そして水面に着地し、大きな水飛沫を立てた。
シャルロットはキャッキャと飛び跳ねるように喜び、マリアも初めて見るイルカのジャンプに感動していた。
「それでは、イルカちゃんにこちらに来てもらいましょう!さっきのように、手を前に出してください」
「は、はい!」
従業員に言われた通り、シャルロットは手を前に出す。すると先程のイルカがゆっくりと顔を出し、シャルロットの手の前にまでやって来た。
「では、イルカちゃんに飛んでくれたご褒美に、頭をなでなでしてあげてください!」
「え、いいんですか⁉︎」
「はい!どうぞ!」
イルカはシャルロットにさらに近づく。
シャルロットはゆっくりと、イルカの頭を撫でた。
「わぁ……ツルツルしてる!」
「お連れのお客さまも、撫でてあげてください!」
「いいのか?」
「はい!」
マリアもシャルロットに代わり、優しくイルカの頭に手を置いた。イルカも慣れているのか、大人しくじっとしている。
確かにシャルロットの言ったとおり、ツルツルとしていた。しかし今までに感じたことのない、不思議な手触りだった。
「ふふ………可愛いな」
イルカが笑っているように見えたマリアは、イルカがとても愛しく思えた。
「お客さま、この子と一緒に写真はいかがですか?」
「は、はい!是非!」
従業員の提案に、シャルロットは直ぐに返事をし、携帯を従業員に渡した。
シャルロットのはしゃぎっぷりに、マリアも微笑む。
「では、イルカちゃんを挟んで並ぶ感じで……はい、ありがとうございます!はい、チーズ!OKです!」
「ありがとうございます!」
「ありがとう。良かったな、シャルロット」
「うん!」
笑顔で画面の中の写真を見つめるシャルロットの頭を、マリアが撫でる。
「それではお客さま、そろそろお別れの時間です。一緒にイルカちゃんにバイバーイと手を振ってください」
「バイバーイ!ありがとね、イルカちゃん」
「ふふ、またな」
シャルロットとマリアが小さく手を振ると、イルカも身体をフリフリして、水の中に消えていった。
しかしその直後、合図をしていないのに、イルカが突然大ジャンプをした。
「わぁ!」
「何度見ても綺麗だな……」
空で円を描いたイルカの姿に二人が感動していると、従業員が少し驚いた反応をしていた。
「驚きましたね……まさか自分からジャンプするなんて……。普段はあんなことしないんですよ」
「そうなんですか?」
「はい。きっと、お客さまたちのことが気に入ったんだと思います!」
「ふふ、サービスだな」
シャルロットとマリアは顔を見合わせて笑い、従業員に礼を言って、その場を後にした。
◇
「そろそろ帰ろっか」
「そうだな」
シャルロットがそう切り出したのは水族館を出てしばらくした後だった。
空は夕焼け色に染まり、周囲の人も疎らになっている。
マリアにとって、今日は何もかもが新鮮な一日だった。
自分の知らなかったこと、そして女としての楽しみ方など、色々なことをシャルロットに教えてもらった。
この楽しい一日がもうすぐ終わりを告げることを思うと、マリアは少し寂しくなる。
そしてそれはシャルロットも同じだったようで、彼女自身も名残惜しい表情を見せていた。
「ねぇ、マリア」
シャルロットが立ち止まる。
「少し、寄り道していかない?綺麗な景色が見える場所があるんだ」
寂しそうな表情を続けたまま、シャルロットはそう言った。
マリアも静かに頷く。
「……ああ」
シャルロットも少しだけ微笑み、また背中を向け、歩き始める。
シャルロットに導かれるようにして、マリアは後をついていった。
◇
シャルロットが連れてきた場所は、小高い丘の上にある、寂れた小さな公園だった。
草は無造作に生い茂り、幼児用のブランコは風に吹かれただけで僅かな軋みと音を立てる。
当然人も居るはずも無く、まるで誰からも見捨てられたように、この公園は孤独だった。
シャルロットは公園の端のフェンスの側に立ち、金網の向こう側の世界を見る。
「ここからね……学園がよく見えるんだ」
マリアも近くまで行き、金網の向こう側を見る。
「綺麗だな……」
金網は崖の上に立てられており、その先は開けた景色。学園の島の全景、本島と学園を繋ぐモノレールの軌条。そして無限に続く海の水平線、オレンジ色に光る淡い夕陽。
美しい景色も、金網を越えて一歩踏み出せば地に落ちてしまう。
金網。
生と死を隔てるもの。
『大空を飛べる者』と『地を這う者』の境界線。
ISという翼が無ければ、私たちは所詮『地を這う者』に過ぎないのだろうか。
「今日は、楽しかったね」
「ああ」
生い茂る地の草と木の葉が、海からのそよ風に吹かれ、擦れた音を出す。
潮の匂いと一緒に、シャルロットは髪をかき分けた。
「あの夕陽が海に消えたら、今日は終わるんだね」
儚げな声で、シャルロットは言った。
「私も、こんなに一日が終わってほしくないと思えたのは久々だ」
「ほんと?ふふ、嬉しいな」
相変わらず、シャルロットは海を見続けている。マリアもそれに倣っていた。
「ねぇ、マリアは、さ」
シャルロットの右手が、静かに金網を掴んだ。
「あの噴水で親子を見たとき、やっぱり寂しかった?」
マリアは、ハッとした気持ちになった。
シャルロットとの待ち合わせ場所にいたとき、お揃いの麦わら帽子を被った親子が仲良く歩いていた。
娘はアイスクリームを頬張り、母親が微笑ましく見守る。
無意識に、私は彼女たちを目で追っていた。
それは好奇からくるものではなく、二割の羨望と、八割の寂寥だった。その時は自分でも自覚していなかったが、今になってそう思う。
「僕ね、その時分かったんだ。マリアも、〝僕と同じ〟なんだなって」
「同じ……?」
「間違ってたらごめんね。こんなこと言うのもホントはダメだと思うけど………マリアもお母さん、亡くしてるよね」
意外にも、そう言われたマリアの心に悲しみは感じられず、胸にストンと落ちるような感覚が生まれた。もちろん、記憶を取り戻した時から分かっていた事実だ。
だが、────ああ、やはり自分は母親を亡くしたんだなという確証を、マリアは改めて認識する。
「────随分前に、な」
「ご病気?」
「……いや」
「そう………」
シャルロットも、それ以上は聞かなかった。
「僕のお母さんはね、病気だったんだ。白血病。正確には、急性骨髄性白血病。いわば、〝血液の癌〟だね」
それを聞いて、マリアにはとてつもない自責の念が生まれた。シャルロットの母親が血液の病気になってしまったのは、自分の過去の過ちに因るものではないかと。
「日に日に弱っていくお母さんを見て、僕もとても辛かった。僕が代わってあげたかった。でも、側にいることしか出来なかった」
金網を握る手に、力がこもる。
「病状が酷くなってからはずっと寝たきりで、会話もほとんど出来なかった。最期は意識もなくなって、ずっと天井を見上げたままでね……静かな最期だった」
「っ………」
「僕もね……今日あの親子を見て、お母さんのことを思い出してたんだ。小さい頃、よくああやって手を繋いでたなぁって………」
「………」
「ウミガメの涙の話も、お母さんから教えてもらったことなんだ。ごめんね、あの時はしんみりしちゃって」
「そんなことない」
「ふふ、ウミガメの顔を見てお母さんの顔を思い出したなんて言ったら、お母さん拗ねちゃうかも」
「きっと笑ってくれるさ」
そうだといいね、とシャルロットは呟いた。
波の音が、微かに聴こえてくる。
シャルロットが、静かにこちらを向いた。
「僕ね、今日マリアの言葉に凄く支えられたんだ」
「私の……?」
「『優しいシャルロットが今ここにいることが何よりの証拠だ』って言ってくれたよね?僕、その言葉に救われてたの」
「私も……」
マリアはシャルロットの目を真っ直ぐ見て、答えた。
「私も、シャルロットに支えられていた」
シャルロットが女性であると打ち明けてくれたあの時、同時に彼女が、嘗ての最愛の友の子孫であるとも分かった。
過去に犯した自分の罪を直接彼女に償うことはもう叶わないが、彼女の子孫がこの世界に存在してくれていることは、マリアにとって何よりの救いだったのだ。
シャルロットの髪が靡き、哀愁の目で海を見る。
「僕ね………マリアのことが好き。友だちとかじゃなく、一人の女として」
「シャルロット………」
「やっぱり、同性を好きになるのって変だよね、おかしいよね。でもね、マリアのことを考えると、胸が高鳴るの。ドキドキするの。これって好きってことでしょ⁉︎」
「………」
泣きそうな潤んだ目で、シャルロットはマリアに訴えかける。
「でもね……それももう、叶わないのかなって……」
「………」
「僕がマリアに寄り添っても、マリアは何処か壁を感じてたみたいだったから……」
違う。
それは違う。
違う……と、思いたい。
私は、ただ寄り添い方が分からなかっただけなのだ。
しかし、それは本当だろうか?
そう自分に問えば、はっきりとした否定はできない。
最愛の友に対する罪悪感がどうしても拭えなくて、シャルロットとの距離が分からなかったのも事実だ。
だが、それは私の押し付けだったということか?
深く考え込むマリアを見て、しかしシャルロットは諦めたように、優しく笑った。
シャルロットは、首にかけられた胸元の小さな鍵を優しく握る。
「この鍵のこと、前にも話したよね?」
「……ああ」
私が、嘗ての最愛の友に渡した小さな鍵。それは私の知らないところで代々受け継がれていて、今はシャルロットの元にある。
「家に伝わる御守り。昔お母さんからもらったの。お母さんは亡くなったけど、この鍵を持ってると、お母さんが見守ってくれてる気がするんだ」
シャルロットの微笑みが、夕陽に照らされる。
「この鍵……僕の遠い遠い先祖さまが持ってた物なんだけど、元々はね、ある人から渡された物なんだって」
マリアはハッとしたように顔を上げた。
温かい表情で、シャルロットは鍵を胸に抱く。
「僕の先祖さま……
アデライン────。
君の名前は、しっかりとシャルロットにまで伝わっていたんだな……。
私は君に酷いことをしたのに、それでも尚私を慕ってくれていたのか……?
「僕とお母さんは金髪だけど、先祖さまは白くて長い、綺麗な髪だったんだって。鍵をくれた人も同じ白い髪をしていて、それをきっかけに仲良くなったの………」
そうだ。
君と私は、よく互いの髪を整え合ったりしていたな。
「先祖さまが住んでいたところにね、露台があったらしいんだ。白い花が一面に咲いた、小さな中庭の露台。先祖さまは生きてる間に視力を失くしてしまったんだけど、せめて外気と花の香りが先祖さまの癒しになるように……だって」
「………」
「本当に優しい人だったんだね。ふふ、まるでマリアみたい」
「いや………」
露台の鍵。
あの時アデラインは、花の香りを楽しんでくれただろうか。
「そんなに優しい人だったなら、会ってみたかったな」
「どうして?」
マリアは複雑な心境で問いかける。
それに対し、シャルロットは純心な笑顔で答えた。
「それはね────先祖さまは若くして生涯を終えたんだけど、最期までその人の名前を口にしていたんだって」
「………!」
「本当に、お互いを想い合っていたんだと思う。その人が僕の先祖さまの側に居てくれたから、今の僕があるんだと思えるから……」
その言葉で、マリアの中で何かが弾けた。
ずっと抱え込んでいた心の重荷が、すっと解放されるような感覚。
赦された感覚。
自分の罪が消えたわけではない。
だが、子孫であるシャルロットから、アデラインの本当の想いを聞けた気がして、何かが赦された気持ちになった。
◇
「────マリア?」
シャルロットが不思議そうな顔で、私を見る。
深く考え込んでいた私は、ゆっくりと顔を上げた。
「シャルロット………もしも、」
「?」
「もしも私が変なことを言っても、君は信じてくれるか……?」
シャルロットは、じっと私の目を見る。
その後、彼女はその目を閉じ、優しく微笑んだ。
「信じるよ」
「本当に……?」
「マリアは、嘘なんてつかないよ」
「シャルロット……」
シャルロットの温かい言葉に、私の中でも話す気持ちが出来た。
潮風が吹き、私は口を開く。
「私は……」
「うん」
「私は………君の先祖であるアデラインに、許されないことをした………」
「え……?」
私は、全てを打ち明けた。
この時代の人間ではないこと。
獣を狩る狩人として手を汚していたこと。
そして……アデラインと仲良くなり、そして自分のせいで変わり果てた姿にさせてしまったこと。
結局は自分も死に、悪夢に囚われ、そしてまた死に、気付けばこの時代にいたこと。
シャルロットが知るべきことを、私は全て打ち明けた。
やがて話し終わると、暫くの沈黙が続き、今度はシャルロットが口を開いた。
「そっか……僕の先祖さまのお友達は、マリアのことだったんだね……」
「信じてくれるのか……?」
「言ったでしょ。マリアは嘘なんてつかないって」
驚きはしたけどね、とシャルロットは付け加える。
「だったら!君は私を恨むはずだ!」
「僕はそんなことは一つも思ってないよ」
「どうして⁉︎」
シャルロットは相変わらず優しく笑ったままで、私はそれが納得出来なかった。
「だってさ」
シャルロットは私の頬をゆっくりと手で包む。
「僕の先祖さまをこんなに想ってくれてる人が、悪い人なわけがないよ」
私は、唇を噛みしめる。
このなんともいえない複雑な感情は、なんだろうか。
「きっと、運命だったんだと思う。確かにマリアの教えてくれたことは、悲しいことだと思う。でも、先祖さまは精一杯生きた。先祖さまがマリアに出会えたおかげで、僕もマリアに出会えることができた」
「シャルロット………」
「マリアがこの世界に来たのも、きっと何か意味があるんだよ。今はそれを探しているんでしょ?」
シャルロットの温かい言葉に、私は何も言うことが出来なかった。
ただ、私の目からは、涙が込み上げてきていた。
「じゃあ……これも、マリアがこの世界に来た意味を探す手助けになればいいんだけれど」
そう言って、シャルロットはカバンの中から小さな箱を取り出した。
金色のリボンに包まれた青い箱。
それは、プレゼントと呼ばれるものだ。
シャルロットはその贈り物を、私の手に預ける。
「これは……?」
「マリアのために用意したんだ。開けてみて」
「私に……?」
私はシャルロットに言われた通りに、ゆっくりと、ゆっくりと、結ばれたリボンを解いていく。
そして、箱の蓋を開けると……
「これは……!」
箱の中には、いつか見た小さな髪飾り。
あの時、あの店で、ガラスに覆われた世界で隅に追いやられた、小さくて美しい姫。
「この髪飾りを見てるマリアの顔を見てね、僕、羨ましいなぁって思ってたんだ」
「え……?」
「この髪飾りを見てるマリア、すごくうっとりしてた。なんて言うのかな……恋に落ちた乙女のような表情だったの。心の中でね、僕もマリアにそう見られたいなぁって……」
「………」
「でもね、それはもう叶わない。だから、この髪飾りに僕の想いを託したの。これでケジメをつけようって。僕の代わりに、マリアにいっぱい可愛がってもらってねって……」
「シャルロット……」
「ふふ、まぁ僕の勝手なわがままだけどね、それも。でも、それを抜きにしても、僕はその髪飾りをマリアに着けてほしかったんだ。その髪飾りが一番似合うのは、きっとマリアだと思うから………」
シャルロットは小さな髪飾りを手に取り、
「せっかくだから、着けてあげるね」
シャルロットは少し背伸びをして、私の髪に手を添える。
そして、シャルロットが髪飾りを着けてくれると、カバンから手鏡を取り出し、こちらに向けた。
そして、彼女は満面の笑みで、
「ほら、やっぱり似合うね!マリア!」
私は、手鏡に映った、髪飾りを着けた自分を見て、とても懐かしく、嬉しい気持ちに襲われた。
そして、自分でも気付かない内に、私の目からは涙が溢れていた。
「ど、どうしたの⁉︎」
突然泣き出した私を見て、シャルロットは驚く。
だが、私は次々に湧き出す感情を塞きとめることはできなかった。
「も、もしかしてショックだった⁉︎」
目を白黒させて、シャルロットが慌てふためく。
「ち、ちがう……ひっぐ……ちがうんだ……!」
「マリア……?」
シャルロットが、そっと私の肩を抱いてくれる。
「これは……この気持ちは……なんだろうか……?」
「………」
色々な想いが蘇る。
母のこと、ゲールマンのこと、アデラインのこと。
そして……
「私、ひっぐ、私には、何もない。分からない。分からない、のに、温かいんだ……!」
「うん……」
「わ、私は……おかしいのだろうか……?」
「おかしくなんてないよ」
「うっ、ひっぐ……これは……やはり、喜びなのだろうか……!」
そして、私はシャルロットを抱きしめた。
力強く、この感情に任せて。
しかし、彼女の小さな身体が壊れないように。
「シャルロット……!好きだ!」
「え……」
「君が私の生きてる理由だ!私は君に会うためにここに来た!」
「マリア……!」
「アデラインの分まで、私は君を守り続ける!何があっても、君の側にいる!だから、私の側にいてくれ!私と……私と共に生きてくれ!」
私の声が、寂れた公園の中で木霊する。
シャルロットの肩は、私の涙で濡れてしまっていた。
私の泣き声が、肩の震えを伝わって、風に流れて消えていく。
暫くして、シャルロットが口を開いた。
「ありがとう、マリア」
少し鼻をすすりながら、シャルロットは笑顔で答えた。
「僕も、マリアが大好きだよ……!」
私たちは、さらに力を込めて抱き合った。
水平線上の夕陽が、私たち二人を見守っていた。
◇
ポツ ポツ
抱き合っている私たちの元に、水滴が降ってきた。
「雨……」
私とシャルロットは、ゆっくりと身体を離し、海を眺めた。
気付けば淡く濡れた夕陽は海の中に沈みゆき、反対側の空には暗い雲が広がっていた。
遠い雲の向こうで、ゴロゴロと雷鳴が響いている。
この公園にも、空が雨をどんどんと落とし始めていた。
「ねぇマリア、知ってる?日本では昔から、『雷が鳴ると梅雨が明ける』って言われてるんだって」
「……まだまだ晴れない空は続くだろうな」
「そうだね。でも、僕の気持ちはとっても晴れたよ」
「……私もだ」
顔を見合わせて、私たちは笑った。
そして、笑い合う私たちのすぐ近くに、雷が落ち、雨が豪雨へと変貌する。
「うわっ、急に降ってきたね!マリア、帰ろう!」
「あ、ああ!」
目元の上を腕でカバーしながら、私たちは走って公園を駆け抜けた。
◇
「うわぁ、びしょ濡れになっちゃった」
「早くシャワーを浴びよう」
学園の寮の自室に入ったシャルロットとマリアは、すぐに濡れた上着を脱ぎ始めた。
「シャルロット、お風呂を沸かしておくぞ」
「あ、お願い」
マリアは濡れた服を脱ぐのに手間取りながら、浴室に入っていった。
シャルロットは今の天気の情報を聴こうと、机の上のラジオの電源を入れる。
ザザッ
『……えー◯◯さん。来月、日本で珍しい〝皆既月食〟が起こるようですが、そもそも月食とはどのような現象なのでしょうか?』
『はい、今一度おさらいしてみましょう。月食という現象はですね、地球が太陽と月の間に入ることで………』
「うーん、これじゃないね。天気天気」
シャルロットはラジオの周波数を変える。
ザザッ
『……関東地方は今日の夕方から梅雨の影響で強い雨が振ります。この雨は夜遅くまで続くので、みなさま傘の準備をくれぐれも………』
ガチャ
「今お湯を入れ始めたぞ」
「ありがとっ。雨、夜まで続くんだって」
「そうか。まぁそうだろうな」
シャルロットはラジオの周波数を再び変えた。
今度は音楽番組だったようで、海外の曲が流れていた。
男性ボーカルが甘い声で歌う、少し洒落た、オトナの曲調だった。
(※ラジオのイメージ曲:Jeff Bernatの『Ms. Seductive』)
ラジオを流したまま、マリアとシャルロットは浴室へと入り、脱いだ服と下着を洗濯カゴの中に入れた。
浴室の中でも、微かにラジオの曲が響き渡る。
裸になった二人は、互いに少し照れた表情で、シャワーを一緒に浴びていった。
風呂が出来上がったのは、丁度シャワーで互いの身体を洗い終わった時だった。
◇
裸になった二人は風呂に身体を沈める。
マリアの脚と脚の間で、シャルロットが挟まれるようにマリアにもたれる。
「なんか……照れちゃうね」
頰をほんのりと赤く染めた可愛らしい笑みで、シャルロットは呟いた。
「すまない、あんなに取り乱してしまって」
「ううん、嬉しかった」
マリアの腕に抱かれるシャルロット。
「アデラインのことがあって、君との距離の取り方が分からなかったんだ。それが君を傷つけることになってしまって、本当にすまなかった」
「気にしないで。僕もマリアの本心が聞けて嬉しかったから」
そうして暫くの沈黙が続いた後、シャルロットがマリアの方を振り向く。
「僕、ね」
「ああ」
「欲張り……なのかな。マリアの気持ちが聞けて嬉しかったんだけど、まだ実感がないんだ……。明日になれば、全部夢だったんじゃないかって………」
「シャルロット……」
「だから、ね…?」
シャルロットは、上気した顔で、マリアに顔を近づける。
「夢に、しないで………」
そういって、シャルロットはゆっくりと目を閉じ、潤んだ唇を差し出した。
マリアも微笑み、目を閉じて、唇を重ねる。
「んっ……はぁ……」
シャルロットの唇から甘い吐息が漏れる。
マリアとシャルロットの心は、幸せな感情で溢れていた。
世界で一番、甘いキス。
唇を重ねれば重ねるほど、その感情は無限に生まれていった。
「んっ……はぁ……シャルロット……」
マリアはシャルロットの耳元で囁く。
「君が欲しい────」
シャルロットの大切な、女性の部分が、切なく甘い感覚に襲われる。
あなたが欲しい。
あなたが欲しい。
シャルロットはもう一度マリアと唇を重ね、離す。
「ベッド、いこ……?」
◇
気付けば、ラジオの曲は違うものに変わっていた。アーティストは、先ほどと同じ声だった。
(※ラジオのイメージ曲:Jeff Bernatの『Moonlight Chemistry』)
私とシャルロットは、ベッドの上で、何度も唇を重ねた。
何度も、互いの身体を愛し合った。
何度も、互いの甘い声を聴きあった。
何度も、甘い汗を流し、何度も、力が抜けるほど気持ちのよい感覚に襲われた。
何度も、何度も。
全てが終わり、生まれたままの姿で寄り添って眠りに落ちた頃には、雨は止んでいた。
◇
箒は、誰もいない学園のアリーナ内で、携帯電話である番号にかけた。
私しか知らない、彼女の番号。
使うつもりは一切無かったが、守る力を得るためには彼女に頼るしかない。
コール音も鳴らない内に、電話の主の声が聴こえた。
『もすもすひねもすー!ハーイ!みんなのアイドル、篠ノ之束さんだよー!』
「………」
早速苛立ってしまった箒は、無言で携帯の電源ボタンを押そうとする。
『あ、待って待って!切らないで箒ちゃん!』
しかし、姉の頼みに、なんとかその指は抑えることが出来た。
「姉さん……」
『やぁやぁ我が妹よー!久しぶりだねぇ。で、今日はどうしたのかな?』
「……その………」
箒は深呼吸をし、本題に入る。
「姉さん……私だけの専用機を、作ってくれませんか……?」
『────⁉︎』
数秒の沈黙が続いた。
「姉さん?」
『……え、あ、いや、なんでもないよ?』
「どうかしたのですか?」
『ううん、気にしないで!』
「………?」
珍しい姉の反応に、箒は首を傾げる。
耳を澄ませると、スピーカーの穴から僅かに姉の呟きが聴こえた。
『やっぱり………巻き込まなくちゃならないのかな………?』
「……姉さん?」
姉の暗い声音に、箒は心配になった。
しかし、すぐにまた明るい声が聴こえてくる。
『任せて箒ちゃん!実はすでに手をつけてあるんだよ!』
「そ、そうなのですか⁉︎」
『最高性能にして規格外!そして
箒は息を飲む。
『紅椿!!』
夜
IS学園・小広場前
「クラリッサ。こちらラウラ・ボーデヴィッヒだ」
『おお、隊長!その後、水着は良いものを買えましたか⁉︎』
「ああ!お前のおかげだ!恩にきるぞ、クラリッサ」
『勿体無いお言葉です。隊長のためなら、これくらい』
「ふふ、そうか」
『………』
「………」
『……………』
「……どうした?」
『は!な、何がでしょうか』
「思い悩んでることでもあるのか?」
『とんでもない。隊長に隠すことなど────』
「嘘を吐くな」
『……⁉︎』
「私は
『隊長………』
「それで、何かあったのか?」
『……分かりました。話しましょう』
「ああ」
『上からは緘口令が敷かれているのですが………隊長、
「いや、取っていないが……彼女がどうかしたのか?」
『そうですか……。実は少し前に、上から与えられた任務のために遠征をしたのですが………連絡がつかず、未だに帰ってきておりません』
「帰ってこない?」
『はい。ドイツ軍上層部も協力して彼女を捜索してくれてはいるのですが、未だに消息不明といった状態です』
「カリンが……?彼女は真面目で隊を慕っている人間だ。まさか亡命ではないだろう」
『ええ……考えたくはないですが、何らかの事件に巻き込まれている可能性が高いかと』
「しかし何故上層部は私へ伝えることを禁じている?私は隊長だぞ」
『〝ISのデータ向上に励むために日本に滞在しているボーデヴィッヒ隊長に、精神的ストレスをなるべくかけさせないため〟と伝えられました。が、私個人としては、どうにも腑に落ちません』
「ああ、私もだ。いくら他国にいるとはいえ、私には全てを知る義務がある」
『ありがとうございます。心強いです』
「何か対策は取っているか?」
『隊長には無断ですが、ニーナが自ら志願し、現在彼女にカリンの行方を調査させに出向させています』
「そうか……いや、構わん。彼女もカリンと仲が良かったからな。志願するのも頷ける」
『何か新しいことが判明すれば、すぐに報告いたします』
「頼むぞ」
『我らシュヴァルツェ・ハーゼは、常に隊長と共にあります。ご武運を』