静かな波の音が聴こえる。
波は、小さな浜辺に押し寄せては帰っていきを繰り返している。
波は朝陽に照らされ鮮やかに煌めき、無数の白い泡が砂に吸い込まれていく。
波の音が聴こえてきた次は、頰の感覚に意識が向いた。
砂と草が交わった、ザラザラとした感触が頰に残る。
マリアは、ゆっくりと目を開ける。
いつの間にか周囲の霧はすっかりと晴れており、空を見上げると雲ひとつ無い快晴だった。
自分はどうやら気を失っていたらしい。
そこにはもう、人形の姿は無かった。
「今の光景は………」
マリアは木にもたれ、額を押さえて立ち上がり、頰についた砂を払った。
マリアは、今まで欠けていた記憶を、全て取り戻していた。
あの人形に触れた途端、私の中で眠っていた光景が全て目を覚ました。
母を殺された私は城を捨て、ゲールマンと出会い、ビルゲンワースに利用され、狩人となり、罪を犯し、命を堕とした。そして悪夢に囚われ、月の香りの狩人に殺された。
マリアは取り戻した記憶と、この世界で起きた出来事を繋ぎ合わせる。
今まで何度も夢に出てきた彼女。
真っ白な礼装で、私と同じ白い髪の血の聖女。
ずっと思い出せなかった彼女の名は、アデラインだった。
ずっと不明瞭だった罪悪感……私がアデラインに、そして多くの人々を巻き込んでしまった、医療教会での血液実験……。
あの実験によって、私たち医療教会は多くの人間を犠牲にしてしまった。
死んでも償いきれない罪だ。
医療教会による血の医療………目的は違えど、現代でもイギリスのIS研究所で血液実験が行われているとは、これ以上の皮肉があるだろうか。
だが……────救いがあるとすれば、アデラインの子孫が今もこの世界に存在してくれていることだ。
シャルロット………彼女は本当にアデラインにそっくりだ。
あの露台の鍵も、代々伝わる御守りとして形を残していた。
アデラインの優しい心は、シャルロットがしっかりと受け継いでいた。
もう二度とあの優しい心を失わせないために、私はシャルロットを命を懸けて守ろう。
マリアは、自分の目の内に込み上げてきた涙を堪えた。
◇
セシリア……そして彼女の家系代々に伝わる御伽噺……。また彼女自身、アンナリーゼの存在を知っていたこと……。
オルコット家はカインハースト一族とみて間違いないだろう。
そしてセシリアが自分やラウラとの闘いで見せてきた、血の覚醒。
200年以上経った今でもあれ程の力を秘めているということは、恐らく傍系の私とは違い、セシリアは一族の直系にあたる人物である可能性が高い。
まさかこんな身近に自分と血縁関係にあたる人間がいたとは────。
マリアはイギリスの研究所でのことを振り返る。
あの地下施設でも、セシリアの血液を数滴垂らしたことによって、打鉄が損傷していく様を実際にこの目ではっきりと見た。
ということは、打鉄は私たちの身体に流れる血────『穢れた血』に反応している……ということか?
仮にそうだとして、打鉄がそのように作られた目的が分からない。
だが、もし打鉄を意図してそのように作ったのが事実だとしたら……
マリアは入学して間もない頃に受けた授業を思い出していた。
その授業で、真耶は打鉄についてこう言っていた。
『全467機のうち量産型ISである打鉄は、現在は多くの企業ならびに国家、学園においても訓練機として一般的に使用されています』
『ISのコアは完全なブラックボックスとなっていて、
篠ノ之束────。
常に行方を眩ましており、妹である箒でさえも何処に居るかが分からない人物だが、恐らく………
────恐らく彼女が、鍵を握っている。
◇
木に背中を預け、暫く海を眺めていたマリアは、腰の辺りでカサカサという音に気付いた。
服と紙が触れ合ったような音で、マリアは木に振り返る。
するとそこには、幹に打ち付けられた一枚の紙があった。
「紙………?」
マリアは紙を手に取った。
すると、そこには誰かが書いたであろう
『「
青ざめた血……とは、何のことだ?
これは誰が書いたものだろうか。
青ざめた血……
青ざめた血……
しかしいくら考えても見当がつかないマリアは、仕方なく紙をポケットにしまう。
六月なのでまだ気温は涼しい方だが、太陽の日差しはじりじりと熱い。
気を失って、結構な時間が経ってしまった。
もしかしたら、シャルロットが部屋で心配しているかもしれない。
人形の行方や走り書きの謎が気がかりだったが、とりあえずは一旦部屋に帰ろうとした、その時。
小さな浜辺に、海に濡れた銃が横たわっていた。
マリアはそれを手に取り、観察する。
腕と同じくらいの長さの長銃で、独特な模様を刻まれたそれに、マリアは久しぶりな感覚を覚えた。
「何故、この銃がここに……?」
血を弾丸とするその銃は、マリアが生前よく使用していたものだった。
「お前が、持ってきてくれたのか……?」
マリアは空を見上げ、何処かに居なくなった人形に思いを馳せた。
マリアは海辺を後にし、学園の森を引き返す。
どこまでも深い森は、オルコット家の領地の森とよく似ていた。
あの場所で発見した廃家は、私とゲールマンたちが作った工房だったと、今になって漸く解る。
だが、あの工房とロンドンの時計塔は、本来同じ場所にあるべきだ。
やはり、イギリスで感じた『まるで誰かがこの世界の仕組みを無秩序に壊してしまったかのような感覚』は、間違いではないのだろうか。
全てが、謎に包まれていた。
部屋に帰って、分からないことをノートに整理しようとマリアは考えた。
マリアは深い森を歩き続けた。
深い森は、かつての医療教会の裏に潜む森を彷彿とさせた。
『エヴェリン』
カインハーストの騎士たちが用いた独特の銃。
カインハーストのそれは、より血質を重視する傾向がある。
女性名を冠されたこの銃は、意匠にも凝った逸品であり、騎士たちによく愛されたという。
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『禁域の森』
街を追われた者たちが集う、ヤーナムのはずれにある深い森。
嘗てビルゲンワースに学んだ者たちによって、医療教会と血の救いが生まれた。
すなわちビルゲンワースは、ヤーナムを聖地たらしめた始まりの場所であるが、今はもう棄てられ、この深い森に埋もれてしまった。
今や医療教会の禁域に指定されており、近づく者は誰もいない。
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『マリアの手記 2020年6月某日』
・ISの損傷反応、穢れた血
・襲撃者、獣化、
・地形変化
・月の香りの狩人
・人形
・『青ざめた血』
・篠ノ之束