狩人の夜明け   作:葉影

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月食とは違う現象ですが、今日はストロベリームーンと呼ばれる月を見ることができます。
是非、夜空を見上げてみてください。

イメージ曲
The Witch of Hemwick - Bloodborne OST


第27話 邂逅

私の頭の中に、あの時の光景が浮かび上がる。

 

悪夢に囚われていた自分。

 

時計塔の先にある秘密を誰の目にも触れさせないために、鐘の音が鳴り響く下で、私は死んでいたのだ。

 

やがて、ある狩人が時計塔の扉を開け、私は目覚めた。

 

月の香りが漂うその狩人は、悪夢に囚われた私を討ち破った。

 

その狩人が今、私の目の前にいる─────。

 

 

 

 

今にも壊れそうな木製の車椅子に座る、血のように赤い髪と瞳を持った女性。

灯りに照らされたその顔は、服のつくりで鼻の辺りまで隠されているが、此方を嘲笑っていることはよく分かる。

まるで新しい遊び相手を見つけたような、不快な笑みだ。

 

「ほう………まさか目覚めた先がこの()()とはな……。ふっ、私にとっては、新鮮味が無い」

 

月の香りの狩人は、闇に包まれた廃家の中を見渡しながら言った。

 

「貴様……なぜ……何故ここにいる⁉︎」

 

私は落葉を月の香りの狩人に突き付ける。

しかし、彼女は微動だにせず、余裕の表情を保っていた。

 

「ふっ……また私に刃を向けるか。一度敗れたその身で……実に浅ましいな」

 

「質問に答えろ!!」

 

落葉の先が、僅かに震えてしまう。

普通の人間ならば分からない震えだが、月の香りの狩人には丸分かりだろう。

私の心は、目の前の人物への疑問と恐怖で溢れていた。

分からない。理解が出来ない。

何故月の香りの狩人が、私の目の前にいるのだ─────。

 

「マ、マリアさん、この人は誰なんです⁉︎」

 

セシリアが震えながら、私の側で問う。

月の香りの狩人から漂う空気に酷く怯えているようだった。

無理もない。

彼女からは、(おぞま)しいほどの血の匂いがするからだ。

 

「下がるんだセシリア。君の手に負える相手ではない」

 

「ですが……!」

 

「君は今ISを持っていないだろう。私の後ろに隠れているんだ」

 

不運にも、私たちのISは研究所に預けたままだ。幸い、手元に落葉はあるが、私の今の服装も狩装束ではない。速さには自信があるが、一度でも攻撃をくらえば、かすり傷では済まないだろう。

 

「まぁ待て。何も私は争いにきた訳ではない」

 

「なんだと……?」

 

「一つ、君に聞きたいことがあってな」

 

月の香りの狩人が、私の目を見る。

瞳の奥を(まさぐ)られるような感覚に、私は酷い不快感を覚えた。

 

そして一息置き、月の香りの狩人が口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「─────()()()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人形……?」

 

全く予想もしなかった意味の分からない話に、私の思考は一瞬停止した。

 

「此処に来ているはずだ。隠しているのか?」

 

「一体何の話だ?」

 

月の香りの狩人が、じっと私の瞳の奥を見る。負けじと睨み返すが、あまりの不快感に目を逸らしたくてたまらない。

暫くの間沈黙が続いた後、月の香りの狩人は目を逸らし、鼻でフンと嗤った。

 

「無駄足だったか……」

 

「だから、何のことだと聞いている!」

 

「愚かなことだな。その様子だと、自分の犯した()も忘れているらしい」

 

「貴様……!」

 

一方的になじる態度に腹が立った私は、落葉を月の香りの狩人の顔に目掛け突き刺す。

 

「なに……⁉︎」

 

しかし落葉は月の香りの狩人の鼻先で止まってしまった。彼女がその指で落葉の先端を掴んだからだ。どれだけ力を込めても、落葉はまるで石になったかのように動かない。

 

「ハッ、その目は何だ?何故私に刃を向ける?自分のやったことを突かれて腹が立ったか?私の口を裂き、過去に蓋を被せて目を背けるか?」

 

「くっ……」

 

「君の囚われていた悪夢では、実に面白いものを見させてもらったよ。実験棟の罹患者たち、そして時計塔の向こう側……。道理で隠したくなるわけだ」

 

冷や汗が、止まらなかった。

心臓はどんどん速く脈打ち、口はからからに乾いていく。

罪。悪夢。実験棟。

聞けば聞くほど、私は耳を塞ぎたくなる気持ちに駆られた。

 

「黙れ……」

 

「何を今更恐れている?いつの世も、秘密とは必ず暴かれる……それは君が一番よく分かっているはずだ。()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「黙れ!!!」

 

「マリアさん!」

 

私は落葉を二刀に分けたと同時に、その内の一刀を持って素早く回転し、月の香りの狩人の喉元へと突き刺した。

しかし、突き刺したはずの彼女はそこには居らず、次の瞬間、気付いたときには既に私は首を絞められていた。

 

「がっ……!」

 

いつの間にか車椅子から立ち上がっていた月の香りの狩人は、右手で私の首を絞め、壁に押し付ける。

床に脚のつかない私は、もがけばもがくほど、呼吸が苦しくなっていく。落葉は暗闇の蔓延した床に落ちてしまい、対抗するのは困難だ。

 

「あ、あなた!マリアさんから離れなさい!」

 

セシリアが、私と月の香りの狩人との間に割って入った。腕を広げ、私を庇うように。

 

「セシリア!下がれ!」

 

「いいえ、下がりません!マリアさんだけ危険な目に晒すわけにはいきませんわ!」

 

「ん?君は……」

 

月の香りの狩人が、セシリアの方に目を向ける。そして彼女の瞳をじっと見た後、不敵な笑みを漏らした。

 

「これは面白い……。あの一族の最後の生き残りに出会えるとはな」

 

「なんですって……?」

 

「私も随分と長くこの世界を見てきていてね……。君の()()にあたる人物に、よく会っていたよ」

 

「あなた、何を訳の分からないことを──────」

 

()()()()()()

 

「「!?」」

 

私の頭の中で、衝撃が稲妻のように走った。

 

『アンナリーゼ』。

 

その人物の姿を、私は今になって思い出す。

それは確か、セシリアと闘った日の夜のこと。

私は眠りの中で、夢を見ていたのだ。

 

城の中。

床にはいくつもの蝋燭の火。

そして、誰のものかも分からない血が辺りに染みついていた。

謁見の間と呼ばれたその場所で、金色の髪をしたその人物は、静かに座っていたのだ。

 

不死の女王・アンナリーゼ─────。

 

顔はもう、思い出せない。思い出したくもない。

人を見下したような、あの不快な態度。

今思えば、セシリアと初めて会った時に感じた不快な感覚は、彼女のことを無意識に思い出していたのかもしれない。セシリアの髪と当時の態度は、まさしく彼女のようだったからだ。

 

私を庇うようにして立っているセシリアを見ると、恐怖からだろうか、肩が震えていた。

 

「何故……あなたがその名前を知っていますの………?」

 

セシリアの呼吸が速くなっていく。

 

「その名前は……オルコット家の人間しか知らないはずですわ!」

 

「オルコット家……そうか、カインハーストは今はオルコットという名になっていたのだったな……()()()()()()

 

「なっ……⁉︎」

 

『アンナリーゼ』、そして『カインハースト』という、オルコット家の人間しか知らないはずの御伽話を月の香りの狩人が知っていたことに、セシリアは驚きと恐怖を隠せない。

得体の知れない恐怖に身を強張らせるセシリアを見て、月の香りの狩人は何かを思いついたような顔をした。そして私を暗闇に投げつけ、セシリアに向き直る。

 

「かはっ……!」

 

月の香りの狩人が、徐々にセシリアと距離を詰める。セシリアは恐怖のあまり、後ずさることすら出来ずにいた。

 

「に、逃げるんだ……セシリア………」

 

強く投げつけられた衝撃で脳震盪を起こした私は、視界の焦点が定まらず、立ち上がれずにいた。

 

「ひっ……」

 

「君にいいものを見せてあげよう」

 

脳震盪のせいで分身にも見える月の香りの狩人が、ゆっくりと左手を上げた。そして人差し指を出し、セシリアの額に触れる。

月の香りの狩人が彼女の額に触れた途端、セシリアの目から光が消えた。

 

「セシリア!離れるんだ!」

 

私は大声を上げるが、セシリアは反応しない。それどころか、彼女の目は何処か宙を見ているように虚ろな様子だ。

 

「目を覚ませ!セシリア!」

 

私は揺れる頭を抑え、なんとか立ち上がろうとする。

そして、叫ぶようにセシリアの名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

「セシリアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 

 

 

闇の中で、私の声が木霊する。

 

すると、セシリアの目に光が戻った。正気に帰ったらしい。

 

私は、彼女が目を覚ましたことに安堵する。

 

しかし彼女が目を覚ました途端、彼女の顔はみるみる蒼白くなり、身体を震え上がらせた。

 

「あ………ああ………」

 

崩れ落ちるように床に膝をつき、セシリアは手で口を覆う。今にも嘔吐しそうな彼女を見て、私は月の香りの狩人を睨む。

 

「貴様ぁああああ!!」

 

月の香りの狩人の背中に飛びかかる。

しかし月の香りの狩人は私以上に速いスピードでそれを避け、再び私の首を掴んだ。

 

「ぐはっ!!」

 

「大人しくしていれば良いものを」

 

「彼女に……くっ……何を、した………?」

 

「大したことではない。私が嘗て見てきた光景を、ほんの少し見せてやっただけだ」

 

「光景だと……?」

 

「ちょうど良い。君にも見せてあげよう」

 

そう言うと、月の香りの狩人は左手を私の額の前に出し、力を込める。

 

「特別だ。彼女よりも()()にしてやる」

 

「は、離せ……」

 

私は腕や足に力を込め離れようともがくが、その抵抗も虚しく、月の香りの狩人は微動だにしない。

そして、まるで獣が肉を抉る時のように指を曲げると、次の瞬間、私の頭に指を突き刺した。

 

「あああああああああ!!!!」

 

あまりの衝撃に、私は我を忘れて悲鳴を上げる。

 

たちまち全身の血管に流れる血が、悍しいほどに震え、喚き始める。

 

脳を裂かれ、抉り取られるような痛みを感じながら、私は意識を手放す感覚に陥っていった──────。

 

 

 

 

 

 

─────────

───────

─────

 

 

 

ここは……?

 

目を開けば、私はいつの間にか木製の台の上で仰向けになっていた。

古びた部屋には誰も居らず、辺りには自分が寝ているのと同じ台がいくつかある。台の横には輸血器具が置かれていた。ここは何処かの診療所だろうか。

私は身体を起こす。起こした時、妙な違和感を感じた。

身体を見ると、服装が自分のものではないことに気付く。異邦の雰囲気を漂わせる、そんな外見だ。

床に足を付けると、木の軋んだ音が部屋に響いた。

私は部屋の外へ出ようと、すぐそこにある扉をゆっくりと開けた。

 

「うっ…!」

 

扉を開けた途端、目の前の視界が突然に変化し始めた。

診療所の壁や天井が水のように滲み、歪み、星のような速さで視界が流れるかと思いきや、次に私がいた場所は誰かの家の前だった。家の中からは男性の咳き込む声が聴こえてくる。病気に罹って弱っている様子だった。

 

『ううっ……ごほっ、ごほっ、ごほっ』

 

『なんで、私だけが……こんな……』

 

まるで明日にも世界が終わってしまうかのような悲壮感が、その声から伝わってくる。

 

「おい……」

 

大丈夫か、と言葉を続け、手を扉にかけようとしたその時。

 

「わっ!」

 

目の前の扉は消え、再び景色は流れ、私はつい(つまず)く。

地面に手を着くと、そこはさっきまでいた場所ではなく、湿った土の手触りがした。

妙な湿り気に、私は(てのひら)を見る。

湿り気の正体は、土に含まれた水気ではなく、灰色の混じった血だった。

顔を上げると、そこは辺り一面に墓石が埋められている場所だった。

墓場の周りは建物で囲まれており光が届かず、空気は既に夜のものだった。

 

ザシュッ、ゴキッ、グチャッ

 

墓場の奥から、肉と骨を切り裂くような音が聴こえてくる。

音の響いてくる方向へ目を向けると、そこには一人の男性がいた。

その男は、右手に持つ斧で既に絶命した獣を何度も何度も切り裂いていた。

幾度となく切り裂かれ、もはや原型をとどめていない獣の身体から流れる血が、辺りの墓石を血の色に染めていく。

息を上げ、やがて男は斧を振り下ろすことを止めた。

 

『どこもかしこも、獣ばかりだ……』

 

男は、ゆっくりと振り向く。

遠くからでも分かる。その姿は、憎しみのためか、獣を狩り過ぎる余り、自らも獣となってしまった哀れなものだった。

人間であることを棄てた人間。

 

『貴様も、どうせそうなるのだろう?』

 

獣の臭いがする息を吐き、男が恐ろしい速さで私に近づき、斧を振りかざす。

私は咄嗟に頭を庇うようにして腕を上げた。

 

キィン!

 

武器を弾いた音がした。

斧はいつまでたっても私の頭に振り下ろされることはなく、私は瞑っていた目を開ける。

すると自分のいた場所は先程の墓場ではなく、何処かの大聖堂の中だった。

灯りは一つも無く、縦長の窓から月光が流れてきている。

目の前には先程の男ではなく、(カラス)の羽を纏い、仮面を被った人物。

私が弾いたのは先程の男の斧ではなく、仮面の人物の武器だったようだ。歪んだ形をした双刀を持ち、素早く、華麗に、しかし狂ったように刃を振る。

その息遣いから、仮面の人物はどうやら女性のようだった。

 

『狩人は皆、狩りに酔う……』

 

『あんたも、何も変わりゃあしない……』

 

その姿は、まるで獲物を狩り、血肉を啄もうとする鴉のように。

狂った刃が月光に照らされ、殺気を際立たせる。

 

『獣はもはや止めどなく!』

 

『狩人はもう、用無しさ!』

 

『あまねく狩人に死を……悪夢の終わりを……』

 

いつの間にか私は窓際に追い詰められる。

足が竦んで動けない私に、鴉が容赦無く刃を私に突き刺す。

 

『お前たち狩人に死を!』

 

窓が割れ、私は外へと追放される。

宙に突き飛ばされた私は、遠く離れた地面へと一気に落とされていく。先程までいた大聖堂は、もう遠くの彼方へと小さくなっていった。

まるで永遠に落ち続けていくかのような感覚だった。

目の前が、どんどんと暗くなっていく。闇に包まれていく。

しかしそんな中でも、あの月は闇の中で何処までもついてきていた。

 

暫くして、私の視界に新しい景色が映り始めた。

先程の大聖堂よりももっと高く感じる建物の中を、私は落ちていた。

 

「がはっ!!」

 

やがて、建物の地面に背中から落ち、地面を転がり、うつ伏せの状態で止まった。

落ちた衝撃による痛みに耐えながら、私は右に顔を向ける。

そこには、やつしの装束を身に纏う一人の男がいた。両目に包帯を巻いたその男は、表情を変えるでもなく、静かに口を開く。

 

『……あんた、まともな狩人かね?もしかして、迷い込んだのかね?』

 

『ここは狩人の悪夢。血に酔った狩人が、最後に囚われる場所さ』

 

「悪夢……だと?」

 

私の声が聴こえてないのか、男はわたしを無視して淡々と言葉を続ける。

 

『あんたも見たろう?まるで獣のように、彷徨う狩人たちを』

 

『あんなものが行く末だなんて、憐れなものさ……』

 

気付くと、私のそばに一つの墓石があった。

墓石には一本の白い花が置かれていた。

私はその墓石に書かれている文字を見て、目を見開く。

 

「これは……⁉︎」

 

『あんた、分かるかい?何故狩人が、この悪夢に囚われるのか』

 

その墓石に刻まれていたのは、私の名前だった。

誰が作ったのかは分からない。だが、紛れもなくそれは、私の墓だった。

 

『この悪夢は、狩人の業に芽生えているのさ』

 

『……そして、その業を必死に隠す者もいる』

 

『憐れな、そして傲慢な話さ……』

 

私はゆっくりと立ち上がる。

気付くとそこには、はるか高い天井へと続く螺旋階段があり、辺りには「研究室」や「患者寝室」と示された部屋が何階にもわたって規則的に配置されていた。

よく見ると、私の周りには白い布の服を着た人間が何人もいた。皆、私に背を向けている。

私はその内の一人の肩を掴む。すると、その人物はゆっくりと振り返った。

 

「なっ……!」

 

何故気づかなかったのだろう。

その人物の頭部は布で覆われており、ぶよぶよと肥大している。

他の人間たちも同様だった。

 

『誰か………俺の目玉を知らないか………』

 

『聞こえる………水の音が………』

 

『お願いです………マリア様………』

 

血塗れになった人間たちが、私の元へと歩み寄ってくる。

私は恐怖を感じ、後退りをする。

 

「だ、誰か………」

 

『……マリア様?それとも、別のお方?』

 

「⁉︎」

 

懐かしい声が後ろから聞こえ、私は振り向く。

そこには、静かに椅子に座る女性がいた。その女性も、頭部は肥大してしまっていた。

 

「き、()()……!」

 

『ねえ、あなた、お願いを聞いてもらえないかしら?』

 

「な、なんだ?何でも言ってくれ!君の頼みなら何でも─────」

 

『脳液が欲しいの。暗く蕩けた脳液が……』

 

「え……」

 

すると、突然私の後ろで何かが潰れる音がした。

見ると、患者の一人の頭部が潰れ、倒れていた。

その頭部からはゆっくりと、薄暗いアメーバ状の液体が地面に滴り、そして彼女の元へと吸い込まれる。

 

『ああ……すごく、おいしい』

 

「やめろ……」

 

『ああ、あなた、聞こえますか?』

 

「やめてくれ……」

 

『不思議ですね。深い深い、海の底でも、水は滴るものでしょうか?』

 

『ウフフッ……』

 

その姿に私は耐えられなくなり、彼女から目を背ける。気付けば、私の周りいた患者たちは全員地面に倒れていた。

 

『……ああ、あんた。どうだい、酷いものだろう』

 

『血を恵み、獣を祓う医療教会の、これが実態というわけだ』

 

『……だが、こんなものは、秘密ではない』

 

男の姿はもうそこには無い。

だが、声だけが建物の中で響いていた。

すると、再び視界が歪み、また別の景色が映る。

目の前には、血のように赤い髪と目を持った、月の香りが漂う狩人。

そして、椅子に静かに座る私の死体があった。

気付けばそこは、時計塔の中だった。

 

『あんた悪夢に、悪夢の秘密に興味があるんだろう?』

 

月の香りの狩人が、ゆっくりと私の死体へ近づく。

 

『だったらひとつ、忠告だ』

 

そして、私の死体へと手を伸ばした。

 

『……時計塔のマリアを殺したまえ』

 

『その先にこそ、秘密が隠されている……』

 

突然、私の死体が動き、月の香りの狩人の腕を掴む。

そして、私の死体は静かに口を開いた。

 

『死体漁りとは、感心しないな……』

 

 

 

─────

───────

─────────

 

 

 

 

 

 

「かはっ……!」

 

唐突に、意識が戻る。

酷い頭痛がする。

気付けば私は、地面に倒れていた。

そうだ、私は月の香りの狩人に脳を裂かれ……。

しかし自分の頭を触ってみると、傷は何処にもなかった。痛みだけが、頭の中で這いずり回る。

向こうの方で、セシリアは未だ口を抑えて苦しそうにしている。

頭を上げると、目の前には月の香りの狩人がいた。

 

「思い出したか?」

 

「い、今のは一体────」

 

「まだ分からないか?私が嘗て見てきた、君たち古狩人が産み出した()()()()だ」

 

月の香りの狩人は、血のように赤い瞳で私を見て、嘲笑う。

 

「君たちがしてきた罪によって、後世のヤーナムの人間が大いに苦しめられたことがよく分かったはずだ」

 

「………」

 

「だが、そのお陰で、今の私が()()()()()を見れているのも事実だ」

 

「……なんだと?」

 

月の香りの狩人は、腰のポケットから小さな短刀を取り出す。

そして、私の身体を踏みにじった。

 

「ぐっ……!」

 

「その点については感謝しているが、気が変わった。争うつもりはなかったが、()()()()()()()()()()()()。此処で死ね」

 

「やめろ……!」

 

抵抗しようにも、頭の痛みで力が出ず、月の香りの狩人の足を退かせることが出来ない。

彼女の短刀が、私の首元へと近づいてくる。

闇の中でも、その短刀は妖しい光を反射させていた。それほど鋭さがあることが分かる。

 

(……最早、ここまでか………)

 

もう逃れられないと、諦めかけたその時─────。

 

「ハァアアアア!!!」

 

「⁉︎」

 

突然セシリアが走り出した。

彼女の右手には、私の落葉が握られていた。

そしてセシリアは目の前にあった、床に立つ灯りに一直線に振りかざす。

闇の中で光っていた灯りは真っ二つにされ、光を失う。

 

「……ほう。やるじゃないか」

 

月の香りの狩人はそう言うと、私の身体から足を離し、短刀をポケットの中に仕舞い込んだ。

セシリアは荒い呼吸で、額に汗を浮かばせながらも、落葉を月の香りの狩人に向けて構えている。

私は床に手をついて、ゆっくりと上半身を上げた。

月の香りの狩人は最早武器を持つ素振りは見せず、車椅子に再び座る。

そして、私の方を見た。

気付けば、月の香りの狩人の身体は、充満していた暗闇とともに消えつつあった。

 

「まぁ良い。一度ここに来ることが出来たから、次は容易に干渉出来るだろう」

 

ところで、と月の香りの狩人は付け加えた。

 

「『()()()()』という話を知ってるか?」

 

「……なんだと?」

 

全く予想もしなかった話に、私は問い返す。

 

「数十年前、ある哲学者によって提唱された、一つの仮説だ。私たちの見ている世界は、所詮幻覚に過ぎないといった考え方だ」

 

「………何が言いたい?」

 

月の香りの狩人の下半身は、既に消えていた。

 

「─────君にとっての()()()()は何だ?」

 

意味の分からない話に、私は言葉が見つからない。

月の香りの狩人の上半身は既に半分が消えていた。もう十秒もしない内に彼女はここから消え去っていくだろう。

 

「一ヶ月後、日本で()()が起こる」

 

月の香りの狩人の顔が、闇とともに消える。

 

「また、会えることを楽しみにしているよ─────」

 

フフフ、フフフフフフッ。

 

月の香りの狩人の声が、部屋に響いて、消える。

廃家の中に充満していた闇はすっかり晴れ、雨の音が聴こえてきた。先程よりも随分と強い雨になっている。雷もゴロゴロと鳴り響いていた。

 

「セシリア、大丈夫か?」

 

セシリアは暫く落葉を構えたままだったが、私の声に気づき、私を見る。

セシリアが私を見た途端、彼女の顔から一気に緊張が抜け、彼女は崩れ落ちるように倒れた。

 

「セシリア⁉︎しっかりしろ!」

 

倒れる寸前で、彼女の身体を支える。

気を失っているが、命に別状は無さそうだった。外傷も見当たらない。

 

「すまない……セシリア………」

 

私はセシリアを抱え、落葉を回収し、チェルシーの元へ向かう。

 

 

 

扉に手をかける時、一度だけ部屋を見渡した。

私の記憶に微かに残っている、この光景。

奴はこの場所を『工房』と言っていた。そして私がこの場所を見つけた時も、頭の中で『工房』という言葉がよぎっていたのだ。

 

『工房』とは、一体………。

 

しかし思い出せることはなく、私は背を向け、廃家を後にする。

 

 

 

『君にとっての水槽の脳は何だ?』

 

 

 

雨の森を駆けていく中、月の香りの狩人が言い放った言葉が、私の頭の中で何度も繰り返されていた。

 

 




『血の女王アンナリーゼ』

閉鎖的なカインハーストの城の中、不死の女王は静かに座し続けていた。
彼女の生命を永遠にしていたのは、その身に流れる穢れた血。
不死の女王の仮面の下を目にした者はごく僅かと言われている。

しかしある時、女王は忽然と姿を消す。
所詮不死など、瞞しに過ぎなかったのだ。

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