ISも新巻が近々発売とのこと。
めでたい。
夜。
オルコット家の屋敷では夕食の時間となっていた。
セシリアは実家での久々の食事を楽しんでおり、一方マリアは見たこともないような豪勢な料理に目を丸くしていた。
チェルシーも話の輪に入り、楽しい時間が過ぎていった。
就寝前、マリアは与えられた個室の中で寝る準備を済ませ、開けた窓から何となく外を眺めていた。
ロンドンの街並みを飾っていた喧騒は無く、
また日本の夜景とは違い、周囲には街灯も少ないため、星空が美しい。そんな景色を、マリアは静かに眺めていた。
今日、あの場所で目の当たりにした時計塔の姿が、頭から離れない。
血のように赤い髪と目をした、月の香りの狩人。
あの場所で私を殺した彼女は、ずっと
そもそも、何故私はあの時計塔に囚われていたのだろう。
そうだ。確か私はあそこで、時計塔の向こう側へと繋がる道を阻んでいた。
それは、一体何の為に?
月の香りの狩人が知りたかったのは、時計塔の向こう側に隠された
私は、何を隠していたのだろうか─────。
思い出そうとしても、断片的な記憶はまるで水のように手から零れ落ちていくようで……。
コンコンコン
扉をノックする音がした。
「誰だ?」
「チェルシーでございます、マリアさん。入ってもよろしいですか?」
「……ああ」
マリアは自分の記憶についての思慮を止め、チェルシーを招き入れる。
チェルシーは扉をゆっくりと開け、中へと入る。そして、窓辺に座るマリアの元へと来た。
彼女の手には、数枚の写真があった。
「頼まれていたお嬢様とマリアさんの写真を届けに参りました」
朗らかな顔で、チェルシーはマリアに写真を差し出す。
そこには、機内で撮ったマリアとセシリアの姿があった。
屋敷に着いた時、セシリアがチェルシーに写真の現像を頼んでいたのを見たマリアは、セシリアが去った後に、セシリアが拗ねた時の写真を余分に現像してもらえるようチェルシーに頼んだのだ。
「ふふふ、可愛いですね、この写真のお嬢様は」
「ああ、私もそう思う」
「ですが、何故余分に現像を頼まれたのでしょうか?」
「一夏に渡そうと思ってな。彼女には内緒だぞ」
「なるほど。織斑様もさぞかしお喜びになるかと思います」
納得した顔で優しく笑うチェルシー。
テーブルに置かれた写真を眺めていると、マリアはある写真に気付いた。
「こんな写真も撮られていたのか」
「ふふふ、撮っている時のお嬢様の楽しそうな姿が目に浮かびます」
それはセシリアがマリアの寝顔と共に撮った写真だった。
寝ている間に撮られていたことを知らなかったマリアは、写真を見て笑った。
すると、写真を見ていたチェルシーが突然マリアに頭を下げた。
「マリアさん……お嬢様と仲良くしていただき、本当にありがとうございます」
何か礼を言われることだろうかと、マリアは驚いた。
「何も感謝されることじゃない。どうしたんだ?」
マリアは取り敢えず椅子に座るようチェルシーに促す。
チェルシーは礼をして、マリアの前にゆっくりと座った。深い呼吸をした後、彼女は話し始める。
「お嬢様は……数年前に、ご両親を亡くされました」
「……ああ」
「私も、ご主人様たちのことをよく覚えています。お嬢様だけでなく、私たち使用人に対しても、本当に親切に面倒を見てくださった方々でした」
「君を見てると、それがよく伝わってくるよ。主人が立派な人間だと、使用人も立派になるものだ」
「お褒めに預かり光栄です。……お嬢様はお母様を尊敬なさっていました。ただ、お父様とは仲がよろしくありませんでした。女尊男卑となってしまったこの世界で、お母様に常に頭を下げていたお父様に対し、尊敬の念を持っていなかったのでしょう」
「そうか……」
「そんな中、悲劇は起きてしまいました。イギリスを大きく騒がせた、越境鉄道の横転事故です」
チェルシーの顔に、陰りが差す。
「不幸にも、お嬢様のご両親とも、その列車に乗り合わせていました。死傷者がおよそ100人を超えた中、お父様とお母様は見つからず行方不明とされ、調査は敢え無く断念されました。ただ、警察の関係者によると、あの事故で生き残ることはほぼ不可能だと………」
「………」
「遺体も確認されないまま、葬儀は行われました。私はずっとお嬢様の側に寄り添っていましたが、お嬢様は誰にも涙を見せませんでした。幼馴染として育ってきた私にもです」
チェルシーの手に、力が込められる。
「……そして、お嬢様はご両親からの遺産を守るために、無我夢中で勉学に励みました。更にお嬢様にIS適性があることが分かり、お嬢様は血の滲むような努力を積み重ねていました。私もそれを影ながら応援していました、が─────」
チェルシーは悔しそうな顔を見せ、話を続ける。
「お嬢様の周囲に対する目つきは、深刻な程に冷たいものとなってしまったのです。女性に媚びる男性、そして女尊男卑の世界に胡座をかく女性………今の世の中、決して全ての人がそうではないと、マリアさんもご承知かと存じます。ただ、オルコット家の遺産を狙おうとする人々の存在は、そういった偏見をますますお嬢様の心に根付かせてしまうものとなってしまいました」
マリアは、初めてセシリアに会った時を思い出していた。
あの教室で、彼女は一夏に鋭い、軽蔑の眼差しを向けていた。そしてその碧眼から放たれる冷たい眼差しは、突然入学することになったマリア自身にも……。
「ご主人様たちが他界されたことで、お嬢様は周囲に冷たい目を向けてしまうようになってしまったのだと、私は気に病んでいました。ですが、違いました。あの時、私がもっとしっかりとお嬢様を支えていれば、お嬢様の心は冷たくならなかったのではないかと、今でも後悔しています……」
「────私が言えた立場ではないが……、君は精一杯セシリアを支えたと思う」
そう言うと、彼女は悲しそうな笑みを少しだけ見せた。
「お気遣いありがとうございます。……とうとうお嬢様は誰にも心を開かないまま、IS学園に行くために日本へと出国されました。空港でのお嬢様の悲しい背中は、今でも忘れられません」
「………辛かったな」
「─────ですが、お嬢様は貴女に出会うことが出来ました。そして、織斑様にも……」
チェルシーの表情が、すっと柔らかくなった。それに合わせて、月の光も明るくなった気がした。
「画面越しに話すお嬢様の声は、明るく優しいものへと変わっていました。そして、私に学園での出来事をたくさん話してくださいました。『強い意志を持った女性に出会った。魅力的な男性に出会った』と……」
「そうか……」
「マリアさんたちがお嬢様と真剣に向かい合っていただいたからこそ、今のお嬢様が在ると私は思います。本当に……ありがとうございます」
チェルシーは深々と頭を下げた。
マリアは暫く沈黙した後、口を開く。
「チェルシー」
チェルシーが顔を上げ、マリアを見る。
「セシリアの心が冷たくなってしまったのは、君のせいではないよ」
「ですが……」
「それは……きっと彼女の心が弱かったせいだ。彼女自身もそれは分かっていたと思う。君が自分を責めるのは違うんじゃないか?」
チェルシーは俯き、写真の上を滑るように視線を彷徨わせる。やはり自分を責めてしまっているようだ。
マリアは微笑を顔に浮かべ、チェルシーに優しく声をかける。
「ここにくるまで、セシリアは君のことをよく私に話してくれたよ」
「私の……ことですか……」
チェルシーは目を丸くした。
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『私には、ずっと目標にしている人がいます』
『どんな人だ?』
『チェルシーという、私のメイドですわ。幼い頃から、ずっと仲良くしてくれている方です。彼女は、いつも私の側にいてくれました』
『良い人物に恵まれたな』
『ええ……ですが、私は彼女に謝らなければなりません』
『どうして?』
『─────両親を失った時、チェルシーは私の側で、ずっと支えてくれていました。ですが私は遺産を守ることに必死で、誰かに心を許すことをひどく恐れていたのです。少しでも隙を見せれば、つけ込まれるのではないかと……』
『……それで彼女にも心を開かなかった?』
『はい……。私の心を支えようとしてくださった彼女を避けていたことを、とても後悔しています……』
『それなら、彼女と会ったときに、しっかりと話をしないといけないな。応援するよ』
『ありがとうございます、マリアさん……』
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「お嬢様が……そのようなことを……」
マリアの話を聞いていたチェルシーは、目に涙を浮かべていた。しかしそれは悲しい感情ではなく、嬉しさからくる涙であることをマリアも分かっていた。
「二人とも立派じゃないか。互いに向き合おうとしているのだから……。後は面と向かって話すことだけだろう?」
マリアは笑ってチェルシーを励ます。
チェルシーも笑って頷き、席を立った。
「申し訳ございません、マリアさん。これからしなければならない事ができましたので、今日は失礼します」
涙を拭ったチェルシーはマリアに礼をして、部屋を出ようとする。
「ああ、行っておいで」
マリアも扉を開け、セシリアの部屋へ向かう彼女を見送った。
扉を閉め、ベッドへと入る。
机上に散りばめられた、自分とセシリアの写真。
私は目を瞑り、眠りの世界へと入っていく。
毛布を被る直前、ほんの少しだけ、視界の端に写真が映った。
写真の中の私の顔が白くぼやけていたのは、月明かりのせいだろうか。