僕は、声の人が同じだからという理由でこんな話を書いたのではありません。たとえ声の人が同じであってもなくても、僕はこういう話を書くつもりでした。それは、それぞれの人物に、しっかりとした背景があるからです(それは作品内で後々明かされていきますが)。
いわゆる「メタ展開」という言葉がありますが、個人的にはあまり好きではありません。
なので、この作品上では声優さんが内容に影響を及ぼすことは一切ありません。
このような言い方をすると、気を悪くされる方も出てしまうことを覚悟の上で、以上のことを言わせていただきました。
皆さんに誤解だけはしていただきたくなかったので。
大変失礼しました。
音もなく、真っ白な空間。
目の前には、こちらに背を向けている女性がいる。
いつも夢で会う彼女。
そして私は、「ああ、またこの夢か」と、なんとなしに思う。
腰まで伸びた彼女の白い髪は、この真っ白な空間の中でも一際美しく映えている。
私よりも一回り小さい彼女。
その小さな背中を、今すぐにでも抱き締めてやりたかった。
彼女がこちらを見た気がした。
目の辺りははっきりと見えないが、こちらを見て少し微笑んだ。
私は彼女の名を呼ぶ。
「──────!!」
彼女の名前。
名前を呼んでいるはずなのに、何という名前かが分からない。自分の声が、聞こえない。
彼女が、音の無い私の声を聞いて微笑み、また背中を向ける。
向こうへと歩き出した彼女。
もう離すまいと、私は必死になって追いかける。しかし彼女と私の距離は離れてしまう一方だった。
「待ってくれ!!」
彼女に少しでも届くために、私は手を前に伸ばす。
すると私の指先から手のひらにかけて、緋い血が湖を作っていることに、今になって気付く。
緋に塗れた指先からポタポタと血が滴り落ち、白の空間を穢していく。
手のひらの緋い湖はいつの間にか足元も満たし、その場から白の純潔は消えてしまっていた。
顔を上げると、もう彼女は消えていた。
見るもの全てが緋で、私の全身も緋に染められている。身体と空間の境目は緋に塗れ、このまま自分も血に溺れてしまいそうなほどに。
不意に後ろから、誰かが私の肩を掴む。
気付けば、頭部がぶよぶよと肥大してしまった彼らが私の足を、腕を、肩を、首を締め付ける。
首を絞められ、呼吸が出来ない私は、しかし逃げることも出来ず、その気にもなれなかった。
肺から空気が押し出される。
そのせいで薄れていく意識と、徐々に目の前が暗くなっていく内に、私は血の湖から一人の女性が這い出てくるのを見た。
それはいつも見る、慈愛に満ちた彼女ではなかった。
黒のタイトスカートに、肩や袖や裾に赤いラインが施された黒の正装。頭に被る黒帽子は、素材のしっかりとした、少し固そうな造形をしている。彼女は右目に黒い眼帯を付けていた。
血の湖から這い出てきた彼女は、全身が血と傷に塗れ、誰かから切断されたのだろうか、彼女の右腕はそこに存在していなかった。
そして胸の辺りが、内臓を貫かれたようにぽっかりと穴が開いている。
変色した肌。酷い傷口。
左目の瞳孔は崩れ、蕩けている。
獣のような金切り声を上げ、蹌踉めいた足取りで私に近づく。
────……リア………。
ああ、どうして。
どうして今になって、君は私を呼ぶのだろうか。
私の前にいたときは、何も言ってくれやしなかったじゃないか。
目の前の獣は左腕で私の顔を掴み、飢えた口を大きく開く。
────……マリア………。
彼女の声が聞こえる。
このまま私は食い千切られるのだろう。
夢の中で死ねば、私も目覚めるのだろうか。
私は目を瞑る。
夢も時が経てば、やがては薄れ、曖昧になり、記憶から消える。
獣の歯が、私の顔に食らいつく。
ああ、これが目覚め、すべて忘れてしまうのか………。
◇
「っっ⁉︎」
「マリア⁉︎大丈夫⁉︎」
飛び起きるように目を覚ました私は、激しく拍つ心臓の鼓動を暫く止めることが出来なかった。
私を心配気な目で見るシャルルがいた。
「マリア、大丈夫?
「はぁ……はぁ………ああ、大丈夫だ」
「悪い夢でも見たの……?」
「………そんなところだ」
時計を見ると、ちょうど食堂が開き始めるくらいの時刻だった。
シャルルはもう朝食に行ける準備が出来ているらしい。どうやら私を心配して、ずっと待ってくれていたようだ。
マリアはベッドを降りる。
「すまない、着替えるから、先に朝食を食べててくれ」
「僕、ここで待つよ?」
「……女の着替えを見たいのか?朝から盛んだな」
マリアが冗談めかしにそう言うと、彼は一度疑問の表情を浮かべ、途端に顔を赤くし、「しまった」という顔をした。
「ご、ごめん!そうだよね!あ、あははは!先に行ってるね!」
まるでその場から逃げ出すように彼は駆け足で部屋を出た。
マリアも気にせず、着替えを始める。
今朝の夢は、またいつもと違った。
頭部があのようになってしまった彼らを、私は知っている気がする。彼らを思い出すたびに、彼らが私を呼ぶ声と、私の中の罪の意識が幾度となく脳裏をよぎる。それは、いつも夢の中で会う彼女にも言えることだった。
こんなにも罪悪感を感じるということは、私は過去に何かを、罪を、犯したのかもしれない。
断片的にしか記憶が無い今の私にははっきりとは分からないが、しかしこれは、絶対に思い出さなければならないことだ。
そして、夢の最後で出てきた黒の眼帯の女性。
獣になってしまった彼女の瞳孔は崩れていて、そしてその目を私は以前に見た気がする。
何故、夢とはこんなにも人の記憶を曖昧とさせるのだろう。
夢を見るたびに思い出し、夢を見るたびに混乱する。
思い出さなければならない人物に何度も会わせ、目が覚めればそれを忘れさせる。
それが夢の正体ならば、夢とはなんと残酷なものなのだろうか。
◇
朝のHR。
教壇に立つ真耶は、何処か微妙な表情をしている。生徒たちも、真耶が口を開くのを待っていた。
「えっと……き、今日も皆さんに、新しいお友達を紹介します」
クラス内が、静かにざわつき始める。
「また転入生?」
「この前来たばっかりだよ?」
「どういうこと?」
「皆さん!静かにしてください!まだ紹介が済んでませんよ!」
真耶が生徒たちにそう言うが、皆はそれでも疑問の表情をやめなかった。
真耶が扉の向こうにいるであろう転入生を呼ぶ。
すると扉が開き、一人の少女が入ってきた。
長い銀髪の少女だった。
かなりの小柄で、背は恐らくこのクラスで一番低い。
そして驚くべきことに、彼女の左目には黒い眼帯が付けられ、右目は赤色に染まっていた。
(!!目が緋色に……それに、あの眼帯は………)
マリアは銀髪の少女の目に釘付けになる。
夢の最後に出てきた女性は、獣と成り果ててしまったが為に、目が緋く染まってしまっていた。そして彼女もまた、黒の眼帯を付けていた。
今、目の前にいる銀髪の少女は、顔は違えど目と眼帯に関しては全て共通していた。
しかし、彼女から獣のような気配は感じられない。
「ラウラ、挨拶をしろ」
千冬が銀髪の少女に言った。
ということは、彼女の名前はラウラというらしい。
「はい、教官」
「ここでは私は教官ではない。織斑先生と呼べ」
「……はい」
銀髪の少女は氷のような鋭い目つきをして、クラスを見渡す。
「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」
たった一言だけ、そう冷たく言い放った。
そして、前方の座席に座っている一夏を見つけ、彼の元へと近づく。
パァン!
空気が割れるような音が、教室に響く。
突然、ラウラは一夏の頰を叩いたのだ。その目には、怒りと憎しみの感情が含まれていた。
一夏も、一体何が起こったのかを受け止めきれず、只々混乱しているようだった。
「………私は認めない」
彼女は、小さな、しかしはっきりと聞こえる声で言う。
「私は認めない……!貴様が教官の弟であるなどと、認めるものか!」
ラウラ・ボーデヴィッヒ。
後に彼女と私は、互いにおぞましい悪夢を見ることとなる。
『肥大した頭部』
聖堂の患者、その肥大した頭部。
ぶよぶよとしており、その姿は最早人間とは言えず、異常である。
だが耳をすませば。
湿った音が聞こえる気がする。
しとり、しとり。
水の底からゆっくりと、滴るように。