狩人の夜明け   作:葉影

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第13話 二人目

誰かの声が聞こえる。

 

それは懐かしい声で、彼女の声は私の心をひどく揺さぶる。

 

聞くと嬉しくなる声。しかしそれ以上に私を悲しませ、罪悪感を与える声。

 

彼女は何と言っているのだろうか。

 

暗闇の中で、彼女の姿が見えた気がした。

 

教会を彷彿とさせる、真っ白な礼装。

 

私は彼女を知っている。

 

決して忘れてはいけない人物であることを、私は知っている。

 

だが、何故いつも思い出せないのだろうか。

 

彼女の腰まで伸びた白い髪は、私に親しみを覚えさせる。

 

そうだ、彼女と私は同じような髪をしていて、それは仲良くなったきっかけの一つでもあった。

 

仲良くなった……?

 

そうだ、私と彼女は仲が良かったのだ。

 

それならば何故、私は彼女に対してこんなにも罪悪感を感じるのだろう。

喜びや親しみを一番に感じるのではなく、彼女に対する罪悪感が私の心を深く支配する。

 

罪……罪とは一体何だろうか。

 

私は彼女に何をしたのだろうか。

 

私は彼女の長い髪から、肌が雪のように白く整ったその顔へと焦点を移す。

 

暗闇の中での彼女の顔ははっきりと見えず、しかし目の辺りは包帯が巻かれているのが微かに分かる。

 

彼女の口元は微笑の形を作り、慈愛に満ちたその微笑みに、私は後ろめたさを感じる。

 

何処からか、微かに水が滴り落ちる音が聴こえた。

 

 

 

ピチャリ

 

 

 

ピチャリ

 

 

 

止まらない。止まらない。

 

湿った音が止まらない。

 

 

 

ちょろり

 

 

 

ちょろり

 

 

 

海の声が鳴り止まない。

 

もう聴きたくない。

 

誰かこの音を止めてくれ。

 

 

 

私は伏せていた目を開け、再び彼女の顔へと向ける。

 

いつの間にか彼女の顔は、ぶよぶよと膨れ上がった袋に包まれている。

 

頭部が巨大に肥大してしまった彼女の姿は、最早人間と呼べるものなのか。

 

しかし彼女の姿は変わらず慈愛に満ちていて────────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓の外から、鳥のさえずりが聴こえる。

朝の報せだ。

私はゆっくりと、目を開ける。

いつもと変わらない部屋。

いつもと変わらない朝。

いつもと変わらない一日の始まり。

 

ここ数日、何故か同じ夢を見ていた。

夢に現れた彼女の姿と声は、朝の内は鮮明に覚えていて、夜になると曖昧になる。

そしてまた夢の中で彼女と出会い、同じ朝を迎える。

 

何気なく、使われていないもう一つのベッドを見る。

今私は一人部屋で、ベッドも当然だが一つしか使っていない。

だが今日は、新しく転入生が来るらしい。

そしてその転入生は、私のルームメイトとなるそうだ。

 

顔を洗おうと、私はゆっくりとベッドを降り、洗面所へと向かう。

 

いつもと同じ朝。

 

電気を点け、洗面所に立ち、蛇口を捻る。

 

いつもと同じ習慣。

 

ふと、鏡に映った自分の顔を見る。

自分の目からは涙が零れていた。

これもいつもと同じ出来事だった。

夢の中で彼女と出会った後の朝は、何故かいつも泣いている。

顔を洗って、蛇口を閉める。

 

 

「……なんだ…………?」

 

 

目を拭いたのに、また視界はぼやける。

何度拭いても、涙が止まらない。

 

「何故………私は…………?」

 

涙を拭く度に、理由の分からない悲しさがこみ上げる。

思わずそこに座り、壁にもたれる。

膝を抱え、顔を伏せて、私は泣く。

 

「うっ………ひっく……………」

 

ぐすぐすと子供のように泣く私の声は、壁に小さく反響して、行き場も無いまま消えてゆく。

 

いつもと同じ朝。

 

ただ、今日に限って、涙は止まらなかった。

 

 

 

 

 

 

今朝は結局何も食べず、私は教室へと向かった。

教室に入り、自分の席に座る。

半ば上の空といった表情で私は窓の外を眺めていた。

周りにはちらほらと、友人たちと席を囲んで談笑している様子が見受けられる。

最近のお気に入りの店。

テスト勉強の進度。

他クラスについての噂話。

彼女たちの話す会話もいつもとさして変わらないもので、それは「ああ、今日もか」と私に決まりきった感情を与える。

ただ今朝の涙は、私の中にずっと残っていた。

 

 

「席に着け。ホームルームの時間だ」

 

いつの間にか、始業時刻となったらしい。

千冬と真耶はいつものように教室に入り、教壇に立つ。クラスメイトたちも皆、彼女たちが入ってきたことで静かになった。

 

「今日は皆さんに、嬉しいお知らせがあります!」

 

真耶は言葉を続ける。

 

「新しく来てくれた、転入生を紹介します!」

 

彼女の言葉で、クラス中はざわめき始める。

そうだ、今日は私のルームメイトとなる人物が来る。

同じ部屋で過ごす私が、こんな上の空といった顔をしていては示しがつかない。

私は顔を引き締めて、入ってくるであろう転入生の姿を待った。

 

真耶が教室の外の方へ呼びかけ、扉が開く。

 

 

 

 

その転入生の姿を見て、私は目を見開いた。

 

 

 

 

「シャルル・デュノアです。フランスから来ました。皆さん、よろしくお願いします」

 

 

 

 

首の後ろで束ねた金髪に紫の瞳を持つ、中性的な顔立ちの転入生は、笑顔で挨拶をする。

その声を聴いて、直ぐに感じた。

 

 

 

()()()()

 

 

 

夢に出てきた彼女の声に、そっくりだった。

 

 

 

「お、男……?」

 

誰かが、そう呟いた。

転入生の制服は男性用だが、顔立ちの雰囲気は女性とも見てとれる。

確かに、その中性的な姿からは女性と間違えても無理はない。

すると、シャルルはその問いに答えた。

 

「はい。こちらに僕と同じ境遇の方がいると聞いて、本国より転入を───────」

 

「「「きゃああああああ!!」」」

 

シャルルが男性であると聞いた途端、クラス中は瞬く間に黄色い声援に包まれた。

それを見た千冬は呆れ、すぐに注意をする。

 

「騒ぐな、静かにしろ。今日は二組と合同で、IS実習を行う。各人は直ぐに着替えて、第2グラウンドに集合。いいな」

 

「「「はい!!」」」

 

「では、解散!」

 

ホームルームは終了し、各々授業の準備を始める。

騒がしくなったクラスの中、千冬は私を呼んだ。

 

「マリア、ちょっと来い」

 

そう言われ、私は千冬の元へ行った。

千冬の横には、転入生のシャルルがいる。

 

「部屋のことは知ってるか?」

 

「ああ」

 

「なら話が早い。これから面倒を見てやってくれ」

 

「……分かった」

 

私は彼を見た。

彼は真っ直ぐに私の方へ向き、挨拶をする。

 

「シャルル・デュノアです。シャルルって呼んでね。改めてよろしく、えっと……」

 

「……あ、ああ。私はマリアだ。好きに呼んでくれ」

 

「うん、分かったよマリア。よろしく」

 

私に明るく微笑みかける彼に、戸惑いを隠せない。そんな私の口からはやはり、続きの言葉は出なかった。

 

「………マリア?」

 

「………いや、なんでもない」

 

心配気な表情を浮かべる彼に、私は大丈夫だと伝える。

すると千冬は、近くにいた一夏にも声をかけた。

 

「織斑、同じ男子だ。更衣室まで連れて行ってやってくれ」

 

「はい」

 

「じゃあマリアさん、また後でね」

 

一夏はシャルルを連れて、教室の外へと出て行った。

教室を出るシャルルの背中を見ながら、私は暫くの間呆然としていた。

 

夢の中の彼女。

止まらなかった涙。

面影の残るそっくりな声。

 

赤の他人とは思えない。記憶の片隅に小屋を建て、以前からひっそり住みついていた「()()」のような気がする。

 

 

 

 

 

 

実習のためISスーツに着替えた一組と二組は第2グラウンドで整列していた。一夏とシャルルも列の隅に並んでいる。

 

「よし、全員集まったな」

 

白いジャージに着替えた千冬は全員の前に立ち、授業を始める。

 

「今日はお前たちにISの基本的な歩行操縦を学んでもらう。簡単に聞こえるかもしれないが、操縦を学ぶうえでは重要な技術だ。だがその前に、折角だから今日は戦闘実演をしてもらおう。凰、オルコット」

 

「「は、はい!」」

 

「専用機持ちなら直ぐに始められるだろう。前に出ろ」

 

名前を呼ばれた鈴とセシリアは、渋々といった顔で前に出る。

 

「なんであたしが……」

 

「なんか、こういうのは見世物のようで気がすすみませんわね……」

 

そんな二人に、千冬が近付いて耳打ちする。

 

「お前等少しはやる気を出せ。()()()に良い所を見せられるぞ」

 

そう言われた途端、二人の表情は変わる。

 

「やはりここはイギリス代表候補生、セシリア・オルコットの出番ですわね!」

 

「実力の違いを見せる良い機会よね!専用機持ちの!」

 

急にやる気を出した二人を見て、シャルルは前にいる一夏に小声で質問する。

 

「今先生なんて言ったの?」

 

しかし一夏も聞こえていなかったらしく、

 

「俺が知るかよ……」

 

と答えた。

セシリアと鈴は随分と堂々とした顔つきだったため、一体何を言われたのだろうかと一夏は思った。

 

「それで、お相手は?鈴さんとの勝負でも構いませんが」

 

「ふふん、こっちの台詞。返り討ちよ」

 

「慌てるな馬鹿共。対戦相手は───────」

 

「ど、どいてくださーーーい!!」

 

上空から声がする。

見上げると、空から訓練機を纏った真耶が急降下してきていた。どうやら制御出来ていないらしく、このままだと地面に衝突してしまう。

クラスメイトがその場から逃げる最中、マリアだけは上を見上げたままでいた。

そして助走をつけ、膝を曲げてその場から跳ぶ。

そして両手を伸ばして真耶を抱き、静かに地面に着地する。

 

「怪我は無いか?」

 

「マ、マリアさん⁉︎す、すすすすみません!先生なのにこんなミスを──────」

 

「怪我はあるのか、無いのか」

 

低い声で、真耶に聞く。

いつもの雰囲気と違うマリアに、少し怯えてしまう真耶。

 

「あ、ありません………」

 

「………そうか」

 

そう言うと、マリアは真耶を地面にゆっくりと下ろし、背中を向けて戻って行く。

 

(マリアさん………?)

 

彼女はいつものような優しい表情ではなく、何か考え込んでいるような顔をしていた。

何か悩みでもあるのだろうか、と真耶は思った。

 

 

クラスメイトが再び集まり、千冬が話を始める。

 

「こんなんだが、山田先生は元代表候補だ」

 

「む、昔の話ですよ。結局候補生止まりでしたし……」

 

真耶は謙遜して、千冬に言う。

千冬はセシリアと鈴を見た。

 

「さて小娘ども。さっさと始めるぞ」

 

「え、あの……二対一で?」

 

「いやぁ、さすがにそれは……」

 

「安心しろ。今のお前たちならすぐ負ける」

 

その言葉を聞いた二人は少しムッとした表情をする。

 

「では、始め!」

 

千冬の合図を皮切りに、セシリア、鈴、真耶は上空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

マリアを含めたクラスメイトたちと千冬は、三人が上空で戦っているのを見上げていた。

 

「デュノア、山田先生が使っているISの解説をしてみせろ」

 

「は、はい!」

 

千冬に言われたシャルルは、皆に分かるように声を大きくして説明を始めた。

 

「山田先生のISは、デュノア社製ラファール・リヴァイヴです。第二世代開発最後期の機体ですが、そのスペックは初期第三世代にも劣らないものです」

 

シャルルの説明を聞いていたマリアは、一つ気になることがあった。

 

(『デュノア社』………授業でも習ったが、彼はその家系ということか………?)

 

アリーナ上空では、真耶はアサルトライフルを駆使して二人と戦っている。

 

「現在配備されている量産ISの中では、最後発でありながら、世界第3位のシェアを持ち、装備によって格闘・射撃・防御といった全タイプに切り替えが可能です」

 

世界第3位。

その言葉はデュノア社という存在を確立、周知させるには十分過ぎる意味を持っている。

それならば何故、世界中において名を馳せている企業出身の彼が、何のニュースにも騒がれることなく突然()()()()()()()()()I()S()()()()として転入できたのか。

恐らく楯無も、そこを怪しんでいたのだろう。

 

シャルルの解説も終わり、暫くすると上空で爆発が起こる。

煙の中から現れたのはセシリアと鈴で、二人はアリーナのグラウンドへと落ちていった。

戦闘で勝った真耶も、やがて皆の元へと戻ってきた。

 

「これで、諸君にも教員の実力が理解出来ただろう。以後、敬意を持って接するように」

 

千冬がそういった後、グループに分かれて実習を行うことになった。

各グループのリーダーは専用機持ちがやる。

勿論マリアもその内の一人だった。

千冬の号令で、クラスメイトはバラバラに散っていった。

 

 

 

 

 

 

グループリーダーはそれぞれ、一夏、セシリア、鈴、シャルル、そして私だった。

六人程のクラスメイトたちが私の方へ向かってくる。

その内の三人の私に向ける眼差しは、何処か快くないものだった。話したこともないはずなのに。

彼女たちは私の目を見て、自ずと話し始める。

 

「あの……私たち、ずっと()()()()に憧れていたんです!」

 

彼女たちの言葉を聞いて、私は固まってしまう。

 

 

 

()()()()

 

 

 

その呼び方は私の心を止め処なく荒らし始める。

 

 

「私たち、道場での篠ノ之さんとマリア様の打ち合いを見てたんです。マリア様の神々しい姿が目に焼き付いて……」

 

 

「この機会でマリア様と話せることになって、すごく嬉しいんです!」

 

 

何も答えることが出来ない。

なんとか喉を捻り、拒絶の意を示そうとする。

 

 

「すまないが……その呼び方は止めてくれないか………」

 

 

「いいえ!マリア様はマリア様です!美しいマリア様に敬称を付けない訳にはいきません!」

 

 

「その通りです!さぁ、マリア様。私たちにISについて教えてもらえませんか?」

 

 

「いきなりこんなに話しかけてしまって困惑してしまうかもしれませんが、これから仲良くしてくれると嬉しいです、マリア様!」

 

 

 

 

彼女たちにそう呼ばれる度に、私の心は深く蝕まれていく。そして頭の中で、途切れ途切れにはっきりとしない()()()()が浮かび上がる。

 

 

「マリア様………」

 

 

「マリア様………」

 

 

「マリア様………」

 

 

 

止めてくれ。

出来ることなら、もうこれ以上聞きたくない。

しかし、私の願いも虚しく、いくつもの声が頭の中で流れる。

 

 

『誰か………俺の目玉を知らないか………』

 

 

『……ああ、マリア様……』

 

 

『チュパ、チュパ、チュパ………』

 

 

『痛い……痛い………』

 

 

『ねぇ、マリア様?マリア様?』

 

 

『ちょろり、ちょろり、ちょろり』

 

 

彼らの声と、湿った音が鳴り響く。

 

 

夢で聴いた海の声。

 

 

『ねえ………ねえ………』

 

 

『聞こえる………水の音が………』

 

 

『お願いです………マリア様………』

 

 

『ウッウッウッウッ………』

 

 

『殺してくれ……殺してくれ……』

 

 

やめてくれ。

 

 

もう、眠ってくれ。

 

 

全て私が悪いのだから───────。

 

 

「マリア様?どうしたんですか?」

 

 

『こんなところは、もう嫌だ………』

 

 

「マリア様?体調が悪いんですか?」

 

 

『懺悔します……もうしません……もう二度と、しませんから………』

 

 

「マリア様?」

 

 

ねぇ、マリア様?マリア様?

 

 

恐ろしいのです……この湿った暗闇が……

 

 

お願いします……手を握っていてください……

 

 

ああ、マリア様………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリア様マリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさまマリアさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさままりあさま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黙れ!!!!!」

 

自分の声で、我に帰る。

目の前の彼女たちは怯えた目で、気付けばクラスメイト全員が私を驚きの目で見ていた。

私は、何を聞いていたのだろう。

思えば、何もこんなに大声で怒鳴るようなことではないではないか。

彼女たちの私への呼び方を、ただ注意すればよかっただけじゃないか。

辺りは静寂となり、皆が私の方を見ている。

私もどうすればよいか分からず、ただ視線を彷徨わせていると───────。

 

「何を騒いでる、馬鹿共」

 

ポンッと、私の頭に出席簿が下りる。

こちらに来た千冬が、私の顔を見て、落ち着いた声で尋ねる。

 

「何があった?」

 

「……いや、何でもない………」

 

「……続けられるか?」

 

「……ああ、すまない」

 

「そうか……ならいい」

 

千冬は背を向け、元の場所へ戻っていき、クラスの皆に実習を再開させるよう号令をかける。辺りはまたざわつき始めていった。

 

「すまない……大声を出してしまって………」

 

私は目の前にいる彼女たちに謝罪をする。

 

「い、いえ……」

 

「私たちも、一方的に言っちゃったから……」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

そう言う彼女たちの声には、何処かよそよそしく、怯えたような震えを感じた。

私もそれ以上何も言わず、グループとして実習を始める。

この日以来、私が『マリア様』と呼ばれることは無くなった。

 

 

 

 

 

 

時は経ち、授業終了のチャイムが鳴る。

生徒たちは皆、千冬の前に整列していた。

 

「今日の実習でやったことを何度も復習しておくように。いいな」

 

「「「はい!」」」

 

「よし。では、解散!」

 

解散の号令が出され、皆雑談しながらその場を離れていく。

先程のことを心配に思った一夏は、マリアの方へと近づく。彼女はまだ、その場に立ったままだった。

 

「マリア、大丈夫か?」

 

マリアはゆっくりと、一夏の方を見る。

 

「ああ……すまない」

 

「ならいいけど……らしくないぜ?体調悪いなら、保健室にでも………」

 

マリアは一夏から顔を逸らし、背を向ける。

 

「らしくない、か………」

 

小さな声でそう呟いた彼女は、そのまま歩き出した。

 

「あ、マリ────」

 

「一夏さん」

 

一夏を呼ぶ声とともに、肩に手を置かれた。一夏を呼んだ人物はセシリアだった。

セシリアは一夏の横に立ち、マリアを見る。その目はマリアを心から心配している目だった。

 

「マリアさんは……時々、遠い目をします。私たちと楽しく話していても、一人になると、時折暗い顔を見せるんです」

 

一夏は何も言わず、セシリアの言葉に耳を傾ける。

 

「私も、マリアさんに支えてもらったことがあります。だから、マリアさんが何かに悩んでいるのであれば、次は私たちが支えてあげましょう?」

 

「………そうだな」

 

一夏とセシリアは、遠くなっていくマリアを見ていた。

 

 

暫くすると、その場に残っていたのは一夏とセシリアの二人だけだった。

セシリアはわざとらしく咳払いをし、一夏の方を見る。

 

「と、時に一夏さん」

 

「ん?」

 

「今日のお昼は、空いていらっしゃいますか?」

 

「昼か?ああ、空いてるぜ」

 

「そ、それでしたら……」

 

セシリアは頰を赤く染めて、もじもじとする。

そして深く息を吸って、口を開いた。

 

「ら、ランチをご一緒しませんこと?」

 

「えっ……」

 

そう言われて、一夏の心臓の鼓動が速くなる。

よくよく考えてみれば、今この場には二人きり。

理由は分からないけれど、何故かセシリアといるとやたらと意識してしまう。

そんなセシリアに、昼食を一緒に食べるお誘いをされたのだ。

顔を真っ赤にして答えを待つセシリアを見て、一夏も自然と顔を赤くする。

 

「お、おう!いいぜ!」

 

一夏がそう答えると、セシリアはとびきりの笑顔になった。

 

「本当ですの⁉︎嬉しいですわ!」

 

セシリアは一夏の腕に抱きつく。

そして一夏の顔を見上げた。

 

「出口まで一緒に行きましょう、一夏さん♪」

 

腕を一緒に組みながら、一夏とセシリアは歩き始める。

物凄く恥ずかしいが、結構ラッキーだと思っている一夏の胸中には、甘い味が広がっていった。

 

 

 

 

 

 

昼休み。

何も昼食を持っていないマリアは、今日は食堂で食べる気にもならず、購買で軽食でも買おうかと決めた。

時間も経ち、気分的にも今は大分落ち着いていた。周りもよく見える。

会話が飛び交うクラスを見渡していると、シャルル一人はまだ席に座っていた。昼食を持っているようにも見えない。

マリアはシャルルの方へ向かう。

 

「シャルル」

 

「あ、マリアさん。体調は大丈夫?」

 

「ああ、心配かけてすまない。それより、昼食は?」

 

「えっと……その、無くて……」

 

まだ転入して来たばかりで、食堂や購買の場所なども分からないのだろう。

 

「ならちょうどいい。一緒に昼食でも買いに行こう。そのついでに校舎も案内するぞ」

 

「本当⁉︎ありがとう」

 

シャルルが席を立ち、マリアとともに教室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

購買でパンを買った二人は、屋上へと向かっていった。一度屋上から学園を眺めてみたいというシャルルの希望だった。

階段を上がり、屋上へと続くドアを開ける。

雲一つない晴天に、屋上に広がる人口芝生。

全てとまではいかないが、校舎周辺を一望出来る屋上には、ちらほらと昼食を楽しむ先客が見える。

 

「ん?」

 

「あ、一夏とセシリアさんだ」

 

よく見ると、屋上で昼食を楽しんでる生徒たちの中に一夏とセシリアがいた。どうやら二人で良い雰囲気を出している。

すると、向こうもこちらに気付いたようだ。

 

「あ、おーい!マリアー!シャルルー!」

 

「お、お二人とも、ぐ、ぐぐ偶然ですわね」

 

遠くから見てもすぐ分かるくらいにセシリアの顔は真っ赤だった。

その感じを察したシャルルは、マリアに小声で話す。

 

「なんか……邪魔しちゃったかな?」

 

「……二人がいるとは、知らなかったな」

 

二人を残して帰るべきか迷っていると、また向こうから呼びかけられた。

 

「マリアさん、シャルルさん、一緒にランチをいただきましょう?」

 

「そうだぞー!早く来いよー!」

 

一夏は手を振ってこっちに呼びかける。

 

「まぁ、シャルルもこの学園に来たばかりだ。ここは皆で仲を深めよう」

 

「うん、そうだね。ありがとう……マリアって、優しいね」

 

シャルルは笑顔でマリアに礼を言う。

マリアたちは一夏とセシリアの元へと行き、腰を下ろした。

どうやら一夏は昼食を持っていないようだ。

 

「一夏、今日は食べないの?」

 

シャルルが一夏に尋ねる。

 

「いや、実はセシリアがランチを持ってきてくれたらしいんだ」

 

「「へぇ……」」

 

マリアとシャルルはニヤニヤとした顔でセシリアを見る。

それに気付いたセシリアは、また顔を赤くした。

 

「な、なんですのその顔は⁉︎」

 

「一夏のためにお弁当か〜。仲睦まじいね〜」

 

「ふっ……やるな、セシリア」

 

「な、ななな、何がですの⁉︎」

 

あたふたとするセシリアは、話題を変えようとして自分の持ってきたバスケットを開ける。

そこには、一口サイズに切り分けられたサンドイッチが綺麗に並んでいた。

一夏はその美味しそうなサンドイッチに釘付けになった。

 

「おお!サンドイッチか!」

 

「ええ。どうぞ召し上がれ♪」

 

「サンキュー!セシリア!」

 

「よければマリアさんとシャルルさんもどうぞ」

 

「そうか?すまないな」

 

「ありがとう、セシリアさん」

 

一夏と共に、マリアとシャルルもバスケットのサンドイッチを手に取る。美味しそうなうえに一口サイズのため、ついついたくさん食べてしまいそうだ。

 

「じゃ、いっただっきまーす!」

 

一夏がサンドイッチを頬張った。

セシリアも一夏の食べてる様子を見てニコニコとしている。

マリアとシャルルもサンドイッチを口に運んだ。

 

(………⁉︎)

 

マリアは自分の口の中の異変に気付く。

何故サンドイッチで舌がヒリヒリとするのか。そもそもサンドイッチとはこういう味だっただろうか。

セシリアの作ったサンドイッチは、マリアの知っている味とは随分かけ離れていた。

これがイギリスと日本の距離か。いや、多分違う。何を言ってるんだ私は。

マリアは表情を崩さないようにして、一夏の方を見る。

一夏の顔はいつの間にか青くなっており、冷や汗が見える。

一方シャルルを見ると、彼も青くなった顔で「こ、個性的な味だね〜……」と作り笑いをしていた。

 

「一夏さん、いかがですか?」

 

「あ、ああ……美味しいよ、セシリア………」

 

セシリアの手前、不味いなどとは言えない何とも可哀想な一夏であった。

恐らく、時々こうやってセシリアは一夏のために昼食を作ってくるだろう。

マリアの頭に、腹痛で午後の授業を受ける一夏の姿が浮かぶ。

 

「マリアさん、お味はいかがですか?」

 

マリアは、一夏に助け舟を出すことにした。

セシリアの隣に座り、小声で話す。

 

「セシリア、今度私と料理を勉強しよう」

 

「え?よろしいですが……どうしたんですの?」

 

「セシリアは、一夏を落としたくはないか?」

 

「え、ええ⁉︎」

 

マリアはニヤニヤした顔でセシリアに言う。

一夏とシャルルにはこっちの会話は聞こえていないため、二人ともマリアたちを見て首を傾げている。

 

「サンドイッチもよかったが……日本料理を学べば、きっと一夏も喜ぶと思うぞ」

 

「日本料理ですか……作ったことが無いので自信はありませんわ………」

 

「そうか、なら私が一夏の胃袋を掴もう」

 

「や、やりますわ!ええ、やりますとも!」

 

一夏を取られると思ったセシリアは途端に焦り出した。

それを見たマリアも微笑む。

 

「ふふっ、そうムキになるな。誰も一夏を取ったりしない」

 

「も、もう!マリアさんは意地悪ですわ!」

 

「なぁ、二人で何を話してるんだ?」

 

「ん?そうだな……とりあえず一夏には、今度デザートでもご馳走してもらうか」

 

「え、何でだよ?まぁいいけど……」

 

「ふふふ」

 

まぁ、助け舟を出した褒美としてデザートを貰うのも悪くはないだろう。

その後もマリアたちは、屋上での談笑の時間を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

夜。

マリアとシャルルは部屋で互いに休息の時間を過ごしていた。椅子に座り、紅茶を飲んでいる。

 

「でも、驚いたよ。まさか僕がマリアと同じ部屋になるなんて」

 

「ふふっ、私とは嫌か?」

 

「そ、そんなことないよ!寧ろ、マリアは嫌じゃないの?その……男だし」

 

「随分と可愛い男の子だからな。悪くない生活だよ」

 

マリアは冗談めかしてそう答える。

彼女にそう言われたシャルルが一瞬だけ暗い顔を見せたのを、彼女は見逃さなかった。

しかし、敢えてそれには触れないようにする。

 

「─────君を信じているからだよ。さぁ、もう寝よう」

 

マリアは空になった二人のティーカップを台所に持っていく。

 

「……そう、だね………」

 

と、シャルルも小さく返事した。

 

 

マリアが部屋の電気を消し、二人ともベッドに入る。

真っ暗な部屋で、時折シーツの擦れる音だけが壁に渡って、消える。

 

 

「ねぇ………マリア………起きてる………?」

 

 

少し時間が経って、シャルルが小さく問いかけた。

 

 

「………ああ、どうした?」

 

 

マリアもなかなか寝付けないでいた。

 

 

「……マリアは、どうしてこの学園に来たの?」

 

 

シャルルの口から出た疑問に、マリアは暫く考えてから答える。

 

 

「さぁな……自分でもよく分かっていない。ただ、………」

 

 

「………うん」

 

 

「──────この学園で過ごすのも悪くないなと、………そう感じたからかもな」

 

 

「………そう」

 

 

その後は、どちらから話しかけるということもなく、唯々時間が過ぎていった。

初めて会ったはずなのに、聞いたことのある声。

彼の声は、いつも夢で会う彼女のものにそっくりだった。

赤の他人かもしれない。しかし、どうしても赤の他人とは思えない。

 

 

お願い、私を見捨てないで……………私まだ、役に立てるのだから……………。

 

 

頭の中で、顔も分からない彼女の声が反芻する。

いつものように、夜になれば、もう彼女の姿も曖昧で。

せめて夢で会えば、また彼女を思い出すことは叶うだろうか。

カーテンの隙間からは、月明かりが暗闇を訪れている。

そういえば彼女も、嘗ては私にとって光のような存在だったかもしれない。

微睡(まどろ)んだ思考も暗闇に消え、いつしか私は眠っていた。

 

 

 




『脳液』

薄暗いアメーバ状の脳液。
頭部が肥大し、遂に頭ばかりとなった患者から採取したもの。

内なるものを自覚せず、失ってそれに気付く。
滑稽だが、それは啓蒙の本質でもある。
自らの血を舐め、その甘さに驚くように。

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