如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第一章 「粉雪の降る夜に 7」

「――ちょっと、小夜っ!」

 

 馬鹿デカい声と共に、小夜は昨夜の回想から強制送還された。目の前では早苗が眉間に皺を寄せながら、睨みをきかせている。どうやらダーリンと同様に、鼓膜を遮断していたらしい。

 

「何よ、いきなり大声で」

 

「何じゃないわよ……ほら、あっち見てみ」

 

 早苗は教室の入り口を顎で指した。目を向けると、そこには白瀬華純がいつものように佇んでいた。さてと、ではいざ参りますか。小夜は心の中で気合を一つ入れると、静かに椅子から腰を上げる。すると早苗が「氷姫、ご武運を」と真剣な眼差しを向けてきた。

 

 明らかにからかっている……。小夜はそう思いながらも彼女の子芝居に付き合うことにした。

 

「うむ……私が敗れた時には、どうか骨を拾ってちょうだい」

 

御意(ぎょい)

 

 深々と頭を下げる早苗に微笑みかけると、小夜は栗色の髪をなびかせながら、颯爽と華純のもとへと向かった。

 

「ダーリンなら休みよ」

 

「ええ、知ってます。さっき電話で話しましたから」

 

 後輩女子は微笑みながら、余裕たっぷりに言う――だが私の心は全く揺れない、強固に揺るがない。

 

「そう、じゃあ用件は何かしら」

 

「場所を変えませんか? 出来れば二人きりで話せるところに……」

 

 華純は、教室の中に一瞬目を向ける。彼女の視線の先――クラスメイトたちが、好奇な眼差しでこちらを窺っていた。確かに、これでは落ち着いて話をすることも出来ない。

 

「いいわよ、どこに行こうかしら?」

 

「体育館……今の時間なら誰もいません」

 

 二人は一階の体育館を目指し、無言で歩みを進めた。華純の表情はいつになく険しく、そして固いものだった。理由は自明。女同士のガチ談判――勿論、小夜もそのことは重々承知の上だった。

 

 程なくして体育館に到着した。華純は相変わらず無言のまま足を踏み入れてゆく。小夜も同様に彼女の後に続いた。ホールの中央に辿り着くと、華純はゆっくりと振り返り小夜に視線を合せる。そして挑戦的な眼差を向けてきた。睨みあう二人の少女――先に口火を切ったのは華純のほうだった。

 

「似合いますね、そのペンダント」

 

 華純は微笑みながら小夜の首元を飾る、ペンダントを見つめた。そのペンダント・トップには美しい群青色のビー玉が装飾されている。昨夜貰った、如月からの誕生日(・・・)プレゼント。双子たちの悪戯を見破った者に贈られる賞品――嬉しすぎて涙が止まらなかった。

 

「やっぱり、本物は輝きが違いますね……」

 

 ポケットからビー玉を取り出すと、華純は悪戯っぽくペロリと舌を出した。昨日、小夜が廊下で見たビー玉は、彼女が用意した偽物だった。彼女の嘘――普段の私なら当然気付いていた。小夜はそう思いつつ自嘲した笑みを浮かべた。

 

「如月先輩からはどこまで聞きました?」

 

「まあ、一通りのことは」

 

「具体的にいうと?」

 

「貴女のお母さんが――」

 

 白瀬景子――華純の母親は知る人ぞ知る、有名なアクセサリーデザイナーだった。そのことをどこからか聞き付けた如月は、景子に自身のビー玉をあしらったペンダントの製作を依頼した。その時に、たまたまアトリエに訪れていた華純とも出会ったそうだ。

 

 景子にはアーティストに有りがちな、少し変わったところがあった。彼女はペンダントの製作にあたって、一つの条件を如月に提示してきた。その条件とは、ペンダントを誰に何の為に渡すのか? そして、どうしてこのビー玉でなければならないのか? この二点を教えなければ、依頼は一切受けないというものだった。

 

 12年前の事件のことは語らなかったが、如月はそれでも真摯に答えたという。華純がビー玉のことを知っていたのはその為だった。そして、もう一つの事実――小夜は昨夜、彼が語った話を思い起こした。

 

「白瀬さんはね、キミに憧れているんだよ」

 

「えっ、私にっ?」

 

「ああ、気付かなかったかい? シャンプーは同じ物を使い、仕草やなんかもキミの真似ばかりしている。キャラも見た目も全然違うのに……生意気そうに見えるけど、あれで結構いじらしいところもあるみたいだね」

 

 パッションフルーツの香り――それは気付いたけど、仕草云々は全く気付かなかった。ほんと、人間嫌いの癖に呆れるくらいによく観察していることで……。

 

「”憧れの三島先輩が、どうしてこんな地味で黒縁メガネな仏頂面を? ”彼女が僕に興味を持ち始めた理由がこれだ。要するに僕に対する想いは、その程度のものだってことだよ」

 

 そうだったんだ……。小夜が心の中で納得した時だった、途端に早苗の言葉が脳裏を蘇る。 ”今回の一番の被害者は、間違いなく白瀬華純よ” あれって、もしかして……暫しの思案の後、小夜は全てを理解した。

 

 私を嫉妬させる為には、対抗馬の存在が不可欠だった。だが如月にはそんな伝手はない。ある筈もないのだ。そんな時だった、タイミングよく彼に興味をもった少女が近付いてきた。如月は渡りに船、とばかりに華純を利用したのだ。廊下での笑顔――芝居の笑顔、作り物の笑顔……全くもって酷い男である。だがそれはすべて私の為だった……。

 

「ほんと、今回はこれでもかっていうくらいに、如月先輩には利用しつくされました……正直なところ、心はポキポキと折れて、プライドはガタガタです」

 

 痛いほどその気持ちは分る。あいつにかかれば、大概の女のプライドはズタズタにされるから……かくゆう私もその一人だった。

 

「昨日、如月先輩がアホ面さげて貴女を探し回ってる時に、私は彼に電話をかけました……第一声はなんだったと思います?」

 

 大体予想はつくけど……。小夜は敢えて無言で首を横に振った。

 

「”悪いが今はキミに構ってる暇はない” ブチッ、ツーツーツー、です……」

 

 相変わらず、容赦のない……あの朴念仁め、帰ったらお説教してあげなくちゃ。そんな心にもないことを思っていると、華純は更にこう続けてきた。

 

「散々、幼気な少女を弄んでおいて……ほんとに酷い男です、貴女のダーリンは」

 

 俯きながら溜め息を漏らす華純には、普段の小生意気さは微塵もみられなかった。

 

「ぶっちゃけて言いますけど、私は三島先輩に憧れていました。だから貴女が夢中になっている男のことが以前から気になっていた。そんな時に、あの人はうちのアトリエに訪れたんです。相変わらずの仏頂面をさげて……」

 

 昨夜、如月が言っていたことはやはり本当だった。だが彼は一つ大きな間違いを犯している。女同士――それは容易に分ることだった。

 

「只の興味本位がいつま間にか、ってやつ?」

 

 華純は苦笑いを浮かべながら無言で頷いた。

 そう、如月は珍しく見誤ったのだ、彼女の心を……いいや、それとも確信犯かな、小夜はそんな思いを巡らせながら、静かに華純を見据える。すると彼女は、先ほどまでのしおらしい表情を一転させると、自信たっぷりに微笑を浮かべた。

 

「私って人のものが欲しくなる、どうしようもない困ったちゃんなんです。そして厄介なことに、今まで欲しいものは全て手に入れてきました」

 

「あらら、ほんと厄介なのに目を付けられたもんねえ」

「はい……というわけで、次回からは裏門(・・)ではなく、正々堂々と正門(・・)から伺わせて頂きます。如月先輩にもそう伝えといてください」

 

 宣戦布告――小生意気な後輩女子は、いつものように小生意気な言葉を吐いた。

 

「ええ、伝えとくわ」

 

「……流石に余裕ですね」

 

「余裕なんてないわ。でもね、今回の件で私は少し成長できた、只それだけよ」

 

 照れくさそうに、それでいてどこか誇らしげに小夜は呟いた。すると二人きりの体育館に静寂が訪れる。音のない世界で、彼女たちは暫く見つめ合った。そして程なくしたころ、昼休みの終了を告げるチャイムがホールに響き渡った。

 

「それじゃ、せいぜい気張りなはれや、華純(・・)後輩」

「ええ、おおきに、小夜(・・)先輩」

 

 慣れない関西弁――小生意気な後輩女子は、私を真似るように返してきた。どうやら、真似るのはシャンプーや仕草だけじゃないらしい。小夜はそう思いつつキュッと表情を引き締めると、踵を返し体育館の出口へ颯爽と向かってゆく。一方、華純はそんな彼女の背中を、微笑みながら見つめていた。

 

 

 

 女同士の談判――それは、後輩女子の新たな戦線布告という形で幕を閉じた。予想していた結果だったので、その点については特に思うところはない。ただそれとは別に一つ気になることがあった。小夜は廊下を歩きながら、スマートフォンを取り出す。数回の呼び出し音の後、くぐもった声が鼓膜に届いてきた。

 

「具合はどう?」

 

「大丈夫、問題ないよ」

 

 問題大アリでしょうが……。如月の鼻声を聞きながら、小夜は大げさに溜め息を漏らした。咳の他に鼻づまりも追加されている。どうやら、彼の風邪は着実に悪化の一途を辿っているようだ。

 

「ちゃんとご飯は食べたの? 薬は食後なんだから――」

 

「子供じゃないんだから、たかが風邪ぐらいで心配し過ぎだよ」

 

 受話口からは、呆れたような笑い声が聞こえてきた。確かに自分でも過保護過ぎだとは思うけど……笑うことないじゃん。ったく、人の気も知らないで……。小夜はふくれっ面を浮かべながら、話を本題へと移した。

 

「さっきまで、小生意気な後輩女子と一緒にいた……体育館に二人きりで」

 

「そっか……因みに彼女とはどんな話を?」

 

「”次回からは裏門ではなく、正々堂々と正門から伺わせて頂きます” あの子からの伝言よ」

 

「ふうん、そう」

 

 予め予想していたかのような、素っ気ない返事――やっぱり確信犯だったか……。小夜はそう思いつつ、彼にこう問いかけた。

 

「あの子の気持ちが分っていたのに利用したの?」

 

「嫌な質問だね」

 

「罪悪感は?」

 

「皆無だ」

 

 これでもか、という程の冷徹な答え。流石にここまで開き直られると、次の言葉が中々浮かばない。そんな中、如月が鼻声でこう続けた。

 

「僕は後悔していないよ」

 

 彼は当たり前のように、自信満々で言ってのけた。大切な人を守るためなら、他の誰を傷つけようが知ったことじゃない。小夜にはそう言っているように聞こえた。

 

「ほんと……酷い男」

 

 華純の台詞を借りた。

 

「誰にでも優しい男が好みだったかい?」

 

 試すような問いかけ――暫しの沈黙の後、小夜は飽きれるようにこう答えた。

 

「まさか、そんな八方美人男なんて、土下座されたってお断りよ。知らなかったの? 私って超がつくほど嫉妬深いのよ」

 

 受話口からは、くぐもった笑い声が聞こえてくる。それだけで、シニカルに微笑む彼の姿が容易に想像できた。そしてその後に続く台詞も――。

 

「相変わらず厄介な女だね」

 

 予想した通りの言葉が返ってきた。小夜は微笑みながら、階段の踊り場で立ち止まった。

 

「では、その厄介な女からのお願いを一つ聞いて頂けますか?」

 

「まあ、聞くだけなら」

 

「じゃあ、私が帰るまでに出来るだけ風邪をこじらせておきなさい。いいわね?」

 

「その点に関しては心配する必要はない。今現在でも、これ以上ない速度で悪化の一途を辿っているから」

 

 ああ言えば、こう言う、相変わらずの減らず口……。

 

「それは大変ね、でも安心なさい。私が戻ったらナイチンゲールさながらの、献身的かつ手厚い看病をしてあげるから」

 

「言うねえ。それじゃあ、期待しないで待ってるよ」

 

 弱ってる時ぐらい甘えなさいよ。全くもって、相変わらず可愛げがないんだから……。小夜は小さく溜め息を漏らした。

 

「それじゃ、私が戻るまで大人しく寝てなさいっ、以上っ!」

 

 如月の返事を待たずに電話を切ると、小夜は階段の踊り場で暫くスマートフォンを見つめた。ここ数週間の間に、本当に色々な出来事が起こった。良いことも、そして悪いことも……でもこれだけは言える、今回のことがあって私は確実に成長できた。

 

 察して思いやる、そしてその上で相手の身になり、考えを巡らせる。簡単なことのようでこれが意外に難しい……よしっ、取りあえずは風邪で弱った彼の体を察してあげよう。

 風邪のときに、多く失われるビタミン。その対策にはビタミンたっぷりの柑橘系。咳と痰切りによく効く生姜。体を温める効果のあるネギ。消化が良く栄養豊富な卵……。小夜は教室を目指しながら、如月の為の特別メニューを幸せそうに考え始める。そして彼の仏頂面を想像しながら、満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

                              「粉雪の降る夜に」完


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