昼休みの1年D組――教室では普段通り、昼食を楽しむ生徒たちの姿があった。やっぱり食事というのはこうでなくちゃっ! 小夜はそう思いながら、お手製の出汁巻き玉子に箸を伸ばす。すると向かいの席ではこれまたいつも通りの面子が、彼女と同様に食事を楽しんでいる姿があった。
では、そろそろご覧になって頂こうかしら……。小夜はしたり顔を浮かべながら、心の中でそう呟く。そしておもむろにネクタイを緩めると、ブラウスのボタンを二つ開けた。
「ああ、汗ばむわー」
彼女が怠そうにブラウスをはためかせると、ざっくりと開いた首元から美しいペンダントが顔を覗かせた。
「……このクソ寒い師走の時期に、どこをどうすれば汗ばむのよ」
呆れ顔を浮かべる早苗をよそに、小夜はめげずにこう続けた。
「たとえ真冬の凍てつく寒さでも、心が満たされていれば人の体温は上昇するものよ」
「あっそ、一生言ってな」
相変わらず呆れ顔を浮かべながら、早苗は購買部のコロッケパンを頬張った。一方、小夜はといえば、ブラウスをはためかす手を止めると、首元のペンダントを悩ましげな表情で弄びだす。その眼差しは早苗から清水へと移動していた。
「……綺麗なペンダントだね。どうしたのそれ?」
程なくして空気を読んだ清水は、苦笑いを浮かべながら尋ねた。
「あっ、気付いた?」
「そんだけアピールされたら、このバカでも気づくでしょうよ」
早苗は頬杖をつきながら、小夜を見つめた。
まあ、いささか露骨過ぎた感は否めないけど、取りあえずは作戦成功。
「これ、どうしたと思う?」
小夜は微笑みながら、二人の顔を交互に見つめた。
「如月からのプレゼントでしょ」
「正解っ! どうして分ったの?」
「朝からあんたのをニヤケ面を見てれば、誰でも気付くわよ」
早苗は先程と同様に呆れ顔で見つめてきた。まあ、こういうリアクションが、返ってくるであろうことは予想していた。考えなくても分ることだ。そりゃそうだろう、誰だって他人のお惚気話など聞きたくないのである。
「それで、あんたのテンションを一気に急上昇させた、地味で黒縁メガネの朴念仁は一体どうしたわけ?」
本日、欠席していた如月の所在を早苗は尋ねた。
「お咳、コンコンだから私の家で寝てる」
「何よ、風邪でも引いたの?」
小夜は無言で頷いた。
「あんたこんなとこで、何やってんのよっ! あいつの看病は?」
「だって……」
珍しく早苗は食って掛かってきた。そんな彼女をよそに小夜は溜め息を漏らしながら、今朝のやり取りを思い起こしていた。
「8度2分もあるじゃない……」
眉に皺を寄せながら小夜は体温計を睨みつけると、ベッドに横になっている如月に視線を移した。
「やっぱり、私も休む」
「だめだよ、キミは学校へ行くべきだ」
「でも、ダーリンが風邪引いたのは私のせいだし……それに看病する人がいないと困るでしょ?」
「看病なら帰ってきてからしてもらう。だからこんなことくらいで、学校を休んじゃだめだよ」
その後、小夜が何度となく休む、と言っても如月は頑として首を縦に振らなかった。相変わらず、融通がきかないというか頑固というか……。根負けした彼女は致し方なく如月を残し、後ろ髪を引かれる想いで渋々登校したというわけであった。
「ふうん、あんなのでも風邪は引くのね」
「ちょっと、それどういう意味よ?」
小夜の鋭い視線が、早苗に突き刺さる。
「怖っ、顔怖っ!……冗談じゃないの、冗談っ!」
「……ならいいけど」
人のダーリンをまるで、風邪も引かない馬鹿みたいに……まあ、確かに体は本当に丈夫で、風邪なんて1度も引いたことなどなかったのも事実だけど。昨日は相当に無理をしたようだ、私のせいで……。憤慨した様子の小夜をよそに、早苗は小首を傾げながらニヤケ顔を向けた。
「それにしても、昨日は相当に燃え上がったみたいね?」
「……バカ、なに嫌らしい想像してんのよ」
小夜は呆れ顔を浮かべると、窓の外のグランドにゆっくりと視線を移した。するとそこには一面真っ白の銀世界が広がっている。この地域では雪が積もることは珍しいことだった。ホワイトクリスマス――彼女はしんしんと降り続ける雪を見つめながら、昨夜の出来事を思い起こしていた。
満天の星が降り注ぐ公園のベンチ。小夜は最愛の人が訪れるのを、瞼を閉じながら静かに待っていた。真冬の12月だというのに、先程とは違って寒さは殆ど感じられない。理由は自明。如月のことを考えると体が温かくなるのだ。あの朴念仁は果たして第一声、なんと言ってくるのだろう? そんな想像を巡らせながら、彼女は静かに微笑みを浮かべた。
そして数十分が経過した頃、小夜は人の気配を感じた。瞼をゆっくり開けると、目の前には予想通り見慣れた無表情が息を弾ませながら佇んでいた。
真冬のこの時期にコートも羽織らないで……。 ”似た者カップル” 早苗が言ってた意味がようやく理解出来た。小夜が納得していると、如月は彼女のもとへゆっくりと近づいてゆく。
「逃亡はもう終わりかい?」
「……うん」
第一声は予想した通り、軽い嫌味というなのジャブだった。最初っから優しい言葉など求めていなかったので落胆はない。この朴念仁は滅多なことでは、釣った魚にエサなどはくれないのだ。
「それで、逃亡生活の感想は?」
立て続けのジャブ攻撃、小夜は無言で俯いた。すると彼の足もとが目に映る――履いていたのはローファーではなく、学校指定の上履きだった。いつも冷静なくせに、カッコ悪……。彼女は心の中で微笑んだ。
「黙秘権の行使かい?」
相変わらず、小夜からの返答はない。如月は溜め息を一つ漏らすと、彼女の隣にゆっくりと腰を下ろした。
伝えたいことは山のようにあった。でも、その全てが頭に浮かぶだけで、言葉にすることが出来ない。もどかしい想いが小夜の胸に積もってゆく。そんな中、如月がおもむろに口を開き始めた。
「そのコートは?」
「……買った、寒かったから」
心とは裏腹に、素直じゃない私はぶっきら棒に返してしまう……。
「因みにお幾らで?」
「多分、20万くらい……」
「……キミは勿体ない、っていう言葉を知らないのかい?」
如月の問いかけに小夜は無言を貫いた。すると再度、二人の間に沈黙が訪れる。
こんな話をしたいんじゃない、恐らく彼もそう思ってるはずだ。数分の静寂――それを破ったのは今回も如月だった。
「タクシーは反則だろ」
”キミが学園前でタクシーに乗り込まなければ、僕は追いついていたよ” 彼はあんにそう言いたいらしい。そして不機嫌そうにこう続けた。
「キミも当然知っての通り、僕は極度の寒がりだ。それにも関わらずこの寒空にコートを羽織っていない件について、何か思うところは?」
「……ごめんなさい」
「謝罪の言葉を求めてるわけじゃない」
挑むような視線――それは叱責してる瞳ではなかった。これは……そう、テストだ。私が正常な状態に戻ったかどうかの。
「じゃあ、質問を変えよう。僕の足元……見ての通り学園指定の上履きだ。これについてはどうだい?」
如月は相変わらず鋭い視線で見据えてきた。彼が欲している答え――考えろ、いつもの私なら必ず分るはず……小夜は静かに瞼を閉じてゆく。そして程なくして彼女は口を開いた。
「”キミを必死で追いかけてきたんだ” という感じを出すための、猿にも劣る浅知恵でしょ?」
私がそう言うと、彼は珍しく満足そうに口角を上げた。どうやらテストには無事、合格したらしい。ほんとは必死だったくせに、相変わらず素直じゃないんだから……。小夜は俯きながら微笑みを漏らした。するとまた暫しの沈黙が流れ出す。だが今回は彼女のほうから口を開き始めた。
「早苗から……全部聞いた」
「そうか」
小さく頷くと、如月は静かにこちらに顔を向けてきた。メガネの奥の黒い瞳が優しくを見据えてくる。だから私はいつものように彼に甘えるのだ……。
「今回は流石に自分が嫌になった……呆れたでしょ?」
「心底ね」
「イタ過ぎて、引いたでしょ?」
「ドンがつくほどに」
「相変わらず、厄介で面倒な女だと思ったでしょ?」
「よく分かってるじゃないか」
小夜はそこで一呼吸置くと、静かに俯いた。
「なら……もう、私に関わらない方がいいよ」
「ああ、ご忠告通りそうするよ」
如月は吐き捨てるように言うと、ゆっくりと小夜から視線を逸らす。暫しの静寂が二人の間に流れた。すると彼は苦笑いを浮かべながら星空を見上げると、静かにこう続けた。
「……と言いたいところだけど、それが出来れば苦労はしない。キミが一番分かってることだろ?」
心にもない挑発――珍しく安い誘いに乗ってきたくれた彼は、予想通り甘い言葉をくれた。そして如月がそう言ってくれることを確信していた私は、自分で言うのもなんだが相変わらず相当な
「……私、いつまた病んじゃうか分んないよ?」
「その時は、僕がまたキミをリセットするさ。何度でもね」
「またしつこく浮気を疑うかもよ?」
「望むところだ」
「些細なことでヒスるかもよ?」
「そのくらい元気なほうが、こっちも張り合いがあるってもんだよ」
飄々とした態度で、とんでもないことを平気で言ってのける……いつもの彼だ。
「前よりも、もっと束縛きつくするかもだよ?」
「ほう、それは楽しみだ。僕をがっかりさせるなよ」
如月はそう言って小夜を見据えると、いつもの無表情でこう続けた。
「悪いけど、僕はキミと離れるつもりは1NANOたりともない。だから無駄な抵抗は止めて、もういい加減諦めろ」
魔法使いの彼は、いつも私が求めている呪文の言葉を、絶妙のタイミングで唱える。そして誠に不本意ながら、私は毎回それにいつもころっとヤラれてしまう。彼は最強の魔法使いであり、稀代の人たらしだ。小夜はそう思いながら、如月を見据えた。
「……朴念仁」
「僕の数少ない魅力の一つだ」
「……活字中毒」
「薬物中毒よりはマシだろ?」
「……偏屈者」
「偏屈者くらいの方が、猪突猛進型の誰かさんにはお似合いのはずだ」
静かな公園のベンチ――街灯が二人を淡い光で照らす。
ほんと、ああいえばこういうんだから……小夜は微笑みながら、ゆっくりと如月に抱きついてゆく。すると彼の華奢な体は氷のように冷たかった。恐らく何時間も私を探し続けてくれていたんだろう。ごめんね、いつも心配ばかりかけて……。小夜は彼の胸に顔を埋める。久しぶりのダーリンの薄い胸板……彼のゆっくりとした鼓動は、いつも私を安心させてくれる。彼女が心の中でそう呟いた時だった、如月が静かに口を開いた。
「……雪だ」
ほんとだ……空を見上げると、いつの間にか星たちは消えていた。その変わらり美しい粉雪が静かに降り注いでくる。何なの? このロマンティックなシチュエーションは。正直、出来すぎでしょ? 小夜はそう思いつつ、雪を珍しそうに眺める如月に視線を移した。
「どうした?」
「キスしたいんですけど、いいですか?」
「……だめ、と言ってもどうせするんだろ?」
この状況よ、普通は男から仕掛けてくるのが礼儀ってもんでしょ? 小夜はそう思いつつ無言で頷いた。
「僕に拒否権はないのかい?」
「無い、
「……人の
眉間に皺を寄せる如月に対し、小夜は微笑みで返す。すると彼は諦めるように溜め息を漏らした。
「……では、お好きにどうぞ」
そう言って彼はゆっくりと瞼を閉じた。
全くもってこの寒空にツンドラもいいとこである。これじゃ、どう考えても男女の立場が逆でしょうが。でもまあ、この際だから細かいことはもうどうでもいいや……。小夜はそう思いつつ「それでは、頂きます」と言ってゆっくりと彼に顔を寄せた。
しんしんと粉雪が降り注ぐ中、街頭に照らされた二人は、互いを温めあうかのように唇を重ねた。そこには ”ヤマアラシのジレンマ” などというものは、微塵も存在しなかった。