如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第一章「粉雪の降る夜に 4」

 時刻は午後6時40分――小夜は三幻寺駅の銅像前で一人佇んでいた。辺りを見渡すと週末でもないというのに、数多くの人々たちで溢れ返っている。それもその筈、何故ならここは待ち合わせ場所のメッカなのだ。

 

 うーん、琴音さん遅いなあ……。小夜は腕時計に目を向けた。

待ち合わせは6時30分。もう既に10分の遅刻である。待つのは別に苦にならない。だが厄介なのは先程からしつこくナンパしてくる、チャラ男共の存在だ。小夜の大人びた容姿から、女子大生とでも思っているのだろう。因みに彼女は待ち合わせまで時間があった為、一端自宅に戻り私服着替えてこの場所に訪れていた。

 

 それにしても今日は相当にストレスが溜まった。如月が教室に戻ってきたのは、5時限目が始まる直前だった。その間は恐らく、白瀬華純と二人きりの筈だ。それにも関わらず早苗の手前、あの二人が一体何をしていたのか聞くことも出来なかった。

 

 二人きりの視聴覚室、唇を重ねる如月と後輩女子……嫌な妄想が頭の中をグルグルと駆け巡る。そんな私の気持ちなどお構いなしとばかりに、彼はなんの釈明もしない。言い訳もしない。もっと言えば殆どダンマリだ。最近、どんどん彼のことが分からなくなってゆく……。小夜がそんなことを考えていた時だった、また新手のチャラ男が彼女に声をかけてきた。

 

 小夜は不機嫌そうな表情で無視を決め込んだ。だが今回のチャラ男はことのほかしつこい。何度断ろうが諦めないのだ。そして挙句の果てに彼女の腕を強引に掴んできた。身の危険を感じた小夜は声を上げようとした。丁度その時だった、人ごみから一人の女性が颯爽と現れると、チャラ男の肩に素早く手をかけた。

 

「お兄ちゃん、ちょっとオイタが過ぎるんじゃない? 言っとくけど、その子まだ未成年よ」

 

 相良琴音はチャラ男の首元にゆっくりと腕を回した。するともう片方から、丸眼鏡でおかっぱ頭の女性が彼の耳元でドスを効かせる。

 

「警察沙汰にされたくなかったら、そのケツ撒くってとっとと消えな」

 

 すると饒舌だった口は途端に鳴りを潜め、チャラ男は顔を青ざめながら「すんませんでしたっ!」と言い残し、逃げるようにその場を後にした。

 

「ごめんごめん、待った?」

 

 琴音は何事も無かったかのように、小夜に顔を向けた。

 相変わらずの美人不良三十路……この二人にかかれば大抵の男は手も足も出ない筈だ。

 

「ううん、それより忙しいのに本当にごめんなさい」

 

「気にしない、気にしない。他でもない小夜ちゃんのお悩み相談なんだから」

 

「琴音さん……」

 

「それより、こいつも一緒でいいかしら」

 

 琴音は谷川美鈴を顎で指した。彼女はSクリニックが入っているビルの一階で、調剤薬局の薬剤師として勤務している。琴音さんと同様に幼い頃から、如月のことを知る数少ない人物の一人だ。因みに琴音さんとは大学の同期であり、いまでもよく二人で飲み歩いているそうだ。

 

「勿論」小夜は微笑みながら頷くと、美鈴に視線を合せた。「お久しぶりです」

 

 琴音さんとはコンスタントに合っていたが、美鈴さんとはおおよそ半年ぶりといったところだった。相変わらず愛らしい童顔に綺麗なおかっぱ頭――この二人が同い年と思う人は少ないだろう。

 

「うん、久しぶり」美鈴はそう言って小夜を、まじまじと見つめた。「それにしても、相変わらず可愛いわねえ。強引にナンパしたくなるチャラ男の気持ちも、分らんでもないわ」

 

 小夜は照れ隠しに苦笑いを浮かべた。そして再開の挨拶もそこそこに、3人は目的地へと歩みを進めた。場所は琴音の友人が経営する創作イタリアンである。初めはSクリニックのカウンセリングルームで話を聞いてもらう予定だった。だがどうせなら、食事をしながらのほうがよくない? と琴音さんが提案してきたため、イタリアンでの女子会が開かれることになった。

 

 駅前から10分程の場所にその店はあった。照明の絞った店内は、本場イタリアを彷彿させる落ち着いた雰囲気となっていた。3人は案内された予約席に腰を下ろす。琴音さんはまずシャンパンを1本注文した。どうやら料理の方はシェフのお任せのようだ。

 

 程なくしてシャンパンクーラーと共に、冷えたグラスが運ばれてきた。3人は乾杯の声と共に、喉の渇きを潤す。因みに琴音さんは未成年であっても ”飲みたきゃ飲めばいい、吸いたきゃ吸えばいい” という独自の持論を持っている。だからこのように未成年の私でも遠慮なく頂くことが出来る訳だ。

 

 その後は続々と料理が運ばれてきた。小エビとブロッコリーのサラダ。スズキのカルパッチョ。イタリアンサラミにハモンセラーノ等々。美味しい料理に舌鼓を打ちながら、世間話に花を咲かせる。大事な相談事はデザートの後だ。

 

 料理も粗方食べ終えて、気付けばシャンパンやワインも数本空けていた。女子3人とはいえ、彼女たちはゆうに5人前は平らげている。痩身の3人ではあったが、小夜を含め皆一応にかなりの大食漢であった。

 

 程なくしてデザートが運ばれてきた。苦みの効いたティラミスに、琴音と美鈴は{ディジェスティフ|食後酒}として、甘い貴腐ワインを合せる。小夜は無難にエスプレッソをチョイスした。

 

「それじゃあ、そろそろお話を聞こうかしら?」

 

 ほんのりと頬を染めた琴音は、小夜の顔を覗き込んだ。すると彼女はエスプレッソを一口含むと、ここ数日に起こった出来事を静かに語り始めた。人生の先輩である二人の女性たちは相槌を打ちながら、私の話に耳を傾けてくれた。そして粗方語り終えたところで、ほろ酔い加減の美鈴さんが、ずり下がった丸眼鏡を上げながらが口を開いた。

 

「うーん、確かにその子は危険だわねえ」

 

「やっぱり、そう思います?」

 

 小夜の問いかけに美鈴は無言で頷いた。すると今度は貴腐ワインを注ぎながら琴音が口を開いた。

 

「そう? 考え過ぎじゃないの」

 

「あんたねえ、相手はロリ顔でしかも巨乳なのよ。健全な男子高校生なら、普通は速攻で下半身カッチカチになっちゃうわよ」

 

「確かにね、でもあの子は健全でも普通でもないでしょが」

 

 琴音はグラスを回しながら、美鈴と小夜を交互に見つめた。

 確かに琴音さんの言う通りである。こう言っては何だが彼は健全でも、ましてや普通でもないのだ。だからといって、浮気をしないとは言い切れない。それとこれとは別問題だ。

 

「でも、最近何となく冷たいというか、距離感があるというか……」

 

「それは、今に始まった事じゃないでしょ? 小夜ちゃんが1番分かってるはずよ」

 

 12年前の事件――彼はそれが原因で極端に人と関わる事を避けてきた。現在は以前よりマシにはなってきているが、相変わらず見えない壁は健在だった。別にそれが悪いと言ってるわけじゃない、誰しも心に持っているものだ。だが彼の壁はとても高く、そして分厚いのだ。

 

「だからって浮気しないとは限らないじゃないですか……」

 

「あの子は、そんなにバカじゃない。これも小夜ちゃんが1番分かってる事でしょ?」

 

「でも――」

 

「あの子のことはひとまず置いといて……」琴音はそう言って小夜を見つめた。「それよりも私が心配なのは小夜ちゃん、貴女のほうよ」

 

「私っ?」

 

「嫉妬を抱くのは人間として当然の感情よ。でもね、それが度を越すとあまりいい状態とは言えないの。今の貴女はまさにそれよ」

 

 言葉に詰まる小夜をよそに琴音は更に続ける。

 

「気付けばハル君のことばかり考えている。一緒にいる時でもそれは変わらない。いつも不安であの子の些細な行動にも過敏になってしまう。こんなことでは彼に嫌われてしまう、でも自分ではどうすることも出来ない。どう、違う?」

 

 全て琴音さんの言う通りだった。

 

「私どうしたら……」

 

 小夜はすがるような眼差しを琴音に向けた。瞳には涙が潤んでいる。それはいつもの、おためごかしなものではなかった。{雁字搦|がんじがら}めな心、嫉妬と独占欲で自己嫌悪の毎日――彼女はもう自分ではどうすることも出来ないところまできていた。

 

「一端、あの子と距離を取ってみたら? 辛いだろうけど、他のことにも目を向けるの」

 

「でも、そんなことをしたら……」

 

「ハル君の気持ちが離れてゆく?」

 

 琴音の問いかけに小夜は無言で頷いた。

 

「それなら、それで仕方のないことよ。あの子の気持ちはその程度のものだった、と思って諦めるしかないわ」

 

 厳しい眼差し……求めていたのはこんな助言じゃなかった。私が欲しかったのは、悪いのは全て如月ハル。可愛そうだったわね、小夜ちゃん。そう言って欲しかっただけなのに……。

 

 小夜が静かに俯くと、そんな彼女の気持ちを察するように、琴音はゆっくりとその華奢な肩に腕を回した。そして優しく小夜を抱き寄せてゆく。高級コロンとフランス産の独特な煙草の香り。琴音さん……。

 何故だか小夜は忘れかけていた母の温もりを思い出した。すると涙が自然と溢れ出してゆく。こんなところを如月に見られでもしたら、間違いなく彼はこう言うことだろう。 ”本当によく泣くね”って……。小夜はそう思いつつ琴音の胸に顔を埋めた。

 

 

 

 昨日はお酒の力も手伝ってか、恥かしげもなく泣きまくってしまった。琴音さんたちは、さぞかし迷惑だったことだろう。今度埋め合わせしなければ……朝起きると恐る恐る鏡に顔を映した。ある程度は覚悟していたが、瞼が腫れていることはなかった。これこそ不幸中の幸いというやつである。

 

 部屋着を脱ぎ捨てながらバスルームへと向かう。ゆっくりと時間をかけて湯船に浸かった。そして髪の毛と体を入念に洗う。だって今日は特別な日だから――軽く朝食を済ませて制服に袖を通す。お弁当は今日も一つだ。彼も少しは私のありがたみが分かることだろう。玄関に向かい姿見に自分を映す。

 

「行ってきます」

 

 小夜は微笑みながら言うと、彼の待つ学校へと歩みを進めた。

 混雑した電車、長い上りの坂道、いつもの学校への道のり……だが今日は見えてくる景色がいつもと違う。小夜は静かに白い息を漏らした。

 

 

 

 

 教室の前で小さく深呼吸を一つした。ドアを開けると予想通り、如月が文庫本に目を向ける姿がある。ほんと、飽きもせずに……。小夜は小さく微笑みながら彼のもとへと向かう。

 

「おはよう」

 

 小夜は如月を見下ろしながら言った。すると彼は文庫本に目を落としたまま、それに応える。これもいつもと変わらぬ光景だ。そう、いつもと何一つ変わらない……。

 

「話があるの」

 

 如月は文庫本を閉じると、ゆっくりとした動作で小夜に顔を向けた。黒い瞳が静かに見据えてくる。彼女はその視線を色素の薄い瞳で受け止めた。そして静かに口を開いてゆく。

 

「私たち暫く距離をおこう」

 

 静かな教室――爽やかな日差しが二人に降り注いでくる。もう、後戻りは出来ない……。小夜は自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。


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