如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第一章 「粉雪の降る夜に 3」

 週明けの月曜日――小夜はぐずついた空と同様に、重い気持ちを抱えながら一人寂しく電車に揺られていた。彼女は込み合ったシートから中刷り広告を見上げる。そして如月が暇潰しでよく行う ”文字遊びゲーム” を開始した。

 

因みに文字遊びゲームとは、まず中刷り広告に一番多く使われている文字を探す。そして1位~20位までを決めると、その文字を使って新たな見出しを作ってゆく。当然だが新たに作る見出しは、広告の記事に関係のあるものに限る。加えて文字は全て使い切らなければならない、という縛りもあった。

 

 こんな難しいゲームどんだけ時間かけようが、出来る訳ないじゃんっ! 一体どんな脳ミソしてんのよ、あいつは……っていうかそもそもこれの何が面白いのよっ! 文字遊びゲームを開始して10分が経過した頃、小夜の脳裏には根本的な疑問が浮かんでいた。

 

 それはさておき、昨日も如月からの連絡はなかった。当然ながら私からもしていない。聞きたいことは山のようにあった。でもそれが全て事実だった時のことを考えると、怖くて連絡を入れることが出来なかった。私は相変わらずのヘタレだ……窓に目を向けると嫌味な曇り空が広がっている。小夜はシートに体を預けると、静かに溜め息を漏らした。

 

 

 

 教室に到着すると、いつものように一人きりで文庫本に目を落とす、如月の姿があった。因みに彼は指して理由がある訳でもないのに、毎日一番乗りで学校に登校する。以前、その理由を尋ねたことがあった。返ってきた答えは  ”家にいても特にすることがないから” という、こちらが返答に詰まるものだった。相変わらずの変わり者……今思い出しても笑いが込み上げてくる。

 

 小夜はそんな変人を一瞥すると、静かに自分の席へと向かう。いつもは如月の向かいに腰を下ろし、ホームルームが始まるまでの短い間、彼とのお喋りを楽しむ筈だった。だが今日はそんな気分にはなれなかった。理由は自明である。

 

「機嫌は直ってないみたいだね?」

 

 珍しく如月から話しかけてきた――小夜はそう思いつつ目線だけを彼に向けた。

 

「ええ。むしろ悪化の一途を辿ってます」

 

「へえ、それはお気の毒に」

 

 機嫌が悪いのはお互い様でしょ? 小夜は嫌味の言葉を飲み込んだ。すると教室に沈黙が訪れる。相変わらず活字中毒の彼は文庫本に目を落としたままだ。さてと、どう切り出そうかな……取りあえず大切なのは絶対に冷静さを失わないことだ。声を荒げる等はもっての外。KEEP COOL。小夜は心の中で自分に言い聞かせた。

 

 まず一番最初に聞いておきたいのは、どうして後輩女子と二人きりでいたのか? ということだ。何か理由があるのであれば、それも合せて是非ともお聞かせ願いたい。というか釈明して頂きたい。よしっ! それじゃあ、はりきって尋問開始といきましょう。

 

「こないだね、私の友達が二階堂駅前でダーリンのことを見かけたんだって」

 

「ふうん、それで?」

 

 小夜は教科書を机の中に入れながら、あたかも今思い出したように言った。いわゆる、言葉のカモフラージュというやつである。すると如月は気のない返事で返してきた。

 

「あの中等部の可愛らしい子、名前何て言ったけ?」

 

「白瀬華純さん」

 

「そう、白瀬さん……その子と腕を組みながら、鼻の下を伸ばして歩いてたって言ってたわよ」

 

「へえ、そう」

 

 如月は面倒臭そうに相槌を打った。

 

 そう、って……否定は? ねえ、ダーリン、否定は? 小夜は奥歯を噛みしめながら、心の中で何度も問いかけた。だが当然ながら彼からの返答はない。仕方がないので彼女は声に出して尋ねてみた。

 

「ど、どうして二人きりでいたのかなあ?」

 

 小夜は顔を引きつらせながら微笑みを浮かべた。すると如月は溜め息を一つ漏らし、ゆっくりとした動作で文庫本を閉じた。メガネの奥の黒い瞳――彼は静かに私を見据えてきた。

 

「駅前で偶然会った。その後は軽い世間話を交わしてすぐに別れた。時間にすると恐らく三分もなかったと思う」

 

 如月は相変わらずこちらを見据えながら、一気にまくし立てた。いつもの無表情。普通の人であれば、その顔からは何の情報も得られないだろう。だが私には分ってしまう。現在、彼は明らかに憤慨している。どうやら完全に怒らせてしまったようだ。気まずい空気が二人きりの教室に流れ、小夜は途端に如月から顔を逸らした。

 

「そんなに怒んなくても……」

 

 彼女が小さく呟いた時だった、朝練を終えた早苗たちが教室になだれ込んできた。

 

 

 

 四時限目――教科担任の平田は、大げさなジェスチャーを交えながら、自慢の英語を披露している。小夜はそんなナルシスト英語教師には目もくれず、窓際の席をぼんやりと見つめていた。そこには授業そっちのけで、スマートフォンを弄っている如月の姿があった。

 授業中に彼がゲームやWEB閲覧をするとは到底思えない。どうやらLINEで、誰かと連絡を取り合ってるようだ。相手は……いいや、もう止めよう。きりがない。

 

 

 

 相変わらず準備がお宜しいことで。小夜は向かいでコンビニ弁当に箸を伸ばす如月を見つめた。折角、いじわるしてやろうと思ったのに……どうやら私が彼の分の弁当を作ってこないであろう、ことを事前に予測していたようだ。こういう隙の無いところが全くもって可愛くない。小夜はお手製弁当に箸を伸ばしながら、本日何度目かの溜め息を漏らした。

 

「ちょっと、あんたらまだ喧嘩してんの?」

 

「喧嘩なんかしてないよ。単純に彼女の機嫌が悪いだけだ」

 

 早苗の問いかけに如月がぶっきら棒に答えた。

 機嫌を悪くさせてんのは、どこのどいつよ! 小夜は怒りを顔に出さずに、黙々と弁当に箸を伸ばした。それにしても全然、美味しくない。出汁の分量、ふんわりとした食感、いつも通りの出汁巻き玉子の筈なのに……食事は場の雰囲気も大きく左右する。正直、こんな状態ではどんなに美味しい料理を食べたとしても、不味く感じてしまう筈だ。

 

 だけどこいつは違うらしい……目の前の朴念仁は、もう既にあらかたコンビニ弁当を食べ終えていた。彼は相変わらずの強心臓だ。小夜がそんな事を考えていると、クラスメイトの沢木詩織が如月に声をかけてきた。因みに彼女は我がクラスの委員長にして、如月信者の一人でもある。

 

「如月君、あの子が……」

 

 詩織は気まずそうに教室の入り口を指した。するとそこには例の可愛らしい後輩女子こと、白瀬華純が微笑みながら佇んでいた。途端に小夜の表情が険しいものに変ってゆく。だがそんなことはお構いなしとばかりに、如月は詩織に礼を言うと素早く席から腰を上げ、無言のまま教室の入り口へと向かった。

 

「小夜っ!」

 

 すかさず席を立とうとする小夜に、早苗のハスキーボイスが待ったをかけた。

 

「……分かってる」

 

「本当に?」

 

「ええ、私はいたって冷静よ」

 

 危なかった……もし早苗が止めてくれなかったら、今頃は如月の背中を追いかけていたことだろう。それでだけでは飽き足らず、後輩女子に食って掛かっていたかもしれない。それにしてもあの子……よく私の目の前で彼を呼びつけられるわね。一体どう言う神経してんのよ。っていうかこれって、もしかして宣戦布告ってる?

 

「あんたの言う通り、随分と可愛らしい子だったわね。確かにあれは敵に回せば厄介だわ」

 

「そうね」

 

 まるで小夜の考えを読んだかのように、早苗はにやけ顔を向けた。

 

 私のダーリンを連れ去って行った憎っき後輩女子こと、白瀬華純は悔しいことに確かに可愛らしいのだ。男受けする童顔で柔和な顔立ち。加えて小柄な体型に反して豊満な胸元……。

 

 その見た目はモデル体型の小夜とは、明らかに真逆のタイプであった。自分と真逆のタイプ――小夜が危機感を覚えたのはこれが大きい。何故なら男は視覚で、感じる生き物だからだ。幾ら如月といえどもそれは変わらないはず……多分だけど。

 

「小夜、一応言っとくけどあいつが戻ってきても――」

 

「分かってるってっ! 恨みがましい嫉妬の言葉も吐きませんし、妙な詮索も致しません。にこやかな微笑みを浮かべて彼を出迎えます。はい、これでいい?」

 

 小夜が片手を上げて宣誓すると、早苗は満足そうに頷いた。何故だか全てが私の意に反して有耶無耶(うやむや)になってゆく。胸につかえたこの違和感はなんだろう。私の穏やかだった日常は、突如現れた後輩女子により崩壊し始めていた。

 

 私の味方になってくれる友人は、早苗を筆頭に数多く存在する。だけど彼女たちからの助言は、皆一応に私への叱咤ばかりだ……たまには誰が激励の方もしてよ。その時だった、小夜の頭の中に一人の美しい女医の姿が浮かんできた。

 

 あの人なら、私のモヤモヤしたこの感情を一掃してくれるかも……。彼女はそう思いつつスマートフォンを取り出すと、美人女医にヘルプのメッセージを送った。

 返信はすぐに送られてきた。それは【いつでもおいで】という、たったの7文字のそっけないものだったが、今の小夜にとっては涙が出るほど心強いものだった。

 

 取りあえず彼女に相談しよう。何せあの人はカウンセリングのプロにして、如月の母親変わりでもある。要するに今回の件に関して、彼女以上の適任者はいないということだ。そうと決まれば、取りあえずはお弁当を食べよう。腹が減っては何とやらだ。小夜は心の中で呟きながら食べたくもない弁当に箸を伸ばした。


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