如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第四章「木枯らしの季節に 7」

 朦朧(もうろう)とした意識のなか、誰かが体を激しく揺すってきた。ぼんやりとした鼓膜に届く、聞き覚えのある声――早苗はゆっくりと重い瞼を開いてゆく。すると目の前には、見慣れたボーズ頭が心配げな表情を浮かべていた。

 

「清水……あんたが、どうして?」

 

「偶然、お前が知らねえ男とこの店に入ってくのを見かけてよ。そんでなんつうか、ちょっと心配になったっていうか……」

 

 清水は曖昧に言葉をにごすと、早苗からすっと視線を外す。すると彼女は誰もいなくなった個室を、ぼんやりとした視線で見渡した。

 

「……あいつらは?」

 

「警察呼んだぞっ! って叫んでやったら、蜘蛛の子散らすように逃げてったぜ」

 

「私……私、あいつらに――」

 

「大丈夫、心配すんな。お前はなにもされてねえよ」

 

「本当?」

 

「ああ、俺が保証する」

 

 清水の優しい言葉――安堵した早苗は、ゆっくりと瞼を閉じた。気を失う直前、なぜか如月の声が聞こえたような気がした。そんなこと絶対にあるはずもないのに……。眠剤のきいた頭でそんなことを思っていると、不意にまた早苗の意識は途切れた。

 

 

 

 目が覚めると、見覚えのある天井が早苗の目に飛び込んできた。隣では後輩の清水有紀が、まるで子猫のように縮こまり寝息を立てている。早苗は可愛い後輩を起こさぬように、ゆっくりとベットから体を起こした。

 

 少し眠ったせいか、頭のほうは意外とすっきりしている。石神に飲まされた眠剤の影響は、もう殆ど残っていなかった。早苗は静かにベットから抜け出した。

 そしてジーンズのポケットからスマートフォンを取り出す。画面に目を向けると時刻は午前2時を示していた。彼女は静かにベット脇に腰を下ろす。そして先程の出来事を瞼を閉じて思い起こした。

 

 いきなり豹変した石神の顔と、周りの男たちの卑下た笑い声――そして怯えた表情の女子大生たち……昨夜の恐ろしい光景が、早苗の脳裏にフラッシュバックしてゆく。あの時、もし清水が助けてくれなかったら今頃、私は……。

 

 そう考えると途端に体がガタガタと震えだしてきた。早苗は咄嗟に両腕を抱えながら体を縮こませる。誰かの声が無性に聞きたくて仕方なかった。だが寝ている後輩を起こす気にもなれない。早苗は瞼をとして、震えが収まるのを只ひたすら待った。

 

 すると丁度その時、彼女のスマートフォンが着信を告げてきた。涙目のまま画面に目を向けると、相手は小夜だった。早苗はすがるようにスマートフォンを手に取る。そしてすかさず画面をスクロールさせると、耳元に押し当てた。

 

「もしもし」

 

「……寝てた?」

 

 暫しの沈黙のあと、受話器からは聞きなれた声が聞こえてきた。すると不思議なことに早苗の震えはピタリと止まる。いまの彼女にとって、親友の声はなによりも心強いものであった。

 

「ううん、起きてたよ」

 

「そっか……」

 

 小夜はそう言って暫しの間、口を閉ざした。いまの早苗には彼女の心のうちが容易に想像できる。幼馴染の二人は昔から幾度となくケンカをしてきた。そして仲直りの際は、強情な小夜に変わっていつも早苗のほうが先に折れていた。ようするに今回の電話は仲直りの催促ということだ。

 

「それで、こんな夜中にどうしたのさ?」

 

「別に……用がなきゃ電話しちゃいけないの?」

 

「あのねえ、私たちはケンカ中なんだよ」

 

「なによっ、ケンカ中だったら電話しちゃいけないのっ!」

 

 文句のつけどころのない逆ギレ――酔ってんなこいつ……早苗はそう思いつつ苦笑いを浮かべた。その表情からは先ほどまでの悲壮感は、綺麗さっぱり消えている。程なくして二人の間に沈黙が流れだす。そして数十秒後、小夜が口を開いた。

 

「言っとくけど……私はこないだのことは悪いと思ってないわよ」

 

「はいはい。わざわざ言われなくても分かってますよ」

 

「あの男のことはやっぱり好きになれない」

 

「だから分かったって……」

 

 早苗は呆れ声で答える。だが心の奥ではちくちくと痛むものがあった。なぜなら小夜の言っていたことは、全て正しかったからだ。親友への嫉妬と劣等感――目が曇っていたのは私のほうだった。

 

「でもね、早苗がどうしてもあの男のことを好きだっていうならさ……まあ、その時はしょうがないから不本意だけど全力で応援してあげる」

 

 私の親友はこういう臭いセリフを、恥かしげもなく時より言いだす。そして、またそれが似合ってしまうのだから、この女は最高に性質が悪いのだ。

 ねえ、小夜、どうやらあんたと違って、私は物語の主役にはなれそうにないわ……。早苗は憂いだ笑み浮かべながら、スマートフォンをきつく握りしめた。

 

 その後、早苗は石神とは今日で終わったことを小夜に伝えた。詳しい理由は話さず ”なんとなく冷めた” と、一言だけ添えて。普段の彼女ならそんな理由で納得するはずがない。厳しい追究が待っていたはずだ。だが今日はおとなしく早苗の言葉に納得した。親友との通話を終えたころには、すっかり夜が明けていた。早苗は遮光カーテンを少し開くと、窓の外に目を向ける。

 

 ああ、嫌な天気……。そこには、いまの彼女の心と同様の重苦しい鉛色の空が広がっていた。

 

 

 

 週明けの月曜日――早苗はいつものように頬杖をつきながら、退屈な授業に耳を傾けていた。あの日の悪夢のような出来事の傷も、時間が経つごとに徐々に癒えてきている。結局、彼女は色々と悩んだが警察へ通報することはなかった。

 

 被害届を出せば、当然目撃者の清水にも聴取は行われる。これ以上、彼に迷惑はかけられない。幸いなことに早苗が口止めしている、という理由から清水の方もあの日のことを、話題にあげることはなかった。

 

 そしてもう一つの大きな理由――それは小夜に真実を知られるのが嫌だったからだ。あの子だけにはバカにされたくない……。そんなくだらない自尊心が私の中で大きく膨らんでゆく。ああ、もう忘れようっ! 早苗はかぶりを振りながら、頭の中のつまらない考えを放り投げた。

 

 

 

「ねえ、如月は?」

 

「分んない。土曜日から連絡つかないのよ。スマホも電源切ってるみたいだし……」

 

 小夜は玉子焼きを頬張りながら、溜め息を漏らした。すると早苗が「あんた、なんか聞いてない?」と、清水に顔を向ける。

 

「いいや、俺はなにも……」

 

 彼は微妙な表情を浮かべながら、曖昧にかぶりを振った。

 

 ったく人が大変だって時に、なに行方不明になってんのよ、あの朴念仁は……。早苗はそう思いつつ小さく吐息を漏らした。すると3年D組の窓際の一角に、気まずい沈黙が訪れる。程なくして彼女は空気を変えるように口を開いた

 

「大丈夫だって、小夜。あいつも子供じゃないんだし、そのうち連絡つくって」

 

「そ、そうよね」

 

「あの仏頂面のことだから、もしかしたら家でまた小難しい本でも読んでんじゃない?」

 

「あっ、それありえるかも」

 

「誰が仏頂面だって?」

 

 聞きなれた低くよく通る声が教室内に響き渡った。それと同時に早苗たちは、入り口の方に目を向ける。するとそこには、口元を赤黒く腫らした如月の姿があった。

 

「ちょっと、どうしたのよ? その顔っ!」

 

「暴漢に襲われた」

 

 小夜の問いかけに簡潔に答えると、如月はいつものように窓際の指定席に腰を下ろした。そして何事もなかったように、おもむろに恋人のお手製弁当に手を伸ばす。

 

「暴漢って……マジで?」

 

「ああ、日本も物騒になったもんだよ。みんなも気をつけた方がいいぞ」

 

 如月は淡々とした口調で早苗の問いに答えると、いつものように黙々と弁当を食べ始めた。すると二人の少女は呆気にとられながら、そんな彼を静かに見つめる。そして暫く無言の昼食が続いたあと、仏頂面の朴念仁が思い出したように口を開いた。

 

「それはそうと、どうやら冷戦は無事終結したようだね」

 

「ええ、おかげさまで」

 

 小夜は悪戯っぽく微笑む。すると如月は「因みに和平はどちらから提案を?」と尋ねた。

 

「ダーリンには内緒です」

 

「じゃあ、冷戦の火種となった核兵器(・・・)はどうしたんだい?」

 

 如月は弁当箱から早苗に視線を移すと、静かに彼女を見据えた。核兵器――石神のことを言っている。彼の問いかけにどう答えていいか分らず、早苗は俯きながら口をつぐんだ。すると彼女の親友が「核兵器は無事、廃棄したそうです」と助け船を出した。

 

「ふうん、それは残念だったな。()愁傷様(・・・)

 

「うっさい、バカっ!」

 

 如月の軽口に早苗はいつものように馬鹿でかい声で返した。そして憤慨した様子で止まっていた昼食を開始する。色々あったけど、小夜とも仲直りできだし。それにこの厄介な黒縁メガネとも、前のように軽口を言いあえる。私の気持ちは相変わらず宙ぶらりんだけど、いまはこのままでいいや……。

 

うん? それにしても、さっき如月が言った、ご愁傷様って最近どこかで同じ台詞を聞いたような……あれ、どこで聞いたんだっけ。早苗はそう思いつつ、大好物の昆布のおにぎりを頬張った。

 

 

 

 その日の放課後、城南大学に到着すると早苗は当てもなくキャンパスを歩き回った。ただやみ雲に学内をうろついたところで、石神を見つけられるとは思えない。だが事務員に尋ねて彼を呼び出すのは、いささか抵抗があった。

 

 全然、見つかる気配ないないし……っていうか勢いでここまで来ちゃったけど、石神を見つけてどうすんの?文句の一つでも言うつもり? それもとビンタでも喰らわす? そのどちらも、呆れるほどに無意味で子供じみた行動に思えた。

 

 相変わらず、考える前に体が動くこの悪い癖は一向に直らない。さてと、どうすっかなあ……。早苗は手近にあったベンチに腰を下ろしながら、小さく溜め息を漏らした。すると先日カラオケで一緒だった女子大生の姿が、突如として彼女の目に飛び込んできた。

 

「ねえ、ちょっとっ!」

 

 早苗は女子大生の背中に声をかける。するとその大声に驚いた彼女は、ビクッと体を震わせながら振り返った。

 

「あ、あなたは……」

 

「私のこと覚えてるわよね?」

 

 早苗の問いかけに女子大生はコクリと頷く。そしてすぐに「ご、ごめんなさっ!」と、言って頭を下げた。

 

「あんたたちも石神の仲間だったの?」

 

 「違うっ、違うのっ! 私たちは本当になにも知らなかったっ!」

 

 女子大生は瞳に涙をためながら、必死にかぶりを振る。その表情は嘘を吐いているとは思えなかった。確かにあの時、個室にいた彼女たちの顔には明らかに同様のいろが浮かんでいた。そう考えると、この女子大生が言っていることも頷ける、と早苗は思った。

 

「石神はいまどこ?」

 

「分からない……」

 

「分からない? そんなわけないでしょっ!」

 

「嘘じゃないっ、本当に知らないのっ!」

 

 女子大生は頭を抱えながら、激しくかぶりを振る。そしてなにかに怯えるように、小刻みに震えた。

 

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ?」

 

「あ、あなたを助けたあの(・・)()のせいよ……」

 

 私を助けたあの男――恐らく清水のことを言ってるんだろう。でも……どうして、彼女はこんなにもあいつに怯えてるわけ? 早苗は訝しみながら、女子大生の顔を覗きこんだ。

 

「あの男のせいって、一体どういうこと?」

 

「あ、あの男が、あの男が石神君たちを……」

 

 女子大生はそう言うと、途端に口をつぐむ。清水が石神たちを……一体どういうこと?

 

「ねえ、あんたが知ってること、いまここで全部話してっ!」

 

 早苗は怯えたままの女子大生を、厳しい眼差しで見据える。すると彼女は観念したのか、あの日の出来事を静かに語り出した。

 

「あ、あの時、あなたが気を失ってからすぐに、若い男が個室に入ってきたの――」

 

「ごめん、ちょっと待ってっ! 一応確認なんだけど、その若い男って体格のいいボーズ頭よね?」

 

 早苗は手のひらをかざして、女子大生の言葉をさえぎる。すると彼女は「いいえ、違うわ」と、いってかぶりを振った。

 

「えっ、違う? じゃあ、どんな感じの男だったの?」

 

「年の頃は恐らく私たちと同じくらい……背の高い細身(・・)の人だった」

 

 背の高い細身の男? 明らかに清水じゃない……すると途端に早苗の脳裏に如月の姿が浮かんできた。

 

「その男、他になにか特徴はなかった?」

 

「ええと……メガネ、黒縁のメガネをかけていたわ」

 

 間違いない、如月だっ!

 

「それで、その男はそのあとどうしたの?」

 

「あの人は、個室に入ってくるなり石神君に――」

 

 

 

 

「お願いします、彼女から手を引いてください」

 

「如月君、キミも相当にしつこいね。なんど言ったら分かるんだ? それは出来ない相談だって、こないだも言ったばかりじゃないか」

 

「彼女以外にも女性は大勢いるでしょう」

 

 石神の膝の上で、すやすやと寝息を立てる早苗――如月はそんな彼女を、顎をしゃくりながら指した。

 

「彼女は諦めて、ほかの女を輪姦(まわせ)って言ってるのかい?」

 

「ええ、有体に言えば」

 

「キミも酷いことを言うねえ……でも悪いけどこっちにも事情(・・)ってもんがあるんでね。だからなんど頼まれても無理なものは無理だ」

 

 石神はそう言って気を失った早苗の頬を優しくなでた。すると如月の眉が珍しく一瞬、ピクリと引きつる。

 

「あれ? もしかして怒ったのかな」

 

「いますぐに彼女から手を引けば、警察沙汰(・・・・)だけで済むんですよ」

 

 石神の軽口をかるくいなすと、如月は諭すような口ぶりで言った。すると途端に、薄ら笑いを浮かべていた彼の表情が曇りだす。

 

「警察沙汰? それって、もしかして俺らを脅してるわけ?」

 

「まさか、僕は忠告してるんです。いまならまだ(・・・・・・)()()()()、と」

 

「あのさあ……悪いんだけどなにいってんのか、全く意味分かんねえんだけど」

 

 石神は鬱陶しそうに頭を掻きむしりながら、如月のもとへと歩み寄る。そして眉間にしわを寄せながら、無表情の黒縁メガネを見据えた。

 

「いってる意味が分かりませんか?」

 

「ああ、全然分かんねえな」

 

「ったく……ほんと頭の悪い男だな」

 

 如月は心底呆れるように、溜め息交じりで吐きすてた。すると次の瞬間、石神の拳が彼の口元にめり込んでゆく。後方に吹き飛びながら倒れ込む如月――途端に周りの男たちが甲高い歓声をあげた。

 

 一方、女子大生たちは突然の出来事に、口を覆いながら目を見開いている。そんな中、如月は何事もなかったかのように、すくっと起き上がった。そして赤黒く血の滲んだ口元を拭うと、深い闇のような瞳で石神を見据えた。

 

「折角、なんどもチャンスをあげたっていうのに……残念ですが、どうやら時間切れのようです」

 

 彼がそう呟いた瞬間、数人のガラの悪い男たちが個室になだれ込んできた。その風貌を見れば、彼らがどういった職業の人間かは一目瞭然である。石神は突然の出来事に状況が把握出来ずに、後ずさりしながら目を泳がせていた。彼の周りにいた友人たちも、同様の表情で硬直したままだ。

 

「お、おい……こ、これは一体どういうことだよ?」

 

 石神は絞り出すように言うと、引きつった顔を如月に向ける。すると暗い瞳をした青年は、珍しくにやりと口角を上げた。

 

「見れば分かるでしょ? その(・・)()()方々たちです」

 

「だ、だから、どういうことか分かるように説明しろよっ!」

 

「折角のチャンスを棒に振ったのは石神さん、あなたですよ」

 

「な、なんだよ、チャンスって?」

 

「僕の忠告通りにしていれば、あなた方には警察の()しい(・・)取り調べと、正当な司法の裁きが待っていました。恐らく数年の懲役で済んだはずです。そうですよね?」

 

 如月が振り返りながら同意を求めると、彼の周りにいた厳つい男たちは静かに口角を上げた。

 

「あいにくですがこの方々たちには、そういった生温い常識は通用しません。子供じゃないんだから、それくらいは分かりますよね?」

 

 如月の静かな問いかけ。石神は唖然としたまま、答えることが出来ない。一瞬の静寂がカラオケボックスの個室に流れる――そして程なくして如月が冷たい瞳のまま口を開いた。

 

()愁傷様(・・・)です」

 

「ちょ、ちょっと待てよ、嘘だろ? 冗談だよな?」

 

「あなた方に酷いことをされた被害者女性(・・・・・)たちも、涙ながらにそう訴えたんじゃないですか? ”嘘でしょ?” ”冗談でしょ?” ”止めてっ!” ”助けてっ! 、と」

 

 如月はいつもの無表情のまま呟くと、ゆっくり石神の耳元へと顔を近づけてゆく。

 

「因果応報ですね」

 

「分かった、早苗ちゃんからはきっぱりと手を引くっ! 今後一切、絶対に彼女の前にも表れない。誓うっ! なあ、それで問題ないだろ?」

 

「いいえ、問題大ありです」

 

「頼むよっ、俺は金で雇われただけなんだっ!」

 

「金で雇われた?」

 

「ああ、信じてくれっ!」

 

「詳しい話を」

 

 如月が事情説明を促すと、石神は震える声で話し始めた。

 石神への依頼は、数ヶ月前にメールで届いたそうだ。アドレスは簡単に取得できるフリーメールだったらしい。

 その内容は荒川早苗を心身ともにぼろぼろにしろ、というものだったそうだ。そして石神の銀行口座には、その日のうちに100万もの金が振り込まれていた。

やつが言うには、これは前金だったそうだ。成功報酬はまた別だったらしい。

 

「そんな与太話を信じろと?」

 

「嘘じゃねえよっ!」

 

「申し訳ないんですけど、もう時間切れです」

 

 如月は自身の腕時計を見つめながら呟くと、涙目ですがりつく石神の手を鬱陶しそうに振りほどいた。

 

「さようなら」

 

 その無慈悲な言葉から、全てを悟った石神はその場に膝から崩れ落ちた。そんな彼を一瞥すると、如月はソファーで寝息を立てる早苗のもとへ歩み寄り、彼女を優しく抱きかかえるとスーツ姿の組員に視線を合せた。

 

「それじゃ、あとはよろしくお願いします」

 

「ああ、権藤(・・)さんにはくれぐれもよろしくな」

 

「はい」

 

 如月は小さく頷くと、早苗を抱きかかえながら隣の個室へと移動した――。

 

「私が知ってるのは、これで全部……」

 

「そのヤクザ、確かに ”権藤” って言ったのね?」

 

 女子大生は小さくなずいた。この件には如月だけじゃなく、あの闇の住人も関わっている。一体どういうことなのよ……。石神たちは突然現れた、ヤクザたちに連れて行かれた。

 そして現在も彼等とは連絡がつかず行方不明。それを仕切っていたのは如月ハル。あいつの赤黒く腫れあがった口元――あれは暴漢じゃなく、石神にやられたものだったんだ……。

 

「ねえ……あのメガネの彼とは知り合いなの?」

 

 早苗が無言のまま思考にふけっていると、女子大生が小声で尋ねてきた。すると彼女は

「だったらなに?」とぶっきら棒に答える。

 

「いや、べつに……」

 

「なによ? 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよっ!」

 

 煮え切らない女子大生の態度に、早苗の苛々が加速する。すると彼女は怯えながら、気まずそうに口を開いた。

 

「あの人には気をつけた方がいいよ……」

 

「どういうことよ?」

 

「私は間近で見たのっ! チェスでも指すように石神君を淡々と追い詰めてゆくあの人を……」

 

 女子大生は身震いしながら、生唾を飲み込む。そして早苗を見つめながら「あれは絶対に普通の人間の目じゃなかった」と、続けた。

 

 女子大生は怯えながらその言葉を残し、早苗のもとから去って行った。

 

 如月……。彼女は心の中で呟くと、制服のポケットからスマートフォンを取り出す。そしてとある番号を見つけると、画面を軽くタップした。以前聞いた番号――変更してなければ繋がるはず。4~5回の呼び出し音のあと、受話器からは独特の落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「権藤さんですか?」

 

「久しぶりだね、早苗ちゃん」

 

 私からの連絡を予想してた様な口ぶり――。

 

「聞きたいことがあります」

 

「クラブNASUに19時」

 

 間髪入れずに返事が返ってきた。やっぱり私からの連絡を予測していた、ということだ。

 

「分かりました」

 

 早苗は端的にいうと、権藤との通話を終了した。彼女はスマートフォンの画面を静かに見つめる。するとそこには、悲壮感漂う張りつめた顔が映っていた。

 ねえ、如月、やっぱりあんただったんだ、石神たちから私を救ってくれたのは……。学生たちで賑わうキャンパス――早苗は静かに瞼を閉じた。


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