如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第四章「木枯らしの季節に 3」

 なんでこうなるわけ? どうやら私は神様から嫌われてるらしい……。早苗はそう思いつつ、しおれた花のようにしょんぼりとした様子で、ブックカフェの一角に腰を下ろしていた。そんな彼女の向かいには、不機嫌そうに頬杖をつく小夜の姿がある。そしてその隣では、黒縁メガネがいつもの無表情で書籍に目を落としていた。

 

 なんとも気まずいこの雰囲気……すべての原因を作ったのは、私の隣に座るこの小生意気な後輩だ。早苗は先程からなにくわぬ顔で、ホットチャイに口を付けている、白瀬華純をじろりと睨みつけた。だが彼女はそんなことなどお構いなし、とばかりに知らぬ存ぜんを決め込んでいた。現在の如何ともしがたいこの状況――事の発端は、いまから15分ほど前さなのぼる。

 

 あてもなく家を飛び出すと、早苗は電車に乗り込み白狐駅を目指した。本日は土曜日ということもあり、電車内は家族連れやカップルたちで混雑している。このぶんだと、街中も混んでるだろうな。やっぱ一人で家にこもってればよかったかなあ……。彼女はそんなことをボンヤリと考えながら、窓からの流れる景色を見つめた。

 

 白狐駅に到着すると、早苗はあてもなく街中をぶらついた。予想した通り辺りは若いカップルたちであふれている。彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、またあてもなく通りをぶらつき始めた。

 

 その後はたいして見たくもないショップに立ち寄り、たして興味のない商品に手を伸ばす。そんな不毛なことをしながら街中をぶらついてると、早苗は見知らぬ男から声をかけられた。世間的にいうところのナンパというやつである。

 

 幾度となく経験してはいるが、その時は決まって小夜たちが周りにいた。その為か一人きりのときにナンパをされるというのは、彼女にとってはある意味で新鮮な体験であった。 ”先輩は、かなり男子から人気があるんですよ” 先日、景子がいったセリフが早苗の脳裏に蘇る。

 

 なあんだ、私も意外と捨てたもんじゃないじゃん。早苗は心の中でほくそ笑みながら、通りを闊歩してゆく。因みにそのナンパだが、彼女がきっちり断ったのはいうまでもないだろう。

 

 そして暫く街中を散策していた時だった、早苗は背後から聞き覚えのある声に呼び止められた。振り返ると、そこには白瀬華純が微笑みながら佇んでいた。

 相変わらずのロリ系に反して、豊満なお胸だこと……こりゃ、並みの男なら速攻でがっつくだろうなあ。まあ、あいつには相変わらず、全然相手にされてないみたいだけど……。

 

「こんにちは」

 

「あら、あんたこんなとこでなにしてんの?」

 

「休日なのに一人寂しく街ぶらです」

 

 華純はそういって、自嘲した笑みを浮かべた。だがその様子は、どこか芝居がかっているように早苗の目には映った。

 

「ふうん、そりゃ寂しいわね……まあ、私も同じようなもんだけど」

 

「ってことは荒川さんも一人ですか?」

 

「うん、そうだよ」

 

「じゃあ、寂しいもの同士お茶でもしません?」

 

「どうして、私があんたなんかと……」

 

「いいじゃないですか、折角こうして偶然にも会えたんだし。それにこの先にとっても感じのいい、カフェがあるんですよ。さあ、行きましょ」

 

「ちょ、ちょっと――」

 

 嫌がる早苗の腕を強引に取ると、華純は目的地のカフェへと歩みを進めた。ったくなんなのよ、この子は……小夜もまえにいってたけど、相当に我が強いわねえ。っていうか可愛い顔して、かなり力強いんだけど……。強引な後輩女子にされるがまま、早苗は嫌々ながらカフェへと向かった。

 

 そして程なくして目的地に到着すると、彼女の瞳に驚くべき光景が飛び込んでくる。そこには親友と黒縁メガネが、仲睦(なかむつ)まじくお茶をしている姿があった。

 ハ、ハメられた。このガキ、最初っから知っててこの場所に……。これが現在の気まずい状況の、事の顛末であった。

 

「取りあえず正直に説明しなさい。どうして貴女が早苗を引きつれて、この場所にくるわけ? 偶然なんて言わせないわよ」

 

「いやだなあ、小夜先輩ったら超怖い顔して……ほんとに偶然なんですってば、ただの偶然っ! ねえ、早苗(・・)さん」

 

「う、うん。まあ、そうなるわね」

 

 早苗さん? このガキ、一気に距離感つめてきやがった。やりづらいんだよなあ、こういう子って。早苗がそう思いつつ、苦笑いを浮かべていた時だった、コーヒーのお替りを運んできたウェイトレスに、如月がゆっくりと顔を向けた。

 

「この書籍には作者名がありませんが、著者は誰だか分りますか?」

 

「えっ?……ああ、それはオーナの自作品ですよ」

 

 ウィトレスの女性は顎を引きながら苦笑いを浮かべると、更に小声でこう続けた。

 

「つまんないでしょ? それ」

 

「いいえ。なかなか興味深い内容ですよ。ラーメンが大好きのな主人公――麻竹武雄は冒頭から永遠とラーメンに対する愛を語る。そして終盤ではその主人公の正体はじつはメンマだった、という大オチのあたりなどもシュールで悪くない」

 

 如月はそういうと、満足そうに何度も頷いた。

 っていうかさあ如月……メンマの小説なんてどうでもいいのよっ! いまあんたがすべきことは、この気まずい状況をなんとかすることでしょうがっ! 表情には一切出さずに、早苗は心の中で叫び声をあげた。すると書籍の批評を聞き終えたウェイトレスが、如月の顔を覗き込んでゆく。

 

「へえ、そうですか……ではもし宜しかったらオーナー呼んできましょうか?」

 

「いいや、それは結構です。文体からして、とても面倒くさそうな人っぽいので」

 

「正解っ!」

 

 ウィトレスは笑いを堪えながら、口もとを押えた。そして如月に微笑みかけると「それでは、ごゆっくり」といって、カウンターの奥へと戻っていった。

 

「ねえ、その本の主人公ってメンマなの?」

 

「ああ、メンマだよ」

 

 小夜の問いかけに、如月は簡潔に答えた。

 

「そのめちゃくちゃな設定の、一体どこが面白いわけ?」

 

「めちゃくちゃなところが良いんだよ。それに設定に反して、文体や描写などはしっかりとしている。ほら、面白いから読んでごらん」

 

「結構です」

 

 如月が手渡してきた本を、小夜は顔をしかめながら拒絶した。すると彼は暫しの沈黙のあと、ゆっくりと早苗に視線を移してゆく。一方、その熱い眼差しに気づいた彼女は「読まねえっつうの」と、吐き捨てるように突き放した。というわけで、その一風変わったオーナの自作書籍は、如月からの勧めを唯一拒まなかった華純のもとへと渡った。

 

「あんた、なんか今日テンション低くない?」

 

 場の空気も幾分ながら和らいだころで、小夜はハーブティーに手を伸ばしながら、早苗の顔を覗き込んだ。

 

「べつに、そんなことないわよ」

 

「そう? ならいんだけど……」

 

「意外と恋の悩みだったりして」

 

 華純は本のページをめくりながら、独り言のように呟いた。

 

「んなわけないでしょ。私はどこぞのオッパイ女とは違うのよ」

 当てずっぽうでいったとはいえ、随分と勘のお宜しいことで……。早苗がそう思いつつ、何気なさを装いながらコーヒーカップに口をつけた時だった、一人の中年女性が如月に声をかけてきた。

 

「あの子から聞きました。私の小説を褒めてくださったみたいで」

 

 如月は溜め息を漏らしながら、先程のウェイトレスに視線を向けた。すると彼女は微笑みながら、ピースサインを送っていた。その後は一風変わった女性オーナのマシンガントークが、暫くの間続いた。如月は他の書籍に目を落としながら、相槌のみに専念している。だがそれでも女性オーナは、とても幸せそうに微笑んでいた。

 

 自分の書いた本が褒められるのって、やっぱ嬉しんだろうな……多分、それが分ってるからこそ、こいつも珍しく素直に付き合ってあげてるんだ。早苗はそんなことをボンヤリと考えながら、相変わらずの本の虫を静かに見つめた。

 

 その後、小夜たちは行きつけのミニシアターへと向かった。当然のように華純も彼女たちについて行こうとしたが、そこは早苗が気を利かせてお邪魔虫の同行はなんとか回避された。

 

「あんたさあ……もう、いい加減諦めたら? 見込みないの自分でも分かってんでしょ?」

 

「まあ、そうなんですけどね……」

 

 自嘲した笑みを浮かべながら、華純は静かに溜め息をもらした。そして暫しの沈黙のあと、彼女はゆっくりと早苗に向き直った。

 

「でも簡単に諦めるなんて、そんなの勿体ないじゃないですか」

 

 彼女は微笑みながら、朗らかにいい放った。

 

「勿体ない?」

 

「はい。私は人を好きになるのって、当たり前なことじゃないと思ってます。少なくても私にとってはある種の奇跡だと……」

 

「奇跡?」

 

「ええ。だから簡単になんて諦めきれないんです」

 

「ふうん……そっか」

 

「それに私は物語のわき役になるのだけは、絶対に嫌だから……だからどんなにみっともなくても、どんなに相手にウザがられてもへこたれません」

 

 物語のわき役……白瀬華純の言葉の一つ一つが、私の心に突き刺さってくる。 ”なにもせずに簡単に諦めている貴女は、ただの臆病者だ” 真っ直ぐな瞳で見つめてくる華純――なんだかそういわれている気がした。でも仕方がないじゃん。私だって相手が小夜じゃなかったら……ああ、もうっ! やっぱ家にこもってればよかった。

 

「それで、あいつから勧められたメンマの小説はどうだったの?」

 

 暫しの沈黙――気まずくなった早苗が話題を変えると華純は「正直……つまんなかったです」と、いって苦笑いを浮かべた。

 

「まあ……そうだろうね」

 

 早苗も肩を落としながら、大げさに苦笑いを浮かべた。そして二人の少女たちは様々な想いを抱えながら、カップルがひしめきあう街中を季節外れの木枯らしに吹かれながら、ゆっくりと歩きだした。


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