昨日は久しぶりに一人きりで下校した。理由は如月と顔を合せれば、また見苦しい嫉妬の数々を口にしてしまうからだ。少しは心配して、連絡くらいよこしてくるかな? そんな淡い期待を胸に、私はいつもの坂道を下っていた。
敢えて言うまでも無いことだが、その期待は見事に打ち砕かれた。連絡どころか、心配してるかどうかも怪しいところである。彼は相変わらず、ツンデレならぬツンドラだ。
普通、恋人同士なら連絡の一もよこしてくると思うでしょ? NONO、甘い甘いっ! あの朴念仁から、そんな一般的なリアクションを期待すること自体、愚の骨頂なのだ。
それにしても、折角の休日だというのに驚く程の暇さ加減だ。だからこのように、余計な考えが頭を過るのだろう。じゃあ、気晴らしにショッピングにでも行く? 却下、一人じゃつまらん。なら誰か誘えば? いいや、今はそんな気分でもない……。
リビングのソファーに寝ころびながら、小夜はスマートフォンに目を向けた。本来であれば如月とデートに行くはずだったが、昨日の一件でその予定はお流れになってしまった。こっちから連絡するのも気が引ける、と言うよりプライドが許さない。
小夜はスマートフォンに浮かぶ、如月の番号を見つめた。響け、着信音っ! 彼女はスマートフォンの画面に念力を送る。するとそれが通じたのかどうかはさて置き、スマートフォンが着信を告げてきた。だが液晶に表示されていたのは望んだ人物ではなかった。
小夜は溜め息を漏らしながら、画面をスライドさせる。受話口からは、渋谷麻美の能天気な声が聞こえてきた。因みに彼女は私の友人の中でも、かなりの ”悪い子ちゃん” に属するイケイケ女子だ。そしてそんな彼女と友人の私も、以前は ”氷姫” などという誠に不本意な渾名を命名されていた、どうしようもない悪い子ちゃんであった。
麻美の要件は暇だから久々にお茶でもしない? というものだった。特に予定もないし暇を持て余していたのも事実だ。だが何となく気分がのらない――原因は自明である。適当な理由でもつけて断ろう。そう思っていた時だった、麻美の口から無視できない言葉が発せられた。
「あんたのダーリンの事で話もあるし……」
この意味深な発言により、小夜は誘いを受けることにした。通話を終えると彼女はクローゼットへ向かい、細身のライダースジャケットに袖を通した。そして寒さ対策の為、カシミヤのスヌードで首回りを覆う。
「化粧は……めんどいからいいや」
小夜は独り言を漏らし、スッピンのまま玄関へ向かうと、姿見に写る自分をじーっと見つめた。
「よしっ、今日もいい女っ!」
軽く気合を入れると、彼女は足早にマンションをあとにした。
待ち合わせしたカフェには、麻美が既に到着していた。彼女は相変わらずのギャル系ファッションで、シナモンティーに口をつけている。小夜はお待たせ、と言って麻美の向かいに腰を下ろすと、現れたウェイトレスにホットミルクを注文した。
「それで、ダーリンの話って何?」
挨拶もそこそこに、小夜は早速本題へと切り込んだ。
「あんたさあ、私の誘いに乗ったのは結局それが目的だったの?」
「当たり前じゃん。それにダーリンの事で話があるって言ったのはそっちでしょ」
「まあ、そうだけど……」
麻美はシナモンティーを一口含むと、言い難そうに顔をしかめた。その様子から良い話ではない事は明らかだった。
「ガラにもなく気なんて使ってんじゃないわよ。ほら、早く話して」
「別に大したことじゃないのよ。ただね、こないだあんたのダーリンが、女連れで歩いてるのを偶然見かけちゃったっていうか……」
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。小夜は動揺を隠すためにテーブルに置かれたコップに手を伸ばす。一口含むと冷たい水が渇ききった喉を潤してくれた。彼女は冷静さを取り戻すように静かに瞼を閉じた。如月が女連れ……普通から考えればあり得ないことだ。私の予想が正しければ、恐らくその相手は――。
「どんな子だった?」
小夜は瞼を閉じたまま尋ねた。
「あんたのとこの中坊」
「まあ、そんなに落ち込みなさんな。別に路チュウしてた訳でも、ましてやラブホに入って行った訳でもないんだからさ」
麻美の気遣いが身に染みる。そう、彼女の言う通りだ。たかが後輩女子と一緒に歩いて
いただけ……これが如月以外の男なら特に騒ぎ立てる程の問題では無い、よくある事だ。だけどあの人付き合いの苦手な、仏頂面の朴念仁となると話は全く別ものだ。
彼がなんの意味も無く、私以外の異性と二人きりで街を歩く事など考えられない。何故ならその事実がこの三島小夜の耳に入れば、厄介な事態に陥るのは、火を見るよりも明らかだからだ。それにも関わらず彼はどうして……。
いよいよ雲行きが怪しくなってきた。これってもしかして浮気の兆候? それとも既にもう……小さかった疑念が胸の奥で徐々に膨らんでゆく。そういえば、最近うちのマンションへお泊りにくる回数も、減ってきてるように感じる……。
まあ、それは今に始まった事ではないのだけれど……いつも一人きりだった彼は、いくら互いが一人暮らしをしているとはいえ、恋人の家に入り浸るような事は絶対にしない。そう、私と違って……。
「……二人はどんな感じだった?」
「どんなって?」
「親密そうだった? それともぎこちない雰囲気だった? 会話は弾んでた? 彼の表情は? 一緒にいた子の――」
「ち、ちょっと、ストップ、ストップ! いきなりどうしたのよ。少し落ち着きなさいって」
矢継ぎ早の質問攻めに、麻美はたまらず待ったをかけてきた。またやってしまった。私の向かいでは麻美がドン引きしている。それもそうだろう、冷血だった氷姫がいまでは彼氏の事で、周りの目も気にせず右往左往しているのだから。如月の事になると最近、抑えが効かない自分がいる。これはかなりの重症だ。
「ごめん、ちょっとテンパった……でも傍から見ても親密かどうかくらいは分るでしょ?」
「うーん、どうだろう……でも親密って感じではなかったと思うよ。手とかも握ってなかったしさあ」
如月は手を繋いだり、腕を組まれることを極端に嫌がる。理由は単純に歩きにくいうえに、暑苦しいからだそうだ。なので下校時やデート中などに、私が手を繋ごうとするといつも顔をしかめる。でも結局は我慢して手を繋いでくれるのだが……というわけで麻美の感想は全く参考にならないという訳だ。
「……やっぱ浮気かなあ?」
「だから言いたくなかったのよ」
麻美が苦笑いを浮かべると、小夜のもとに先程注文したホットミルクが運ばれてきた。
「ねえ、どう思う?」
「そんなこと聞かれても分んないわよ。私が知ってるのは、あんたのダーリンが女連れで歩いてたっていう事実だけ……ほら、飲みな。少しは落ち着くだろうから」
麻美はそう言って、ホットミルクを小夜に勧めた。彼女は無言で頷くと、ゆっくりとした動作でマグカップに口をつける。すると優しい甘味が口の中に広がってきた。
「どう、少しは落ち着いた?」
「うん……」
「それにしても、あの氷姫が随分と嫉妬深くなっちゃって……そんなに彼のことが好きなんだ?」
「不本意ながら……」
「じゃあ、一つだけ忠告しとくわ。男なんて束縛すればするほど逃れようとする生物よ。あんたもそれは知ってるでしょ?」
無言で頷く小夜に麻美は更にこう続けた。
「初めて本気で好きになった男に、執着しちゃう気持ちも分らないでもないわよ。でもね、今のあんたはっきり言って相当イタいよ。少しは自分を押える事も覚えなさい。そうじゃないと、愛しのダーリンも離れて行っちゃうわよ」
言われなくても分かっている。早苗にも何度となく注意された。でもしょうがないじゃん、自分では止められないんだもん。男を嫉妬させるのは私の専売特許だったのに……。小夜は溜め息を漏らしながら麻美から視線を逸らした。
麻美とは二階堂駅前のカフェで別れた。今夜、クラブにでも行かない? と彼女は誘ってきたが、やんわりと断った。今日はどうしても騒ぐ気分にはなれない。そんな私に麻美は別れ際 ”何かあった時はいつでも連絡を頂戴” と言ってきた。相変わらず口は悪いが心優しい子だ。
小夜は白い息を吐きながら、駅前通りを当ても無く歩いてゆく。寒いのは苦手だったが、このままマンションに帰る気には、どうしてもなれなかった。あの朴念仁が浮気? あり得ない、あり得ない。
例え地球上で如月以外の人間が全て女になろうが、例えその女たち全員が真っ裸であろうが、そして……例えその女たちがお色気全開で誘惑してこようが、彼が浮気するなんてことは絶対にあり得ない。今までずっとそう思ってきた。でもそれはただの勘違いだったのだろうか……。
「ねえ。ダーリンは私以外の女に、うつつを抜かしているの?」
小夜は曇り空を見上げながらポツリと呟いた。